085 【 服と武器(1) 】
ホテルの一階に降りると、ユニカがいつものようにソファに座り編み物をしていた。
隣にはエヴィアが座り、その様子を観察している。あれは編み物の仕方を見ているのではなく、編み物をしている人間の空気を学んでいるのだろう。
編んでいるのはセーターだ。結構器用で、既に何着も編んでいる。まあ、暇なのだろう。
今彼女が着ているのもその一着だ。2種類の赤色と黒のタータンチェックに三角を組み合わせた柄だが、文字が見える俺としては”大売出し”と読めてしまって仕方がない。
一度それを知っているのか聞いてみたいが、余計な事は言わない方が良いと本能が告げる。
(俺はちょっと出かけてくるよ)
そう頭で考えると、エヴィアは微笑みながらこくりと頷いた。
◇ ◇ ◇
相和義輝が出かけた後も、ユニカは一言も発せず黙々と編み物を続けていた。
だが屍喰らいがお茶とクッキーを持ってやって来ると、一息ついて休憩に入った。普通なら異常なその光景も、もう彼女にとっては慣れっこなのだ。
「魔王は出かけたの?」
そうユニカが呟いたのは、エヴィアにとっては少し意外だった。
「魔王を気にしているのかな?」
エヴィアは今一つ、両者の関係を掴み切れていない。仲が悪いのは解る。だが最近は、戦場で見た人間達が自分達に向けるような、嫌悪や憎悪、怒りといった類の感情が見つからないのだ。
「別に……ただ今日はちょっと、人間風だったかなって」
魔人であるエヴィアには解らないが、人間であるユニカは魔王の雰囲気の変化を敏感に感じている。たまに今日の様に人間のような雰囲気になるが、逆にハッキリと人では無い凶悪な空気を纏っていたりもする。
初めて出会った時は、それこそ珍しいが価値は無い虫を見る目をしていた。今でも度々その空気を滲ませる。だが今日の様に、ふと善良そうな面も覗かせる。
(どっちが本当の……いえ、本当も何もあるのかしら…………)
考えても、答えが出るようなものではない。一度ゆっくり話してみたい……でも…………怖い。
「まあいいわ。ほら、こっち向いて両手を上げて」
言われた通りにするエヴィアに、編んでいたセーターをすっぽりと被せる。
「いつまでも、裸みたいな恰好でいるんじゃないわよ。たまには服くらい着なさい」
えへへーと可愛らしく笑うエヴィアを見ながら、ユニカは本当に魔族と云うものが分からなくなってきてしまっていた。
◇ ◇ ◇
ホテルの外に出た相和義輝は、スースィリアを伴って水路を廻っていた。人探し……いや、とある魔人探しのためだ。
「確か、こういった水路の壁に張り付いているんだよな……」
そう言いながら水路の壁に注意して探していると、目的の相手はすぐに見つかった。
水路同士が交差する部分。段差があり、上から落ちてくる水が弾けて輝く飛沫を上げている。
そのすぐ下に、棒のような形状で水路の壁に張り付いて水浴びをしている、灰褐色の斑模様をした大きな尺取虫。
「テルティルトー」
〈 あれ? 魔王。どうしたの? 〉
魔人テルティルトは魔王に気づくと、頭と短い脚を振って挨拶してくる。前に会った時と変わらず、可愛らしい声と仕草だ。
「ああ、いつも服を作ってくれているんだって? ありがとう。お礼を言いたくてさ」
〈 いいえー、どういたしまして― 〉
「それでなんだけど……」
言いたかったのはお礼だけではなく、この趣味の悪いデザインに関してもだ。
黒と赤を基調とした稲妻模様のシャツ、炎の模様が付いたズボン。髑髏カフスが付いた漆黒のジャケットに『魔王』と刺繍された繻子のマント。更に牙の付いた半面仮面に牙の生えたブーツ。今でも、初めてこれを着た時の恥ずかしさを思い出す。
「この色合いとかさ、何と言うかデザイン的なものが……正直ダサい」
今一ついい言葉が思いつかなかったので、ストレートに考えを伝えたのだが……。
〈 ぷううぅぅぅぅぅぅ 〉
そう可愛らしい声と共にぷくぅっと風船のように膨らむと、水路にボチャン。そのままビーチボールのように流れて行ってしまう。
しまった! 怒らせたか!
「おおーい、ちょっと待ってくれ! 別にいや、ほら、文句とかじゃないんだ!」
魔人に嘘は通じない。だがこれも本心だ。それに大切な用もある!
