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家族のはなし  作者: 蒼依ソラ
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〜親たちの二度目の学生生活〜 1章

日下部 裕樹はその日、なぜか早く目が覚めてしまった。

普段は仕事のときも休みのときも変わらず6時過ぎに目が覚めるのだが、今日に限ってはそれよりも1時間早い5時に目が覚めてしまったのだった。

少しの間ぼぅ...としてから、おもむろに右横に顔を向けた。

一緒に寝ていたはずの妻の佳須美の姿がなく、布団だけがそこにあった。

妻の佳須美は自分と違い、二人の子供の朝食と弁当を作るために、普段から5時前には起きて支度をしていた。

今日もその習慣で早く起きたのだろう、と解釈した。

一度伸びをすると起き上がり、自分と妻の二人分の布団を押し入れに直し、寝室の部屋から出た。


「お父さん、まだパジャマなの?!はやく着替えてよ!」

と娘の美岬が自分の姿を見るなり、大きな声を上げて言った。

美岬はすでに洋服に着替えており、リビングで出掛けるための支度をしていたところだった。

自分の持っていくバッグの中身を確認し、ファスナーを閉じた。

「今日は早く出なきゃならないんだからね」

「いま起きたとこなんだ。もうちょっとゆっくりさせてくれよ」

あくびをしながらリビングのソファに座り込んだ。

「あぁっ、先に着替えてから座ってよ!」

「新聞読んでから着替えるよ。これは日課なんでね」

と言いながら、ソファの前にあるテーブルの上に置いてあるまだ一度も広げられていない今日の朝刊に手を伸ばした。広告の束だけをテーブルに置き、新聞を広げた。

「もぅっ、早く着替えて出掛ける準備してよね!」

なにを言っても無駄と悟ったのか、美岬はそれだけ言ってリビングから出ていった。

「ミサキ、お兄ちゃん起こしてきて」

美岬にすれ違い様に声を掛けながら、佳須美がリビングに入ってきた。

「あらお父さん、もう起きてたの?ずいぶん早いね」

途中まで広げて読んでいた新聞をたたみ、

「早起きなんてするもんじゃないな。次からはいつも通りに起きよう」

「別にいいじゃない、たまに早く起きたって。なんかあったの?」

「ミサキにドヤされた」

「なにそれ、ミサキになんかしたの?」

リビングに置いてあったキャリーケースの中身を確認しながら、佳須美は首を傾げた。

「なにもしてないよ。ただ、起きていつも通り新聞を読んだだけだよ」

「それだけ?...まぁ、あの娘は今日を何日も前から楽しみにしてたからね。久しぶりの家族で旅行なんだから、舞い上がってるんでしょ」

キャリーケースのファスナーを閉めると、佳須美は立ち上がり

「早めに着替えておいてね。でないと、またミサキにドヤされるわよ」

と言って、佳須美はリビングから出ていった。

「....着替えるか...」

ソファから立ち上がり、リビングを出ようとしたとき、息子の瞬也がリビングに入ってきた。

「父さん、おはよ..」まだ起き抜けだろう、瞬也は寝惚け眼で挨拶をした。

「あぁ、おはよう。...ミサキに起こされたのか?」

その言葉に瞬也は首を縦に振った。

「寝てるとこをいきなり上に乗っかられた。ビックリしたよりも苦しかった」

「...あぁ、それは災難だったな..」

「まったく、朝っぱらから勘弁してほしいよ...」首を擦りながら瞬也はそのままダイニングの方へ行った。冷蔵庫の扉を開け、ミネラルウォーターのペットボトルを取り出して、コップに注ぎグイッと一気飲みした。

「ところで、何時に出発するんだっけ?」

着替えるためリビングから出ていこうとしたとき、瞬也が訊いてきた。

「たしか7時頃だったか...」リビングの壁に掛けてある時計を見ながら言った。時計は5時25分を指していた。

「まだまだ時間はあるな。やはり早く起きすぎた...」

「もう一眠りできそうだけど、どうしようかな...」

瞬也の言葉に「またミサキのダイビングドロップを喰らう気があるならそうするべきだな」

「...やめとく。行き先が病院になりたくない…」

「懸命だな。さ、いい加減着替えるか。でないと、俺までミサキにドヤされるだけじゃすまないかもしれないからな」

瞬也も同意して、お互いの部屋に向かった。


荷物を自家用車のトランクに積み込み、自宅のマンションを出発したのは午前7時を10分ほど過ぎた頃だった。

五月くらいから、「お父さん、休みにどこか連れてって!」と美岬から言われていたのだが、しばらく仕事の目処がつかず返答も曖昧になっていた。

だが、子供たちの夏休みに入る少し前に係っていた仕事がもうやく目処がついたので、上司である江島部長に直談判をしてみると

部長はいとも簡単に許可を出してくれた。

「家族サービスは大事なことたからな。仕事も一段落着いたことだし、たまには家族にご奉仕してあげなさい」

と言う江島部長の言葉になにか裏があるのか?、と勘ぐりなからもその好意には素直に甘えることにした。

おかげで公休と有休含めて3日間の休みを取得することができた。

その報告をしたときの家族の反応、とりわけ美岬の喜びようは半端なく家中を跳び跳ねて喜んだ。その様はとても中学1年生とは思えないほどのはしゃぎようだった。それに対して、瞬也の方は喜びはしたが美岬ほどではなく、少し冷めた感じだった。あとでそれとなく聞いてみると

「みんなでどこかに出かけるのは素直に嬉しいよ。でもあそこって絶叫系のアトラクションが多い所でしょ、正直苦手なんだよね...」

その素直な言葉を聞いてまだ知らない息子の一部を知り得たということに、なんともいえない嬉しさが胸のなかに込み上げてきた。

妻の佳須美に似て、明るく人当たりのよい妹の美岬に比べて、おとなしくあまり自分というものを表現しない兄のことを妻と少なからず心配はしていた。

だからといってまったく話さないどこかにわけではなく、家族や友人たちと普通に話すし、家に友人が遊びに来たりしていたので、人つきあいの点では大丈夫だな、と安心していた。


目的地はとなりの県にある大型テーマパーク、美岬がかねてから行ってみたいと言っていた場所である。

自宅から高速道路を使って300km近く、時間にして3時間強といったところか。

途中休憩等でサービスエリアに寄ったりするだろうから、時間的にはもう少しかかるだろう。

天候も3日間とも快晴で、出掛けるには最高の日和だった。

車内は当然自分が運転手、助手席には瞬也、後部座席には右側に佳須美、左側に美岬が座っている。

子供二人が小さいときは佳須美が助手席に、瞬也と美岬は後部座席にチャイルドシートだったが、瞬也が中学に上がった頃より助手席に座るようになった。理由は、佳須美より瞬也の方が地図のナビゲーションがはるかに上手かったことだった。

高速道路に入り1時間ほど走ってから、休憩がてらサービスエリアに寄った。佳須美と美岬は二人連れ立って土産物店に隣接しているコンビニに入っていった。瞬也は先にトイレに行ってからコンビニに向かった。

車中に居ようかとも思ったが、一人だけいてもつまらないので外に出てコンビニに向かった。

店内に入ると先に入った二人に瞬也も合流して、一緒に物色していた。

奥の冷蔵ケースから缶のアイスコーヒーを一本取りだし、レジに向かい支払いを済ませて「車に戻ってるぞ」と佳須美に伝えた。

「こっちもすぐに戻るから」と言うと、佳須美はレジに並んだ。

コンビニを出るとジーンズの後ろポケットに入れてあったスマートフォンの着信音が鳴った。画面を見ると職場の後輩である、柏山からだった。

「もしもし、どうした?」

『すみません、クサカベさん。お休みのところに。いま電話大丈夫ですか?』

「あぁ、いまサービスエリアだから。なにかあったか?」

『○○店のフジシマさんから依頼のあった9月の売出し商談の件ですが、先程リストをすぐ送ってほしいと連絡がありました。早急に商品の確認と選定して数を出したい、とのことです』

「あれは週明けでもいいとの話だったが。そうか、じゃあすまないが、俺の端末の画面の左上に○○店商談リストのフォルダがあるので、開いて『9月分商談リスト』のファイルがあるからそれをフジシマさん宛のメールに送ってくれ。アドレスはわかるな?」

『はい、わかります。ではそれを確認してフジシマさんに送っておきます。お休みのところほんとにすみません。先方の急な要望だったもので』

「そんなこと気にするな。なんかあったら連絡しろと言ってあったろ。じゃあリストのメール、頼むな。フジシマさんには俺から連絡入れておくから」

すみません、といって柏山からの通話は切れた。

右手に持っていた缶コーヒーを飲んでから、スマートフォンのアドレスを検索していると、

「どしたの?会社から?」いつの間にか佳須美が隣にきて、スマートフォンの画面を覗きこんだ。

「あぁ、後輩から連絡があって、取引先に商談リストを送ってほしいと言われてな。俺の端末から送ってもらうように伝えたとこだ。あとは取引先に連絡するだけだ。もう、買い物終わったのか?」

「うん、シュンとミサキは先に車にもどってる。あたしも先に行ってるよ」

その言葉に頷きながら、取引先への通話を始めた。

2~3分ほどで通話を終えると、車に戻っているはずだった佳須美が目の前に立っていた。

「終わった?」

「終わったよ。ごめんな、待たせて。車に戻ったと思ってたから」

「そうしようとしたんだけど、なんとなく待ってようかなと思って」

「そうか、じゃあ行くか。子供たちを待たせちゃ悪いしな」

そう言うと、二人は車に向けて歩き出した。

「ねぇ、ユウキ」

右横に並んで歩いている佳須美の口から、突然昔彼女が呼んでいた呼び名が出てきた。瞬也が生まれてから久しくその呼び名で呼ばれてなかったので、少しビックリしてしまった。佳須美は言葉を続けて、

「ありがとね、仕事忙しいのにミサキのワガママきいてくれて」

「いや、どっかに連れていってあげたいってのは前から考えてたから。まぁ実際、実現できるとは思わなかったけどな。お前こそホテルの手配とかしてくれて助かった。そっちの方が大変だったろ」

「全然。家のことする合間にネット開いて調べてたから。あの遊園地のまわりった意外といっぱい宿泊先があってね、ある意味選び放題だったよ」

「で、そのなかでカスミのお眼鏡に叶うとこがあったわけだ」

「そう、どんなとこかは着いてからのお楽しみだから、期待しててね」

と佳須美のドヤ顔に対して

「おぉ、期待させてもらおうじゃないか」と言った。

「お父さん、お母さん、早く来てよ!暑すぎて体が溶けちゃいそうだよ」

先に車まで戻っていた美岬が大きな声をあげた。横で瞬也が汗を拭いながら、スマートフォンをいじっていた。

「お兄ちゃん、さっきからなにやってんの?ゲーム?」

美岬は瞬也の手元のスマートフォンを横から覗き込んだ。

「最近配信されたやつだけど、なかなか面白くてね。ちょっとハマりつつある」

画面左に表示された方向キーを動かしながら、出てくるモンスターをタップして倒していった。

「つくづくゲーム上手いよね、お兄ちゃんって」

「なんだそれ、何気にバカにしてないか?」

「そんなことないよ、普通にそう思っただけ。あたしこういうのぜんぜんダメだから」

「なにも考えずにとにかく突き進んでボタン連打で玉砕がいつものパターンだからな。おまえはゲームには向いてないよ、っとアイテムゲット」

「そっちも何気に人のことバカにしてるよね。べつにゲームする気はないからいいよ」美岬はプイッと横を向いた。

「悪いな、待たせて。さぁ出発するぞ」

言いながら、車のロックを解除すると各々車に乗り込んだ。

エンジンをかけ、エアコンの風量を最大にして暑くなった車内を冷やしてから、車を発信させた。

しばらく車を走らせている時、後部座席に座っている美岬が

「あとどれくらいで着くかな?」と訊いてきた。

メーターの真ん中にある時計を確認しながら、

「あと小1時間といったところかな」と返答した。

「ホテルのチェックインは夕方だから、先に行って遊ぶこともできるけど」と佳須美の言葉に

「もちろんそうするつもり。乗りたいのいっぱいあるから」と満面の笑みで言った。

「ほどほどにしといてくれよ。明日もあるんだからな」

バックミラー越しにチラチラ見える美岬の姿を見ていると、その更に後方から走ってくるトレーラーが目に入った。

追い越し車線から近づいてくるトレーラーは前方に車がないためか、100km/hを裕に越えるスピードであっという間に追い越していった。

「なんだありゃ、ずいぶんスピード出してたな」

トレーラーの通り過ぎた後の風圧で少し車が煽られたが、すぐに元にもどった。

「追い越し車線とはいえ、飛ばしすぎじゃないか?」

「130以上は出てたんじゃない?」

「そうだな、それ以上出てた感じもするが」スピードメーターを見ると、

速度は100km/hは出していない。トレーラーはあっという間に抜き去っていった。トレーラーの速度を考えると、体感的にはスピードの出しすぎではないかと感じてもおかしくはなかった。

走行車線には観光バス、その後ろにワンボックスカーが、自車はその後ろを、自車の後ろには軽ワゴンが走行していた。

観光バスが先頭にあるせいか、走行車線を走る車は一定の速度を保って走行していた。遅いと感じることもあったが、家族が乗っていることもあり安全運転を心掛けた。

その流れのまま走行していると、追い越し車線に先程追い越していったトレーラーが見えてきた。

先程ほどのスピードは出してはいないが、少し左右に振られているような蛇行した感じの走行をしていた。

高速道路の二車線にはトレーラーと観光バスが並行して走行している形になった。観光バスの運転手も並行しているトレーラーを気にしたのか、さらに速度を落としてトレーラーから離れようとしていた。

自然、走行車線の車の流れは遅くなった。

前方の車に習いアクセルペダルを緩め減速していくと、後方の車がぐんっと近づいてきたが、前方の様子を理解したのか速度を緩め、流れに沿って走行した。

トレーラーは車線内ではあるがフラフラと左右に揺れながら走行を続けていた。

その後ろにはだいぶ離れて白のワゴン車が走っており、走行車線の車を追い抜き、トレーラーに近づいていった。

そのとき、トレーラーが走行車線側にその車体を寄せていった。その走行車線にはトレーラーから離れようとしていた観光バスが走っていた。

バスの運転士がそのことに反応してブレーキをかけようとしたが、それよりはやくトレーラーの荷台がバスの先頭右側に衝突した。そのあおりでバスはトレーラーに押されるように大きな車体が横向きになり、トレーラーと共に道路を塞ぐ形になった。

後方の車たちはそれを認識したが、ブレーキや回避行動をする間がないまま、次々と道路を塞いだトレーラーとバスに吸い込まれるように衝突していった....。



日南住 明穂が仕事を終え、自宅のアパートに戻ったのは午後6時を過ぎたころだった。

1DKの部屋に入りバッグをソファの上に放り投げると、冷蔵庫から缶のハイボールを取りだし、一口飲んだ。

TVをつけると、どのチャンネルも時間的にニュースばかり放映していた。

何回かチャンネルを変えたが、話題となっていたのは高速道路の衝突事故だった。

トレーラーと観光バスが衝突し、それに後続の車が巻き込まれた玉突き事故として報道されていた。

画面は上空から現場を撮影されており、まだトレーラーとバスや車がそのまま残されていた。

「現場では、まだ救出作業が続いております。一刻もはやい救出を願うばかりです」

事故現場上空のヘリコプターから、リポーターがヘリの音に負けじと大きな声リポートをしていた。

「あれ、ここって...」

場所はどこだろうと思いよく見てみると、現場は地元と隣の県との県境の高速道路だった。

事故の発生時間は午前9時頃、トレーラーが観光バスに接触衝突し、横向きになったバスに後続の車が巻き込まれた形の事故と説明していた。

「そういえば姉さん、今日確か旅行に行くって言ってたな」

ふとスマートフォンを手にとり、メール画面を開いた。

「もう着いて休んでるかな?」

姉宛にメールを送るとスマートフォンをテーブルに置き、シャワーを浴びるために浴室に行った。

30分後、浴室から出るとテーブルに置いたスマートフォンを見た。

先ほど姉に送ったメールの返信はまだなかった。

タオルで髪を拭きながら、通話を押し電話をかけたが

『おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません』

と女性の機械的な声でアナウンスされた。

通話を切ると、しばらく画面をジッと見つめていた。

TVではいまだ高速道路の衝突事故の報道を中継していた。

死者・重軽傷者・身元不明者の人数が暫定的に画面に表示されたいた。

「まさか....ね...?」

そう思いたくない、考えたくはない予想が頭のなかによぎった。

もう一度リダイヤルし通話をしたが、コールする間もなく先ほどと同じ女性の声でメッセージが流れた。

次に義理の兄である姉の主人の方に掛けてみた。が、こっちも同じメッセージを聴くだけだった。

さらに自宅に通話を試みたが、5回コールが鳴ったあと留守電に切り替わった。

「アキホです。メッセージ聞いたら電話ください」と入れると通話を切った。

あとは彼らの二人の子供だが、子供の携帯の番号やアドレスを明穂は知らなかった。なんとか姉たちと連絡を取ることはできないか、と考えていると

右手に持っていたスマートフォンのコール音が鳴った。

突然のことに慌てて画面を確認せずに通話を押した。

「も、もしもし?!」

『アキホ、あたし。いま暇?』と女性の声。

「?...どちらさま...でしょうか?」

『ハァッ?!なに言ってんの?長年の幼馴染みの声を忘れるなんて。あたしよ、馨よ、カオル!』

名前を聞いてようやく相手が幼馴染みの未樹崎 馨であることがわかった。

「なんだ、カオルか...。どうしたの、なんかあった?」

『ずいぶんな言い方ね。まぁいいか、あんたいま暇でしょ?

ちょっと出てこない?』

「あぁちょっと...、ひまっちゃ暇なんだけど...」

『なんか用事でもある?まさか男?!って、んなわけないか。あんたに男とつき合う勇気なんて持ってないしね』

馨の笑い声に『殺そうかしら』という感情を抑えながら、

「ちょっと気になることがあって...、さっきニュースで高速道路の事故があったの...って観てない?」

『いや、観てない...ってか、あたしいま外にいるから。その事故がどうしたの?』

明穂は少しためらいながらも、意を決して言った。

「...カオル、いまどこ?ちょっと一緒に行ってほしいところがあるんだけど」

『いまセンター通りにいるけど。どこかいいとこ連れてってくれるの?』

「会ってから話す。セントラル・モールのカフェに一時間後に、いい?」

『一時間後ね、わかった。じゃああとでね』

馨との通話を切ると、明穂は身支度をして足早に部屋を出ていった。


待ち合わせ場所に約束の時間より10分ほど早く到着したが、すでに馨はカフェの一席に座っており、明穂の姿に気がつき手を振った。

「ごめんね、待たせた?」

「ぜんぜん、なんか飲む?」

馨は首を横に振り、メニューを手にとり明穂に差し出した。

「いや、すぐにでも行きたいとこがあるから。ついてきてくれる?」

「わかった、じゃあ行きましょ」

カップに残っていたコーヒーを飲み干すと、隣の席に置いていたショルダーバッグを肩にかけて、立ち上がった。


セントラルモールを出て、すぐにタクシーを捕まえて明穂は運転手に行き先を告げた。

「で、どこに行くの?」タクシーが発進してすぐに馨が訊いた。

「姉さんち。実はね、夕方のニュースで高速道路の衝突事故が報道されててね」

「さっき電話口で言ってたことね、それで?」

「今日、姉さん家族が旅行に行っててね、隣の県にあるテーマパーク。朝早くに出るって言ってたの」

「絶叫系のコースターやホラーのアトラクションがすごいって話題のとこね。1度行ってみたいと思ってたのよね」

「で、時間的にもう宿に着いてて、ひと休みしてるか夕食の時間のはずなんだけど、携帯は二人ともまったく繋がらない、自宅にもかけたけどこっちも繋がらない」

「それでカスミさんとこに行くわけね」馨は学生の頃から世話になっている佳須美の顔を思い出しながら言った。

その佳須美とも、ここ2~3年は会っていない。彼女の家に行くのも久しぶりだった。

「でも家にいるとは限らないよね、普通に旅行に行ってるなら」

「もちろんそうだけど、もしかしたらなにかの不都合があって行けなくなった、ということもあるかと思ってね」

明穂は右手に持っていたスマートフォンの画面を見つめた。

「家にいなかったらどうする?そっちの方が確率高いと思うけど」

馨の言う通りだった。自宅にいなかったら佳須美たちを確認する術は今のところ考えつかない。

「ま、とりあえず行くしかないよね。そうしたいんでしょ」

馨の言葉に明穂は頷くしかなかった。


昔から馨は明穂の考えていることを汲み取って、明穂のしたいように促してくれていた。そのことに対して明穂は彼女に頭が上がらなかった。

タクシーに乗ってから20分ほどで、目的地であるマンションに到着した。

エントランスからエレベーターに乗り込み、5階のボタンを押した。ほどなく5階に着くと二人は素早くエレベーターを出て、姉の自宅である501号室に向かった。

501号室の玄関の前に立つと、明穂はインターフォンを押した。

部屋の中からチャイムの音が聞こえたが、誰も出る気配はなかった。もう一度押してみたが、やはり反応はなかった。

「やっぱそうだよね、いるわけないよね...」

家主のいない玄関を見つめながら、明穂はその場に立ち尽くした。

現時点で、姉の佳須美と連絡を取る術はなくなってしまった。

明穂が黙ったまま玄関の扉を見つめていると、

「一旦帰ろう。このままここにいてもしょうがないから」

と隣で明穂の様子を見ていた馨が言った。

明穂は小さく頷きその場をは離れようとしたとき、バッグの中に入れていたスマートフォンのコール音が鳴った。

取り出して画面を見ると、心当たりのない電話番号が表示されていた。

もしかして佳須美からではないか、と期待した明穂はすぐに電話に出た。

「もしもし、姉さん?」 

姉の声が返ってくると思った明穂に耳に、聞き覚えのない声が聞こえた。

『こちらの携帯電話はヒナズミ アキホさんでお間違えなかったでしょうか?』

「は、はい...そうですけど...」

『私、藤ノ江警察署のアイウチと申します。クサカベ カスミさんのことでお電話を差し上げました』

「え...」姉の名前を言われた明穂は「あの!...姉がどうかしたんですか?!」

『実はクサカベ カスミさんとそのご家族の方たちが今日午前に発生した高速道路の交通事故に合いまして、病院に緊急搬送されました。そのとき所持品の確認から身元がわかりまして、緊急連絡先としてヒナズミ アキホさんの携帯No.が記載されていましたので連絡をした次第です』

