065 【 王の帰還 】
碧色の祝福に守られし栄光暦217年10月30日。カルター・ハイン・ノヴェルド・ティランドは、久々に祖国であるティランド王国に戻ってきていた。
ティランド連合王国は、ティランド王国を中核とした集合体国家だ。形態としては様々な王国を配下とする帝国とさほど変わらない。
だが帝国と違い、あくまで国家関係は同盟の域だ。盟主ではあるが、所属各国の統治などにはさほど関与しない。
所属国家はティランド王国を含めた32ヵ国と、3つの属国。コンセシール商国も、この属国に含まれている。
全幅3800キロメートル、縦は最大で5200キロメートル。四大国最大の国土面積を誇り、総人口は7億人を超える。
徹底した軍事政策による戦争及び領域の解除。それによりここまでに膨れ上がった超大国。
だが魔族領での躓きは、この巨大連合国家の屋台骨を脅かしつつあった。
「俺がいない間に、随分と様変わりしたものだな」
カルターがこの国を発った時には、彼はまだ一介の将軍だった。
当時は魔族領侵攻の高揚の中にあり、連日報道される人類の成果は国民に生きる希望という名の娯楽を与えていた。
だがいざ国王として戻ってくると、そこにはかつての賑わいは無く、閑散とした国家の惨状が目に映る。
一応帰還パレードは賑やかであったが、あんなものは薄布一枚の幻にすぎない。
目の前に山と積まれた書類には、本当の現状が書き記されている。
「ムーオスやジェルケンブールからの食料輸入はほぼ停止か……それに農作物にも深刻な被害が出始めているな。備蓄はどうなっている?」
「何とか今年の冬は乗り切れます。ですが、長期的に考えれば圧倒的に不足しています」
カルターに応対している長身の男。背はカルターと同じくらいだが、幅は圧倒的に狭い。かなり細身の体系だ。服はパリッとした黒のスーツを着こなしており、いかにも文官といった風貌だ。だがスーツにつけられた様々な略式勲章は武功の証であり、内務一辺倒の人物ではない事を示していた。
薄いオレンジの髪を左右でカールさせ、僅かに口ひげも見られる。細く青い瞳には知的な光を滲ませ、見るからに切れ者といった印象を与えている。
ハーバレス・ラインツ・イーヴェル・ティランド宰相。ティランド連合王国の内務から外交までを一手に総括する男だ。
「兵役の内、百万を屯田に回せ。開発局の方はどうなっている」
「品種改良や新規の開墾は行っていますが、やはり全体としては戦って減らした方が効率は良いかと存じ上げます」
――フム、とカルターは考える。
魔族領侵攻により、人類はかつてない危機に陥った。
海という人類の食糧庫を潰され、更にそこからは大量の病原体が流れ込んで来る。千年以上かけて品種改良してきた農作物も……いや、だからこそ未知の病気に対応できず一斉に枯れてしまう。
今は海岸線が中心だが、既に内陸にも新たな病原体の兆候が見られる。このままでは、今以上に食糧事情は圧迫されるだろう。だが、国家の最大の責務は国民を飢えさせない事である。早急に対応策を考えねばならないだろう。
しかし一方で、同様に大切な責務がある。人間を減らす事だ。
世界には様々な死が溢れているが、それでも人は増加する方が多い。この寿命の無い世界では、運よく死から逃れ続ける人間は100年でも200年でも、それこそ千年、二千年と生き続けるのだ。土地にも食糧にも限りがある以上、弱い人間や、働けない人間には消えてもらうしかない。
「市民権をもう一度入念に確認しろ。非登録市民は見つけ次第、希望塚へ送れ。傷病で動けない者も……仕方ないな」
我ながら嫌な事を考えねばならない。カルタ―は本気でそう思う。
名ばかりの王位継承権を持って、将軍をやっている時は気楽でよかった。
あの頃は味方が何人死のうがあまり気にしなかった。勝つことが絶対の正義であり、犠牲者の数は重視されなかったからだ。
だがいざ為政者として人を減らす命令を出す立場になると、色々と心に去来するものがある。
何の罪もない普通の人間。そんな彼らを殺せと命令するのだ。傷病で動けない者……それは、共に魔族領で戦い、傷ついた戦友達に他ならない。
