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083   【 二人の逃避行(2) 】

 ケルベムレソンの街で指揮をする傍ら、リッツェルネールは膨大な資料と格闘していた。

 指揮の方は簡単な作業だ。ほぼ完全に想定の範囲であり、微調整など現地に判断で対処できる。それ程に完璧に、そして入念に計画されていたのだった。


 一方で目の前にある書類の束には苦戦した。ノセリオが解読した資料から得られたデータを解析するも、それはアンドルスフ家が兵役忌避者の代わりに非登録市民を戦地に送った――年末に読んだ通り、ただそれだけの内容だった。


 利益など無い。むしろ赤字の慈善事業。兵役忌避者は金で命を買い、非登録市民は金で家族の生活を買う。それをあの商家が自身の資産を削って仲介を行う。


 ケインブラとの会話を思い出す……。


「これは魔族領侵攻戦で溜まった膿だ。メリオにもやらせていた事は悪いとは思う。だが君の地位がそうさせた……そうだろう?」


 地位……確かに軍部中心にいる人物の副官、しかも情報士官を兼ねているとなれば最適だ。フォースノー家の人間として、それに逆らえなかったのも解る。

 だが膿……その言葉の方が問題だ。

 これはただの商売の記録だ。それなりに不正成分を含むが、商国にとってはごく当たり前の事。仮に誰かが糾弾しても、「商人を何だと思っているのかね?」その一言で終わる話だ。


 だがその商国のナンバー4が”膿”と言ったのだ。

 そこで、金を出した兵役忌避者のリストを調べる事にした。いかなる地位の人間が金で命を買ったのか。その身分に問題があるのか……。

 だがそれも空振りだった。どれも大した身分の者は多くない。アンドルスフ家の人間が多いのは、金を出したのだから当然の事だろう。

 しかし全体からすれば大商家に属する人間は少ない。だから大した金も無い。そこであの商家が不足分を出した。それで赤字……。


(分からないな……)


 情報が足りない……リッツェルネールは社会の事は良く知っているつもりであったが、世の中の事を全て知っているわけでは無いと、改めて思い知った。

 この世界には、自分が知らない暗部が、まだまだ遥か先まで闇のように広がっている。そこに踏み込むべきだろうか?


 自分の目的と、未知への興味。その二つを天秤にかけ、この問題を一時打ち切る事にした。

 進むべき道に不安を残したくないのは事実だが、迂闊に足を踏み入れたら底なし沼だったでは済まされない。当面は、心の役に立たない情報棚にでも仕舞っておこう。


 そう言えば……あちらの始末はきちんと終わっているだろうか。

 彼女に恨みは無いが、危険の芽は摘んでおきたい。まあ、失敗したらそれでもいい。彼女の力量の一端を知ることが出来るだろう。

 そんな事を考えながら、静かにお茶を口にした。





 ◇     ◇     ◇





 ブウン――と唸りを上げて、巨大な戦斧(トマホーク)がマリッカの体を薙いだかに見えた。だがその瞬間、彼女は素早くバク転をして躱していた。しかし――


 〈ブチッ〉


 背中で何かが切れる音がする。


(あら……)


 切れたのはブラの紐。渉外担当の護衛と言う事で、今回は軍用のブラではない。可愛らしいレースの付いた、見た目重視の高級品。

 本来は服を脱ぐ必要はないが、それでも下着(インナー)もまた制服(ユニフォーム)のようなものだと着せられたのだ。

 暴れまわる大きな双丘を今まで懸命に支えていたが、ついに力尽きてしまったのだろう。こんな事ならもっと安物で良かったと思うが、今となってはもう遅い。しかも状況はそれどころではない。


 着地と同時に目の前に迫る戦斧(トマホーク)。今度は突きだ。その鈍重な見た目よりもはるかに早い、機動性重視の重甲鎧(ギガントアーマー)

 しかしそれも大きく背を仰け反らせて避けると、次の攻撃の前に民兵の中に飛び込む。さすがにアレと正面切っては戦えない。何と言っても、今は護衛対象がいるのだ。


 だが先ほどの一撃で、スーツの前はバッサリと切られ、前が完全に空いてしまっている。しかも動き回り小剣を振るたびに、二つの脂肪は慣性を受け、まるで独立した生き物の様にブルンブルンと猛り踊る。


(動きずらい……)


 マリッカの動きには一切無駄が無く、両手の小剣で次々と民兵や正規兵を切り倒す。

 それはまるでプロのダンサーのようであり、そこに加わった豊かな胸を持つ女性独特の動き。

 これが酒場のダンスホールであれば、さぞかし盛大な歓声が上がった事だろう。だがここは戦場であり、彼女は狩られる得物どころか凶暴な肉食獣だ。だれもそんなところに目がいかない。


 もう何人目か分からない民兵を切り裂いた瞬間、背後からまたも戦斧(トマホーク)が迫る。やはり戦いながらでは引き離すことは出来ない。

 それは彼女の胴より太い大木を一太刀で切り倒すと、勢いなど無視した動きで、即逆向きに振り返す。腕部モーターの悲鳴と焼けつく匂いが辺りに漂うが、その程度で重甲鎧(ギガントアーマー)は故障はしない。


