009の1 【 外の世界へ (1) 】
部屋中、いや、廊下まで含めて発生した亀裂は、床と共に多くの兵士達を飲み込んで行く。
だがリッツェルネールは、運良く相和義輝が入っていた檻の近くにいた。その格子を掴み、懸命に揺れに耐える。
音が遮断された世界でも、ここまで響くと轟音だ。しかも天井にはバキバキと亀裂が走り、一部は穴へと落下していく。
(巻き込まれたら死ぬな……)
そんな事を考えながらも、それはそれで良いかもしれないという気も起きる。
生きている限りは責任がある。やらねばならぬ事はまだまだ山積みだ。だが、こうして死の運命が訪れた時、それに逆らうだけの生への執着が僕にはあるのだろうか。
足元には奈落の闇が広がっている。今まで殺してきた者が、死んだ同僚が、そこから呼んでいる気がする。
ああ、ここで良いかもしれない。だが手はしっかりと格子を掴む。死が恐ろしいのではない。責任感と……そう、約束が――
そんな彼の手を誰かの小さな手が掴む。
「今、引き上げる!」
「メリオ!」
同じ位置にいた彼女は、檻が残った床部分にいた。まだ揺れは収まっていなかったが、彼の為に這いながらここまで来たのだった。
彼女の必死で真剣な眼差しが、リッツェルネールの生を呼び覚ます。
そうだ、メリオと約束した。いつかは逃れられぬ死が訪れる。だからこそ、その日が来るまで精一杯生きようと。責任も義務も、命もまた投げ出したりなどしない。この手が届く限り、限界まで伸ばそう。そして、やれる事は全てやり遂げよう。
「最後まで、一緒に前へ進みましょう」
「ああ、一歩でも前へ。二人で!」
空いている手で石畳の縁を掴み、一気に上がる。一方で、揺れも徐々に収まりつつあった。
地震の影響であちこちが崩れ、壊れた壁からは外の景色が見える。
二人でよろよろとそこへ行くと、眼下には信じがたい景色が広がっていた。
何処から流れたのだろうか、大量の溶岩が山を飲み込んでいる。蒸気を上げ濁流のように流れる真っ赤な大地が、まだ残っているかもしれない人々を飲み込みながら麓まで流れて行く。
だが、二人が驚いていたのはそれではない。
「雲が……空が…………」
生き残っていた兵士が呟いた。
油絵の具の空でも昼は明るく、夜になれば暗くなる。
だから、世界とはこういうものだと思っていた。
太陽も月も星も見たことは無かったが、それはきっとおとぎ話の世界。
だが今、魔王がいる目印の渦、そこから白い強烈な輝きが柱のように漏れている。
その渦は、まるで油絵の具をかき消すかのようにゆっくり、ゆっくりと広がり、それに合わせるように輝きもまた大きく広がり、世界を、今まで見たことも無いほどの眩い光で照らしていく。
東の空には輝く白い球。直視できないほど眩しく、それは神々しい。
アルドライド商会の人間として世界各国を回り、軍役に就いてからは国家間の戦争、魔族領侵攻と毎日が闘いの日々だった。
多くの人々と交流し、商人として騙してきた。
数多くの仲間を失い、またそれ以上に殺してきた。
泥にまみれ、血に染まり、魔族との戦いに明け暮れた。
どんな時も、空には暗く深い油絵の具の空があった。
「ああ、あれが……」
渦が消えた穴からあふれ出す光の更に先、今まで見たことの無い色の空が広がっている。
それは想像よりも鮮やかで、だが透明で、ずっとずっと遥か先まで行けそうに見える。
気が付けば、自分も周りの兵士たちのように涙を流し、膝から崩れ落ちていた。
この世に生れ落ちて276年。
リッツェルネールにとって、生まれて初めて見た青空であった。
碧色の祝福に守られし栄光暦217年6月10日。
魔王を倒した者が、何処の誰なのかは分からない。結局どんな姿だったのか、それを知る事は叶わなかった。
だが確かにこの日、人類はついに悲願である魔王討伐に成功したのだ。
炎と石獣の領域攻略戦。
参加将兵総勢466万2151人。
戦死・行方不明者421万7992人。
戦果、魔王一名の討伐に成功。
人類の――大勝利であった。
「おおーい」
もうこれで全てが終わった。そんな気分をぶち壊す呑気な声。
相和義輝は一段下にあった空間に落ちていた。周囲はさらに深くまで落ち込み、ここで止まらなかったら死んでいただろう。近くにいた数人の兵士、そしてカルターもまたここにいた。
「本当にしぶといね」
そんな王様に、青い鎧の青年が上から声をかける。
同時に亜麻色の髪の少女がが鞄からロープを取り出している様子が僅かに見えた。救助は簡単に出来そうだ。
だが、その瞬間地面に微細な振動が走る。
「カルター!」
「分かっている!」
壁から飛び出してきた蛸足を大斧で切り飛ばす。だがやはり、切られた断面からは新しい触手が生えてくる。これではキリが無い。
生き残った兵士も応戦するが、戦力彼我は圧倒的だ。巻きつかれた兵士の体は砕け、奈落の穴へと落ちて行く。
魔法使いは!? そう思い見渡すと、頭を押さえながらふらふらと立ち上がっているところだ。そして、その後ろから迫る一本の触手。
「危ない!」
相和義輝は本能で飛び出していた。そして手近にあった、落ちている誰かの巨大な剣を掴む。が――ガクンと体勢が崩れ、肩から地面に激突する。掴んだ剣は刃渡り170センチほど。刀身幅も18センチはある。その重量は、到底易々と持ち上がる物ではなかった。
「何やってんだ、馬鹿野郎!」
頭の上を王様の斧が飛び、緑の髪の魔法使いを狙っていた触手に当たる。だが当たっただけで切断には至らない。しかしそれで怯んだのだろうか? 殺戮を謳歌していた触手たちは出てきた穴から引っ込んでいった。
「お前、武器も持てねぇのか!」
「いや、持つも何も……」
王様に怒鳴られあれこれしてみるが、剣は押しても引いてもビクともしない。
いやなんなのこの人達!? どうやってこんなもの持ってるの? 相和義輝としては不平の一つも言いたいところだ。
すまねぇな、こいつは俺の剣だ。
そう言って、一人の兵士が剣を持つ。その腕に、一瞬だけ銀の鎖が浮かび霧散する。
兵士の身長は相和義輝と同じくらいだろうか。だが両肩の筋肉は異様なほどに盛り上がり、並の人間では無い事が見て取れる。
黒交じりの真紅の髪に、目じりの下がった青い瞳。見た目は18歳から19歳程か。顔は優しそうに見え、筋肉とのギャップが凄い。
何か問題が起きたら、にっこり笑って握り潰す――物理で。そんなイメージの男だった。
王様と同じような赤紫の全身鎧だが、左の手甲には3本の鋭い爪跡があり、胸元の中央には大きな凹み。さらに右は肩から上腕、手甲まで鎧が引き裂かれている。
先ほどの戦闘の跡だけでは無いだろう。ここに来るまでに、いったいどれほどの死線を潜って来たのか。
「こいつは魔力を入れる事でようやく扱える。魔力が強ければ、それだけ軽く硬くなるわけさ。鎧も同じだ」
そう言いながら、軽々と持ち上げ鞘に納める。そして――
「さっき見たお前の魔力じゃ、精々小剣程度だな」――そう付け加えた。
どうやら、この世界の俺の魔力は相当に弱いらしい。
鍛えることは出来るのだろうか?
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