067 【 炎 】
碧色の祝福に守られし栄光暦217年10月31日。
来年まで残り21日と迫ったこの日、ゼビア王国はハルタール帝国に対して反旗を翻した。
ゼビア王国はハルタール帝国に属し、その西方にある国家である。
広いが決して豊かではない国土。
北方の国々は何処も大抵そうであるが、領域が残っていた頃は、豊かな実りの恩恵を受けていた。
だが今では全ての領域は解除され、荒涼とした凍てつく大地だけが残った。
資源は乏しく、大した産業も無い。最盛期は4千万人を数えた人口も大幅に減り、今では1千2百万人程を養うのがやっとの有様だ。
だが民衆は希望に満ちていた。魔王を倒し、魔族を滅ぼせば、必ずや豊かな時代が訪れるのだと。
しかしそんな中、中央の失策によりクランピッド大臣以下12万将兵が自滅特攻を行うという悲劇がおきる。
当然のように、ゼビア王国の国民はこれに激怒。更に世界中の同情がゼビア王国に向くに至り、中央は自らへの批判をそらすため、この国に対して多額の資金援助を行った。
そして今その金は兵器へと変わり、燃え上がった炎は帝国へと広がりつつあった。
青い輝きを放つ金属ドームに囲まれた、大きな古い石造りの塔。
一辺は15メートルの正方形で高さは35メートル。先端が少し細くなっており、外周には螺旋状に上に昇るステンドグラスが配置されている。
中は階層分けされていない一階建ての吹き抜けで、お椀の様に丸みを帯びた天井には、竜と戦う戦乙女のステンドグラスが嵌め込まれていた。
そしてそこから差し込む冬の明かりが、真下にある祭壇のような場所を白く染める。
鏡のように磨かれた大理石の床の上には、詰め込み過ぎて動けないほどの人間が立ち、広く開けられた中央の祭壇には今、一人の男が立っていた。
岩のような筋肉を持つ堂々たる巨漢。左腕が無いが、それを感じさせない悠然たる姿だ。
真っ赤な鳥のとさかの様な髪はきちんと固められており、紫色の、その体に似合わない荘厳なローブと意外な程に調和している。
馬のように長い顔の額から頬にかけて二条の傷が走っており、両目は抉られて今は無い。
代わりにはめ込まれている透明な水晶の義眼は、血よりも濃い赤の輝きを放っていた。
ゼビア王国国王、“無眼の隻腕”ククルスト・ゼビアは高らかに宣言する。
「この無益で無謀な魔族領侵攻とは何だったのかぁ! 領民を無為に死なせ、その挙句一片の土地すら得ることが出来なかったぁ! あまつさえ無駄に魔族を刺激し、今世界は存亡の危機にある! 今こそ我々が主導権を握り、世界を正しい道に導くのだぁ!」
歓声が巻き起こり、広い大聖堂の中は外の寒さが嘘のような熱気に包まれる。
そんな中、宣言をしたククルストは天のステンドグラスを見上げ呟いた。
「我が人生は、ただこの時の為にあり……だね」
ゼビア王国、王都サニオにて行われたククルスト王の宣言と同時に、同調した各国軍はそれぞれのルートから侵攻を開始した。
賛同した国は、ゼビア王国北西に位置するスパイセン王国、南東に位置するラッフルシルド王国、更に東のケイネア王国等を中心とした、ハルタール帝国西部に位置する国家群。どれも帝国に所属している国家だ。
ゼビア王国軍の正規軍は120万人。黄色い塗装が施された鎧の中心には、五角形に五本爪の紋章が衣装され、それぞれが大型の武器を持つ。
だがそれ以外に、鎧も付けず粗末な武器を持った集団が追随する。その数は実に600万人を超す。ゼビア王国国民の半数を超える数だ。
彼らはゼビア王国市民であり、また民兵でもある。長大な列をなして移動するそれは、まるで民族大移動のよう。
この為に、普段は日常生活を維持するために使用している輸送の飛甲板、更には農耕用の物まで全て持ち出している。
正規兵士の様に鎧を纏わないのは、単にコストの問題であった。鎧を作るには多くの素材が要る。そしてそれは無限では無く、魔族領への遠征のたびに失われていった。
兵役奴隷が回収しているが、損失分には程遠い。過去8回にわたる魔族領への遠征は、人類に多大な負担を強いてきたのだ。
最初に目標となった街、エルグシス・リオンは一瞬にして炎と殺戮に包まれた。
周囲を5メートルほどのレンガの壁に囲まれた歴史ある街で、金属のドーム状の建物が並ぶ中に昔のレンガ造りの建物も残されている。それらは博物館や商会に利用され、また古い塔などは観光名所としても知られていた。
ゼビア王国との商取引の玄関口であり、それなりに裕福だった街は美しく整備され、いつも活気にあふれていた。
だが今や、炎と死骸、そしてゼビア王国の兵士達に埋め尽くされている。
元々、多くの国がゼビア王国に同情的であった。それは宗主国であるハルタール帝国でも同じであり、警戒が緩んでいたと言わざるを得ない。