 跳ねながら戦斧(トマホーク)の先端に小剣を合わせる。

 弾ける火花と金属音。そして空中で強烈な勢いを受けた小さな体が吹き飛ぶが、くるりと回り軽やかに着地して、再び逃げる。

 その動きの鮮やかさを見ながら、重甲鎧(ギガントアーマー)を操るドライマンから感嘆のため息が漏れる。あれほどの体術を持った相手とは、今まで戦った事が無い。しかもこの巨大戦斧(トマホーク)と打ち合っても、折れないほどに強化された小剣。魔力も桁違いだろう。


「逃がすな! 囲み込んで矢を射かけろ!」


 正直な感想を言えば、あまり戦いたくはない相手だ。だが金を貰っている以上、そうはいかない。出所は解らないが、ここを通る二名を滅殺するのが今回の任務だ。


「ん? そう言えば、もう一人はどこへ行った?」


「最初の攻撃で矢が当たって死んでいます。残りはあいつだけですよ」


 サイレームの肩と太腿には一本ずつ矢が刺さり、そこからは黒い煙が上がっている。確認するまでもなく即死だった。


「そうか、なら良い。残るは女一人だ! このまま包囲を狭め、確実に仕留めよ!」



 マリッカは重甲鎧(ギガントアーマー)の力を逆に利用して囲みを突破したが、周囲には次々と矢が飛来する。木と言う障害物があるから良いようなものの、平地だったら本気で危なかっただろう。

 それにしても……。


「サイレームが見えませんが?」


 〈 置いてきちゃったねー。もう死んでるかもよ。戻る? 〉


 まさかね――と思う。護衛対象ではあるが、今の状況で彼の為に引き返すという選択肢は無い。

 まあ、普通の人間である彼に、彼女の後をついて行けと言うのが無理な話だ。最初に前衛を買って出ればまだ(はぐ)れなかったかもしれないが、残念ながらマリッカの目は前にしか付いていない。

 それに彼女の碧色の瞳には、新たな兵士と民兵団が映っている。包囲を抜けるには、まだ暫くかかるだろう。



「来たぞ! 止め――」


 叫んだ兵士の首が、マリッカの飛び膝蹴りを受けてゴキリと折れる。

 すぐさま民兵が包むように襲い掛かるが、悲鳴と鮮血を上げてバタバタと倒されてゆく。鎧を着ていない――いや、鎧を着た兵士すら、その刃の前では無いも同じだった。


 だがその間に、斜面を滑り落ちながら重甲鎧(ギガントアーマー)のドライマンが到着する。


「もう逃げられんぞ! 大人しく観念しろ!」


 送れて十数人の正規兵も到着し、さらに後ろからは民兵達もやって来る。

 そして最初に戦っていた一団も、強力な援軍を得てじりじりと間合いを詰めてくる。

 だがそんな様子を見ながら、マリッカは静かに息を整え――


「女性一人に対して、少々大げさではないでしょうか? せっかくなので、もう一人の方に行ってくれると助かります」


 ――と、結構酷い事を言い放った。

 その言葉と冷静さにドライマンは多少の違和感を覚えるが、目の前にいるのが強敵であることには変わりはない。


「悪いがもうお前だけなんでな、全力で行かせてもらう!」


 叫ぶなり突進。上段に構えた戦斧(トマホーク)がマリッカめがけて振り下ろされる。

 同時に、彼女の持っていた小剣が一本、キンと音を立て地面に落ちた。


「な……」


 ドライマンは信じられなかった。目の前の女が立っている事に。

 重甲鎧(ギガントアーマー)の強力な力で放たれた2.5メートルの大斧(トマホーク)は確かに命中した。当たった衝撃はあった。だが、今その鋭い刃は素手で掴まれ、彼女の頭の上で止まっている。

 関節部のモーターが焼き付くほどに動くが、それ以上ビクともしない。


「そうですか、死んでしまいましたか……少し助かりました。お礼を言います」


 静かなマリッカの言葉。こいつは、一体何を言っているのだ。味方を殺されて、礼とは何なのだろう。いや、そもそも今のこの状況はどうなっているんだ!


 周りを囲む兵士達も状況の異様さは解る。だがおそらく精神に限界が来たのだろう……人外な力は持っているが、心は追い詰められて壊れてしまったのだ。せめて楽にしてやろう。

 そう都合よく解釈した兵士が彼女の背後から点を持って迫るが――


 キン! ともう一本の小剣も地面に落ちると同時に、振り向きもせずに背後に迫った兵士の頭を左手で掴む。

 そしてそのまま大斧(トマホーク)の下に放り投げた。


「貴様!」


 慌ててモーターを止め大斧(トマホーク)を戻す。だがその瞬間、マリッカの姿は消えていた。

 重甲鎧(ギガントアーマー)の小さな覗き窓からは見えない。だが周尾囲んでいた兵士達にはしっかりと見えていた。

 ドライマンが武器を引き上げた瞬間、その力を利用して上に跳ねていたのだ。


 ゴアアァァン――!


