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 僕は市内にある準大手電気会社Mに勤めていた。電車を一度乗り換えて三十分程、そこから徒歩で五分の距離に会社はある。電車の待ち合わせが悪くても、一時間までかかることはまずない。

 就職活動をしていた僕がこの会社を選んだのは、自分が生まれる前からこの地域に拠点を置いている会社であること、そして自分がやりたかったパソコンの開発関係の仕事ができると思ったからだった。事実、大学をお世辞にも優秀とは言えない成績で卒業した僕は、希望通りIT部門の開発関連の部署に配属された。折からのITバブルの波に乗り、パソコン関係の業績も順調のように思われていたが、その後に訪れた低価格化競争の前に我が社は対応できず、ついに五年前、パソコン部門からの撤退を余儀なくされた。

 一定の年齢を超えた社員は早期退職制度による肩叩きが行われ、僕のような入社十年に満たない者は、他部門に振り分けられた。僕が配属されたのは顧客対応、即ち利用者からの苦情や質問に対応するカスタマーセンターだった。最初に電話に対応するのは、講習を受けたオペレーターだが、彼らがマニュアルや自分の知識で対応できない場合に、僕のところへ電話が回されて来る。

 答えに窮するような質問が来ることはほとんど無かったが、単純な問題でもそれをパソコンについて十分な知識の無い顧客に説明するのは困難を伴うことが多かった。相手がどの程度の単語を理解してくれるかを、話をしながら相手のリアクションから推し量り、そのレベルに合わせた対応をしなければならない。

 基本的な用語を説明しようとすると「そんなことは分かってるよ、バカにするな」と言うのに、話を続けていくと「何を言ってるのかわからん」と怒り出す人もいた。こっちの方が怒鳴りたい時もあるが、会社の看板を背負っているからには、そうもできなかった。毎日の仕事が終わると、精神的な疲れと共に背中に多量の汗をかいている自分に気付く。器械を相手に開発の仕事をしていた頃が懐かしかった。あの頃は仕事が上手くいかなくても、それは自分のやっていることに原因があると納得できたので、結果が出た時の達成感があったが、今はそれが全く無かった。

 しかし、顧客対応部門が僕にとって憂鬱の種だけであった訳ではない。この部門に移動したおかげで、絵美に出逢えた。

 絵美が電話オペレーターとして入社してきたのは、二年前の四月。二週間の講習を終えて僕の担当するIT関係の部署に配属された。ここでは一度配属されると原則として他部門への移動は無い。管理者によほどその部門に適応性が無いと判断されない限り、本人が希望しても移動が受け入れられることはほとんど無かった。

 絵美は最初の一ヶ月くらいは、他の新人と同じように細かい失敗を注意されたり、言葉遣いを正されたりしていたが、もともと頭の回転が速かったのか、同じ失敗を繰り返すことはまず無かった。僕は彼女たちの直属の上司ではなく、宙ぶらりんの立場なので、彼女達の仕事ぶりを指導することは無かった。十人ほどのチームの主任をしている年配の女性や更にそれを統括する上司は、お局様的な存在もあって若いスタッフからは敬遠されがちだったが、僕は彼女達が困っている時に助け舟を出す立場な為、どちらかというと良好な関係にあった。

 昼休みも一緒に食事をすることも多かったし、仕事の後に飲みに誘われることもあった。最初はもちろんふたりだけということは無かったが、何度か飲み会に誘われ、帰り道が同じ方向ということで途中駅までふたりだけで帰ることが何度か続き、どちらからともなく惹かれ合っていった。

 デートに誘ったのは僕の方からだった。横浜にできた動物園のことが話題に上がり、絵美が行ってみたいと言ったので「じゃあ、今週末行こうか」と言うと、あっけなく「うん」という答えが返ってきた。

 僕は車を持っていなかったが、地元の中学の同級生に車を借りて初めてのドライブへ向かった。まだ夏休み前だというのに、動物園への道は大渋滞で、結局かなり離れた臨時駐車場に車を停め、送迎バスで動物園まで移動した。学生時代に付き合った女性はいたが、就職してから個人的な付き合いをしたのはこれが初めてだったので、正直どぎまぎしていた。しかし、絵美の自然な振る舞いと笑顔は僕の心配など吹き飛ばしてくれた。

 次々に出会う動物たちの姿に喜びをはちきれんばかりに表現する絵美は、もう僕にとってかけがえの無いものになっていた。

 横浜に行くならと、車を貸してくれた健一に教えてもらった丘の上の「ドルフィン」というレストランで食事をした後、ふたりは当然のことのように初めて唇を重ねた。


 サポート電話が終了する午後六時を回った。当然のことながら、六時前に掛かってきた電話への対応は続くので、六時ちょうどには仕事は終わらない。次々に電話対応を終え、サポート内容を入力してインカムを取り外すスタッフの中で、二年目の長谷川佳子だけが電話対応を続けていた。僕は佳子のデスクの傍に近づき、会話に耳を傾けた。どうやら外付けのUSB機器を購入したのに、転送速度が遅いことにクレームをつけているようだった。佳子のモニターに表示されている電話相手のパソコンはUSB2・0対応前の機種だ。僕は佳子に電話をちょっと保留するように合図した。