それを訊いて明穂は夕方のニュースの事故の報道を思い出した。

やはり、あの事故に巻き込まれていたんだ...。

「あの、姉たちは無事なんでしょうか?」

『詳しいことは今この電話では申し上げにくいので、できれば病院の方に来ていただけないでしょうか?改めて身元の確認と、容態のご説明をさせていただきたいのですが...』

「わかりました、いまからそちらに行きます。病院の住所と連絡先を教えてください。カオル、なにか書くものある?」

馨はバッグから携帯手帳とボールペンを取り出し、手帳を開いた。そして、明穂が先方から聞きながら馨に口答で住所と連絡先を伝えた。

明穂は手帳に記載された住所と連絡先を1度相手に確認すると通話を切った。そのままスマートフォンの画面に表示されている時間を確認した。

時間は午後8時15分を過ぎていた。

「行ってくる。いまから行けばなんとか今日中には向こうに着くと思う」

「私も行く。先にウチに行って車で行こう」

馨の提案に明穂は同意し、二人はマンションを後にした。



いまどこにいるんだろう...。

静かに吹いている風が、やわらかく身体に当たりそれが心地よかった。

いま外にいるんだろうか...?背中に感じるのは草と土の感触、ということは地面に寝そべった体勢ということか。

ゆっくりとまぶたを開くと、眼前には雲ひとつない真っ青な空が見えた。まわりは長い草が風に揺られていた。

外に放り出されたのか...、と考えていると、ふと両手の感触に気がついた。

上半身を起こし右手を見ると、黒く四角いものを握っていた。それはまるで剣の柄のようなものだった。

なんだこれ...そのものについてまったく心当たりがないため

なぜ持っているのかがわからなかった。

次に左手を見ると、誰かの手を握っていた。手から腕が少し見えていたが、その先は長い草々で隠れていた。

誰だ?と思って見てみると、それはよく知っている女の子、妹の美岬の姿だった。

「ミサキ、起きろ。おい、ミサキ」

握った美岬の左手を軽く揺すった。すると美岬は小さく唸ると

ゆっくりとまぶたを開けた。そして顔を見るなり

「お兄ちゃん、おはよ...」言いながらアクビをした。

身体の力が抜けそうになるのを抑えながら

「大丈夫か?身体痛いとこはないか?」

美岬は首を横に振り、「うん、たぶん大丈夫...だと思う…。ってなんで手つないでんの!?」

あわててつないでいた左手を離すと、美岬は右手に違和感を感じた。

「あれ、なにこれ?」美岬が右手を見ると、そこには銃の形をしたものが握られていた。

上半身を起こしてから、美岬は改めてそれを見た。

まるで玩具の銃みたいな形をしたものは、美岬にはまったく記憶のない代物だった。

「なんだろ、これ。いつの間に持ってたんだろ...」

「おまえもなにか持ってるのか?」

「お兄ちゃんも持ってるの?」

美岬の言葉に瞬也は自分の右手に握ってるものを見せた。

「僕のはこれ。いつから持ってるのか、これがなんなのかはぜんぜんわからない」

「なんなんだろね、これ?」自分の手にあるものと瞬也の手にあるものを交互に見比べた。

「それよりミサキ、まわり見てみろ」

瞬也は立ち上がり、周りを見回した。美岬も一緒に立ち上がり、周りを見回すと

「ここ、どこ...?」

「さぁ...、皆目わからない...」

二人の眼前には、見渡す限りの草原が広がっていた。

目を凝らしてみても、それ以外なにも見えなかった。

「もののみごとに、なにもないね」

美岬の言葉に瞬也も素直に同意した。

一面に見える草原は、穏やかな風になびかれて静かに揺れていた。

瞬也は自分の身体を確認した。

確かトレーラーと観光バスの衝突事故に巻き込まれたはず...

事故の瞬間、相当の衝撃と痛みが全身を襲ったのを微かではあるが記憶している。

しかし、身体のどこにもその痕はないし、いまあのときの痛みはまったく感じられない。

「ミサキ、どこか痛いとことかないか?」

瞬也に聞かれた美岬は自分の身体を見回した。

「ううん、ぜんぜん痛いとこないし怪我もしてない...と思う」

美岬の言う通り、彼女の身体なは怪我をした箇所はなさそうだし、彼女自身別段変化はなかった。

「僕はどう?どこか変わったとことかはないか?」

瞬也の身体をグルッと見回した美岬は首を横に振った。

二人とも身体の異常がないことは確認できた。次に所持品の確認をした。

手に持っていたもの以外にそれぞれ地面に広げ、お互いに確認をした。

二人とも財布とスマートフォンしか持っていなかった。

「バッグ持ってたんだけどね、どっかいっちゃったみたい」

美岬は財布とスマートフォン以外はお気に入りのトートバッグに必要なものを入れていた。いまはそれを所持していない。

財布の中身を確認していたとき、

「なんだ、これ?」

「なに、これ?」

二人は同時にそれを財布から引き出した。それは見たことのない紙幣だった。

二人は今回、両親から臨時の小遣いをもらっていて、それはまだ手付かずのままだった。二人が手にしている紙幣は、見たことのない外人の肖像画が印刷されていて、数字は10000と表示されていた。

「確か一万円札だったはずだが...なぜこれに変わった?」

「価値は変わらないのかな?10000て書いてるし..」

二人はその紙幣をまじまじと見ていたが、結局のところわからないので財布にしまった。

「お兄ちゃん、どうする?このままここにいてもしょうがないと思うけど..」

「そうだな、でもどの方向に行くべきかだが」瞬也はもう一回周囲をグルッと見回した。

「スマホのマップ使って場所わからないかな?」言いながら美岬は、自分のスマホのアプリを起動してみた。

自分たちの位置を確認していたが、「どこなの、ここ?まわりに建物ないし、番地も表示されてないんだけど」

そんなバカな、と思い瞬也は自分のスマートフォンのマップアプリを開いた。

いま自分たちがいると思われる現在地は表示されているが、それ以外には道路や建物、番地すらなにも表示されていなかった。

いまはなんでもスマートフォンで検索するとなんでもわかる便利な時代だと思っていたが、場所によっては役に立たないものだと瞬也は理解した。

となれば、選択肢はひとつだけ。

「とりあえず、この場所から移動しよう。そうだな、こっちの方に行こう」

瞬也はマップに表示されている方位磁石の方角を確認して、南の方角に行くことを決めた。

なぜかと言われても正直根拠はなかった。ただ、このままここにいてもしょうがないことだけは確かだった。

「わかった。行こう、お兄ちゃん」

美岬も瞬也に同意して、二人はその場から歩き出した。


目覚めたとき、少し頭が痛かった。

その痛みに耐えながら瞼を開けると、目の前は薄く照明が光っていた。

LEDのその光は、普段はハッキリとした明るさだろうが、いまは

明るさが抑えられていて眩しくなかった。

おそらく、目が覚めたときにいきなり眩しい光を見せない配慮だろう。

自分はいま、ベッドに寝かされていた。上半身を起こすとまだ少し頭痛がしたが、じきに治まった。

右腕には点滴の管が固定されていた。身体の方は別段痛みは感じなかった。周囲を見回すと、白い壁に乳白色のカーテン、外は夜なのかカーテンは広げられて窓を覆い隠していた。

家具と呼べるものはなく、丸イスが一脚だけベッドの横にあるだけだった。ベッドの傍らにはなにかの押しボタンがあり、それが誰かを呼び出すためのものだと認識した。

ここが病室だということがわかるのに、さほど時間はかからなかった。

時間を確認しようとしたが、時計がどこにもなかったので確認を断念した。

どうしようか?と思案を巡らしていたとき、部屋の扉がゆっくりと開いた。

女性の看護師が室内に入ってくるなり、彼の姿を見てあわてて部屋から出ていった。

扉が開いたままになったので、一応閉めておこうと思いベッドから立ち上がった。扉に近づいたときに白衣を着た男性とさきほどの看護師が室内に入ってきた。

看護師からベッドに戻るよう促されると、仕方なくベッドに戻った。

おそらく医師であろう白衣を着た男性医師は、

「身体の方は大丈夫ですか?どこか痛いところはないですか?」と優しい口調で言った。

「いえ、目覚めたとき少し頭が痛かったですが、いまは大丈夫です」

「そうですか。けど、どこか具合の悪いところがあったら遠慮せずに言ってください。交通事故に巻き込まれたわけですから、後々で痛みとかくるかもしれませんので」医師は努めて優しい口調で言った。

「無理はせずにお休みください。明日午前中にまたきますので」

と言って、医師は看護師とともに部屋を退出した。

彼らが去ったあと、改めてベッドから立ち上がり、窓の方へ行った。

カーテンを開けて外の景色を眺めたが、暗く外灯が何ヵ所か周囲を照らしているだけで、外観を確認することはできなかった。

ふと、ガラスに写る姿を観ると、自分ではない姿が写っていた。

その姿は自分の息子の姿だった。

「なんで...?」

ガラス窓に写る息子の顔を手で触ったり、頬を軽くつねったりすると、間違いなく痛覚を感じた。

「おれ、シュンになってる...?」

これが現実なのか夢なのか理解できないでいると、後ろから入り口の扉が開く音が聞こえた。

入り口の方を振り向くと、そこには女性が立っていた。

こちらをジッと見て、その姿を確認すると安堵したようだ。

そして声を絞り出すように「シュン...くん」と言った。

自分のことを瞬也だと言う女性のことを知っていた。妻の佳須美の妹、明穂はゆっくりと室内に入ってきた。

「大丈夫?身体はなんともない?」

久しぶりに会う義理の妹は、少し震えながらだがしっかりと彼の両の肩を掴んだ。

彼女の言葉に小さく頷いた。それに少し安堵したのか、明穂の表情は幾分和らいだ。

両肩から手を離し、「よかった...」

アキちゃん...と言おうとしたが、口にするのをためらった。

そのとき、さきほどとは別の医師が病室に入ってきた。

「すみません、クサカベ シュンヤさんでしょうか?」

「あ....はい...」

用件を言おうとしたが、隣にいる明穂に「すみませんが、あなたは?」と訊いた。

「私はこの子の叔母で、ヒナズミ アキホと言います。あの、なにかあったのでしょうか?」

明穂の問いに、医師はこちらを見たので「大丈夫です、話してください」と言った。

医師は頷き、一呼吸置いて「いまから10分ほど前にお父様のクサカベ ユウキさんとお母様のクサカベ カスミさんが亡くなられました…」

医師の言葉に頭の中でピンとこないでいると、隣にいた明穂がズルズルと崩れ落ちるように床にへたりこんだ。

「アキちゃん?!」

とっさに彼女を呼んだが、明穂には聞こえていないようだった。

「なんで……?さっきまではまだ生きてるって…」

顔色は蒼白となり、身体はワナワナと震えている彼女をなんとか支えながら、医師の言葉を頭の中で反芻した。

「心拍が突如急変してしまって、手の施しようがないまま、あっという間に心肺停止してしまいました…」助けられず申しわけありません…と医師は言った。

悪い夢でも見ているのだろうか...?と考えていると、病室に別の女性が入ってきた。明穂といっしょにこの病院に来ていた未樹崎 馨だった。彼女は床にへたりこんでいる明穂の姿をみるなり駆け寄った。

馨が明穂の右側に賭けより彼女の身体に手をかけたのを確認して、それまで支えていた自分の手を引いた。

馨は二人の顔を交互に見てなにがあったのかを訊いた。

明穂はいまにも泣き出しそうな顔だったため、代わりに馨に答えた。

「...お父さんとお母さんがさっき亡くなったそうです...」

その言葉に馨の表情はハッとなり、もう一度明穂を見た。

「そう...そうなの....」馨はなんと言っていいかわからず、明穂の方を見ながらそれだけを呟いた。

どうしたらいいかわからずその場で明穂と馨を見ていたが、ふと馨が顔を上げ、

「シュンヤくん、だっけ?その...大丈夫?」

「...はい、大丈夫です...たぶん...」

その言葉を聞き、馨は明穂の方を向いて

「あなたは大丈夫?立てる?」と、明穂に立つように促し、ゆっくりと彼女を立たせた。

「あの...すみません、両親に会うことは可能ですか?」

その言葉に医師は少し考えてから

「大丈夫と思います、念のため確認しますので少し待ってください」

と言って、病室から出ていった。携帯電話を握っていたから、言葉通り確認するのだろう。

明穂は馨に支えられながら、さっきまで自分が寝ていたベッドに腰を下ろした。大きく息を吐くと、

「ごめん、もしかして…と、覚悟はしてたつもりだったけど、実際に言葉で聞かされるとやっぱダメだった...」

「無理しない方がいいよ。誰だって身内が死んだと聞かされたらそうなると思うし...。二人が亡くなってしまったのは残念だけど、あなたがしっかりしないと。ほんと、大丈夫?」

馨の言葉に明穂は小さく頷きもう一度大きく息を吐くと、ベッドから立ち上がった。

「なんとか大丈夫、と思う。シュンくんもごめんね、情けないとこ見せたね...」

「あ...いや、気にしないで、俺もまだ状況がよくわかってないし...」

それは本音だった。医師から自分が死んだと聞かされても、いま自分自身は生きている。問題はなぜ瞬也の体になっているか、だが。

現状なにもわからないまま、瞬也の体を装わなければならないのが不安で仕方なかった。

その様子をみた明穂は「そうだよね、わからないよね...」

と力なさげに呟いた。

彼女にとっても自分の姉たちが死んだと聞かされても、そのことを受け入れ難いのだろう。

実際にその場面に相対してないので、現実味がわかないのも無理はなかった。だが、その場面に遭遇する機会はすぐにきた。

医師が確認から戻ってきて、「すみません、お待たせしました。ご両親がいる病室に案内します」と言った。

三人は医師に連れ立って病室を出た。


[集中治療室]に案内された三人は、医師から少し待つように、と言われ入り口で待っていた。

先に入室した医師からどうぞ、と入室を促され、馨以外の二人が中に入った。先に明穂が入り、その後に続くように中に入った。

静かな空間の中に医療用ベッドが2台並んであり、その真ん中に一人の女性看護師が立っていた。

先に入った医師が看護師と2・3言話すと彼女はその場から離れ、部屋の隅の方に行った。それぞれのベッドには男性と女性とが寝かされていた。

それはどちらもよく見知っていた。女性は妻の佳須美、男性の方はやはり自分だった。

身体には薄いシーツのような白い布状のものが掛けられており、確認できるのは顔だけだった。

顔は傷の治療をしてくれたのだろう、白い傷テープが頬や額に貼られていた。その他には特別外傷はみられなかった。

さらに覗きこむように見てみた。当たり前なのだが、死んでいるので呼吸はしていなかった。

「そりゃ、そうだよな...」

よもや自分の姿を、しかも死んだ姿を客観的に見ることになるとは思わなかったので、なにかすごく違和感を感じた。すると隣からすすり泣く声が聞こえた。

隣のベッドの佳須美にすがりつくように、明穂が泣いていた。

改めて佳須美の顔を覗きこむと、肌には傷ひとつなくきれいな顔だった。まるで眠っているかのようで、いつ起き上がってきてもおかしくないような、そんな錯覚さえ感じた。

ジッと顔を近づけていると、さきほどまで泣いていた明穂が涙をこらえながらこちらを見ていた。

「どうしたの?顔近づけて...、なにかあるの?」

「いや、なんか...ほんとに死んだのかな...と思って...」

「信じられないって気持ちはわかるけど...そんなに顔近づけてみることかな...?」

そんなに近かったのか?と思うと佳須美から離れて、彼女の全身を見た。

呼吸・心拍停止、瞳孔拡大の確認から医師の診断通り死亡しているのだが、なぜか佳須美が死んだとは感じられなかった。

自分も理由はわからないが瞬也として生きている。

もしかしたら佳須美も自分と同じように、誰かに変わって生きているのではないか?

そんなことを考えていると、ふと一人の人物の存在を思い出した。

入口付近に立っていた医師に向かって

「あの、すみません、自分たちの他にもう一人一緒にここにはこばれて来ませんでしたか?家族の一人で妹なんです。名前はクサカベ ミサキ、歳は13歳、中学1年です」


看護師を通じて確認してもらうと、確かに自分たちと一緒にこの病院に運ばれてきた娘がいた。

その娘も外傷はなく、生命に異常はみられなく心拍も安定しているそうだ。

その後、事故で運ばれてきた他の患者の対応に追われてしまったため、報告が遅れてしまったとのことだった。

そのときに医師から聞いた話では、自分達の身元がわかったのは佳須美の所持品のバッグの中に家族の写真や家族構成を記載した手帳を見つけ、そのおげで自分達の身元がわかったそうだ。

美岬が収容されている病室は自分のいた病室とは別の階で、医師と看護師に案内された。

横開きの扉をゆっくりと開けると、うっすらと照明が点いていた。

病室の真ん中にベッドがあり、そこに一人の少女が寝かされていて、他には誰もいなかった。

医師に促され病室に入るとベッドに近づいた。

身体にはやはり薄いケットのようなものが掛けられており、顔だけが確認することができた。見ると間違いなく美岬だった。

美岬が死んでいないのは彼女から聞こえる静かな呼吸と胸の動きを見てわかった。それを見て少しホッとした。

「ミサキも無事なのね、よかった...」横に立って美岬の安否を確認した明穂からも安堵のため息が漏れた。

医師の方を向いて、「この娘は私の家族のクサカベ ミサキです。間違いありません」

その言葉に医師は頷き、「よかったです、ご家族に無事な方がいて...。ご両親の方は私たちの力が足りなくて申し訳なく思うばかりです...」と言って深々と頭を下げた。

「そんなことしないでください、貴方たちが精一杯やってくれたのはわかりますから...」そう言うと、医師の肩に手を掛けた。

顔を上げる医師に向かって、「ミサキがこうして生きているだけで嬉しいです。これも貴方たちの献身的な対応があったればこそだと思います。そのおかげで私は独りぼっちにならなくてよかったのですから」