だがそれ以上に、ククルスト・ゼビアの行軍が早かった。
「ククク、あっけないものだね。それにやはりこれは凄い。私は良い買い物をしたよ」
人馬騎兵。その圧倒的な速度と破壊力により、街を守る防壁は一瞬にして破壊された。
間髪入れずに雪崩れ込んだ軍勢は迷うことなく殺戮をはじめ、都市に住む42万の人間は逃げる間もなく全員が殺されていった。
だがそれは、人間同士の戦争では決して珍しい事では無い。
これは支配権をかけた戦いでは無く、生存権をかけた戦いなのだ。負けた方は皆殺しとなり、かつて住んでいた土地は勝者の血族の物となる。
動員可能な限りの戦力を投入し、血を流し、減らしあい、地図の色を塗り替える。それが、人間社会の常であった。
◇ ◇ ◇
エルグシス・リオンの街だけに留まらず、ゼビア王国をはじめとした連合軍は侵攻と虐殺を続けた。
ハルタール帝国側も防戦するが、複数個所からの同時侵攻に対して防衛の手が足りていない。
「ケーレマン将軍戦死! 指揮をアブラムに変わります!」
「ボルトール将軍も戦線を支えきれず戦死なさいました。東はもう持ちません!」
ラプサラントの街を守るベギール・アイラ・バドキネフ・ハルタール将軍の下には悲痛な報告しか入らない。
魔族領侵攻にも参加したベテランの将軍であり、苦境に強く、粘り強い戦いを旨とする男だ。清廉かつ凛とした佇まいで兵を鼓舞する姿は、過去多くの将兵を勇気づけてきた。だが今や憔悴し、グレーの瞳には絶望の色しか浮かんでいない。
この街はいざというときの防塁であり、街の周囲は高さ22メートルの金属壁で覆われている。魔族領を囲む壁と素材は同じであり、そう簡単には突破は出来ない。
更に壁の上には対空・対地に使える大型の投射槍が設置されており、有事の際の食料備蓄にも十分な量がある。
その町に13万の兵で籠城し、更に27万人の民兵を動員。町の左翼にはケーレマン将軍の8万人と民兵35万人、右翼にはボルトール将軍の11万人と民兵42万人を配置。
何とかこの冬の間は防衛し、相手の疲弊と味方の援軍を待って攻勢に転じたい……その考えだった。
だが10月44日に始まったこの戦いは、僅か3時間で大勢が決した。
42騎の人馬騎兵が戦場を駆ける。その突撃を防ぐ手段は無く、街を守る鉄壁の門は抵抗すら出来ぬまま軽々と破壊されたのだった。
その穴からゼビア王国軍が街に乱入する。兵士同士の白兵戦ならまだ、地の利はあるはずであった。
だがそれ用に各所に設置された櫓も防壁も、人馬騎兵を相手にはどうする事も出来ない。戦斧の一振りで破壊され、蹂躙され、僅かに残った生き残りをゼビア兵が撫で斬りにする。
外に配置されていた兵達にも人馬騎兵は雪崩れ込み、一方的な殺戮を欲しいままにしていた。
それぞれ小川と鉄条網のバリケードによる2段構えの防衛線を張っていたが、体高12メートルの人馬騎兵にはただの起伏でしかない。
街に配属されていた2騎の飛行騎兵も反撃を行うが、あえなく失敗に終わる。遠距離攻撃では装甲を貫けず、体当たりで1騎を小破さただけで、両騎共に墜とされてしまったのだ。
街からも、左右両翼からも炎と悲鳴が上がる。これはもう戦闘と呼べるものではなく、一方的な虐殺であった。
「これ程の戦力差があったか……オスピア様、申し訳ございません」
ベギール将軍は愛用の重甲鎧を身に着けると、巨大な剣を握りしめ人馬騎兵に突撃していった。
◇ ◇ ◇
深夜、希望塚に火が入る。
何処の街にも設置されている巨大な火葬場。
普段は怪我人や病人など、満足に働けなくなった者達が送られる場所。そして犯罪者や非登録市民などの処理も行われる。
大きな金属ドームの建物の中には、魔道で加熱する巨大なフライパンのようなものが斜めに設置され、それが回転しながら遺体を焼いていく。焼き終わると中央が開き、骨は下に掘られた数千メートルの奈落へと落ちる。
今そこへ、黙々と戦死者が運ばれる。
兵士や民兵、それに子供まで含めた民間人の遺骸。
魔族領だけでなく、人間領でも人々はあまり逃げない。もはや、それが常識というレベルで刷り込まれているのだ。
実際、逃げたところで土地も食料も足りてはいない。難民政策などの福祉に期待できる世界でもない。そして何より、責任を次代に押し付け、自分は老いて死ぬことが許されない。
土地を取り戻す当てが無ければ、逃げたところで居場所はなく、残る生涯を惨めに苦しみ、結局はここに送られるのだ。
だから最後まで抵抗する。自分や家族を守るために。そして、負ければ煙となって消えていくのだった。
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