056 【 戦いの終わり(2) 】
「う……うーん……俺は寝ていたのか?」
辺りはすっかり暗くなっているが、かつてよりは油絵の具の空に切れ間が見える。
そこから入る僅かな月の明かりに照らされ、ただの荒れ地も微かに幻想的な空気を漂わせていた。
「すまないな、ヨーツケールは歩き続けているのに……」
ヨーツケールが頭をスースィリア程ではないが柔らかくしてくれたため、ドスドス移動しているのも関わらず寝てしまったのだ。
「魔王は疲れていたかな。もう少し休むと良いよ」
《 そうだ、魔王。今は休め 》
二人の気遣いには感謝するしかない。
一応エヴィアの傷は見た目では治っているが、実際の程度は俺にはわからない。
それに左側を2回も斬られたせいで、元々帯を巻いていだけの服の上は取れてしまい、左の小さな膨らみが露になっている。
ヨーツケールはただでさえ疲労困憊の状況だったのに、追い打ちをかけるような軍隊蟻との追いかけっこ。そのせいで暫く真っ白い泡を吹き動けなくなっていた。
鋏は今は見かけ上くっついているが、こちらも実質的な怪我の程度は不明である。
「あの珊瑚っぽいのが全部寄生虫ってのは驚いたけどな」
《 魔王よ、ヨーツケールはアレが無いと擬態が出来ない。共生関係だ 》
ヨーツケールの体を覆っていた赤と白の珊瑚状の甲殻、それに灰紫の血は全て共生体やらの物だった。
だが貫かれた頭や斬られた腕は間違いなく本体だ。今は戻ったように見えても心配にもなる。
だがまあ……人の心配ばかりもしていられない。
俺は右腕を失い、脇腹にも深い傷。細かい擦り傷とかも含めれば中々に満身創痍だ。
取り敢えず暫くはエヴィアの膝枕と、ヨーツケールクッションで体を休めるとしよう。
「そうだ、魔王城に入る前に魔王ポストに寄ってくれよ。何か入っているかもしれない」
《 魔王よ、入っているとしたら虫かゴミだ 》
「エヴィアもそう思うかな。夢を見るほど現実が辛くなるって誰かが言ってたよ」
「お前達、酷い……」
◇ ◇ ◇
魔王が眠りについている頃、遥か沖合にムーオス自由帝国の豪華客船『パリュード号』が航行していた。
全長302メートル。乗員乗客合わせて5200人。
槍を持つ乙女の像を船首に付けている一方で、外装は金属製の近代的な造り。船首上部には豪華なプールが備え付けられている他、中にはカジノやスポーツ施設などの遊戯場も完備されている。貧しい者には一生無縁の海の楽園だ。
ムーオス自由帝国は世界でも珍しい奴隷制度の無い国であり、また一方で貧富の格差は世界でも最悪の部類に入る。
一般市民が飢えか兵役かで死ぬ一方、裕福な身分の者は豪華客船のクルーズを楽しんでいた。
「ねえ、聞きました? リアンヌの丘に魔族が攻めてきたんですって」
「ほおー、まあ今度は人類が勝つでしょう。あそこを守るのは、なんと言ってもユーディザード王国ですからな」
「どちらが勝ったところで大した事は無いでしょう。魔族領などちっぽけな土地に過ぎませんからな」
「それなら賭けませんか? どちらが勝って、何人くらい死ぬかを」
「面白そうですわね、ホッホッホ」
海もまた領域で分けられているが、地上と違いその見分けが難しい。
しかし人類は長い歴史の中で、安全な航路を幾つも発見していた。
この様なクルーズなどは全体から見れば些細な利用だが、漁業に海運と、地上だけでなく海上もまた人類にとって重要な土地であった。
だが今、巨大な海の盛り上がりが、この豪華な船を襲う。嵐ではない。雨は一粒も降らず、空には僅かに月も見える。
「な、なんだ! 何が起こっておるか!」
「乗務員! 早く来て説明しなさい!」
悲鳴と怒声が交錯するが、いくら騒いだところで状況は何も変わらない。