その言葉に医師は少しビックリした表情で「あ、ありがとうございます...」と言った。

明穂からも「シュンくん、どうしたの?なんか別人みたい...」と言われた。

確かに今は瞬也ではなく別人格だからそう言われても仕方がなかった。年相応の、瞬也としての言葉使いを考えなければならないな、と思った。

医師は明穂に向かって「この子たちのご家族、お身内の方は他にはいらっしゃいますか?」

「いえ、ユウキさん...義兄さんの方は誰も...姉さんの方も私だけで他には誰もいません」

「では身内の方は貴方だけ、ということですか?」

「はい、そうなります...」と明穂は頷いた。

「では、少しこの後のことでお話をしたいのですが、差し支えなければよろしいでしょうか?」

「はい、わかりました。シュンくん、ちょっと先生と話をしてくるから」

「はい、もう少しここにいてもいいですか?」

その言葉に医師は頷き、あとで看護師に声を掛けるように言うと明穂とともに病室を出ていった。

皆が出ていくのを見届けて、改めて美岬の方を向いた。

静かに眠っている美岬を見て、本当に無事でよかったと心から思った。

中学1年の彼女だが、まだ幼い顔立ちには怪我のひとつもなかった。その顔をジッと見ていると、閉じていた瞼がピクッと動いた。

それに気づいたのと同時に口から小さな呻き声が聞こえ、ゆっくりと瞼が開いた。

「うぅん...ここどこ?...」

「ミサキ、目が覚めたか?大丈夫か?」

「え...シュン?なに言ってんの?お母さんにむかって?」

あくびをしながら上半身を起こした。そして目を擦ったあとこちらをジッと見て、

「あれ、ユウキ?でもシュンだよね...?え、なんで、どうなってんの?!」

「ミサキ、なに言ってんだ?なんでお母さんなんだ?やっぱ事故の後遺症で頭に傷害があったか?!」

「あなた、ユウキよね?あたしはミサキじゃないよ、カスミよ」

「なに?カスミ?え、なんでミサキがカスミになってんの?」

目の前にいる娘は自分のことを母親の佳須美だと言っている。

それにこちらのことをシュンではないこともわかっていた。

「それはこっちのセリフよ、あなたこそなんでシュンになってんの?って、あたしミサキなの?」

両手で顔や身体を触りながら確認しているミサキを、窓の方に手招きした。ベッドから立ち上がり裸足のままゆっくりと窓に近づいていく間に病室の照明を落とした。

「暗い方がよくわかるだろう、鏡があればすぐにわかるんだけどな。窓ガラスに写る自分、見てみな」

言いながらカーテンを開き、そこに美岬を立たせた。

その言葉に美岬は従い、ジッと窓を見つめた。途端表情が一変して、窓に写る顔をしっかりと見た。

「え...なんで、あたしミサキになってる?」

「一時前に俺も同じこと言った。おまえ、ホントにカスミなのか?」

「そうよ、あたしは間違いなくあなたの妻のクサカベ カスミよ」

と美岬の体の佳須美はキッパリと言った。

「あなたこそユウキよね、どうしてシュンになってんの?」

「それはまったくわからん、ていうか、おまえなんで俺だってわかるんだ?」

「起きた時初めはわからなかったけど、すぐにシュンとは雰囲気が違うって気づいて、そのあとユウキだとわかったの」

「そうなのか...?」

その言葉に佳須美は頷き、さらに

「それに何年連れ添ってると思ってるの?あなたのことをいちばん知ってるのはあたしなんだからね。あなたがユウキだということは、あたしにはわかるわ」

たしかにいま現在、自分のことをよく知ってるのは佳須美しかいなかった。自分の両親は大学生のときに交通事故で亡くなった。

父方の親族はすでになく、母と結婚するまでずっと一人身だった。母の方も両親・親類はなく、父と出会うまではずっと一人で暮らしていたという。

佳須美の方も彼女が小学校高学年の頃に両親が亡くなっており、父方の祖父母に姉妹ともに引き取られ育てられた。

二人とはその頃に出会い、それ以来の長いつきあいとなっている。

その祖父母も10年前に祖母、3年前に祖父が亡くなっているので親族と呼べる者は明穂以外にはいなくなっていた。

「ところで、あたしたちってホントに死んだのかな?」

「身体の上では死んだのは確かだな、さっき俺たちの遺体を見てきたから。ただ、死んだという感覚はないな、現に意識としてはこうして生きてるわけだし」

「そうよね、あたしも死んだって感覚ぜんぜんない。まぁ身体はミサキなわけで、あなたもシュンの体だし。なんか、変な感じ...」

最後の言葉は小さく呟くように言った。佳須美は膝を抱えて顎をのせてなにかを考えるかのように黙っていた。

その姿を見ながら彼女が口を開くのを待っていると、しばらくして佳須美が口を開いた。

「ねぇ、シュンとミサキ、どこにいったと思う?」

「え、いや...?わからないな....」

「そうよね...。いなくなったのは確かだけど、でもなんかどこかに行って、そこで生きてるんじゃないかな?って思うんだよね」

「それはどうかな...。まぁ二人が死んだって感覚、ぜんぜんないけどな...」

「そうなの、二人が死んだってどうしても思えないの。証拠も根拠もないけど、あたしは二人はどこかで生きてるんじゃないかと思う」

佳須美の気持ちは痛いほどよくわかった。瞬也と美岬が死んだとはどうしても思えなかった。

じゃあ二人はいったいどこにいるのか?それになぜ自分たちが子供の身体にいるのか?

休暇をとり家族で遊びに行く途中で事故に巻き込まれたところまでは覚えている。だがそのあとこの病院で目が覚めるまでの記憶はまったくといってない。それは佳須美も同様だろう。

「なんか夢でも見てるのかな?いまこの場にいてユウキと話してるのはホントは夢で、実際はもう死んでてこの世からいなくなってたり...とか?」

「それは...わからないな...。たしかにいまのこの状況は夢だと思いたい。けど、いままでの出来事や生活まで夢だとは思いたくはない。これはまぎれもなく現実だ」

「そうね、その通りね。ごめん、変なこと言って」

彼女の言葉に気にしなくていい、と言った。

そのとき、医師との話を終えた明穂が病室に再び入ってきた。今度は馨も一緒に入室した。

「ミサキ、気がついたのね。よかった...大丈夫?」

起き上がっている美岬を見て、明穂は安堵のため息をついた。

そして、ベッドの空きスペースに座ると美岬の身体を抱きしめた。目にはまたうっすらとではあるが、涙が見えた。

美岬の体の佳須美は彼女にされるがままに抱きしめられていたが、少しして「苦しいよ、アキちゃん...」と小さい声で言った。

その言葉に明穂は身体を離し、彼女の顔をジッと見た。

「どうしたの、アキ姉ちゃん?」

「え、いや...、うぅん、なんでもない...」

姉が自分を呼ぶときの名を美岬が言ったかと思ったが、自分の聞き間違いだろうとすぐに頭から打ち消した。

そんな彼女を見つめていた佳須美は左手を明穂の頭にのせ、軽く撫でてから頬のあたりに手を動かした。

「ゴメンね、心配かけて...大丈夫だからね....」

その仕草に明穂はハッとなり、あわてて立ち上がった。

明穂がされた動作は、佳須美が彼女に対して安心してもらうために幼い頃からしてたことである。明穂がなにかの問題等にぶつかり悩んでいるときには、佳須美は必ずそのようにして彼女を励ましていた。いまは離れて暮らしているためそれをすることはなくなったが、昔からそのやりとりを見てきたのでなんだか懐かしさを感じてしまった。

だが自分がよくされていたことを姪にされて、明穂は明らかに動揺していた。

佳須美も最初はわからなかったが、途中で自分のしたことに気がつき、バツの悪い表情をした。

二人のあいだにはまさに気まずい空気が流れていた。

「ねぇミサキ、どうしてそれ知ってるの?」

明穂の言葉に佳須美はすぐには答えなかった。というより答えられなかった。いま明穂の目の前にいるのは美岬であって佳須美ではなかった。

佳須美はチラッとこちらに目線を向けた。困った表情は明らかにこちらに助けを求めていた。

佳須美がした動作をふたりの子供にしてやったという記憶はないが、

「小さい頃、なにかあると母さんがよくそれをしてくれてたよ。

俺もミサキもそれをしてもらうとなんかホッとして気分がよくなったんだ。さすがにいまはしてもらってないけどね、そうだろミサキ」と言った。

佳須美はその言葉にうんうんと首を縦に振った。

「むかしお母さんにしてもらったの思い出して、アキ姉ちゃんも安心するかなと思ってしてみたの。ゴメンね、逆にビックリさせちゃったかな?」

明穂は美岬の顔をジッと見ていたが、すぐに微笑の表情になり

「いや私こそゴメン、少しビックリはしたけど大丈夫。あなたたちの方が大変なのに...、ホントしっかりしないとね」

「今日は遅いし、みんなもう休みましょう。また明日にはいろいろしなければならないこともあるしね」

明穂の横に立った馨が言い、全員彼女の言葉に同意した。

「二人とも病院に泊まるの?」

「いや、近くに素泊まりできるホテルがあったから、さっきチェックインしてきた。深夜でも対応してくれたから助かった」

馨は明穂が医師と話をしているときに病院含め宿泊できる施設を

探していて、病院から車で10分ほどの場所を見つけて早々に押さえてきた。

たしかに時計を見ると、すでに午前1時を回っていた。

「あなたの段取りのよさに改めて惚れ直したわ」

「明穂も大変だからね、それくらいの仕事はするよ。じゃあ、行きましょうか」

「二人とも、また明日来るから。ゆっくり休んで」と言って、二人は病室を出ていった。

「俺たちも今日は休もう。また明日こっちに来るから」

「わかった、おやすみ、また明日ね」

佳須美が軽く手を振る仕草を見てから、病室をあとにした。


翌日、カーテンの隙間から差し込む太陽の光で目が覚めた。

上半身を起こし首を回して、頭が痛くないことを確認するとベッドから起き上がった。

カーテンを開けると陽の光が一層眩しかった。病室内は空調が効いているのでさほどではないが、今日も暑くなるだろうと感じずにはいられなかった。

室内に設置してある時計は6時を15分ほど回っていた。

昨日、佳須美にまた来るからと約束していたので、早速行ってみることにした。

佳須美のいる病室の扉を開けると、室内には誰一人いなかった。

ベッドを見ると、ケットが乱れていたので佳須美がここで寝ていたのは間違いなかった。

どこかへ行ったのか?と思い、病室を出てしばらく廊下を歩いた。

ナースステーションの隣に休憩所があり、患者であろう人たちがベンチに座り、50インチはありそうな液晶テレビを見ている姿があった。そのなかに佳須美の姿を見つけたので、

「おはよう」と声をかけ、隣に腰を掛けた。

「おはよ、眠れた?」

こちらを向き、軽く微笑んでからまたテレビの方を向いた。

テレビは朝の情報番組を放映していた。

番組では昨日自分たちが巻き込まれた高速道路の玉突き事故を報道していた。死亡者は現状で10数名、重軽傷者は30余名、大半は観光バスの乗客で後続の車に乗っていた人たちも数名は死亡したとの情報か流れていた。トレーラーを運転していたドライバーの男性も重傷を負っており、病院に搬送され治療を受けているそうで、回復次第事情聴取を行うと警察発表があったとのことである。

ドライバーの在籍する運送会社の社長と関係者たちの記者会見の模様も放映されており、報道陣を前に事情説明と謝罪の言葉を口にし、深々と頭を下げていた。

画面は改めて昨日の事故の映像に切り替わり、司会者やコメンテーターが事故の状況を解説していた。

トレーラーと観光バスは横転、そのバスに後続の車が突っ込む形になり、さらに後続の車が突っ込んだ玉突き状態となった。

4台玉突きとなった車のうち3台は前後がプレス機で押し潰されたような状態となっており、このため救出に時間要してしまい、病院に搬送されたが死亡してしまった人が数名いたと報告されていた。

「こんな事故でよく無事だったね、あたしたちって...」

佳須美がテレビの方を向いたまま、そう言った。

「そうだな...」

しかし、自分たちの意識の方はふたりの子供に宿っていて、身体の方は医師から死亡と診断されているので無事というのはある意味おかしな話だった。

また、子供たちの意識はいったいどこに行ったのかも皆目わからなかった。

ただ佳須美が言っていたように、子供たちが死んだとは到底思えなかった。まるでどこかに行ったような感じがしてならなかった。

「ねぇ、まだあたしたちの遺体に会うことはできるのかな?」

今度は顔をこちらに向けて、佳須美は言った。

「あ..どうだろ...。医師に聞けば会えるんじゃないかと思うけど...」

「あとで聞いてみようかな?」

「なにかあるのか?」

「うん、ちょっと確認したいことがあって...。外れてなきゃいいけど...」最後の言葉は小さくつぶやくように言ったので、聞き取ることはできなかった。なにか思うところがあるんだろう、と解釈しもう一度聞くことはしなかった。

「もうすぐ朝ごはんだから、そろそろ戻ろうか」

時計を見ながら言った佳須美の言葉に従い、立ち上がった。


その二人の姿を見つめる一人の少女がいた。薄水色のワンピースに白い肌、腰まである長い黒髪の少女の姿に二人は気づくことはなく、休憩所を後にした。


朝食後、二人はがまた休憩所で話をしているとき、明穂と馨がやってきた。

「おはよう」言いながら明穂は佳須美の隣のベンチに腰を掛けた。またその隣に馨が座った。

なんか飲む?と明穂の言葉に三人は同意し、休憩所内に設置してある自販機で各々飲みたいドリンクを買った。

「そうだ、アキ姉ちゃん、ちょっとお願いがあるんだけど」

美岬が明穂のことをどう呼んでいたかを思い出しながら、佳須美は言った。

「なに、お願いって?」

佳須美のお願いとは、さきほど言っていた自分たちの遺体に会いたいことだった。子供だけで行くより大人の明穂が同伴した方が話が通しやすいと考えたのだろう。

明穂は少し考えてから「わかった、一緒に行って話してみよう」と言った。

その後、看護士を通じて担当の医師に許可を録りに行った。

彼女たちの申し出に医師は最初は難色を示したが、佳須美の

「お父さんとお母さんにお別れを言いたい」と言って涙を見せたので、医師もやむなく許可を下した。

二人の遺体は今は遺体安置室に移されており、医師の案内のもと

馨以外の三人が移動した。

遺体安置室に案内されると、医師が先に入りそのあとを明穂、佳須美の順番で入室した。最後に入室すると、室内は昨日の集中治療室よりも静かで、空調のせいか空気も涼しげというより少し肌寒い感じがした。

2台のベッドにそれぞれの遺体が寝かされていた。

「近くに行ってもいいですか?」と佳須美が言うと、医師は小さく頷いた。明穂は入り口の辺りで待機し、あまり近づかないようにしていた。

佳須美はまず自分の遺体の方に近づき、顔を覗き込んだ。それぞれの遺体は昨日見た時と変わらず、眠るようにベッドに横たわっていた。二人の遺体を交互に見て回った佳須美は医師に向かって

「すみません、あの手を...、両親の左手を確認したいんですけど、いいですか?」

「え...?あぁ、それは構いませんが...。わかりました、いいですよ」

医師の了承を確認した佳須美は、まず自分の遺体に被せてあるケットを少しめくり、左手を見た。ガラスの破片かなにかで傷ついたのか、左手には切り傷のようなものがあった。

佳須美は自分の左手を見ると、ホッと安堵したような表情をした。そのあと隣に移動し、また左手を確認した。

どうやら確認したいことはできたようだ。佳須美は医師に

「すみません、両親の身につけている指輪をいただくことはできますか?」と訊いた。

思いがけない言葉に医師は戸惑いを隠せなかった。

「両親の形見にこれだけは持っておきたいんです」

続けて言った佳須美の言葉に医師は判断つきかねていた。

医師は明穂に「あなた方以外でご家族か親類の方はいらっしゃいますか?」と訊いた。

明穂は首を横に振り、「いえ、お互いの親類は誰もいません。この子たちの他には身内は私だけです」と言った。

医師は少し考え、

「故人の遺品は遺産相続の対象になりますので、おいそれと渡すのは難しいのですが、遺産分与する親類の方が他になく、高額でないものであれば形見分けということで、成人の方が判断していただければよろしいかと思います。本来は検死のあとで行うのですが、検死の担当には私からなんとか言っておきます。あくまで特例ですので、そのあたりご理解ください」

と言って、了承してくれた。

「ありがとうございます。ご無理言ってすみません」

と佳須美は深々と頭を下げた。医師もつられて頭を下げた。

そして佳須美は、それぞれの左手から指輪を外していった。佳須美自身のはすんなり外すことはできたが、自分の遺体から指輪を外そうとしたとき少し手間取っていた。指輪を回しながらようやく外すと、2つの指輪を手の中にギュッと握った。

医師の前に立つと改めて深々と下げ、「本当にありがとうございます。この指輪、お父さんお母さんの片身として大事にします」と言った。


遺体安置室を出て医師と別れてから、3人は馨が待っている休憩所に戻った。

医師からまたあとで話があると言われた明穂は、

「ちょっと行ってくるから」と言って、医師の指示のあった場所に行った。これからの大事な話だろうと察した馨も「私も一緒に行く」と言って、明穂について行った。

佳須美はさきほど自分たちの遺体から引き取った指輪のひとつを渡しながら

「ねぇ、前から気になってたけど、ちょっと太ったんじゃない?

指輪抜くの大変だったんだけど」とジト目で言った。

「な、なに言ってんだよ?そんなことないだろ...」

「言いながらなんで顔そらすの?やっぱ気にしてたんでしょ」

「そんなことはない。気のせいだろ」

「顔、引きつってるわよ。まぁ別にいいけど」

言いながら佳須美は指輪を自分の左手の薬指にはめた。

しかし美岬の身体なので、指はまだ細く指輪をはめると若干緩かった。

「しょうがないか...」指輪をはめた左手を眺めながら、佳須美は小さく呟いた。

それを見ながら、仕方なく指輪をはめると、瞬也の指にはすんなりとはまった。

「そっちはちょうどよかったみたいね、ミサキはまだ指が細いから油断すると落ちそう」

「でも、どうして指輪を回収しようと思ったんだ?」

さきほどから抱いていた疑問を佳須美に訊いた。

事故死した自分たちの遺体は検死をされるが、いずれは手元に遺品として戻ってくるはずである。

佳須美もそれはわかってはいたが「これだけはどうしても持っときたかったの、あたしたちがつながっている証というか、絆の形だから…」と指輪を見ながら言った。

「そうなのか?...そっか...」

少し気恥ずかしくなりながら、指輪をはめた左手を見た。

指輪は結婚してからずっと外すことはなかった。これからも死ぬまで外すことはないと思っていた。

自分自身、佳須美と同じ気持ちだった。これは彼女との絆の形なのだということを改めて感じた。


佳須美とはもう35年以上のつきあいになる。お互いの家が近所だったことから、幼稚園から小学校、中学校と一緒に通学していた。自分の両親が佳須美の祖父母と懇意にしていたので、よくお互いの家にはよく行き来していた。

高校は別々だったが、佳須美が事あることに家に来て世話を焼いてくれていた。

「ユウキはひとりじゃなにもできないからね。あたしが一緒についてないとね」と笑顔で言いながら、竹の布団叩きで起こされたことをいまだに覚えている。

佳須美と明穂姉妹は幼い頃に両親と死別し、父方の祖父母宅に引き取られてから祖母に家事の一切から果ては男の扱い方まで様々なことを教えられていた。

高校生の頃には家事は一通りなんでもこなせるようになり、祖父母の手助けだけでなく、ウチにも来て母の加勢もよくしていた。

部活から帰ると、キッチンで母と仲良く話をしている姿をよく見ていた。

「カスミちゃんがいれば、ユウキのことは安心だな」と父は言っていたし、母も「早くお嫁にきて欲しい」と気のはやいことを口にしていた。そのときはこの親共はいったいなにを言ってるんだ...と呆れていた。

だが、大学2年ときに両親は交通事故に巻き込まれて死亡、突然天涯孤独になってしまった。

なにもわからないまま両親の葬儀を終え、自宅に供えた両親の遺影を眺めていたとき、自分の横についてくれたのが佳須美だった。

「ユウキはひとりじゃないから。あたしがずっと一緒についてるから。だから安心して」

佳須美の涙まじりに見せてくれた精一杯の笑顔に、それまで抑えていた感情が一気に吹き出し、彼女の胸のなかで思いきり号泣した。そのとき、心のなかにあった寂しさや悲しみの気持ちがなくなり、自分はひとりではないということを彼女に教えられ、心底から佳須美に感謝した。

その後も佳須美に支えられながら、5年後に彼女と結婚した。

「いつの頃からかな、なんとなくだけど、あたしはこの人とずっと一緒に歩んでいくんだろうな、て思ったの。理由はわからないけどね」

いつか、なにげに訊いたことがあった。どうして昔から自分のことを気にかけてくれるのかを。

佳須美はそう答えて、自分に笑顔で「それがあたしの幸せと思ったから」と言った。


午後、昼食を終えて休憩所に集まった二人のもとへ、明穂と馨がやってきた。

担当医師から説明、自分達の死亡診断書を受けとり、葬儀の段取りを決めなければならないことを言った。

本来ならば居住地での葬儀が望ましいのだが、移動手段やコストの絡みで近隣の葬儀社に依頼し身内だけの小さな葬儀にする、と明穂は二人に説明した。

自分達のことなので手助けをしたい、と佳須美と二人で言ったが、

「こういうことは大人にまかせて、あなたたちは自分の身体のことだけ考えなさい。まだ退院もできないんだから」

と言って、やんわりと断られた。

担当医師にも退院して葬儀の手助けをしたいことを伝えたが、逆に叱られてしまったので、仕方なく引き下がった。

馨も葬儀の加勢をしてくれるとのことなので、仕方なく二人にお願いすることにした。

その間に来訪者が現れた。会社の上司の江島部長だった。

江島は明穂に挨拶し、故人のお悔やみを述べた。

明穂も遠方からの来訪に労いの言葉をかけ、葬儀は近親者のみで行う旨を伝え深々と頭を下げた。そして、江島を故人に引き合わせた。江島は動かなくなった故人を見て涙ぐみながら手を合わせ、改めて焼香に訪れることを明穂に伝えて引き上げていった。