「わかりました。只今お調べいたしますので、そのままでしばらくお待ちいただけますか」

 なかなか会話の切れない相手に、佳子が苛立っているのがわかった。

「USB1.1にしか対応していない機種なんですが、2.0の外付けHDDを購入したようで、データの転送に時間が掛かりすぎるので、壊れているのではないかとおっしゃっているんです」

 僕は頷いて佳子の傍に中腰になって話した。

「この機種はオンボードでは1.1しか対応していないが、ハードとしては後から2.0規格が発売されるのが分かっていた時期のモデルだから、PCIバスに2.0対応のインターフェイスを装着すれば、フルスペックまでは行かないが、かなりの転送速度は確保できるはずだ。千円程度で市販されている」佳子は直ぐに理解できたようで、途中から何度か頷きながら僕の話を聞いていた。

「電話、代わろうか」

「大丈夫です」

 僕は佳子の元を離れ自分のデスクに戻り、片づけを始めた。仕事内容はほとんどの場合並行して自分のPCに入力しながら行うので、長時間残業してするようなことは無かった。今日は金曜なので、一週間のサポート内容の集計表を作成するが、それとてマクロ化されているので電話業務が終わればクリックひとつでやってくれた。僕はそれを上司へのメールに添付して送るだけだった。

「ありがとうございました。お先に失礼します」

 佳子が席を立って出口へ向かった。これで全員退室した。僕も最後の仕事を済ませ、PCの電源を切って部屋を後にした。時計に目をやると、六時二十二分。約束の時間にちょっと遅刻しそうだ。しかし、遅れたからといってどうということの無い連中だった。


 いつもの駅を出て、家に向かうのと反対方向へ五十メートルほど歩いた所に約束の居酒屋はあった。店の扉を開け店員の掛け声を聞きながら店内を見回したが、探している顔は見つからなかった。奥の座敷の方に居るのだろうと思った。約束の時間は十分程過ぎているから、誰も来ていないとは思えなかった。

 待ち合わせですか、という店員に「奥だと思う」と答えながら座敷の入り口で靴を脱ぎ、襖を開けた。直ぐに「ようっ」という声と共に健一と亮が揃って手を上げた。一番奥のテーブル席にふたりは居た。

「遅れてすまん」

 健一の隣に腰を下ろすと、亮が「まずはビールだろ」と返事も聞かないまま店員に「お兄さん、生ひとつ追加」と注文してくれた。

 既にテーブルにはお絞りと箸が四人分置かれていた。僕はビニール袋を破ってお絞りを取り出し、手を拭いた。

「あとは、カトウか」

「ああ、あいつは大分遅くなるようだから、先に始めていてくれって言ってた」健一は煙草の煙を吹き出した。「どうだい、仕事の方は」

「相変わらずさ。まあ、潰れる会社じゃないけど、やりたいことができる場所じゃあなくなったからな」

「お前は機械をいじくっているのが好きだったからなあ、電話当番じゃつまらねえよな」

 亮は地元の信用金庫勤めだが、いずれは父親の不動産屋を継ぐような話だった。

「リョウ、お前はいつまで銀行に居るつもりなんだよ」

「さあな、バブルが弾けてから、不動産業界はずーっと冷え込んだままだからな。親父もマンションやアパートの管理費で細々と商売続けているから。俺の出る幕は無いかもしれない」

 僕のビールが運ばれて、改めて乾杯をした。今夜は一応忘年会という設定になっているが、皆が自分のために集まってくれているのは分かっていた。これまで何度か健一から酒に誘われていたが、その気になれなかった。無理強いする連中ではなかったので年末の忘年会シーズンになってしまい、僕もいつまでも避けてはいられないと思い、久しぶりに皆と顔を合わせることにした。このメンバーで飲むのは四月以来だろうか。

 遅れて来る予定の加藤修平を含めた四人は中学の同級生で、僕は中一の時に父親の転勤で長野から越して来たが、皆は昔からの住人だった。高校も一緒で、花田健一だけは高卒で家業の酒屋を一緒に手伝い、僕が大学にいる間に酒屋だけではやっていけないと言ってコンビニに鞍替えした。今でも得意先への酒の配達はしているそうで、馴染みの飲み屋への納品や、父の代からの御用聞きの仕事も大事な収入源になっているようだ。