「ほら、稲妻とかもさ、こう真っ直ぐじゃなくて、斜めにした方が良いかなーとか。あと赤ももっと深い色合いの方が格好良いというか――」
言い訳をしながらなんとか走って追いかける。スースィリアに乗れば早いのだが、それはなんか違うと感じたからだ。
「後……ふぅふぅ、マントの文字は無い方が良いと思うんだ。代わりに格好良い……そうだ、何かマークを考えようよ」
そこまで言うと、ようやくテルティルトが元の尺取虫に戻って水路の壁を上ってくる。
〈 詳しく聞きましょう 〉
――その複眼が、きらりと光った気がした。
良かった。ようやく機嫌が直ったようだ。
そんな訳で新しい服に関しての相談する事になったのだが……。
〈 人間の世界に行くの? 〉
「そうなんだよ。他の魔人にツテを辿って貰っているところでね。いつになるかは分からないけど、早いところ実現したい。それで、服をどうしようかと思ってね」
こんな魔王服を着て行けば、たちまち人……いや、兵隊が集まって来るだろう。交渉どころではない。
〈 現地で服は用意してもらえると思いますよ。でもそうですねぇ、確かに魔王を人間界に送ること自体少し反対です 〉
ふむ――と少し考える。危険……それ自体もあるが、テルティルトの様子が少し変わったことだ。ぽややんとした感じが無くなり、全体的な口調にシャープさを感じる。
〈 魔王は替えの利かない大切な存在です。失われる危険は可能な限り避けるべきです。いえ、避けなければいけません 〉
「珍しいな。魔人達って、結構魔王に対しては放任主義と言うか、好きにしろ的な部分が多いだろ。以前ゲルニッヒも、魔王の決定には口を挟まないと言っていたぞ」
〈 考えは魔人それぞれですよ。私も最終的な決定に異は唱えません。しかしそれまでは口を出します 〉
なるほど、生き方に違いがあるように、考え方もやはり魔人それぞれ変わってくるのか。
しかしそれなら……。
「もうちょっと、助けてくれても良いんじゃないか? 今までかなり危険な綱渡りだったんだぞ」
〈 魔王怖いもん 〉
う、なんか最初の可愛い調子に戻った。性格に緩急のある魔人なのだろうか。先ほどまでの様子と違い、大きな複眼をキラキラさせながら頭を小刻みに左右に振っている。なんかあざとい位に可愛い。が――
「前にも言われたけど、何で魔王が怖いんだ?」
ハッキリ言って、今まで俺よりも弱そうな魔人に会った事が無い。おそらく目の前のテルティルトと戦っても完敗する自信がある。
〈 力じゃないのよー。思い出が怖いの 〉
「思い出?」
〈 殆どの魔王は、わたしたちを憎んで、罵ったの。そして恨みをもって、壊れて、死んでいった……それでも、わたしたちには魔王が必要だったの。だから魔王が死ぬ時には新たな魔王を召喚するけど、怖くて会いたくはないのよー 〉
うーん……と少し考える。確かにシステム上、魔王が必要なんだろう。だが召喚された人間は納得しなかった訳か。そして仕事を押し付けられた上に、何度も何度も死を体感する。
しかも同じ人間との交流は無しか。どのくらいの間生きていたのかは分からないが、相当に孤独だったに違いない。その気持ちは多少は解らないでもない。だけど――
「もう既に一回死んでいるんだから、多少は納得してもおかしくは無いんだけどな、俺みたいにさ。そういや気になってたんだ。俺と今までの魔王の召喚って、何か違いがあったのか?」
〈 今まではまぁ、てきとーかなー。魔人を生贄にして他所から生き物を召喚するんだけど、取り敢えずで魔王に適合するのを呼び出していたの。より正確に言うと、こちらの世界にコピーを作るのよ 〉
(生贄? また物騒な言葉が飛び出した……)
〈 だけど貴方の時は、先代の魔王が選別を行ったのよ。他の手順は同じよー。その方法は先代魔王と共に消えちゃったけど、案外何処かに書き写してあるかもよー 〉
「俺が選ばれた経緯は不明か……だがなんとなく分かる気がする。それにしても、手順が同じって事は魔人を生贄にしたのか?」
〈 そうだよー。わたしたちは無から生物を作る事が出来ないの。だけど、わたしたちの体に複写する形でなら、他の世界の生き物を作れるのよ 〉
死は魔人にとって最大の興味……ゲルニッヒが言っていた言葉だ。おそらく魔人には――いや、魔人次第ではあるだろうが、生贄になる事にあまり抵抗が無いのかもしれない。
それに領域に関しての三段階。その最後も察しがついた。
壊れてしまった領域の修復には俺の魔力。そして真っ新な地を領域にするには、それに加え魔人の技。そして領域に命を呼び込むには魔人の命。おそらく本来なら、2番目と3番目は順序が入れ替わるのだろう。
だがそう考えると、この体は魔人のものか……案外、それで今まで魔人達に危険を感じていなかったのかもしれない。そしてそれは、代々の魔王も同じだったのだろう。
ならば、もうちょっと優しく接してやれとも思う。
待遇は悪かっただろうが、話せば気の良い連中だ。中にはそうでもなかった魔王もいたのだろうが、基本的に禄でもない関係をズルズルと引っ張って、結果、互いの奇妙な距離感が出来上がったのか。
ん……? 何かが心に引っかかる。だがそれは小さくて、曖昧で、一体何が引っ掛かったのかは俺には分からなかった。
「とりあえずありがとう。色々知る事が出来たよ。人間側では向こうの服にするけど、魔王としての服のデザインはちょっと検討しよう。色々変えれば、かなり格好いい服になると思うんだ」
〈 そうねぇ……じゃあ、脱いで 〉
魔人テルティルトの言葉は簡潔で判りやすかったが、意味を理解するまでに暫く呆然としてしまったのだった。
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