明穂と馨は、病院の近くにある葬儀社に葬儀の打ち合わせに行き、「明日また来るから」と言って、一旦帰宅していった。

次の日の昼前に明穂は病院にやって来て二人に顔を見せた後、葬儀社に行き葬儀の段取りを進めた。

通夜から次の日の葬式まで済ませ、滞りなく終わったことを自分たちと担当医に報告し、遺骨を持って二人はまた帰っていった。

その後で自分たちはいつ頃退院できるのかを担当医に訊くと、

「外傷による後遺症もないが、もうしばらく検査をして経過が良好なら、一週間後くらいには退院できると思う」

と病状の経過とともに説明してくれた。

その旨を明穂に伝えると、『退院するときには迎えにいくから』

と言ってくれ、そのあと

『二人の学校の担任の先生から連絡があって、そっちの病院を教えたから。もしかしたらそっちに行くかもしれない』と言った。

連絡があった次の日に、二人の通う中学校の校長先生とそれぞれの担任教師が訪れた。

休憩所に案内して、二人は教師たちに

「遠いところお越しいただいてありがとうございます。家庭の事情でご迷惑お掛けして本当に申し訳ありません」と言って、深々と頭を下げた。

生徒である二人から頭を下げられた教師たちは、そのような対応をされるとは思わなかったので戸惑ったが、

「あなたたちのご両親には申し訳ないけど、二人の無事で元気な姿を見て少し安心しました」と、瞬也の担任の女性教師、久城が言った。

その横では、美岬の担任の男性教師、藤山が自分の生徒の無事を確認できたことに安堵し涙ぐんでいた。

「ほんとにご心配お掛けしてすみません」と言うと

「そういうことは気にしなくていいですよ、君たちの方が大変なんだから。まずは身体を治してくださいね」と校長が言った。

病状の経過と退院の時期を伝えると、校長から改めて焼香をさせてほしいと言われたのでそれを承諾した。

そのあとしばらく話をして、三人は帰っていった。

藤山は別れる最後まで泣いており、それを校長からたしなめられていた。

「あなたたちが無事だったのがよほど嬉しかったのよ」

と久城が二人に教えてくれた。

三人が帰った後、二人はそのまま休憩所に残った。

「なんか、申し訳ないね...。わたしたちのことなのに...」

「そうだな...、先生たちは純粋にシュンとミサキの心配をしてくれているのに、実は死んだはずの両親だった、というのはなんだか騙してるような悪いことしてるみたいで、カスミの言う通り申し訳ないと思う...」

「でも、そのことは言えないし、言ったところで到底信じてもらえないでしょうし...」

「....俺自身、こういうことになってることがいまだに信じられないからな。他の人はなおさらだろうな」

「あたしも信じられないかな...。マンガやドラマのような展開なんて信じられるわけないし...、これは夢だって言ってくれた方がよほど信じられるわ。....でも、いまはこれが現実なんだよね...」

佳須美は両の手で美岬の身体を触り、胸のあたりで手を止めた。

「...う~ん、育ってない...」

「いったいなにを言ってんだ?」

「いや、今時の子にしては成長が遅いかな?と思って」

「母親が娘の身体の成長をディスってどうすんだ?ミサキが聞いたら発狂して暴れるぞ」

「でもこれは育て甲斐がありそうかな、と。よし、ミサキの身体はあたしがしっかり育てよう」

母親としては間違ってない発言なのだが、なにか意味合いが違うような気がして首を傾げた。

そのとき、佳須美がなにかに気がついた。いつの間にか二人のとなりに少女が立っていた。

白い肌に長い黒髪、薄水色のワンピースを着た少女は二人の顔を交互に見て

「おにいちゃんとおねえちゃんは、いつ退院するの?」と訊いた。

見も知らない少女から問いかけられた二人は、顔を見合わせてから

「お医者さんからまだいろいろとからだを調べなきゃいけないみたいだからいつかはわからないけど、たぶんもうすぐ退院できるかも、とは言われたよ」と幼い少女にも理解できるであろう言葉を選んで、佳須美は言った。

それを聞くと、少女はニコッと微笑んで

「わかった、ありがと。じゃあ、またね」と言って、走り去っていった。

その後ろ姿が見えなくなると、

「誰だっけ?会ったことあるかな?」と佳須美が言った。

「いや、たぶんないと思うけど...。記憶にないな...」と首を横に振った。

「またね、って言ってたね。どういう意味だろ...?」

「さぁ...」

二人ともそのことに対して考えてみたが、結局わからずじまいだった。

その後数日経って、警察から検分が終了したとして、所持品が返却された。二人の財布やスマートフォンに旅行バッグなどは手元に戻ったが、何故か子供たち二人の財布とスマートフォンだけはその中にはなかった。

その事を所持品を持ってきてくれた警察官に訊いたが、そのあたりの事はよくはわからないとし、念のため署に確認を取ってくれだが、「事故現場から回収されたのはそれだけだったらしい」との返答だった。

返却されたスマートフォンは傷ひとつなく無事で、電源を入れると問題なく起動した。

佳須美は一縷の望みを託して、瞬也と美岬のスマートフォンにかけてみたが、コールするだけで相手が出ることはなかった。

通話を切る佳須美の悲しそうな表情に、自分がなにもしてやれることがないことに悔しさとつらさを感じずにはいられなかった。

佳須美はしばし目を閉じ、じっとしていると大きくひとつ息を吐き、

「ねぇ、ユウキ...、シュンヤとミサキ、生きてるかな?...」

と呟くような声で言った。その言葉を聞いて、すぐには返答することができなかった。

いま子供たちの身体のなかにはそれぞれの親である自分たちの意識が入って、それが子供の身体を動かしている。

いまのところ、子供たちの意識というのは身体に現れていない。

だとすればどこにいったのか?なぜ、自分たちの意識が子供たちの身体に入ってしまったのか?わからないことだらけだった。

「たぶんだけど、俺たちが子供たち身体のなかで生きているということは、もしかするとシュンヤとミサキもこの身体のなかにいて、今も俺たちと一緒に生きてるか、もしくは別のところに行ってそこで生きてるか、のどちらではないか、と思うんだ。

だって二人が死んだなんて感覚まったくないし、正直そんなこと考えなくない。シュンヤとミサキは生きている、いつか必ず帰ってくる、そう信じたい。というか、そう信じてる」

言葉にするのはこんなに難しいものなのか...と思いながら、自分の考えを佳須美に伝えた。

佳須美はその言葉を聞きながらジッとこちらを見つめていた。

言葉を言い終わると、スッと視線を外し小さく微笑んで

「わかった、あなたの言葉信じる」と言った。

「正直言うと、あたしは二人はもういないんじゃないかと思ってたの。でも、あなたの言葉聞いてその考えはもう心の中から消えた。あたしも二人が生きていると信じる」

「すまん、もう少し言い方があったかもしれないが、なかなかうまく伝えられなくて...」

佳須美は首を横に振り、「いいのよ、気にしないで。ユウキが一生懸命あたしに伝えようとしたことは、目を見てわかったから」

「そうなのか?」

「そうよ、ユウキって真剣な話をするときは必ず相手の目を見て話すのよ。あなたは意識してないから気づいてないでしょうけど」

佳須美にそのことを言われるまで、今まで自分がそのような癖があるとはまったく気づかなかった。長年一緒にいる佳須美だからこそ、その癖がわかることなのか、と思った。

「あとね、あなた嘘をつくときは逆に相手の目を見ないのよ。これもたぶん気がついてないと思うけど」

「そ...そうなのか...?」

佳須美の言葉を聞いて、彼女の人を見る目の観察力と鋭さに、いまさらながらに怖さを感じてしまった。

佳須美はその表情を見ながら、クスクスと笑っていた。



明穂は仕事を終えて帰宅すると、バッグをリビングのソファに放り投げると

冷蔵庫から缶のハイボールを取り出しゴクゴクと飲み始めた。

一息つくと、ソファに座りテレビの電源スイッチを入れた。

6時半過ぎという時間から、テレビはニュース番組が放映されていた。

テレビを観ながら一息つくと、部屋のインターフォンが鳴った。

玄関を開けると、馨が「やほ、遊びに来たぞ」と言って、部屋に上がった。

片手に持っていた袋を明穂に渡して

「ユウキさんとカスミさんにお参りするから、どこ?」と訊いた。

「とりあえず、寝室に置いてる。他に場所がなかったから」

明穂は寝室の扉を開け、馨を案内した。

二人の遺骨を納めた桐箱は寝室の右壁側のローチェストの上に並べて置いてあった。馨はその前に来ると、燭台にロウソクを立て火をつけ、その火で線香をつけて線香立てに立てると、正座をして手を合わせた。

その間に明穂は馨から渡された袋の中身をテーブルに広げた。袋の中には

ビールに唐揚げや枝豆などつまみになりそうな惣菜がいろいろ入っていた。それらを全部出したときに、馨がリビングに戻ってきた。

「ありがとね、お参りしてくれて」

「あたりまえでしょ、二人にはいろいろお世話になったんだから。それより

食べましょ、おなかすいちゃった」

二人はビールの栓を開け一口飲み、惣菜を食べ始めた。

「どう、ちょっとは落ち着いた?」

「ん…、正直考えないようにしてる…。でも仕事してる時はいいけど、ここに帰ってくると嫌でも見てしまうから…、やっぱつらいかな…」

「まぁ…ね、まだ何日も経ってないから、無理もないか…」

馨はビールを飲み干すと、2本目を開けて飲んだ。

「ところで、あの子たちはいつ退院するの?」

「確か来週はじめあたりと思う。葬儀からこっちに帰ってきたあとで、ミサキから連絡があったから。また日にちの連絡あると思うからその時に迎えに行くつもり」

「その時私も一緒に行こうか」

「いいよ、葬儀のときにもいろいろ世話になったし、そこまで甘えるわけにはいかないよ。それにあんた、カグラくんはほっといていいの?」

「あぁいいのよ別に、ほっといても問題ないわよ。ていうか、あいついま

こっちにいないし」

「はぁ?、なんで?どこいったの?!」

「会社で新しいプロジェクトを立ち上げるらしくて、辞令で本社に行った。2ヶ月くらい前かな」

枝豆をパクつきながら、馨は思い出すように言った。

「本社って、東京?」明穂の言葉に馨は頷いた。

「いつまで向こうにいるの?」

「さぁ、いつまでかは聞いてない。『ちょっと行ってくるから。じゃな』

って言って嬉々として行っちゃったから」

「はぁぁぁ…、あんたいいの、それで?もうけっこう長いつき合いでしょ?」

「まぁ、シンイチとは高校の頃からだから、もう20年近くなるかな。そう考えるとほんと長いつき合いだな」

「そんだけ長いつき合いだったら普通結婚とか考えると思うんだけど、それはなかったの?」

馨はビールを飲みながらしばし考え「あったかも知れないけど忘れた。

そういう話を口にすることはなかったし、お互い今のつかずはなれずの関係性がちょうどいいと思ってたから。これからもこんな感じでいくんじゃないかな」と言ってビールを飲み干した。

「ていうか、私のことはどうでもいいのよ。いま大事なのは二人の子供たちのことよ。あの子たち、どうするの?」

「どうするって?」

「ユウキさんとカスミさんがいない今、身内はあなたしかいない。あの子たちの保護者はあなたになるわけでしょ。どう面倒をみていくか、よ」

「ん…、少しは考えてたけど、まだどうしようとかは考えつかない。あの子たちと話さなきゃ、とは思ってんだけどね」

「二人の考えも聞かなきゃね。こないだ会っただけだけど、あの子たち

歳の割にはしっかりしてそうな感じがしたわね。特に目上への受け答えとか、あれって大人の対応だったし。あの子たちって、いつもあんなだったの?」

馨の言葉に明穂は過去に会った二人のことを思い出していた。

明穂が瞬也と美岬に会ったのは4ヶ月ほど前、美岬が小学校を卒業し中学に上がるお祝いを持っていった時だった。

人懐っこくくっついてくる美岬に比べて、瞬也とは二言三言話すだけで

あとはスマートフォンをいじっていた。

「シュンくんはともかく、ミサキはまだコドモっぽい感じだったけど…。あそこまで対応がしっかりしてるとは思わなかった、姉さんの育て方がいいのかな?」

「子供ってしばらく会わないうちにあっという間に成長するっていうからね。でもやっぱり子供だから、大人がついてなきゃダメだと思う」

馨の言う通り、どんなにしっかりしていても子供であるとこに変わりはない。

子供だけでは判断できないことやしてはいけないことなど、様々な制約が出てくることだろう。その時保護者とも言える大人が必要となってくる。

「二人が退院したときに、一度きちんと話すわ。今後のことも含めてあの子たちの考えも聞きたいから。場合によっては同居も考えなきゃならないし」

「それがいいわね。おねがいしますよ叔母さん、ガンバってね」

「他人事だと思って…、言われなくてもちゃんとやりますよ」

言いながら明穂はビールを飲み干し、2本目に手をつけた。


日々の身体の診察や脳波の検査などを繰り返し受けて、すべてにおいて数値が安定していることから、「問題ありませんね、いつ退院しても大丈夫ですよ」と担当医師が言ってくれた。

そのことを明穂に伝えると「わかった、週末に迎えに行くから」と答えた。

その後も何事もなく週末、二人は無事退院することになった。

事故により病院に運ばれてから実に2週間ぶりの外は、その日が朝から快晴のためか眩しく感じた。

外には外来や見舞いで訪れた人たちはいたが、報道関係者らしい人の姿は見当たらなかった。

事故があった直後から1週間ほどはTV局や新聞記者などが連日訪れていたが、1週間を過ぎたあたりから姿を見なくなった。被害者やその家族から

加害者側の目される運送会社と巻き込まれた形の観光バスを所有するバス会社の方にターゲットが向いたのかもしれない。

今はそちらの方がワイドショーの話題として取り上げられていた。

事故が起きた要因からその時の高速道路の車の走行状況、さらに運送会社の労働体制や社員の勤務状況などが報道され、運送会社の社長や幹部の謝罪会見の模様が連日放映されていた。

神妙な面持ちの社長の姿に記者たちは責め立てるように、矢継ぎ早に質問を繰り返していた。言葉に詰まる社長の代わりに隣の席にいた専務が答弁をする場面も見受けられた。

自分たちも当事者というかこの事故の被害者なのだが、この光景を見ると

「大変だな……」と思わなくもなかった。が、それを流石に口にすることはしなかった。

そのおかげと病院側が患者をしっかり守ってくれたため、いま無事に退院することができたのである。

ロビーで担当医師と看護師の人たちが見送りをしてくれた。

「これからいろいろあるでしょうが、頑張ってください」

担当医師からの言葉に二人は

「ありがとうございます、本当にお世話になりました」

担当医師と看護師に感謝の念に対し、二人は深々とお辞儀をしそれに答えた。

「さぁ、帰りましょう」

迎えに来てくれた明穂に促されてロビーを出ようとしたとき、自動ドアの横に黒髪に薄水色のワンピースの少女が立っていた。

「退院おめでとう、よかったね」少女は二人に近づくと、そう言って微笑んだ。

二人も笑顔でそれに答えると、少女が「ちょっと、顔近づけてもらっていい?」と手招きしながら言った。

なんだろう?と二人は顔を見合わせながらも、中腰になり少女に顔を近づけると少女は今までの幼い声とは違う低い声色で

「二人に話があるのでな、あとで家に行くからな」

周りには聞こえないように、二人だけに小さく囁くように言った。

二人はハッとなり慌てて身を起こすと、それに少女はクスクスと笑い

「またあとでね」と幼い声で言って、その場から去って行った。

「なに…、あの娘…」軽やかに駆けていく少女の後ろ姿を見ながら、佳須美は訝しむように言った。

「あとで家に行くって言ってたけど、場所知ってるのか?」

「いや、疑問はそこじゃなくて、ホントに知り合いじゃないよね…?」

「あんな娘、知るわけがない。会社の同期の子供には確かに娘もいたけど

あの娘は記憶にない」

会ったことのある同期の子供を思い出していたが、少女と合致するような子供は記憶になかった。

佳須美にしても同様だった。自宅のマンションのご近所さんの子供の中に

少女のような子供は思い出せなかった。

「二人ともなにやってるの。早く来なさい、カオルが車で待ってるから」

少女のことが気になりながらも、二人は明穂の言葉に従ってロビーを出ていった。


昼過ぎに病院を出て途中で休憩を取りながら、自宅に到着したのは陽が傾きつつある夕方だった。

時間がかかったのは、高速道路を通らずに一般道路を通ったからである。

それは両親が亡くなった場所を通るのは二人の子供にとってあまりにもつらいだろう、という明穂と馨の考えによるものだった。

二人も国道を通ってる途中でそれに気づいたが、彼女らにはなにも言わなかった。

自宅のマンションに到着し、駐車場に車を停めると各々車から降りて、荷物を取り出した。

荷物を降ろし終えた後、

「ゴメン、このあと用があるからここで失礼するわ」と、馨が言った。

「用?お茶飲んでく時間くらいない?」

「いや…ちょっとね…」馨は少し言いにくそうな素振りをみせたが、明穂に近づき小声で

「昨日の夜、シンイチから連絡があって今日こっちに帰ってくるって。で、会おうということになって、ね」

「また突然ね、何時?」

「待ち合わせは7時にセントラル・モールのいつものカフェ。一旦帰ってから行こうかと思って」

「あぁそうか…、わかった。それなら早く帰ったほうがいいわね。

ゴメンね、今日だけじゃなくいろいろ助けてもらって、ホント助かったわ」

「あんたが大変なときになにもしないほど、ウチらの関係は浅くないわよ。

そんなこと気にしなくていいから。じゃあ、行くね」

馨は車に乗り込みエンジンをかけた。運転席の窓を開けて

「明穂、なにかあったら遠慮なく言ってね。いつでも力になるから」

「ありがと、その時にはまた言うから。早く行って」

走り去る馨の車を見送っていると、隣に来た佳須美が

「カオルさん、帰ったの?」と訊いた。

「えぇ、このあと用があるからって」

明穂の言葉に佳須美はピンときたようで「あぁ、そういうことか…」とつぶやき、ニヤッと笑った。

「なに、ミサキ、ニヤッとして?」

「なんでもないよ。早く部屋に行こ、今日は疲れちゃった」

と言って、佳須美はマンションのロビーに入って行き、明穂もそれに続くようにそのあとをついて行った。


「なにやってたんだ?、なかなか来ないから先に部屋に入ったぞ」

部屋に入るなり、茹だるような暑さに部屋中の窓を全部開け放った。マンションの5階ということもあり、窓を開け放つと、ある程度風が入ってきて

若干ながら室内の温度が下がったような気がした。

そこへ、佳須美が部屋に入ってきた。

「カオルさんが用があるから先帰るって…、って暑ッ?!なに、この暑さ?!ハンパない!?」

「約2週間誰もいない、窓も開けないから空気も入れ換わらないんじゃ、部屋中に熱もこもるわな。とりあえず、ドアと窓全開にして外の空気取り込まないと、このままじゃ冷房入れても涼しくならない」