「ケンイチ、店はいいのか」

「たまには、俺だって好きにさせてもらうよ。お前たちと違って、週休二日じゃねえからな」

「お前、まだ新婚じゃねえか」亮が付き出しのひじきの煮物を箸に挟んだまま突っ込みを入れた。

「奥さんだけ置いてきたら可哀想だろ」

「一年も経てば、新婚気分もねえよ。それに、もう十年以上うちに居るみてえに態度がでかいよ」

「それなら、安心して飲めるな」

 三人は声を揃えて笑った。僕は久しぶりで笑ったが、いつものような腹の底からでてくる笑いではなかった。

 健一の妻は幼馴染みで皆とも中学は一緒だった。高校は女子高に行ったので別々だったが、短大を卒業した後幼稚園に勤めていた。たまたま健一が配達でその幼稚園に行き、再会したという訳だった。ふたりは三年越しの交際の末、昨年結婚した。勿論、残りの三人も式に列席した。

 いつものように健一と亮が場を盛り上げ、僕はふたりの話に時折割り込んではビールを喉に流し込んだ。運ばれてきた料理をつまみながら、僕はもっと早く皆と会うべきだったと反省していた。

 加藤修平も八時前には合流した。修平は市内にある大学病院で臨床検査技師をしている。今日は手術予定の患者のオペ前の打ち合わせということだった。

「実はよう、今日遅くなった患者っていうのは・・」

 修平の声は次第に小さくなった。

「本当はこんな話、外でしちゃマズイんだけど、知ってる人は結構多いから話すけど、正樹の親父なんだよ」

「マサキって」健一が顔を前に突き出し、同じように小声で話した。

「斉藤正樹か」

 修平が頷いた。

「俺、聞いたことあるよ。正樹の親父が癌らしいって。やっぱりそうなのか」

「オペはしてみるけど、転移の仕方によってはもう手遅れかもしれないって」

「そうかあ」亮も神妙な面持ちで呟いた。

 亮は高校時代、正樹の妹と付き合っていた時期があった。皆も知っているはずだ。

「皆、親がそういう病気になる歳になってきたんだな」

 しばらくの間しんみりした雰囲気になったが、健一と亮の強引とも思える話の展開で、場は持ち直した。四人揃うとどうしても中学時代の話になってしまう。そして、それが一番酒の肴に合う。

 中学最後の夏休みに、この四人と同じクラスの女子四人で海の近くの民宿に一泊旅行した話になった。夕食の後、皆で海辺へ花火をしに出かけ、最後に残った線香花火を僕とせっちゃんという子が手にしていた。僕がせっちゃんに好意を抱いていることは皆知っていたので、僕に気を利かせたつもりで残りの六人は先に民宿に帰ってしまった。

 花火を終えて、周囲に誰も居なくなったことに気付いたせっちゃんは怒ってしまい、僕が何を話しかけても無言のまま民宿へ帰り、部屋に入るなり泣き出してしまった。呆気にとられた皆は「お前、何したんだよ」と僕を問い詰めた。

 あの時、僕は親になんと言って旅行に行ったのか覚えていない。同級生の女の子と泊りがけで出かけるなんて言うはずがないし、未だに分からない。その後、旅行中せっちゃんとどうしたかも記憶が無い。でも、夏休みが終わって学校が再開してからは、それまでどおりに会話をしていた気がする。

 懐かしい話が続いた頃、健一がぼそっと訊いてきた。

「どうだよ、少しは気持ちの整理はついたのか」

「おい」と亮と修平が責めるような目で健一を牽制した。

「大丈夫だよ」

 僕は亮と修平に手を向けなだめた。

「すまん。俺がはっきり言わないから、皆に心配かけて。でも、もう大丈夫だよ。いつまでも引きずっている訳にはいかない」

「それは違うと思うな」

 健一は目を合わせずに言った。

「忘れることなんてできないよ。いや、忘れちゃいけない。でもそれを乗り越えなければ、お前はいつまでもここから先へは進めない。彼女のためにも、お前は立ち止まっていちゃいけないんだ」

「ありがとう、そういうことを言ってくれのはお前らだけだよ。そうだよな、自分でも分かっている。でも、なにか踏ん切りがつかないだけなんだよ。もう少し待っていてくれ。もう少しだけ」

「よし、ここはお開きにしよう」

 健一は立ち上がった。行動する時は本当に速い男だ。

 割り勘で勘定を済ませ外に出ると、酒で体が温まったせいか夜風が身にしみた。当然二次会に行くものと思っていたら、健一が「今日はこれでお開きだ。続きはまた年末にやろう」と言い出した。亮と修平も、えっと言ったが健一の強引な仕切りに押し切られ、しぶしぶ承諾した。

「じゃあな、今日はありがとう」

 手を上げて三人から離れた。これから三人で飲み直すのかもしれない。だが、今の僕は彼らに付き合って楽しく飲める状態ではないと健一は思ったのだろう。だから、僕は他のふたりが帰る前に分かれることにした。それが健一のかけてくれた情けだと分かっていた。


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