そしてそれでも足りなければ、死ぬために戦って来いと命じなければならないのだった。
一人の男を思い出す……スパイセン王国国王、シコネフス・ライン・エーバルガット。
何処の国の為政者も、増え続ける自国民を減らす手段を考えて政治を行う。だがあの男は違った。国民をいかに生かし続けるか……それに重きを置き、様々な手段を模索した。
有能ではないが無能ではない。そんなのは誰でもそうだ。世界のほぼ全てが、有能でもなければ無能でもない人間により動いている。それでも、その言葉が異名になった男……。
「評価の難しい人間だったんだろうな……」
「何か仰いましたか?」
「いや、なんでもねぇ」
だが人類同士で戦って減らすには、もう秩序が固まり過ぎた。
世界は四大国を中心に機能しており、お互いは勿論、それらに所属する国に対しても戦争を禁止した条約が結ばれている。
仮に内乱が起きても、四大国同士は一切手を出さない。兵を出せば、代理戦争か侵略かのどちらかに発展する危険があるからだ。
それでもやると言うのなら、条約を破棄しての世界大戦。それこそ人類が滅亡しかねない戦いだ。
しかも今は昔と違い、魔族が壁を越えてくる可能性もある。そんな馬鹿な事をしている余裕は人類にはない。
四大国に所属していない小国も幾つかあるが、そんな小さな国を征服したところで何の足しにもならないだろう。
ならばどうするか? 結局は、魔族領に放り込んで人類のために死んでもらうしかない。
魔王を倒し魔族を滅ぼす。その大義名分の元に魔族領侵攻は行われた。
だが、あまりにも手痛い反撃。程度に数を減らすどころか、人類の存亡が脅かされる結果となってしまった。
(世界の根本が変わらねば、もはや人類に未来は無いか……)
だが国家の王として、運命などに丸投げするわけにはいかない。
「食糧の増産、それが最優先だ。休墾地を洗い出して兵を派遣しろ。それと荒れ地になっている土地の再生だ。口減らしは最後の手段と心得よ」
「畏まりました、陛下。それと来客が参っております。お通ししてもよろしいでしょうか?」
「例の件か……構わぬ、通せ」
◇ ◇ ◇
ユニカは、魔人エヴィアと魔人スースィリアを伴って氷結の地に立っていた。
彼女は魔王の裁量によって自由な行動が許されており、今日は2人と共に針葉樹の森で木の実の収穫中に、ふと隣接するこの地に入り込んだのだ。
「寒いわね! ここは何なのよ!?」
「魔王は氷結の地と呼んでいたかな。氷以外はあまりない土地だよ」
「人間は大変なのである―」
身に着けているものと言えば、粗末な綿のワンピースに、胸から下げた聖印と古い木の靴くらいなものだ。針葉樹の森も、ホテルのある廃墟も、凍えるほどの寒さではない。その為に軽装のままだったのだが、一歩踏み出したとたんに代わったこの気候はさすがに堪える。
「確かに何もないわね……氷と立木ばかり。あ、ちょっと待って、モフギ草が生えているわ」
氷に閉ざされた大地には一見枯れているような木が点在し、その周辺には微妙に紫色の草が大量に生えている。
「ただの草かな? そこら中に生えているよ」
「まあ草よね。これは鎮痛剤にも使うけど、普通はハーブとして使うの。何十年かに一度綺麗な花を咲かせるらしいけど、私は見たこと無いわね」
「ユニカは植物に詳しいのかな?」
「勉強していた時期があったのよ。あたし、学者になりたかったの……」
昔の事を語ろうとしたが、ハッと思い返してやめた。
この極寒の中、素っ裸に近い恰好で平然としている少女と巨大ムカデ。それに何か話してどうなるというのか。
「いいからもう帰るわよ。こんな所、二度と来ないわ」
◇ ◇ ◇
カルタ―のいる執務室は、通常王家のそれよりも遥かに小さい。
精々小さな事務所といった程度であり、そこには広いテーブルに王が座る椅子、更に背面の壁には一面本で埋められた本棚が置かれている。その為狭く、普通の拝謁であれば謁見の間を使う。
だがカルタ―は、よほどの大人数でない限り、この小さな執務室で要件を済ませていた。
単純に形式を嫌がったというわけでは無く、移動の手間が惜しかったからだった。