「確かに…。しょうがない、しばらくガマンするか…」

言いながら佳須美は瞬也と美岬の部屋を見た。

扉の閉じられた主のいない部屋はあまりに静かで、まるで以前から誰も使用していないような錯覚さえ感じた。

「ねぇ、シュンとミサキの部屋のドアも開けておこうよ」

佳須美の言葉に首を縦に振り、「そうだな、いいよ開けておこう」

佳須美は瞬也の部屋のドアを開け、続けて美岬の部屋のドアを開けた。

二人の部屋は窓がないから、照明を点けないと真っ暗で歩くことすらおぼつかなかった。

佳須美は美岬の部屋の前で、黙ったままジッと室内を見つめていた。

「どうしたの?ミサキ、自分の部屋の前で。ていうか、やっぱ室内も暑いわね…」

あとから部屋に入ってきた明穂は左手をパタパタさせながら、リビングに入っていった。

「べつに、なんでもないよ」と言うと、佳須美もあとに続いてリビングに入った。

明穂は手にしていた荷物を床に置き、

「のど乾いたね、冷たいお茶とかってある?」と佳須美に聞いた。

「ちょっと待って、たぶんあるとは思うけど…」

佳須美はキッチンに入り、冷蔵庫を開けた。中に半分消費したミネラルウォーターがあった。他になかったか探すと、奥に未開封の500mlの緑茶が見つかった。

「緑茶だけど、これでいい?」

「それでいいわ、ちょうだい」

佳須美は食器棚からコップを3つ取り出し、緑茶を注ぐと盆にのせ、リビングに持ってきた。

「ありがとね、ミサキ」

明穂はコップを受け取ると、半分まで一気に飲んだ。

「どういたしまして。はい、オニイチャンも」

瞬也に対して使い慣れた単語だが、相手が違うと、どこかたどたどしい言葉使いになっていた。

「なんか言いにくそうだな、無理して言わなくてもいいぞ」

「でも名前で呼ぶ方が変でしょ。なんとか慣れていくわ」

二人が小声で話しているのを見て、明穂が

「なに二人でひそひそ話してるの?気持ちわるいわね」

「なんでもないよ、気にしないで」

佳須美の言葉に明穂は別段追求することはなく、手にしたコップの緑茶を飲み干した。そして、意を決したように二人に話しかけた。

「ちょっといいかな、二人に話があるんだけど」

「話し?いいけど、とりあえず座ろうか」

明穂の表情から立ち話で済ませる内容ではなさそうだと思い、リビングにあるソファにそれぞれ座った。

「あのね、話というのはあなたたちのこれからのことなんだけど…」

といいかけたとき、明穂のスマートフォンのコール音が鳴った。

パンツの後ろポケットに入れていたスマートフォンを取り出すし画面を見ると、会社の同じ課の後輩の芳賀 幸二からだった。

「はいヒナズミですけど、ハガくんどうしたの?」

それからしばらく電話口でやり取りがあった。どうやら、仕事上のトラブルが発生したらしい。

「わかった、いまから行くから資料まとめて用意しておいて。1時間くらいで行けると思うから、じゃあまたあとで」

通話を切った明穂は二人に向かって、

「悪いんだけど会社から招集が掛かって、今から行かなくちゃならないの。

あなたたちに話したいことあったんだけど、日を改めて話しましょう。

ゴメン急ぐから、また連絡するから」

とまくしたてるように言うと、バタバタと慌ただしく出て行った。

残された二人はお互い顔を見合わせて、それぞれの荷物を片し始めた。

「アキちゃんの話って、なんだったのかな?」

「そりゃあ、俺たちのこれからのことだろうな。生活や進路とか身の振り方を考えなきゃならないからな」

「だよね。先のことはわからないけど、当面はシュンとミサキとして生きなきゃならないわけだからね」

美岬の部屋で荷物を片し終えた佳須美は、そのままキッチンに入り、冷蔵庫を開けた。

瞬也の荷物を部屋に直すと、リビングの窓を閉めてエアコンのスイッチを入れた。しばらくして涼しい風が出てきて、部屋の温度を下げ始めた。

「…あぁ、これもダメか…。食材は全廃棄だな…、なにか買いに行かないと晩御飯作れないわ…」

賞味期限や消費期限の過ぎた肉や野菜をシンクに出しながら、佳須美はどうしようかと頭を抱えた。

そのとき、インターフォンが鳴った。

「アキちゃん?忘れ物でもしたかな?」

「俺が出るよ」

佳須美が出ようとするのを手で制して、玄関のドアを開けた。

そこには、病院で会った黒髪に薄水色のワンピースを着た少女が腕組みをして立っていた。

「君は…?」

「病院でちゃんと言っただろう。話があるからまたあとで家に行くから、とな」

「…あぁ、そういえばそんなこと言ってたな…」

病院で二人に耳元で囁いたことを思い出した。

「では上がらせてもらうぞ。もう一人もいるのだな?」

少女はサンダルを脱ぎ、部屋に上がった。

「誰が来たの?…って、あなた、どうして?!」

キッチンから顔を出した佳須美が、少女の姿を見て驚きの表情を見せた。

少女は意に介さず、リビングに入ると

「ここにいるのは二人以外はいないな?」と訊いた。

「俺たち以外は誰もいない。いたらなにかマズイのか?」

「そなたたちにとって大事な話なのでな、部外者に聞かれるわけにはいかないのだ。そのために大人二人には用事を与えたのだからな」

そう言うと少女はソファに腰をかけた。

「なにそれ、どういうこと?アキちゃんとカオルちゃんになにしたの?!」

声を荒げた佳須美に少女は

「言葉の通りだ。ちょっとチカラを使って、この場から退場してもらった。

別に悪いようにはしてないつもりだがな」

「なに?チカラって…。あなた何者なの?」

佳須美の言葉に少女は息をひとつ吐き、そして言った。

「私の素性も含めて、話をしよう。できればそなたたちも座ってくれないか。立ったままでは落ち着いて話もできない」

人の家に来て、勝手に座ってなに言ってんだ…、と二人は思ったがそれを口には出さず、少女の対面に座った。

それを確認すると少女はひとつ咳払いをして、口を開いた。

「まずは自己紹介をしよう。私の名はラスティ・セイ・リュース、この世界とは違う別の世界から来た。その世界では一応、女神をやっている」

二人は目の前の少女の言葉をすぐには理解できなかった。10歳くらいの少女はどこからみても日本人の子供で、少女が口にした自分の名とはまるで似合わない姿だった。

名前もさることながら、少女のそのあとに言った、『別の世界から来て、女神をやっている』という言葉に正直どう対応すればいいのか、二人は当惑の表情を隠せなかった。

「…なに、言ってるのかな?…」

佳須美は少女の心を傷つけてはいけない、と変な気遣いをしつつ、横に座っている自分の旦那の脇腹を肘で小突いた。

「ユウキもなにか言いなさいよ」

「なに言えばいいんだよ」

目の前で小声でやり取りをしている二人を見て、少女はため息をつくと

「まぁ、非常識かつ非現実的なこと言ってるということは理解できんこともないがな。それはこっちの世界でのこと、国や世界が違えば常識や現実が変わることを、理解してもらわねばならない。

でないと、これから話すことも到底信じてはもらえないだろうからな。

頭の中の常識は捨てて、私の話を聞いてほしい]

少女は二人に真剣な眼差しを向け、その姿とは似つかわしくない低い声で諭すように言った。

少女の言葉に二人は身を直し、きちんと聞く姿勢をつくった。

見た目は自分たちより幼い姿だが、彼女から滲み出る貫禄というか、オーラのようなものを二人は感じとった。

その様子を見た少女、ラスティは口を開いた。

「君たちの二人の子供、クサカベシュンヤ、ミサキは生きている」

「え…?」ラスティの口から自分の子供の名前が出たことに、二人は一瞬

理解できなかった。瞬也と美岬の名前が出てきて、しかも彼女は二人が生きている、とラスティは言った。

「もう一度言おうか、シュンヤとミサキは生きている。二人はいま、私のいる世界の方にいる」

「世界って…、こことは違う世界ってこと?」

佳須美の言葉にラスティは頷いた。

「シュンヤとミサキはそっちの世界にいて今も生きている、ということか?」

「そうだ。彼らはある使命を果たしてもらうため、我々の世界に来てもらった。それは彼ら二人にしかできないことなのだ」

「使命ってなに?」

「我々の世界に蔓延る異形のモノを倒すために戦うこと、それが彼らの使命だ」

とラスティは真顔で言った。その言葉を聞いて二人は固まった。

なにを言ってるんだこの娘は…、これが前に聞いたことのある中学生男子が患う病気なのか…、この娘…危ない娘じゃないの?……。

二人の頭の中に様々な想像が駆けめぐった。

「エ…?…エ〜ト……、それはいったいどういうことなの?……」

佳須美が声を絞り出すように言った。

「言ったとおりだ。世界を我が物にせんと企む異形のモノを倒すこと、これは二人にしかできないことなのだ。だから我々の世界に来てもらった」

ラスティの表情は真剣で、その言葉からはとても冗談を言っているようには聞こえなかった。

だがそれが逆に、二人はその言葉を容易に信じることができずにいた。

「それはつまり、悪と戦う所謂『正義の味方』を演じる、いうことか?」

ラスティは少し首を傾げ、

「その『正義の味方』というのがどういうのかはわからぬが、こちらの世界での勇者と同義ならばその通りだろう。ただ、演じるのではなくそれを使命としてやってもらうのだ。先にも言ったが、これは彼らにしかできないことだ」

「なぜシュンとミサキにしかできないんだ?それはきみの世界にいる人間ではできないことなのか?」

その言葉にラスティは目を伏せ、少し言いにくそうにしていたが、すぐに

息を小さく吐き、そして言った。

「本来ならば、こちらの世界のことだから我々が対処すべきであり、君たち家族にはなんら関係のないことだ。そのことに関しては巻き込んでしまい、申し訳ないと思っている。だが、シュンヤとミサキの二人でないと奴らに対抗できない上、我々だけでは倒すことはできないのだ。それだけ奴らのチカラは強大なのだ」

「君ら神のチカラを持ってしても、不可能なのか?」

「恥ずかしい話だがその通りだ。それというのも、異形のモノは私らの世界で生まれたのではなく、別の世界からやって来て、世界を脅かしはじめたのだ。

もちろんその脅威に対して世界中の戦士たちが戦った。だが誰も太刀打ちできなかった。それまで世界に暗躍した魔王を倒した勇者でさえも

そのチカラに苦戦を強いられた。私たち神も必死に対抗したが、奴らの侵攻の速度を遅くするくらいしかできなかった…」

そこでラスティは一旦言葉を切った。彼女の言う魔のチカラというものがどれだけ強いのかは、その表情を見てわかった。

「そんな奴らになぜシュンとミサキが対抗できるんだ?二人とも普通の子供だぞ」

「あの二人は、我々神がとあるチカラを秘めた物資を元に生成した武具を唯一扱える者たちなのだ。そしてそれは、異形のモノに対して絶大なチカラを発揮する。いま対抗できるのは、その武具そしてそれを扱うことができるシュンヤとミサキだけなのだ」

なにやら話が大きくなってきたな…、と思った。正直作り話にも聞こえるが、当のラスティはいたって真剣な表情で話をしている。それを全否定するのは少し大人気ないな、とその思いを飲み込んだ。

彼女の話が真実という前提で、話を進めた。

「その武具というのは、君の世界の人間は使えないのか?」

その言葉にラスティは頷き「これも恥ずかしい話なのだが、我々神が造っておきながら、その世界の人間には誰も使いこなせないのだ。勇者でさえも数分しか使えなかった。どうやら武具のチカラが強すぎるらしい。

まぁ、そうでないと異形のモノに対抗できないのだがな…」

「その武具は、シュンとミサキなら扱える、ということか?」

「そうだ。彼らにはその武具を扱える資格がある。だから、二人に私たちの世界に来てもらったのだ」

そこまで話を聞いて、それまでずっと黙っていた佳須美が口を開いた。

「あなたの話が現実かどうかはわからないけど、あなたの真剣な表情から嘘をついているのではないのかな、と思う。

でも、あなたの話はこっちの世界では物語上の話であって、現実にはないことなの。

あなたはさっき常識を捨てて聞くように言ったけど、やっぱり信じることはできない。私たちは2週間ほど前に交通事故に巻き込まれた。じゃあ、どうやってあの子たちを連れて行ったの?私たちが二人の子供の中にいるのは、あなたがやったことなの?」言葉の最後の方は少し語気が強くなっていた。

その言葉を黙って聞いていたラスティは小さく頷き、

「わかった、その時の状況を話そう。少し長くなるが、いいか?」

と言った。二人が頷くとラスティは話し始めた。

「君たちが事故に巻き込まれたことは知っている。私がこの世界に来て、シュンヤとミサキを見つけたときはすでに事故が発生したときだった。

私がジドウシャというハコの中を覗いたとき、君たちが子どもたちを庇うように上に覆いかぶさっていたので、子どもたちは大きなケガはなく無事だった。ただそのために、君たちの身体にはガラス等が刺さったキズが無数にあり、すでに虫の息で死ぬのは時間の問題だった。

私は子供二人を助けるためにジドウシャの中に入り、君たちの身体を子供から離した。

その時、私は左腕を誰かに握られた。見るとミサキが私の腕を握っていたのだ。朦朧とした頭の中で消え入る声で『お父さんとお母さんを助けて…』

と私に言ったのだ。

正直私はビックリした。まさか、意識が戻るとは思わなかったからな。

というか、無意識のなかで誰かに助けを求めたのかもしれない。ミサキはそのあとすぐに気を失った。

私はそれまで、二人だけを連れて行くつもりだった。だが、ミサキの懇願を聞いてその考えを変えて、君たちも助けることにした。

どうしてそのようなことをしたのかは、自分でもいまだにわからないのだが、そのときはそうするべぎだ、と思ったのだ」

そこでラスティは一旦言葉を切った。二人は自分の知らない事故の状況を食い入るように聞いていた。

ラスティは一息つくと佳須美に「すまないが、水をいただけないか。少々喉が乾いてしまった」と言った。

佳須美はソファから立ち上がり、キッチンにある冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、人数分グラスに注ぐとトレイにのせて持ってきた。

「すまないな、ありがとう」

グラスを受け取ると、その水の冷たさに「ずいぶん冷たい水だな、どこかの山水か?!」とビックリした顔で言った。

そして一口飲むと、そのまま一気に水を飲み干した。

「こんなに冷たく美味しい水は久しぶりに飲んだ。こっちでもいい山水があるのだな」ラスティは感嘆の声を上げた。

山水かどうかはわからないが、某飲料メーカーが販売しているミネラルウォーターを常備して冷やしており、特に瞬也と美岬はこの水を気に入っていた。別段普通の水だと思うのだか、目の前の自称女神はいたくこの水を気に入ったようだ。

もう1杯ミネラルウォーターをいただくと、それを美味しそうに飲んだ。

「女神でも喉が乾くんだな」

「いや、いまは姿を見せるためにチカラで実体化しているのと、先程からいろいろと話しているので喉が乾いたのだと思う。普段は食べ物すら口にしないのだ」

「なにも食べないのか?」

「もともと飲食、という概念が私たちにはないのだ。私たちの存在は世界の人々の信仰によるものであるからな。信仰する人々が少なくなると、私たちのチカラや存在自体が消えてなくなってしまう。

そのため、定期的に人々の願いを可能な限り叶えたりしている」

「それは、天の恵み、というやつか?」

その言葉にラスティは首をかしげ

「どうだろうな…、それは受け手である人間の捉え方次第だろうから。

こっちは信仰の薄れないようにアメを投げているだけだからな」

と言って、グラスに残っていたミネラルウォーターを飲み干した。そしてグラスを目の前のテーブルに置くと、「さて、話を続けよう」と言った。

二人が改めて身を直すのを見てからラスティは再び話し始めた。

「君たち二人を助けると言ったが、そのときの君たちの身体はキズだらけで

もう助からない状態だった。だが精神の方はかろうじて生きていた。

考えた結果、君たちの精神を二人の子供の身体に宿すことにした。

とはいえ、ひとつの身体に二人の精神が共有するのは互いの精神とその身体に悪影響を及ぼしかねないので、先にシュンヤとミサキの精神を身体から

抜き出し、その後君たちの精神を二人の子供の身体に移し変えた。

さすがに血のつながった親子といったところか、君たちの精神は二人の子供の身体に馴染んでいった。これが全くの赤の他人だったら馴染むのに時間がかかるか、全然馴染まずに宿した精神か身体、またはその両方が異常をきたし、崩壊してしまうこともある。正直いって賭けでもあった。

だがその心配は杞憂に終わった。

あとはシュンヤとミサキの精神なのだが、私は生命を創生するチカラを持っている。彼らのための生命を二つ造り出した。

だが、身体はすでに君たちの精神を移し変えたため、二人分の新しい身体を

生成しなければならなかった。とはいえ、それをするにはさらに大量のチカラと他の神の助力も必要となるため、こっちの世界ではそれが不可能だった。

まぁどのみち二人は我々の世界に来てもらうつもりだったので、二人の精神をそのまま向こうに連れていき、新しい身体を生成しそれに命を与え、二人の精神を移した、ということだ」

最後の方はなんかやっつけな言い方だな…、と思ったが、とりあえず黙っていた。横で佳須美が

「それで、シュンとミサキは生き返った、ということなの?」

その言葉にラスティは頷いた。

「彼らは我々の世界でちゃんと生きている。新たに生成した身体にも馴染んでいたので問題はない」

それを聞いて少し安心した。だが、それが本当がどうかの確認することが現時点ではできない。

「君の話はわかった。けど、それを確認する術はないのか?二人と話したいんだが、それはできないのか?」

ラスティは腕組みをして「…なかなか信用してくれることはできないな…。

まぁわからんではないが…」とつぶやき、しばし考えてから

「君たちのスマートフォンというのか?遠くにいる人と会話をするための道具があるだろう、それを貸してくれないか?」

二人は顔を見合わせて、なにをするつもりだろう…と思いながら、それぞれのスマートフォンをテーブルの上に出した。

ラスティは二人のスマートフォンを両の手で一つずつ持ち、息を一つ吐き目を瞑った。

すると、彼女の黒髪が下から風が吹いたかのように舞い上がり、そして両の手から青白い光のようなものがうっすらと出ると、それは彼女の手全体を覆い尽くした。その光はそれ以上には発光せず、やんわりと手を覆い尽くしたまま、やがて静かに消えていった。

それをジッと見ていた二人に、ラスティは両の手に持ったスマートフォンを差し出した。

「向こうにいる子どもたちに連絡ができるようにした。試しに連絡をしてみるといい」

その言葉に佳須美は画面の通話をタップし、美岬にかけでみた。

数回のコール音のあと繋がったのか、声が聞こえた。

『もしもし、お母さん』

その聞き慣れた声は、間違いなく美岬だった。

「ミサキ?!ホントにミサキなの!?」

『そうだよ。お母さんだよね?声があたしと一緒だからなんか変な感じがするね。お父さんもいるの?』

「うん、隣にいる。シュンも一緒にいるの?」

『一緒にいるよ。あ、でも今は近くにいない、用があって別の街に言ってる』

「二人とも無事なの?身体にケガとかはなかった?」

『うん、あたしもお兄ちゃんも大丈夫だよ。お母さんとお父さんの方が大変だったんじゃないの?だって二人があたしやお兄ちゃんの身体のなかに入ったんだからね。ビックリしたでしょ?』

「まぁそれはビックリしたけど…。よく知ってるわね、そんなこと」

『いまラスティがそっちにいるでしょ?あたしたちもラスティから事情を聞いたの。最初は信じられなかったけど、そのあともラスティからいろいろ話を聞いて、いまはラスティが言ったこと信じられるの。

まぁ、こっちの世界に来た時点でそれが真実で現実だったんだけどね』

と言って、美岬は明るく笑った。

その屈託のない笑い声を、佳須美は久しぶりに聞いたような気がした。

交通事故からまだ2週間ほどしか経っていないのに、その声になぜか懐かしさを感じるほどだった。

「ちょっとお父さんに変わるね」と言って、佳須美はスマートフォンを差し出すと、目頭にあふれそうになった涙をこらえようと両の手でまぶたを抑えた。

それを受け取ると、「もしもし、ミサキ?」と通話口に言った。

『お父さん?やっぱりお兄ちゃんの声なんだね。お母さんと一緒でなんか変な感じだね』

「あんまり言うな、まだ慣れてないんだからな。そっちはどうなんだ、生活とかどうしてるんだ?」

『生活の方は大丈夫だよ。こっちで知り合った人たちにいろいろとよくしてもらってるから。いまお兄ちゃんはその人たちと一緒にべつの街に行ってるの。

ただ、少し不便なところもあるかな?電気がなくて、ロウソクで明かりの代わりをするから夜は暗いし、他の所に行こうとしても車がないから移動にすごく時間がかかるし。あと食べ物が美味しくない!お母さんの料理が食べたいなぁ』

変わらない美岬の明るい声を聞いて、なんだかホッとしたというか安心した気持ちが胸の中に湧き上がった

『こっちの世界って不便なこともあるけど、そっちにはないことがいっぱいあってね、いろいろなことを知ることができて楽しい』

美岬は変わっていない、2週間前まで一緒にいたときとまったく一緒だった。

『お父さんもお母さんも心配しないで、あたしたちはこっちで元気にやってるから。ラスティから言われた使命?が終わったらそっちに帰るからね。それまで待ってて』

「…わかった、知らない場所で大変だろうがガンバレよ。でも無理だけはするなよ」

『ありがと、お父さん。あたしもお兄ちゃんも必ず帰るからね』

その言葉を聞いてから、涙が止まって気持ちが落ち着いた佳須美に再び渡した。それを受け取ると佳須美はしばらく美岬と会話を続けていた。


「なんとか信じてもらえたようだな?」

佳須美が美岬とスマートフォンごしに話している間、ソファから立ち上がり窓越しに外を見ていると、ラスティが声をかけた。

「そうだな、ミサキの声が聞けてひとまず安心した。あの様子だとホントに元気にやってるんだな、ということがわかった。まだシュンとは話ができてないがな」

「二人には世界で最強の勇者とその仲間をつけてある。向こうの世界のことをいろいろと教えてやるように言っているから、そこは安心してもらって大丈夫だ。勇者といっても、本人たちはけっこう気さくで面倒見がいいやつもいるから、二人にとってはいいお手本となるだろう。