 鐘のような轟音を響かせ、ドライマンの重甲鎧の頭が潰れる。真上から、素手で殴ったのだ。

 重厚な金属の兜は完全に潰れ、覗き穴に填め込まれた水晶が、内側から真っ赤に染まっていく。


 マリッカがその背後にいた兵士達の前に音も無く着地すると、同時に二人の兵士が命を落とす。

 最初に頭に裏拳を受けた兵士の頭部は、千切れてボールのように飛んで行いった。そのままの勢いで回転しながら放った回し蹴りはもう一人の鎧を砕き、腹に足がめり込んだまま背後の木に叩きつけられる。

 木はメキリと悲鳴を上げ、兵士は口からザバッと鮮血を流す。二人とも、完全に即死だった。


 兵士達の間に動揺が走る。今さっきまでの素早く正確無比な体術は、確かに強敵であった。だが今は明らかに違う。速度はそれ以上であり、鎧を素手で砕くほどのパワー。そして何より、その体から流れる極彩色の魔力。


「申し訳ありませんが、ここで全員死んでいただきます」


 長い白銀の前髪の奥で、藍色の瞳が妖しく光る。

 狩る者と狩られる者、その立場が逆転した瞬間であった。





 ◇     ◇     ◇





 空は赤く染まり、黒い鳥が群れを成して山へと帰って行く。それと行き違いになる様に、山から下りてくる一人の女性。

 ボロボロになったスーツの上は、脱ぎ捨ててしまって今は無い。ブラウスは縦に切られてしまって前は開きっぱなし。千切れたブラも邪魔なので捨ててきた。その姿は、まるで暴漢にでも襲われたかのようだ。ヒールも、踵が両方とも取れて歩きにくい。

 だがそれ以上に問題なのが、返り血で赤黒く染まったその姿。


「こんな格好じゃ、山里に着いても交渉どころではないですね」


 〈 そもそも、マリッカは交渉が下手だしねー。引き籠もり暦長いしー、まだ符牒(ふちょう)も覚えてないんでしょー 〉


「うるさいですよ、アンドルスフ。だったら衣服と食料を持ってきて下さい」


 〈 えー、めんどくさいよ。それよりサイレームはどうするの? 〉


 切れ者ではあったが、どこか抜けていた彼の姿を思い出す。最初に戦闘になった時点で、居たような居なかったような……。おそらく早々に殺されたのだろう。

 気の毒ではあったが、あの状況で自分の身を守れないのでは、どの道この世界で生きていく事など出来ないのだろう。

 状況が落ち着いたら生前を偲んであげようかとか思う一方で、護衛対象が死んだから、スーツの代金は経費で落ちない可能性がある。そんな事を思案するが――


「死んだのですから仕方ありません。気にせず帰りましょう」


 〈 イェアが怒るよー。踏まれるよー 〉


「代わりに貴方が踏まれてください。お好きなんでしょう?」


 〈 そりゃね…… 〉 


 アンドルスフと呼ばれていた何かがそう言いかけた瞬間、マリッカは瞬時に草むらに身を隠す。後ろから何かが来たのだ。


 それは農業用の小さな飛甲板。

 耕運や運搬に使うもので、大きさは軽トラック程度だ。ただ飛甲板と同じく操縦には専門の技術が必要なため、扱うにはそれなりの勉強が必要になる。

 結構高価な品であり、あまり貧しい農村では見かけない代物だ。だが操っている人間の方には見覚えがあった。


 マリッカは迷わずそれに飛び乗ると、操縦席にいる人物に声をかけた。


「どうして生きているんですか?」


 声を掛けられた男――サイレームは驚いて振り向く。それこそ死人に声を掛けられたかのような驚きっぷりだ。そして彼女の姿を見ると、仰天のあまり飛び降りそうになる。


「マ、マリッカ! 何で此処にいるんだ? どうやってあの囲みを突破したんだよ!?」


「私は普通に走って抜けました。それより問題なのは貴方です。よく囲みを突破出来ましたね」


 そう言われたサイレームは懐から折れた矢を何本か取り出す。先端に磁石と煙を出す装置が付いている、宴会芸などで使うジョークグッズだ。


「一応はホラ、営業マンだからね……」


 要は彼女を囮にして逃げおおせたわけだ。本人にもその自覚はしっかりとあり、顔が引きつっている。

 呆れた顔でそんなサイレームの顔を覗き込むが、まあこれでスーツ代他は経費で落ちるだろう……それで良しとする事にした。まだまだ、完全に逃げ切れたわけでは無いのだから。





この作品をお読みいただきありがとうございます。

もし続きが気になっていただけましたら、ブクマしてじっくり読んで頂けると幸いです。

この物語がいいかなと思っていただけましたら、この段階での評価も入れて頂けると嬉しいです。。

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