そこに今、二人の男が通された。
ハーノノナート公国”死神の列を率いる者”ユベント・ニッツ・カイアン・レトー公爵と、マリセルヌス王国”逃避行”ロイ・ハン・ケールオイオン王である。
「お久しぶりでございます、カルター陛下」
「本日はお目通り叶い、誠に感謝の極みでございます」
二人とも魔族領ではカルターの旗下として働き、また複雑なお国事情を抱えるメンツであった。
「私はそろそろレトー公爵の任を降りたいと存じます」
「私も同じくです。 マリセルヌス王国の国王を辞退したいのですが」
そして、二人とも用件は同じであった。
「話は聞いている。ユベントはハーノノナートの血族にという話が来ているだろう? それに乗っかれば良かろうが」
「それは正直勘弁してほしい所ですね。私は部隊指揮官として自由に行動したいのですよ。炎と石獣の領域戦の前にエイカー・ラルク・ハーノノナート公爵が戦死したので、代わりにこれまで代理をしていたにすぎません。一介の武官に過ぎぬ私が、他国へ行って政治を行うなど、出来ようはずもありますまい」
「こちらも同じくですね。マリセルヌスの血族には優秀な人間が沢山います。いつまでも代理王なんて役職を押し付けられてはたまらないのですよ」
「つまり二人とも、もう魔族領への侵攻は無いと考えているって事か……」
今後、第九次魔族領侵攻があれば、二人の軍事的な才覚は両国にとってプラスとなる。
それ故、どちらの領地も首を縦に振らずここに泣きついて来たわけだ。
だが一方で、この二人はもう戦いは無いと考えている。血族の長として自国を支えるならともかく、他国に骨を埋める気は無いというのだ。
「だが却下だ。これを見ろ」
「なんですか、これは……」
「ふーむ……正気の沙汰とは思えませんが、ムーオスは本気でやるつもりですか?」
そこには来年、碧色の祝福に守られし栄光暦218年8月23日より、第九次魔族領侵攻戦を行うための計画が記されていた。
◇ ◇ ◇
「魔王は何をしているのかな?」
朝、ホテルの部屋でピリピリしたエヴィアの声で目を覚ます。
なんだ、不測の事態でも起きたのか……微睡ながらもそう思い目を覚ましたのだが――
「うふふ、おはよう。夕べは凄かったわね」
「えへへ、思ったより立派で驚いちゃった」
二人のサキュバスに両の頬にキスをされて覚醒する。
――なに!?
気が付くと俺はベッドの上で全裸。そして絡みつくように左右で寝ている二人のサキュバス。いやまて、記憶が全くない。俺は何をしたんだ?
そして目の前にはエヴィア。だがそれ程には怒っている様子は無い……おそらくこれは、正当な支払いだ。
――が、その後ろに凄い顔でこちらを睨んでいるユニカがいる。
「下種っ!」
そう言うと、彼女はドスドスと廊下を歩いて行ってしまった。
誤解だ! 俺は何もしていない……はずだ!
「魔王様、色々と新しい話を仕入れてまいりましたわ」
「魔王様、人間は意外と面白い状況になっているわよ」
……あの時、魔王の居城に来ていた二人のサキュバスか。艶やかな黒髪の大人しそうなサキュバスと、背の低い金髪巨乳のサキュバスだ。
だが夕べの事が思い出せない。二人とどんなプレイをしたんだ! 仕方がない、もう1ラウンド行こう。
「それはダメかな? 過剰に取られ過ぎると体に良くないよ」
……くそう、正論だ。
「私カラモ、イクツカ情報がありマスヨ」
「ゲルニッヒ! 戻ったのか」
別れてから今日で13日目、意外と早く戻ってきてくれた。それだけ何か重要な情報が入ったって事なのだろう。
「早速教えてくれ。そうだな……ゲルニッヒ、お前の考える一番の情報は何だ?」
「ユニカ様のご懐妊が確認されマシタ。おめでとうございマス」
ベッドの上で、ほぼ全裸美少女二人に囲まれている俺にとっては、それは世界の命運より遥かに大きな衝撃だった。
この作品をお読みいただきありがとうございます。
もし続きが気になっていただけましたら、ブクマしてじっくり読んで頂けると幸いです。
この物語がいいかなと思っていただけましたら、この段階での評価も入れて頂けると嬉しいです。。