知らない土地で無作為に行動するのは、現地の人間でも危険だからな」

「なにからなにまで、いたせりつくせりだな。そこまでしてくれるのは親としてはありがたいところだが、どうしてそんなにしてくれんだ?」

「彼らにはなんとしてでも異形のモノを打倒し、世界に再び安寧にしてもらわなければならないからな。そのための助力は惜しまない。

だが、彼らは私ら神の造った武具を扱う資格はあるが、それを使いこなすためのチカラが足りない。知識を持っていてもそれを生かす知恵がなければ役に立たない、ということだ。だから、彼らに勇者をつけて様々な経験をさせている。多少時間がかかるかもしれないが、彼らに経験を積ませるためにはそれがいちばんいい方法だと考えてのことだ。

君たちも心配だろうが、私と勇者たちを改めて信じてもらえないだろうか」美岬の声を聞く限りではいまのところ大変なことにはなっていないようだが、それでもやはり心配の種は胸の奥から消えなかった。それをラスティに見透かされたようだった。

「なんでもお見通し、ということか…。神さまにはかなわないな…」

「別に心の中を覗き見たわけではないぞ。君の表情から心情を読み取っただけだ。神だからってそういうことはさすがにしてはいけないからな」

案外真面目なんだな…、と思ったが口にはしなかった。

その時、「二人でなんの話してるの?」と佳須美がこちらに近づいてきた。

「ミサキと話は終わったのか?」

その言葉に佳須美は頷いた。そして、佳須美はラスティの方を向いて頭を下げた。

「ラスティ、子供たちのことお願いします。まだ世間を知らない子たちだからいろいろわがままとか言うかもしれないけど、その時は遠慮なく叱ってくれてかまわないからね」

佳須美の言葉にラスティは頷くと、彼女の両の手を取り、

「いや、こっちこそ手前勝手で君たちの子どもたちを私の世界に連れて行ってしまって申し訳なく思っている。我がラスティ・セイ・リュースの名に賭けて、君たちの子どもたちを守り異形のモノを打ち倒し、必ずこの世界に帰すことを約束しよう」

「ありがとう、その言葉信じるからね」

そう言った佳須美の目から、また涙が溢れていた。

「任せてくれ、君たちになり代わって彼らの親を努めてみせよう」

ラスティは胸を張ってそう答えた。

「ではそろそろ向こうに帰ることにしよう。長居すると、チカラを使い果たして帰れなくなるからな」

「気をつけてな、ていうのはへんな話か」

「またこっちに来れる?、まだいろいろと話を聞きたいから」

「状況次第だが、善処しよう。では、またな」

そう言うと、ラスティの身体が白く光り、その光が全身を包み込むと光は

パンッと弾けるようにして四方八方に飛散し、やがて消えていった。

最後に消えた小さな光の玉を見ながら、佳須美がぽつりと呟いた。

「…なんか…、夢を見てるみたいだね…」

「…そうだな…」

「頬、つねっていい…?」

「いやだ」

「……おなか、すいたね…」

「…もう夜だからな…、なんか食べるか…」

「さっき冷蔵庫見たら、期限切れで食材ほぼ全滅…」

「…外に食べに行くか…」

「そうね…」

二人は簡単に身支度を整え、近所にあるファミレスに出かけていった。


その日の夜遅く、やがて日にちが変わるくらいの時間にスマートフォンのコール音が鳴った。

佳須美は疲れたと言って先に寝たので、一人でリビングにいたときだった。

画面を見ると、それは瞬也からだった。

出ると耳元で聞こえてきたのは、紛れもない自分の息子の声だった。

『ごめん、父さん。連絡が遅くなって…。でも、ミサキが言った通りホントに僕の声なんだね。話を聞いただけじゃピンとこなかったけど、やっぱ

なんかヘンな感じだね。自分の声を耳元で聞くなんて』

こっちもだ、と答えると瞬也は小さく笑った。

その後、瞬也はラスティから自分たちがなぜ向こうの世界に来たのか、自分がなにをしなければならないかということ、また世界で生きていくための知識の習得と経験を積まなければならないことを話した。

その辺のことはラスティと美岬から話を聞いた佳須美からある程度は聞いてはいたが、瞬也本人としてはけっこう重く受け止めていたようだ。

子どもたちと一緒にいるのがラスティも言っていた勇者で、向こうの世界では知らないひとはいないほどの有名なひとらしい。

名前は、クレイ・モア・ランサーといい、災厄の魔王から世界を救った勇者だという。。その仲間も歴戦を重ねた戦士や賢者がいて、二人はその人たちの元で様々なことを教わりながら生活をしている、と瞬也は言った。

『わからないことだらけだから不安もあるけど、とりあえずいま自分がやれること、できることからやっていこうと思ってる』

「そうか、俺からは言葉でしか言ってやれないが、ガンバレ。父さんも母さんもおまえたちのこと、応援してる。

なにかあったら自分のなかに溜め込まずに、周りの人を頼れ。頼ることは恥ずかしいことじゃない、考えに迷ったら遠慮せずに周りの人に話して意見を聞け。おまえはひとりじゃない、ミサキもいるし俺たちだっている。

いまは離れているけど、スマホで連絡をとれるようにラスティがしてくれた。いつでも連絡してこい、話を聞いてやる」

『わかった…、ありがと、父さん。こっちでの使命を終わらせて、ミサキと二人でそっちに帰るから』

「あぁ、待ってるぞ」

そして、2週間ぶりの親子の会話はひとまず終わった。


この時はまだ気づいていなかった。

子どもたちが女神からの使命を終わらせて、こっちの世界に帰ってくる時、

自分たちがいったいどうなるかということを……。



翌日、明穂から連絡があった。

『昨日はゴメン、急な仕事が入って…。大丈夫だった?』

「大丈夫、全然問題ないよ」

『それならよかった…。今日もちょっと用があってそっちに行けないけど、

なにかあったら連絡して。すぐに行くから』

「わかった、その時はすぐに連絡するね」

『お願いね、シュンくんいる?』

「いま出かけてる、買い物お願いしたから。冷蔵庫のなか、ほとんど片してなにもないもんだから」

『あっそ…じゃあシュンくんにもよろしく言っといて。あと、次の週末にそっち行くからね』と言って、明穂からの電話は切れた。

おそらく、自分たちの今後について話をするんだろう、と佳須美は推測した。

昨日ラスティが帰った後、近所のファミレスで二人で話し合い、この家にいて子どもたちが帰ってくるのを待つ、ということに二人の相違はなかった。

だから誰がなんと言おうと、絶対にこの家から離れない、と佳須美は心に強く誓った。

佳須美はふとリビングにある壁掛け時計を見た。時間は11時30分をまわった時だった。

「そろそろ帰ってくる頃かな…お昼の準備でもしようかな…」

佳須美は掃除機を片付けキッチンに入り、いまある食材で昼ご飯を作り始めた。


「アツい……」

買ったものを詰めた袋を両手に持ちながら歩いていた。外は快晴で空には雲一つなく、太陽の日差しが路面をジリジリと照りつけていた。

最初はこれくらい大丈夫だろう、と思っていたが、しばらく歩いていると

汗が全身から吹き出てきた。

「なにか飲むか…」

喉も乾いていたので道中に見つけた自販機でスポーツ飲料を買い、蓋を開けるとそのまま一気飲みした。

空になったペットボトルを自販機の横にあったゴミ箱に入れ、また歩き始めた。

早く家に帰って涼しい部屋で横になりたい…、ビールがあれば最高なのにな…

などと考えていると、ふと反対車線側の歩道を歩く男女の集団が目に入った。

高校生…、いや中学生くらいか、5人ほどの男女は歩きながら会話をしていた。時折大きく笑ったりしていたので、よほど仲のいい友だちなのだろう。

瞬也もあんな感じで仲のいい友だちと楽しくしていたんだろうな…、と思いながらその集団を観ながら歩いていると、

「クサカベくん!?」と後ろから大きな声が聞こえた。

突然の声にビックリして振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。

息を切らせているのはどこからか走ってきたのか、大きく息を吐きながらこちらを見ていた。

「え…と…?」

この娘は誰だ?瞬也の同級生か?、と息子の同級生の顔を思い出そうとしたが、あまり記憶がなく、まして同級生の女の子が家に遊びに来た記憶もまったくない。だが向こうは自分、というか瞬也のことを知っているようだった。

幾分呼吸が落ち着いてきたとき、彼女の後ろから別の少女が走ってきた。

「ミズホ、突然走り出してどうしたの?!…て、クサカベくん?!」

もう一人の少女もこちらを見て、驚いたような表情をした。

乱れた呼吸がだいぶ落ち着いたのか、ミズホと呼ばれた少女、稲島 瑞穂が

「無事だったんだね…、よかった…」と目に涙を浮かべながら、安堵の表情を見せた。

となりにいた少女も「交通事故に遭ったって久城先生から聞いてたから、クラスのみんなも心配してたんだよ。でもその様子じゃ大丈夫そうだね」と言った。

久城先生というのはこのあいだ病院に見舞いに来た、瞬也の担任の女性教師だということを思い出した。

細身な身体に長い黒髪、穏やかな物腰でいかにも生徒たちに人気がありそうな先生だな、と思った。

彼女たちが知っているということは、久城先生か校長先生が自分たちの交通事故のことを生徒たちに報告したのだろう。ただ、生徒たちから病院に連絡等なかったのは、校長先生たちが自分たちの居場所までは生徒たちに言わなかったためだろう。だから、自分たちがいつ退院するかなども生徒たちは知らなくて当然だった。

「いつ退院したの?」ともう一人の少女、榊 千冬が訊いできた。

「あ…、昨日退院して帰ってきた。まだ学校には連絡してないんだ」

「そう、なんだ…。で、なにやってんの?」

千冬は両手に持つ買い物袋を見ながら言った。

「2週間近く留守にしてたんで冷蔵庫の仲の食材がほぼ全滅でね、カ……じゃない、ミサキから必要なもの買ってくるように言われたんだ。で、その帰り」

「ミサキちゃんも無事だったのね…。こんなこと言うのは失礼かもしれないけど…、二人が無事で安心した…。ホント…よかった……」

美岬のことも知っているということは、この娘は瞬也と仲がよかったのか?…

と考えていると、瑞穂が視線を落として

「…その、おじさんとおばさんのことは……、なんというか………」

と彼女なりに言葉を頭のなかで選ぼうとしていたが、なかなか言葉が出て来ずしどろもどろになった。

「おじさんとおばさんのことは正直残念だと思う。でもクサカベくんたちが無事だったんだから、おじさんとおばさんもよかったと喜んでると思うよ。

だから、元気を出してね。て、言いたかったんだよね、ミズホ」

瑞穂の隣にいた千冬が、彼女の様子を見かねて言った。

「チフユ…、そんなストレートに言わなくても…」

「どう言い方変えても一緒よ。それならズバッと言った方がかえって気を使わなくていいわよ。そうでしょ、クサカベくん」

千冬はこちらを向いて、なかば強引に同意を求めた。

なんと言えばいいのか…?というよりなぜ当事者に同意を求めるのか…?

と考えるのと同時に、息子の同級生の子たちに自分たちのことで気を使わせてしまったことに対して、申し訳ない気持ちが心のなかて湧き上がった。

「この娘の言う通りだよ、別に気にせずにいままで通りにしてくれればいいから」

といっても、この娘たちとどういうつき合いをしていたのかわからないのだが…、という言葉はさすがに言わなかった。

「ほら、クサカベくんもこう言ってるじゃない。いつも通りでいいのよ」

「…そうだけど…、でも…」と瑞穂はまだなにか言いたそうにしていたが、千冬がそれを断ち切った。

「クサカベくん、学校へはいつから出てくるの?今度の登校日から?」

「…あぁ…、まだ身辺整理とかなんやらがいろいろあるから、たぶん新学期からになると思う。父さんと母さんの遺骨も叔母さんに預けたままだから、引取りにいかないといけないし」

「そっか……、いろいろと大変なんだね……」

と言う千冬の横で、瑞穂は心配そうな表情をした。

「まぁ、なんとかやっていくさ。あわてても仕方ないしな」

「…なんか達観した言い方ね。オジサン臭い……」

「チフユ…、またそんなストレートな言い方って……」

オジサン臭い…という言葉が心に刺さったままだが、二人には大丈夫だから、ということを改めて伝えて別れた。

その時、唐突に千冬からアドレスの交換の提案があった。二人には今持っているスマートフォンは父親のだから、と伝えた上で了承をもらいアドレスを交換した。

アドレスを交換したときの瑞穂の嬉しそうな顔が印象的だった。その横で

千冬が小さな声で「よかったね」と言ったのが耳に入ったが、なにも言わなかった。


何日か過ぎた後、二人は子供たちの通う中学校を訪れた。

その日の午前中に事前に連絡を入れ、校長先生から午後からなら大丈夫、との返事をもらっていた。

「まさかこの歳になって、制服を着ることになるとはな…」

「シュンとミサキの体だから、仕方ないわよ。私だって違和感があるんだから。いまのうちに慣れておかないとね」

校舎までの道中を歩きながら、佳須美は言った。

中学校を訪れた二人は校舎までの道中を、横に見えるグラウンドで部活の練習に汗を流す生徒たちを見ながらゆっくりと歩いていった。

時折大きな掛け声を上げる野球部員の姿に反応しつつも、やがて校舎に着いた。

昇降口から除く校内は、グラウンドから聞こえる掛け声等による賑やかしさとは打って変わって、しん……と静まり返り、その場所では物音ひとつ立ててはいけないような錯覚さえ感じた。

また校内の気温はひんやりと冷たく、外気温の暑いところから来るととても涼しく快適だった。

子どもたちの下駄箱の場所がわからないため、二人は来客用スリッパを履き校内に入った。

「職員室はどこだ?」廊下を見回していると、佳須美が「確か…こっちよ」

と向かって左側の廊下を歩きだした。

それについていく形で歩いていくと、しばらくして【職員室】と書かれたプレートを見つけた。

引き戸を開け「失礼します」と言って室内に入ると、その声に気づいた女性教師が椅子から立ち上がり対応した。

クラスと氏名を言い、校長先生に現状の経過報告にきた旨を伝えると、女性教師は校長先生に確認を取り二人を校長室に案内してくれた。

校長室に入ると校長先生が二人を出迎えてくれた。

二人を部屋の中央にある応接ソファーに座るよう促すと、自身もテーブルを挟んで対面のソファーに座った。

二人は改めて迷惑を掛けたことことに対してのお詫びと、近況を簡潔に伝えた。

「学校に出てくるのは、休み明けからになると思います。それまでにある程度のことを片付けておきたいと考えてますので」

「わかりました。いろいろ大変でしょうが、頑張ってください。また元気に学校に登校してくれることを心待ちにしています」

「ありがとうございます。まだしばらくご迷惑かけますがよろしくお願いします」と言って、二人は頭を深々と下げた。

その後校長室を退出し、二人はそれぞれの担任教師にも報告をした。

二人の担任教師、久城と藤山は運動部の顧問をしており、久城は陸上部、藤山はバスケットボール部を担当していた。

「無事に退院して元気な姿を見れて安心したわ。ほんと、よかった……」

瞬也の担任教師である久城はそう言って、安堵の表情を見せた。

美岬の担任教師の藤山は病院の時同様、涙ぐみながら二人の退院を喜んだ。

「二人協力して頑張るんだぞ。なにかあったりわからないことがあったら、なんでもいいから先生に言ってくるんだぞ。遠慮しなくていいからな」

そう言ってくれた藤山先生や久城先生対して、二人は感謝の言葉を述べた。

休み明けからは学校に出てくることを告げて、二人は中学校を後にした。


「だいぶ気を遣われたようね。先生たちに」

校舎を出て校門までの歩道を歩きながら、佳須美は言った。

「そりゃ…な、先生たちには俺たちは両親を事故で失った不幸な兄妹、ということになってるからな。でも本当は、子どものなかにいるのは事故で死んだはずの両親である…、なんてこと誰も信じるわけないよな」

「しかもそれが別の世界から来た神様の仕業…、なんてのも、マンガの話みたいで現実的じゃないよね……」

「それが現実と認識してるのは、俺たち家族だけだからな……。とにかく、当面俺たちはシュンとミサキとして、生きていかなくちゃいけないわけだからな。校長先生の言葉じゃないけど、これから大変になりそうだな」

その言葉に佳須美も頷いて、

「そうね、いろいろと事後処理もしなきゃならないけど、このあたりはアキちゃんの手を借りなきゃどうにもならないな…。

私たちもまた学生生活を始めなきゃだけど…、まずはユウキ、あなたの方が大変かもね」

「?…、なんでだ?」

「あ、わかってないね。シュンはいま何年生?」

「何年って、いま中3だろ?」

「来年は?」

「そりゃ来年は高校?……、あ……」

「やっとわかった?シュンは今年受験なのよ。学期始めの三者面談では私立公立含めて2〜3校志望校言ってたけど、たぶん休み明けにある程度絞り込みをすると思うよ」

「そういえばそうだったな…。まさかこの歳でまた受験することになるとはな…」言いながら頭を抱えた。

「子供の将来にも関わるからちゃんとしなきゃ。ガンバってね、オトウサン」と言って、佳須美はクスクスと笑った。


週末土曜日の夕方遅く、明穂が連絡通り自宅を訪れた。

その際に二人の遺骨を持ってきており、それを二人の寝室に保管することにした。しかし遺骨を置く台がないので、ひとまず足折れ式のローテーブルの上に置いた。

「四十九日終わったら、遺骨を納骨堂にでも預けないとね」

「そうね、ずっとここに置いておくわけにもいかないしね。場所と環境はこの家にはないし」

「安価で預けられるとこ探しとかないと…。ところでシュンくんは?」

佳須美は瞬也の部屋を指差し、

「いま勉強中。必死に基礎から復習してる」

「あぁそうか、受験生だもんね…。じゃあ、静かにしとかないとね」

「いや、たぶんお気にの音楽聴きながらだから大丈夫だと思う。それより

アキ姉ちゃん、お父さんとお母さんの遺骨持ってきてもらってありがとね。

家に帰ってこれて二人とも喜んでると思う」

「早く来なきゃと思ってたけど、なかなか…ね。でも、そうなら少しホッとしたかな」

と話しながら二人はリビングに入った。

「なにか飲む?お茶でいい?」

「ありがと、お願い」

佳須美の言葉に明穂はソファに座りながら答えた。

佳須美はキッチンの冷蔵庫からペットボトルの緑茶を取り出し、二つのグラスに注いだ。

「はい、どうぞ」佳須美からグラスを受け取り、明穂は一口飲んだ。

そして、「早速だけど、二人に話があるの。悪いけどシュンくんを呼んできてくれる?」と言った。

彼女の真剣な表情を見てなにを言わんかとするかを察した佳須美は、ソファから立ち上がり瞬也の部屋に向かった。

ドアをノックし反応がある前に室内に入った。

「ユウキ、ゴメンね、いい?」

「どうした?」参考書から顔を上げ、椅子ごと体を佳須美の方に向けた。

「あれ、音楽聴いてなかったんだ?それよりどう?勉強、はかどってる?」

「まぁなんとかな…、何十年ぶりだからホントに基礎からだけどな。それよりなにか用なんだろ?」

「アキちゃんが来てるの、話があるって。たぶん私たちのこれからのこと、だと思う」

「わかった、行こう」

そう言って椅子から立ち上がった。


「話というのは、あなたたちのこれからのことなの」

二人がソファに座るのを確認して、明穂は話を切り出した。

その言葉は二人の想像通りだった。おそらく明穂は自分たちの面倒をみるつもりだろう。

「私はあなたたちと一緒に暮らした方がいい、と考えてる。その方が二人だけでいるより安全だろうし、今後起こりうる様々なことに対応しやすいと思うんだけど」

確かにいまの自分たちは明穂にとっては甥と姪であり、未成年である。

現状、身内では明穂以外の成人での保護者は誰一人としていない。となれば、彼女が二人の保護者となるのは至極当然の考えだった。

二人も明穂が保護者となってくれることにはなんの異論はない。いまの自分たちの立場ではどうすることもできないことがあることを考えると、彼女が保護者となってくれることは非常にありがたいことだった。

「アキ姉ちゃんそのことなんだけど、私たちの希望を言うと私たちはこのままこの家に居たいの。この家はお父さんとお母さんに私たちの家族が暮らしてきたところで、いろいろな思い出のある場所だし。もちろん、いずれはここを離れなきゃならない時がくるかもしれないけど、いましばらくはここにいたい。これは私とお兄ちゃん二人で話し合って決めたことなの」

佳須美は一旦そこで言葉を切った。それを黙って聞いていた明穂は

「そのことはもちろん考えたわ。で、あなたたちがそれを望むなら私はそのとおりにしてやりたい。ここにいたいというあなたたちの気持ちはよくわかるから、私としてはこっちに移ってもいいと思ってる」