船は45度にまで傾き、船内ホールは滑り落ちてきた人間が塊になっている。
最初にいた人間は運悪く圧迫死だ。だが結局、その死は平等に与えられた。
体長1000メートルを超える海の怪物。それが、この豪華客船を一飲みにしたのだった。
一人、その様子を目撃している者がいた。
巨大な一つの目玉、密集し魚のような形状になった芋虫の群れ、背に張り付く全裸のふくよかな女性……
海をのんびりと移動していた魔人ウラーザムザザだ。
「これは少し大事になっているずぬ……」
◇ ◇ ◇
「ゴホッ! ゴホッ!」
「ああ、気が付きましたか。大丈夫ですか?」
「ここは……」
ルフィエーナ・エデル・レストン・ユーディザードは飛甲板の上で目を覚ました。
油絵の具の空の切れ目から、僅かに見える白い月。時間は深夜だ。
飛甲板の上には魔道の明かりが灯され、四つの角では衝突防止のために白と赤の光が点滅している。
通常であれば、動力士の負担を考えて飛甲版の夜間移動は行われない。それをするのは緊急の事態や、撤退する時くらいだ。
ルフィエーナは、自分達が敗れた事をハッキリと認識した。
体には添え木と包帯が巻かれ、僅かにでも動くと全身に激痛が走る。
「飛甲板の上ですよ。大丈夫、もう大丈夫ですからね」
白い救護服を着た女性兵士が、ルフィエーナの脈拍などを調べ書き写す。周りのも同様の救護兵士や負傷兵が見える。
生き残った……あの激戦で生き残ったのだ……。
「うっ、うう、うわあぁぁぁぁぁぁぁ」
生きて帰る罪悪感と、戦いの恐怖からの解放感。様々な感情が入り混じり、ルフィエーナは飛甲板の上で子供の様に泣きじゃくった。
リアンヌの丘に布陣していた将兵、ユーディザード王国160万2115名。ハーノノナート公国42万5513名。
生存者は、ユーディザード王国は飛甲板上に10万4011名、チェムーゼ隊が19万3215名と、合計帰還者は29万7226名。
ハーノノナート公国はユベント・ニッツ・カイアン・レトー公爵旗下10万3210名が帰還。
全参加将兵202万7628人中、戦死・行方不明者162万7192名、生存者40万436人。
リアンヌの丘も失い魔王も魔神も倒せず、人類にとっては完全なる大惨敗と言える結果であった。
◇ ◇ ◇
「やったああ! 入っているぞー! 何か入ってる!」
少しの不安はあったが、魔王ポストは作った場所にしっかりと残っていた。
まあ壊されたとしても、よほど酷くない限りは周りに撒いた彷徨う白骨がこっそり直す手はずにはなっていたのだが……。
中に入っていたのは白い布。風やなんかで飛ばされて偶然入ったのではない、しっかりと畳んで置いてある。
これが人類からの和平文書で無い事は明白だが、人類側から何らかのメッセージが貰えた事自体が嬉しくなる。
「では早速……」
いそいそと広げてみる。ラブレターだったりしたらどうしよう。一応そんな微かなときめきもあったのだが――ああ、まあこんなもんだよな。
「なんて書いたあったかな?」
《 魔王よ、どんな内容だった 》
「いやもうお前ら大体解ってるだろ……ほれ」
その白い布には、『死ね!』と炭で大きく書かれていた。
「そんなの捨てちゃうかな。気にしない方が良いよ」
「いや……まあ最初に貰った記念品だ。一応とっとくよ。そうだ、倉庫に置いてある木の看板に張り付けておこう」
「何でそんなことするかな。悪口だよ?」
「いいんだよ、たとえ悪口でも。初めての品だしな。それよりも魔王の居城へ急ごう。スースィリアも待っている頃だ」
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