転入生
その後、10分ほどしてから翠先生は教室に来た。
生徒の遅刻は1分でもアウトなのに、教師は多少遅刻しても良いという風潮、良くないと思います。
おそらく、俺以外にもそう思っている生徒がいるのではないか。クラスメートの中には不満げな顔をしてるやつもいる。
しかし、それも先生の次の一言でどこかへ消えてしまう。
「なんと今日から、このクラスに新しい仲間が加わることになった。転入生だ。」
一瞬にして、急激にクラスメートが色めき立つ。
俺を除いた11名の男子どもは、
「転入生!?マジか!」
「身長170センチ後半の爽やかイケメン希望!」
「イヤイヤ!ここは爽やか系じゃなくて、熱血系…、元ラグビー部なんかいいだろ!」
「それだ!」
などと喚き出す。
身長170センチ後半のイケメンは高望みすぎだし、元ラグビー部がガリ勉ばっかのこのクラスに転入生して来るわけないだろ…。
女子も、男子ほど露骨にではないが、そこかしこで、
「女の子だといいね」とか
「黒髪ロングの和製美人なんかいいよね」なんて声が聞こえる。
まぁ、黒髪ロングの美人にはグッとくるものがあるけども…、そもそもノンケじゃないと話にならないんだよなぁ…。
ノンケの俺はこういう時に周りの空気についていけない。
ここで俺が、
「高身長黒髪眼鏡のクール系文系男子こそ至高!」
ってな感じのことを言ってホモに擬態すれば不可能でもないのかもしれないが、そんなこと口が裂けても言いたくない…。
他の奴らが盛り上がってんのに自分だけ盛り上がれないってのはなんとなく疎外感があるな…。
そう思って横を見てみたら、隣に座る葵と目が合った。
今日は始業日なので、全員が5×7に並べられた机に出席番号順で座っている。
俺の苗字は、伊庭なので出席番号1番。葵は神楽坂で6番なので1番前の席で隣になるのだ。
「伊庭くん、転入生に興味ないの?」
なんか気取られてる…。
コイツは馬鹿なのにたまに鋭かったりするから困るなぁ…。
だからって俺がノンケだって気づいてるなんてことはないだろうけど。
「興味ないって言うか…、ほら、あんまり転入生に期待をかけ過ぎるのも可哀想じゃないか?」
「うーん、それは、まぁ…そうかも?」
「葵はどうなんだ?『こんな人が転入してきたらいいなぁ』ってのはない訳?」
「ん?私?…、私は別に、普通に仲良くできる人ならいいかなぁ…」
ちょっと考える素振りをしてから、葵はそう答えた。
転入生に対して新しい出会いを求めない理由もなんとなくだが分かる。
「まぁ、お前は藍と付き合ってるんだもんな。あんだけ可愛い恋人がいたら、そりゃ、他の子なんて求めないか…」
リア充の余裕というやつか…、羨ましい。
いや、俺は同性カップルをリア充とは認めないけども。
と、そこで俺は葵が驚いたような顔をしているのに気が付いた。
「…、どうした?」
「ふぇっ?!あ、いや、その…」
声を掛けると急にしどろもどろになった。
なんかマズイこと言ったか?
別に思い当たることはないけどな…。
首を傾げている俺に向かって、葵がおそるおそると様子でこんなことを言ってくる。
「や、やっぱり藍ちゃんは可愛い…よね…」
「は?お前だってそう思うから付き合ってるんだろ?」
「それは、そうだけど…。そうじゃないというか…」
「?」
なんだコイツ?今ひとつ何が言いたいのかが伝わって来ない。
あ、もしかして今のは『私の恋人ってやっぱり可愛いでしょ!』って遠回しに自慢してきたってことなのか?
くそッ、見てろよ。俺だって今年中には…、
「じゃ、じゃあさ、伊庭くん!」
「なんだよ…?」
次も自慢っぽい何かだったら流石にスルーするぞ。残念ながら俺の忍耐力はそこまで高くない。
「私と、藍ちゃんだったらどっちが「うるさいぞ、静かにしろー!」
葵の言葉はそこで翠先生の大声によって掻き消された。
何を言おうとしたのか気にならないでもなかったが、葵自身が、『やっぱりなんでもない!』と言って前を向いてしまったので諦めることにする。
葵のことだ、どうせ大したことじゃないだろう。
「葛城入ってきていいぞ」
「はい」
翠先生が、転入生に入室を促し、それに転入生が応じる。
"転入生が入ってくる"という緊張感で、ざわついていた教室が一瞬でしんとしずまり、全員の視線が教室前方のドアにあつまる。
すぐに1人の生徒が教室に入って来た。
女子だった。
後方から男子の落胆をありありと伝える嘆息が聞こえてくる。
対して女子の歓喜の声が聞こえてくることもない。
しかしそれは決して転入生の外見が期待外れだったからではない。
むしろ逆。
その女子の有り得ないほどに整った容姿に、言葉を奪われたのだ。
かく言う俺も思わず息を飲んで彼女を見つめてしまう。
身長は高くない。葵より低いことは間違いないだろう。しかし、教室の前のスペースを堂々と歩み進める彼女からは一種の凄みを感じさせられる。
髪はセミロングくらいでハーフアップにまとめている。光を反射して光り、白くさえ見えるその一束はまるで絹糸のようだ。
やや吊り気味の目は、凛々しさを見るものに感じさせながらも、決してキツイ印象を与えて来ない。
造形の神に愛されているとしか表現のしようが無いような少女がそこにはいた。
別に、葵や藍が彼女と比べて外見的に劣っているかと言うとそんなことはないだろう。
もし立場が逆だったとしたら、同じことをそこで俺は感じるだろうとも思う。
ただ……
この時俺は彼女から目を離せなかった。
転入生のみが纏う独特の雰囲気と、彼女の美貌に魅せられ、目を離そうという考えが、そもそも頭に浮かんで来なかったのだ。
黒板に白いチョークで自分の名前を書いていく。
黒板に書かれた字もこの上なく美麗だった。
書き終えた彼女が振り向き、そして口を開いて言う。
「今日からこのクラスに編入することになりました。葛城 白雲です。よろしくお願いします」
その声はまるで鈴の音のように教室に響き渡った。