「…やっぱり、そういうと思ってた…」

明穂の言葉を聞いた佳須美は、彼女がそういうことを言うのがわかっていたようだった。佳須美は明穂の方をジッと見て、言った。

「アキ姉ちゃんの言うように、私たちだけじゃ対応できないことがこれからいっぱい起こると思う。そのときは助けてほしい。でも、私たちは一緒に暮らさない方がいいと思うの」

「それって…、どういうこと?」

「私たちと一緒に暮らすということは、アキ姉ちゃんはここに来るということよね。もしこっちに来たら会社までどうやって通うの?。

アキ姉ちゃんの会社って、ここからだと電車で1時間は掛かるよね。

毎日朝早くから通勤するつもり?」

佳須美の言う通りだった。彼女の居住地と会社は、その場所からだと電車で裕に1時間は掛かる場所にある。

もし通勤するとなると、朝7時前の電車に乗らなければ間に合わない。

明穂は以前は地元であるこの街から通勤していたが、通勤ラッシュと長時間電車に揺られるのが苦痛で、会社のある街の方にやむなく引越したのだった。

「またあのつらさを体感する気、ある?」

「ウ…、イヤなことを思い出させないで…」

「まぁ通勤に時間が掛かるのもあるけど、いちばん心配なのはアキ姉ちゃん自身のことなんだけどね」

「?…なにそれ?」言葉の意味がわからず、明穂は訊いた。

「アキ姉ちゃん、今年何歳?」

「エ…、さ、35…だけど…」

「いい歳よね……、で、ちなみに彼氏は?」最初の言葉は小さくつぶやくように言い、後の言葉を明穂に訊いた。

「ウ………、い、いまはいない……けど……」

明穂は言い淀みながら、素直に答えた。

佳須美は身体をズイッと明穂の前に迫り出し、

「もうそろそろいい人見つけて落ち着かないと、このままじゃほんと行かず後家になっちゃうよ。それでもいいの?」

「それはよくないけど……」

「じゃあ誰か気になる人とかいる?」

「いや……、たぶんいない…と思う……」

佳須美は大きく溜息をつき、迫り出していた身体を起こして、突然声を荒げて言った。

「アキちゃん!そんなことでとうするの!?もうそんなに若くもないんだから

自分からがっつくくらいしないと、男なんて見つからないよ。それともこのままひとりで寂しい人生終わるつもり?」

姪の言葉に、明穂はなにがなんだかわけがわからず、あたふたとした。

なぜ自分はこんなことを言われてるんだろう…、母親か姉から言われるのならまだしも、目の前にいるのは自分の姪であり、歳も20以上離れている。

正直いって、彼女に言われる筋合いはなかった。

「ち、ちょっと待って。一旦リセットしよう、話が違う方にいってる。いまはあなたたちのことで話してるんであって、私のことは関係ないでしょ!?」

「関係なくない、私たちのせいでアキちゃんが幸せになれないなんて、そんなのダメだよ」

「だから、なんでそんなことあんたから言われなきゃならないの?姉さんや母さんから言われるならわかるけど、はっきりいって余計なお世話なんですけど!?」

「そういうこと言うわけ?!私はアキちゃんのことを考えて、こうした方がいいと思って言ってんのに、そういうこと言うわけ!?」

それまでソファに座っていた明穂も立ち上がり、佳須美と対峙した。

当然ながら、明穂の方が身長が高いため、佳須美を見下ろすような体勢になった。だが佳須美はそれに臆することなくジッと彼女を見据えた。

側は美岬の姿だが、中身は佳須美自身である。目の前の明穂は自分の妹であるから、佳須美には明穂による威圧を怖いとは思わなかった。

二人の姿を見て、なんか雲行きが怪しくなってきたと感じ始めた中、二人はさらに口論を続けた。

「だからそれが余計なお世話だって言ってんの。私のことなんだから、それくらいちゃんと考えてる。あんたにそんなこと心配される必要なんかない、ほんとに大きなお世話よ」

「私がアキちゃんのこと、心配しちゃいけないの?たった一人の身内のことを考えるのは当たり前じゃない。私たちのことでアキちゃんの生活が犠牲になるなんて、そんなことできないよ!」

「あんたたちの面倒見ることで、私の生活が犠牲になるっての?バカなこと言わないでよ、そんなことあるわけないでしょ!?お節介にも程があるわ。

それにさっきから人のことアキちゃんて気安く呼んで、そんな風に呼ばれるほど仲いいと思ったことないんですけど!いったい何様のつもり?姉さんでもないのに、そんな呼び方しないで!」

明穂のその言葉を聞いた佳須美の顔が一気に紅潮していった。そして、

「あんた、誰に向かって言ってんの!?」と言おうとした時、

「ストーップ!そこまで!」

と大きな声で、二人の口論を遮った。突然横からの大きな声に驚きの表情をしたままの二人をソファに座らせ、その間に立つと佳須美と明穂の顔を交互に見回した。

「なに?いったいどうしたの?」

「ビックリした…、どうしたの?、突然大声出して…」

佳須美と明穂はこちらを見ながら口々に言った。

「どうしたの?、じゃない。二人とも熱くなって、まるで子供の姉妹のケンカみたいだったぞ」

「だって、それはアキちゃんが…」

「だってミサキが…」

「だって、もない。二人とも同じこと言って、ホントに姉妹みたいだな」

実際ホントの姉妹なんだよな……、と心のなかで思いながら、佳須美の方を見て言った。

「ミサキはなんでもズケズケ言い過ぎ。相手のことを考えて物事を言わないと、アキ姉ちゃんの心のキズをエグるだけだぞ」

「そんなに言ったつもりはないと思うけど…」

と佳須美が口をとがらせて言った。

自分が美岬であることを思い出したのか、無意識にしたのかはわからないが、美岬がふてくされたときに口をとがらせることをよくしていたので、それを真似たのだろう。

ただ、いまそれをするか…?と思ったが、口には出さなかった。

「いやちょっと、心のキズって…、別に私キズ負ってないから……」

横から明穂が言うと、今度は明穂の方を向き、

「アキ姉ちゃんも、いくらミサキに言われたからってミサキと同じ目線に下りてきたらダメでしょう。大人なんだからそこは落ち着いた対応をしなきゃ」

「ウ……、それは…、そうだけど……」

その言葉に明穂はなにも言い返せず、口をつぐんだ。

姪からは自分の身の上を心配され、甥からは大人の対応をと諭される……。

叔母であるのに姪の言葉に頭が熱くなり、売り言葉に買い言葉とはいえ、

口喧嘩ともとれるやり合いをしてしまったことに、情けない…、と明穂は心底思った。

明穂の頭を抱えている姿を見ながら、ふてくされている佳須美が座っているソファの隣に座り直した。そして、佳須美に明穂に聞こえないように耳打ちした。

「今度は俺が話すよ。いいか?」

佳須美はとがされていた口を戻し、顔を少しだけこちらに向けた。

少し考えてから小さく頷き小声で「わかった、お願いするわ」と言うと、壁掛けの時計を見てソファから立ち上がった。

「夕飯の用意するわね、ゴメンけどよろしく」

その言葉を聞いたあと明穂の方を向き、「アキ姉ちゃん、改めてもう一度話したいんだけど、いいかな?」

明穂は抱えていた頭を上げると、甥の顔を見た。

「わかった、もう一度話しをしましょう」


話を再開した二人は、努めて冷静に話を進めた。

自分たちのことで明穂の私生活に影響を及ぼすことは避けたいと、兄妹二人でやっていきたいことを伝えた。そのことに再び難色を示した明穂に、

「何年か前に母さんから聞いたことがあるんだけど」と前置きをし、ある話を切り出した。

「姉さんが…、なにを?」

「アキ姉ちゃんは自分のことより先に他人のことに気遣いをしてしまうところがあるって。もちろん人を気遣えることはいいことだし、それはあの娘の優しさがそうさせるんだろうって、母さんは言ってた」

「姉さんが……、そんなこと言ってたの?…」

明穂の言葉にに頷き、「アキ姉ちゃんが他人のことばかり気遣いをして、自分のことを疎かになってしまうことを母さんは心配してたよ。なんといっても母さんにとってはたった一人の妹だから、あの娘には幸せになってほしいって。まぁ、自分が言ったところで素直に聞かずに『余計なお世話よ』って突っぱねられるだけだろうけど…って、笑いながら言ってたけどね」

そこまで聞いた明穂は恥ずかしそうに頭を掻きながら、

「そうなんだ…、別に人に気遣いとかって、意識してやってるつもりはないんだけどな…。そんなに気遣ってたのかな?」

「俺はそういう風に意識して見たことないからわからないよ。母さんにはそういう風に見えてたんだと思うけど…」

言いながら、キッチンで夕食の支度をしている佳須美の方を見た。

佳須美は野菜を切りながら、こちらの会話に耳を傾けていた。

視線に気がつくと左手で明穂の方を指差して、『もうひと押し』というジェスチャーをした。

「ていうか、姉さんも私に気を遣ってんじゃないの?そういうこと考えるなんて」

「かもしれない。さっきも言ったけど、たった一人の妹だから余計に気になってたんじゃないかと思う。俺たちもそれを聞いてたから、アキ姉ちゃんにはあまり負担というか、迷惑かけちゃいけないなって考えたんだよ」

「負担とか迷惑とか、そんなこと考えなくていいのよ。私は大人の責任として、あなたたちのことを面倒見なきゃと思って…」

明穂の気遣いはその責任感からくるものなのか…、彼女のその責任感が無意識のうちに頭の中に働いて、他人への気遣いをしてしまうということを理解した。

「それなら、アキ姉ちゃんこそ俺たちに対して責任とか考えなくていいよ。

父さんと母さんがいなくなって、家族というか身内はもう俺たち3人だけになっちゃったわけだから。3人の間では気遣いとか、そういうのはナシにしようよ」

「……じゃあ、どうすればいいわけ?」

明穂の表情が急に不安に変わった。自分の考えていたことが否定されてしまったと感じたことと、じゃあどうすればいいかの他の考えが頭に思い浮かばず、そのような表情になった。

「別になにも変えたり変わったりする必要はないと思うし、今まで通りの位置関係で生活していったらいいんじゃないか。その方がお互いにとって少なくともベターだと思うけど」

なるべく心配とか気遣いをさせまいと、努めて柔らかい口調で話した。

その言葉を聞いて、明穂は口元に手をあててしばらく考えていたが、手を口元から離すと、「それで…いいの?私はなにもしなくていいの?…」

「なにもしなくていいとは言ってないよ。俺たちにとってアキ姉ちゃんしか頼りになる人はいないんだから、これからいろいろな面で助けが必要になると思う。だからなにかあったらすぐにアキ姉ちゃんに連絡をするよ。できるだけ心配かけないようにやっていくから、アキ姉ちゃんも自分のサイクルというか、生活を維持していってほしい。これはおそらく父さんと母さんの願いでもあると思うから」

その言葉を黙って聞いていた明穂は、また手を口元にあてて考え込んだ。

その姿をジッと見つめていると、明穂は口元から手を離し口を開いた。

「わかった、あなたの言う通りにしましょう。でも、ひとまずだからね。

もしなにかあったら、その時はみんな一緒に暮らすから。それでいいわね」

明穂の表情に先ほどまで見えていた不安は消えて、自分のしっかりとした決断の意志が見て取れた。

「ありがとう、俺たちのわがままを受け入れてくれて感謝するよ。できるだけ心配かけないようにするから」

「そうお願いするわ。……それより……」明穂は言おうとした言葉を途中で止めて飲み込んだ。

「それより…?どうしたの?」

甥からの問いかけに、明穂は先ほど飲み込んだ言葉を言おうとしたが、やはり言うことを止めた。

「…うぅん、なんでもない。気にしないで」

明穂の言葉にそれ以上深く追求することはしなかった。

「話、まとまった?」キッチンで夕食の支度をしていた佳須美が、二人の元にやってきた。ソファの隣に座ると、二人の顔を交互に見比べた。

「どうやらまとまったようね、よかった」

「とりあえずは、だけどな。お前もアキ姉ちゃんに感謝しろよ。わがまま聞いてもらったんだから」

「わかってるよ。アキ姉ちゃん、ありがとね。心配かけないようにするから。それとさっきはゴメンね、ついカッとなって言い過ぎちゃって…。

ほんとゴメンなさい!」

佳須美は両手を前に合わせ、頭を深く下げた。その姿を見た明穂は、息を一つ吐き、「いいわよ、もう気にしてないから。ていうか、こっちも売り言葉を買ってしまって、大人気ないなって反省してるんだから。私の方こそゴメン」

と言って明穂も佳須美に頭を下げた。

二人は頭を上げ顔を見合わせると、お互い照れくさそうに笑った。

「さて、夕飯もうすぐできるから待ってて。アキ姉ちゃんも食べてくでしょ」

「えぇそうね…って、ミサキって料理できるの?!初耳なんだけど?」

「お母さんから教わってたから、ある程度はね。あまり期待はしないでね」

そう言って佳須美は再びキッチンに入っていった。

佳須美は今の自分は美岬ということをちゃんと認識し、あくまでその体で明穂に話した。

食卓に出された料理は白ご飯に野菜入りの味噌汁、豚の生姜焼きといういたってシンプルなメニューだった。

だが、側は美岬でも中身は佳須美なので、当然佳須美の味付けになっており

明穂はその味の再現率にビックリした。

「私も姉さんに料理ならってたんだけど……」

と姪に女子力で負けてしまったことにうなだれる明穂を、美岬の体の佳須美が慰めている姿がなんともおかしく感じてしまった。


二人は傍からみれば伯母と姪だが、本当は実の姉妹である。また自分は瞬也ではなく父親の裕樹であるという事実を、明穂や他の誰かに伝えた方がいいのだろうか?

自分たちでさえいまだに信じられないという話をしたところで、そのことを信じてくれる人が果たしてどれだけいるのだろうか?

現実的でない、マンガやアニメの見すぎじゃないのか?と言われるのが容易に想像がつく。

「いつかは話さなきゃならないときがくるかもしれないけど、できればこのことは私たち家族だけの秘密にした方がいいと思う。誰にも話さず墓場まで持っていきましょう。あ、でも私たちって世間的にはもう死んでるんだった」

前にこの話をしたとき、佳須美はそう言った。

「アキちゃんにだけでも話そうかとも考えたけど、私たちの死を彼女なりに受け入れて離別を決意したのに、私たちが子供たちの中で今も生きているということを話すのは、ちょっと酷かなと思ったんだ。まぁ、信じてももらえないだろうし、それにあの子にはシュンとミサキにとっての力になってもらわなきゃならないから、余計な情報はいれない方がいいかな、と。

このことを言わないのは正直つらいし寂しいけど、私たちはもう死んでる。

この事実を曲げることはできない。だから、私たちが生きていることは

誰にも言わないでおきましょう」

佳須美の意見に賛同した。

自分たちはすでに故人となっており、それは周知の事実となっている。

そこに自分たちは生きているという情報を流すということは、周囲に混乱を招きかねないという不安がある。しかも子供たちの身体の中で生きているということを信じてくれる人はおそらく皆無に近いだろう。

それに親が子供たちの中で生きているのならば、当の子供たちはいったいどこにいるのか?

「子供たちは生きていて、今は別の異世界にいます。元気でやっています」

などということを子供たちの姿で言うのだから、尚の事信じてくれるはずがない。それに子供たちの頭がおかしくなってしまったと疑われてしまうおそれもある。

自分たちはこれから瞬也と美岬として生きていかなくてはならず、また二人がこちらの世界に帰ってくるまで二人の生命と立場を守っていかなくてはならない。それが子供たちに対して親である自分たちにできる数少ないこと、それを必ず守ることを心に固く誓った。



異形のモノが出現したという情報を聞きつけ、クレイ・モア・ランサーらパーティーは出現先のアルサロトの街へと向かった。

異形のモノは少数ではあるが、そのチカラには街の自警団だけでは葉が立たず、街への侵攻を食い止めるのが精一杯だった。クレイたちは街に到着し、

自警団と共同して異形のモノを打ち倒すことに成功した。


キィ…という蝶番の軋む音を立てながら、木扉を開けて瞬也は間借りしている宿屋に入った。

「おかえり、お兄ちゃん」

不定期で宿屋のアルバイトをしている美岬がロビーの奥から出てきて、瞬也を出迎えた。

「ただいま。ミサキ、いつもの頼むよ」

「スプーンの立つほど濃いコーヒーね、ちょっと待ってて」と言って、美岬はロビーの奥にある厨房に入っていった。

瞬也はロビーの横にあるテーブルに着くと、腰に携えていた長剣を壁に立て掛け、椅子に座った。

一息吐くと、美岬がコーヒーを持ってきた。

「はい、おまたせ。熱いからね」

テーブルに置かれたコーヒーを一口飲んだ。熱さとともに独特の苦味が口の中に広がった。

「やっぱ苦いな…。父さん、よくこんな濃いの飲んでたな…」

「自分でリクエストしといてなに言ってんの。でもこんな濃いコーヒーよく飲めるな、て、母さんも言ってた」

「僕も隣で父さんがコーヒー飲んでるの見て、いつかはこれを飲んでみたいと思ってたんだ。でも、いざ飲んでみるとこんなに濃いとは想像してなかったからある意味ビックリしたよ。好奇心だけでするもんじゃないな、て後悔したよ」

「でも続けて飲んでるよね。どうして?」

美岬の問いに瞬也は少し考えてから、口を開いた。

「…大した理由とかないけど、これをすることで父さんと母さんと繋がっていることを少しでも感じられるんじゃないか、と思ったんだ。まぁ連絡しようと思えばスマホ使えばいつでも連絡できるから別に寂しいとか思ったことはないんだけど、二人のことを忘れないようにするためというのが理由といえは理由なのかな」

その言葉を聞いた美岬は

「…ふ〜ん、そうだったんだ…、それ聞いたら二人とも喜ぶかもね」と言って微笑んだ。

「あたしは料理してるときかな。お父さん、お母さんの作る料理好きだったし、あたしたちもだったでしょ」

瞬也は頷いた。美岬は言葉を続けて、

「あたしは料理のレシピ聞くときたまに連絡するけど、お兄ちゃんは遠征とか修行とかで大変だもんね。これからもリクエストしてくれたら、いつでも

淹れてあげるからね」

「あぁ、ありがと」

と言って、瞬也はふと窓の方を見た。

外は陽が傾き、街は少しずつ薄暗くなっていた。街を行き交う人々は暗くなっていく街の通りをそれぞれの家路へと足早に歩いていた。

美岬も瞬也と一緒にその光景を眺めながら、ふと口を開いた。

「お父さんとお母さん…、どうしてるかな……」

「そうだな…、あの二人のことだからたぶんちゃんとやってると思うけどな」

「案外楽しく学生生活やってるかもね。でも、お父さんは大変かもね」

なんで?という顔をした瞬也に「お兄ちゃん、自分のことなのに忘れたの?

お兄ちゃん、受験生でしょ。それをお父さんが代わりにしなきゃいけないのよ。だから大変だって言ったのよ」

「…そうだった、バタバタしてて思いっきり忘れてた事実……」

「まぁお父さんのことだからちゃんとするとは思うけど、意外と忘れてたりして」

「で、母さんに突っ込まれる、とか?」

「その光景が目に浮かぶなぁ…」

美岬は窓の外に視線をやり、「早く、向こうに帰ろうね…」とポツリとつぶやいた。

小さな声だったがそれを聞いた瞬也は、「あぁ、帰ろう」としっかりとした口調で言った。


2学期が始まり、二人はそれぞれの学校生活をスタートさせた。

クラスの生徒たちは前もって担任教師から言われていたのか、事故のことは極力触れずに普段通りに二人を受け入れた。 

また、佳須美から瞬也の仲の良い友達の名前と顔を事前にレクチャーされていたので、彼らともすんなりと打ち解けることができた。

同じクラスのなかに、夏休み中に出会った稲島 瑞穂と榊 千冬がいた。

休み時間に二人はやってきて、

「おかえり、っていうのは変かな?」

「ちょっと変よね。別にどっかに行ってたわけじゃないし」

「でも、なんかどこか遠くに行ってたような、そんな感覚というか…。

実際はそんなことないのにね」

「ミズホって、クサカベくんがホントに夏休み明けから来るかどうか、ずっと心配してたからね」

「そんなこと、いまここで言わなくてもいいのに…」

「そんなに心配なら、電話とかメールとかすればよかったのに。せっかくアドレス交換したんだから」

「そんなこと…、できないよ……。恥ずかしくて…」

などと、当の本人を前にしながらそれを無視して、二人だけで会話をして盛り上がっていた。

あとで佳須美にその話をすると、「いまどきの子どもたちってそんな感じよ。ミサキのクラスの娘たちもだけど、自分たちだけで盛り上がってこっちのことなんかそっちのけなんだから」と、笑いながら言った。

5限目の授業のあと、担任の久城から放課後に職員室へと呼び出された。

言われた通りに放課後に職員室に行くと、久城が出迎えて自分の隣の教師の席に座らせた。彼女の要件は、瞬也の進路のことだった。

瞬也の志望校は、県下で4番目に偏差値の高い附属の私立高校だった。

その私立高校は今住んでいる自宅からだと、電車を乗り継いで小一時間ほどかかるところにあった。

瞬也の成績だと合格圏内だということだった。だが、今は瞬也本人ではないので「もう一度考えてみていいですか?環境が変わってしまったので、保護者になってくれている伯母とも話してみます」と言った。

「わかったわ、時間はあるから保護者の方たちと考えてみて。でも志望校を変えるのなら早めにね」

「はい、わかりました」

その夜、瞬也に連絡を取り志望校の件と自分の考えを伝えた。

『そっちの僕は今は父さんなんだから、父さんの思う通りにしていいよ。僕のことは気にしないで」と瞬也は言った。

「お前の思う通りにはならないかもしれないぞ。それでもいいのか?」

『言ったでしょ、父さんの思う通りにしていいって。父さんのことだからいろいろと考えて判断するだろうから大丈夫と思ったんだよ。あのね、僕は父さんのこと、けっこう信頼してるんだよ』

まったく予想外の言葉を聞いて、一瞬言葉を失ってしまった。

「……シュン、お前いまそれを言うか…。初めて聞いたぞ」

『いま初めて言ったからね。そういうことだから、そっちの僕のことは任せたからね』

「あぁ、わかった…」

あとはお互いの状況などを話して、二人の会話は終わった。

その会話を佳須美に話すと、

「あの子そんなこと言ったの?確かに初めて聞いたわ。向こうに行って少しは成長したのかな。だったら、なんか嬉しいかな」

事故からこちらの時間で1ヶ月ほどしか経っていないが、もし精神的に成長したのなら、佳須美の言う通り嬉しいことだと思う。

だがその反面、子どもたちの成長を見れないことに少なからず寂しさも感じてしまった。

「まぁそう感じるのは仕方ないけど、私たちは私たちであの子たちのためにできることをやりましょうよ」

と笑顔で言った佳須美の言葉に、素直に同意して頷いた。

数日の間考えたあとで、自分なりの結論を担任の久城に話した。

自分の今の状況等を考えた上での結論を久城は黙ったまま聞き、目の前の生徒の話をなんの詮索もせずに受け入れた。

「わかりました。あなたが一生懸命に考えた結論なのだから、私からはなにも言うことはないわ。それよりもこの高校でいいんだよね、資料を取り寄せるから。手元に来たら連絡しますね」

「ありがとうございます、よろしくお願いします」

と、志望校の変更を了承してくれたことに感謝の念を伝えた。


9月が過ぎ10月になってもまだ夏のような暑さが続いている時期に、中学校では秋の学年対抗のクラスマッチが行われた。

学校では春に運動会が開催されるため、秋になにもないのはつまらない、という一部の生徒たちからの要望により、10年前からクラスマッチが開催されるようになった。

学年の垣根を超えたトーナメント戦であり競技はいずれも球技が採用されている。男子は屋外で野球、体育館でバスケットボール、女子は屋外でソフトボール、体育館でバレーボールとなっている。

「俺たちの頃はなかったな、こういうの」

自チームのベンチで、相手チームのピッチャーの投球や自分のチームを応援する生徒たちを眺めながらボソッと呟いた。

「ん?なんか言ったか?」

隣に並んで座っていた同じクラスの葛西がこちらを振り向いた。

「いや、なんでもないよ。しかし、相手ピッチャーけっこう球速いんじゃないか?」

「あぁ、西田か。そりゃそうだ、あいつ小学生の頃リトルリーグでピッチャーやってたからな。確か小6の頃で100km近い球速だった、て聞いたことある」

「それでか。でも野球部はピッチャーはダメじゃなかったか?なんで投げてんだ?」

葛西は首を横に振り、「いや、あいつ野球部じゃなくてバレーボール部だよ」

「なんで?」

「中学では野球じゃなく違うスポーツがしたいってことで、バレーボール部に入ったんだよ。だがレギュラーではない」

「そうか…、てかよく知ってるな?」

「まぁ、同じ部活だしな…。って、お前俺がバレーボール部だってこと、知ってるよな?」

「そうだったか…?すまん、ド忘れしてた…」

「…まぁいいけど…。ちなみに、西田はこのクラスマッチで1年の頃から無失点記録を更新中だそうだ」

と言いながら葛西は前を向き、相手ピッチャーの西田の投球を見た。

バッターを三振に抑え、悠々とマウンドからベンチに帰る西田の姿に

「せめて一矢報いてみるか…」

と心のなかで呟き、グラブを取り自分の守備位置へと走っていった。


佳須美は選択したソフトボールの試合を終え、バッグからタオルを取り出し

汗を拭いた。

試合結果は3−1で負けはしたが、その1点は佳須美のレフト側のホームランによるものだった。それは試合が始まる前日にバッティングの手ほどきを受けて臨んだ結果だった。

「ユウキからアドバイスは受けたけど、まさかホームランになるなんて思わなかった。ホントにバットスイングのタイミングがよかったんだと思う」

と予想だにしなかったことに自分自身が一番驚いていた。

そのとき、隣のグラウンドで歓声が沸き起こった。

なにかと思い、歓声の上がったグラウンドに向った。

グラウンドではマウンドのピッチャーが相手バッターを三振に打ち取ったところだった。盛り上がってるのは守備側のチームだろう、ピッチャーに対して盛大な歓声を送っていた。

ピッチャーはそれに答えるかのように、グルグルと右肩を回してアピールをした。

スコアボードを見ると3年生同士の試合で、3回裏で3−0のスコアだった。相手チームが盛り上がってるところをみると、勝っているのは守備側のチームの方だろう。

攻撃側のチームのバッターは肩を落としながら自陣へと帰っていき、入れ替わりに次のバッターが軽く素振りの練習をしていた。

それは佳須美のよく見知った人物だった。

「あれ、ユウキだ…」

「あ、クサカベくんだ…」

佳須美が言うのと当時に、隣にいた女子生徒が素振りの練習をしている男子生徒を見て言った。

二人は言葉に反応し、互いに顔を見合わせた。佳須美の横に立っていた女子生徒には見覚えがあった。さきほどの試合で対戦した3年生チームでピッチャーをしていた女子生徒だった。

「あなたさっきホームラン打った…、クサカベくんの知り合い?」

自分より頭一つ背の高い女子生徒を見上げながら、

「妹です。そういう先輩は?」

「妹?あぁ、そういえば妹いるってミズホ言ってたな…。あたしは彼のクラスメイトのサカキ チフユ、よろしく。ところで…」

と千冬は視線をグラウンドに戻し、ゆっくりと左打席に立つクラスメイトを見ながら「なんか、クサカベくん…、打つ気満々なんだけど…。大丈夫かな…?」

千冬の言葉に佳須美も正面を見ながら「打ちますよ、必ず」と言った。

「どうして?」

「あの人が左打席に立つということは、一本打つという意思表示であり宣言なんです。だから必ず打ちますよ」

「自信ある、ということね。じゃあしっかり見させてもらいましょ」

「どうぞ」佳須美はニッコリと微笑んだ。


左打席に入ったバッターをキャッチャーの家永は、マスク越しに彼を訝しげな目で見据えた。

いままでの相手チームのバッターはほとんどが野球をしたことがない素人ばかりで、西田の球を当てられるのは少なかった。

今の試合も前打者まで8人を空振りまたは内野ゴロに打ち取っている。

9人目のバッターも楽に打ち取れるだろうと思っていたが、どうもいままでとは雰囲気が違う。

打つ気満々で打席に入り、大きくバットを振りながらも凡退に終わるのが多かった中、目の前のバッターのフォームはバットを上段に身体から離して、刀のように斜め前に出すようなフォームだった。

どこかで見たことがあるようなその独特なバッティングフォームは、おおよそ中学生がする構えではなかった。しかもその構えからは絶対に打つというプレッシャーがこのバッターからヒシヒシと感じられた。

ピッチャーの西田はどうだろうか?このバッターを眼前にして、そのプレッシャーを感じているのだろうか?マウンドに立つ西田はすでに投球フォームに入っていた。一抹の不安を感じながらも家永はミットを構えた。

だが、西田の投げた軟球は彼のミットに収まる事はなかった。

西田が投げた軟球は、金属バットの快音とともに斜め上に上がっていった。

その打球はライトの上を高く通り過ぎ、外野のフェンスを超えて奥の木々のなかに消えていった。

その場にいる全員が打球の軌跡を見送り、その間誰も言葉を発することが出来なかった。

「先生、判定は?」

主審の体育教師に判定を仰ぐと、主審は右手を大きく回し「ホームラン!」

と判定した。

「軟球とはいえ、さすがは金属バット…、よく飛んだな…」とボールが飛んでいった先を見ながらダイヤモンドを一周した。


「うそぉ………」

千冬はクラスメイトがダイヤモンドを回っている姿を見ながら、驚嘆の声を上げた。

さすがは元高校球児、と心の中でつぶやきながら

「言ったでしょ、必ず打つって。あの人、口には出さないけどその分行動で示すから」と佳須美はドヤ顔で言った。

「いやまさか…、そんなの本当に打つなんて思わないでしょ…」

「まぁ確かに、そうかもね。でも目の前での出来事は本当でしょ、それは受け入れなきゃ。世の中いろんなことがあったりするんだから」

佳須美の言葉を聞いた千冬はジッと佳須美の顔を見つめた。

「?…なに?…人の顔ジッと見て……」

「いや…、あたしより年下なのに、なんか年寄り臭いこと言うな、と思って…」

「…なにそれ、ひとのことディスってんの?」

「そんな気はないけど…、なんか経験したような言い方だから、ね…」

確かに自分たちが子どもたちの中に乗り移るなんてことは、普通経験できることではない。だがそれは現実であり、自分たちは子どもたちの中で実際に生きてこの場にいる。

「でも、そんなこと誰も信じてくれるわけないしな…」

自分たちでもしばらくは信じられなかったことを、他人に話したところで信じてくれるわけがなかった。

だから、このことは自分たち家族4人だけの秘密にしようと決めたのだ。

「まぁ交通事故自体、なかなか経験することじゃないしね…」

佳須美はそれだけを言った。その言葉に千冬はハッとなり

「ゴメン……、そんなつもりじゃなかった……。ごめんなさい…」と謝った。

「いいよ、大丈夫だから。一人になったわけじゃないしね」

ちょっと意地悪したかな…、と思いながら佳須美は小さく微笑みそれだけを彼女に言った。

再びグラウンドに目をやると、なにやら主審の体育教師と話をしているようだった。なにかを指示されたのか、グラウンドの先のフェンスの方に駆け足で行った。

「あれ、クサカベくんどうしたんだろ…?」

千冬がその姿を確認すると、佳須美はいち早くその場から離れフェンスの先の方に向かった。


フェンスの先にある木々の中をウロウロとしていると、「どうしたの?」と後ろから声を掛けられた。

振り向くと、佳須美がこちらに近づいてくる姿が見えた。

「先生になにか言われたの?」

「佳須美か、自分の打ったボールを探してる」と言って木々の下に生い茂る草むらを手で掻き分けた。

『なにそれ?」

「先生からな、『よく打ったな、久々にいいホームランを見たぞ。だがな、学校も経費が潤沢じゃないんだ、使える備品は一つでも大事にしなきゃならん。だから、自分で打ったボールは自分で回収してきてくれ。頼んだぞ』て言われてな。こうやってボールを探してるわけだ」

「はぁ…、要するに自分のケツは自分で拭け、というわけね。あれ?あたしはそんなこと言われなかったけど…、まぁいいか、手伝うわ」

「助かるが、競技の方はいいのか?」

「うちのチームはさっきの試合で負けて2敗で敗退したわ。だから試合はもうないわ。それよりあなたの方はどうなの?スタメンなのに、こんなところにいていいの?」

「俺の打順の9番とその前の8番は交代制なんだよ。全員が一回は打席に立てるようにそうしてるんだよ。だから、俺の出番はもうないよ」

草むらを手で掻き分けながら、佳須美に言った。

「そうなの?他の打順ならまだ打席に立てたのに、もったいない…」

「いいさ、久々に打てたことは素直に嬉しかったからな。それで満足だ」

「まぁ、ユウキがそれでいいならそれ以上は言わないけどね…。ここ、けっこう広いよ、ボール飛んでった場所ってわかる?」

「一応はね、ただ落下地点から転がっていったなら、探す範囲は広くなるからな。そうなるとちょっと大変かな」

「…あまり大変そうに聞こえないんですけど…」

草むらをグルッと見回しながら、佳須美はゆっくりと周辺を歩いていった。

草の丈はそんなに高くないので、注意深く見ていけば見つかるだろうと思っていたのだが、目当てのボールはなかなか見つからなかった。

「…見つからないね…」

「見当はあってるはずなんだが…、まだ転がって奥までいったかな?」

「もうちょっと奥まで行ってみようか…」

佳須美の言葉に同意した時、「なにやってんの?ふたりとも」

と後ろから声を掛けられた。二人が振り向くと、千冬がこちらに近づいてきていた。

「なにかあったの?」

「この人が打ったボールを探してるの」代わりに佳須美が言葉の圧強めに千冬に答えた。

「ボール?あぁ、ホームラン打ったボール?なんで?」

「経費節減、どんな小さなモノも大事にしなきゃいけない、その教えを実行してるんだよ」

「なにそれ?」なにが言いたいのかが理解できず、千冬は首を傾げた。

「先生から自分の打ったボールを取ってこい、て言われたのよ。だから、こうやって探してるの。わかった?」先程よりさらに強めの口調で佳須美は言った。が千冬はそれをわかっているのかいないのか意に介さず、

「なんだ、最初からそう言えばいいのに。探すの手伝うわ、3人で探せぱ早く見つかるでしょ」と言って自分の周りの草むらを探し始めた。

「そうなら苦労もしないんだけどね…、て、あれ?」

千冬から離れた場所の草むらを掻き分けていた佳須美は、右足になにかが当たったのに気がつき、その場に屈んだ。

見るとそこには白いボールがあった。おそらくこれが探している軟球だろう。

「あったよ、ユウ……、じゃない、お兄ちゃん。これじゃないの?」

ボールを拾った佳須美は、それとわかるように目の前に差し出した。

ボールを受け取るとそれを確認しながら

「たぶんこれだろう、でもよく見つかったな。時間が掛かるだろうし、もしかすると見つからないかもと思ってたから、正直驚いた」

「まぁね、ホント偶然だけどね。さぁ、早いとここんなところから出ましょ、草が足に当たってかゆくて仕方ないわ」

「そうだな。榊さん、ボール見つかったぞ。ここから引き上げよう」

と千冬に声をかけた。二人より離れた場所を探していた千冬は、その声に反応して驚いた表情で二人の元に駆け寄った。

「もう見つかったの!?随分早いね。どこにあったの?」

千冬の疑問に佳須美は完結に説明した。

「でも偶然よ、偶然。運がよかっただけよ」と言いつつも、佳須美は千冬に

『わたしの勝ちよ』と言わんばかりのドヤ顔を見せた。

「ぐ…、ボールが見つかったのはよかったけど、なんか負けたような気がして納得いかない…』

「べつに勝負とかしてないでしょ。気のせいじゃないですか、センパイ」

と言いながらも、佳須美は彼女に向かってニヤニヤと笑顔を見せ続けていた。

「二人してなにやってんだ、早く戻るぞ」

「は〜い、お兄ちゃん♪」と佳須美は幼く鼻にかかるような甘えた声で返事をした。その声に一瞬ビクッとなり

「どうした?そんな声出して……、なんかあったか?…」と警戒しながら恐る恐る訊いた。

「別になんでもないよ。センパイも早くここから出ましょう」

ニコニコ顔で佳須美は後ろを振り向き、千冬に向かって言った。

「…言われなくても…、そうするわよ」佳須美の態度に対する苛立ちを少なからず感じながら、千冬は二人の後をついてその場所から立ち去った。


木々から出るまでの間、後ろから二人が会話をしている姿を、千冬は黙ったままジッと見つめていた。

それまではただの同級生として接していたのだが、彼が遭遇した交通事故から復帰して以来、同じクラスの他の同級生とは違う、どこか大人びたような落ち着いたような雰囲気を千冬は感じていた。

「確かに前と印象が変わったって、感じる時はあるかな」

と親友の瑞穂に訊いた時、彼女も同様のことを感じていたようだった。

「でも、クサカベくんが無事に帰ってきてくれたんだから、あたしはそれだけでよかったって思ってるの」と、彼が戻ってきてくれたことがよほど嬉しかったのか、瑞穂は安堵の表情で言った。

「印象が変わっても、彼自身は変わらない…、か」

目の前を歩く二人の後ろ姿を見ながら、千冬はポツリと呟いた。

そしていつしか目の前の同級生のことをもっと知りたい、という気持ちが千冬の心のなかにこみあげていった。


クラスマッチが終わり、その後の文化祭といった2学期のイベントがほぼ終わり、ある程度落ち着いた11月末頃、担任の久城から呼び出され職員室に出向いた。久城から現状の成績と志望高校の合格ラインの確認だった。

「今の成績だったら志望校に問題なく合格できるラインにいるから大丈夫と思うわ。でも、だからといって勉強を疎かにしていいってわけじゃないからね。これからが大事なんだから、今まで以上に勉強しないとね」と、しっかり釘を刺されてしまった。

「志望校の変更はないわね。願書を取り寄せてるから、私の手元にきたらまた連絡しますね」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

職員室から出ようとした時、入れ違いに千冬が入ってきた。

「あれ?クサカベくん、どうしたの?」気づいた千冬が声を掛けてきた。

「ちょっと先生に呼ばれてね、もう要件は終わった。そっちは?」

「ん……、あたしも先生に呼ばれて…、ちょっと進路のことでね。あ、先生が呼んでるから、じゃあね」と軽く手を振って、千冬は久城の元へ行った。

それを見届けてから職員室を出ると、そのまま図書室に向かった。図書室は佳須美との待ち合わせ場所にしており、お互いが遅くなったとしてもそこなら暇も潰せるだろうし、「待ってる間も時間がもったいないから、その間もちゃんと受験の復習しなさい」という佳須美の言葉に逆らえず、やむなくその場所を待ち合わせ場所として決定されてしまった。

図書室に入り、窓側にある4人分の椅子が備えられているテーブルに着いた。この場所こそが二人の待ち合わせの場所となっている。

窓際の席に座りスマートフォンを取り出すと、いつの間にか佳須美からのメールが入っていた。時間的にちょうど職員室で担任と話をしていたタイミングであり、メールがきていることにまったく気づかなかった。

文面を見ると、クラスメイトとのやり取りで少し遅れる、という内容だった。メールがきた時間から今の時間までは10分ほど、もしかするとそろそろ来る頃かもしれないと思い、窓側の席に座り一冊の現文の参考書をカバンから取り出し、前回まで復習した頁を開いた。

しばらく参考書の頁をパラパラとめくっていると、コンコンッとテーブルを叩く音が聞こえた。

顔を上げて音のした方を見ると、そこには佳須美が立っていた。

「ちゃんと復習してるのね、えらいえらい」と言って佳須美はカバンをテーブルに置き、対面の席に座った。

周囲を見回し人気がいないことを確認すると、

「息子の将来のためだからな、しっかりしとかないとシュンに恨まれてしまう」

「そうね、お父さんがちゃんとしないとね。あたしもミサキのために道をつくっとかないと、あとで怒られそうだわ」

「俺たちが親無しになって苦労したから、子どもたちにはなるべくなら苦労させたくないし、二人がこっちに帰ってきたときになにもわからないじゃ可哀想だからな」

「あたしたちはおじいちゃんとおばあちゃんがよくしてくれてたから、そこまで苦労とかはなかったけど、二人にはやはり苦労はさせたくないわね。

ユウキの気持ちはよくわかるわ」

「あいつらがいる世界のことはよくわからないが、あいつらはいまその世界で頑張ってるんだ。俺たちもこっちで子どもたちに負けないように頑張らないとな」その言葉に、佳須美は頷いた。

「あたしたちが二人にしてやれることって限られてるけど、それでもあの子たちのためにできることへの労力は惜しまないわ。大げさかもしれないけど、それがいまのあたしたちの責任だと思うの」

そうだな、と佳須美の言葉に同意した。

確かに佳須美の言うとおり、自分たちができることは限られるだろう。だからその限られた中で子どもたちのために一生懸命にやるだけだ、と改めて心誓った。

「どうする?もう少し勉強してく?」

「いや、今日はもう帰ろう。家で少し復習する」

「じゃ、帰ろう。あ、買い物するからつき合ってね」

わかった、と頷づくと席から立ち上がり、二人は図書室を退出した。


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