053 【 魔王の息子 】
「ヨーツケーーーール!」
相和義輝はその様子を見て叫んでいた。
ヨーツケールは崩れ落ち、その白い姿はまるで骨格標本のようだ。
「エヴィア、ヨーツケールが!」
大丈夫ではなかったのか? そう尋ねたくエヴィアを見るが、エヴィアは今までにないほど好奇心に満ちた瞳でヨーツケールを見ている。
同じ魔人が倒されてする顔ではない。いや、そんな子ではない。
「後部魔道炉、臨界です」
限界まで魔力を注がれた魔道炉、それは臨界を迎え、穴を開けたゴムチューブのように急速に力を失ってゆく。こうなってしまうと、幾ら魔力を注いだところで焼石に水。もう数時間は使い物にならない。力を失った後ろ足が畳まれ、馬の尻が地面にドスンと落ちる。
(一人の魔力で臨界に達してしまうのは問題点だな……だが、これから改良していけばいい)
まだこの一点の戦場に決着がついただけで、全体の戦いは続いている。
人馬騎兵3騎を失ってしまったのは大きな痛手だが、今回最大の標的である”蟹”を倒したのだ。ブレニッツは散っていった戦友達に黙祷を捧げると同時に、心は十分に満足していた。
「ブレニッツ様、早く勝鬨を上げませんと」
「そうだな、ハンス。まあ亜人共相手では意味が無いが、味方の士気は上がるだろう」
メキョ――
それは魔人ヨーツケールの頭を割いた時のように、あまりにも鋭く入ったため殆ど音を立て無かった。
だがブレニッツは、いきなりコクピットが持ち上がった感触を受ける。
――まさか!
胸部の覗き窓から下を見る。そこには動き出した”蟹”が、そしてその左下の鋏が、馬部分の胴体を貫いている様子が映る。
そして鋏を内部で広げ更に奥へと押し込むと、メキョメキョと金属の裂ける音を立てながら前部動力士のコクピットごと魔道炉を切り裂く。
引き抜かる際に一緒に出てきた金属片の一部は真っ赤に染まっており、前部動力室にいたハンスの運命を雄弁に語る。
「この……魔族め……化け物めが!」
前足も力を失い、足は畳まれ胴体は完全に地面に落ちてしまう。
ガチャガチャとレバーを操作するが、もはや全ての魔導炉を失った人馬騎兵は動きはしない。
白い骨格標本の様だった体が、次第に黒く艶やかな金属質へと戻ってゆく。
そしてゆっくりと、人間の胴体部分、3番騎のコクピットをがっしりと鋏で掴む。
ギリギリと切断されていく、コクピットを覆う鉄鋼版。もはや脱出も出来ない。貫通してくる左右の鋏の感覚が次第に狭くなり……。
だがブレニッツは冷静だ。目前に迫る死を前にしながらもタバコに火をつけると、眼下に見える裂かれた蟹の2つの頭を見ながら告げる――
「今回は貴様の勝ちだな。だが、運用テスト中の騎体がここにあれば、勝っていたのは俺達だ。先に地獄で待っているぞ……次は負けん」
そして真っ二つに切断された人馬騎兵の人間部分が、ゆっくりと大地に落ちた。
――アブナカッタ
魔人ヨーツケールは、あまりの気持ちの良さに意識を飛ばしてしまっていた。イってしまったのである。
キョロっと魔人エヴィアの方を見る。あの好奇心に満ちた目、絶対に記憶を要求されるだろう。
まあそれは良い、恥とは共有することで笑い話にも出来るのだ。しかしそれでも恥ずかしい気持ちは隠せない。
――バンカイ、セネバ
魔人ヨーツケールは外れてしまった鋏を急いで戻すと、人間の群れの中へと突入していった。
その頃、首無し騎士達は散々に人間達を蹂躙していた。
音を立てず高速で移動し、姿を見せず、攻撃するときだけ現れる彼女達は人間には対処できない。
しかも攻撃は的確だ。無音で駆け抜けながら、魔力を送る重盾兵の無防備な背後から襲い、首を切り飛ばしていく。
その上、そんなモノが存在していると言うだけで重盾隊は恐怖に駆られ、満足に魔力を絞り出せなくなってしまう。
首無し騎士に襲われた戦線は瞬く間に崩壊し、陣形は砕かれ亜人との乱戦に突入する。こうなってしまえば、もはや人間対巨人の戦い。完全に勝負は決した。
相和義輝が夜のうちに投入していれば、戦いはもっと順調に進んでいただろう。
「キャアアァァァァァ!」
だが突如、首無し騎士の一体が何者かに斬られる。
人間が多すぎてどうなっていたのかは解らない。だが――
「全員攻撃停止! 精霊に干渉する人間がいるとはな……」
シャルネーゼは直ちに全員の攻撃をやめさせ、音も無く移動する。
(さすがに戦い慣れていますな……)
その様子を見送ったケーバッハ・ユンゲル子爵は、静かに移動した……ある一点を目指して。
「シャルネーゼ達の動きが見えなくなったな……」
ヨーツケールは人間の中に飛び込み大暴れをしてくれているが、防盾壁を切り崩していた首無し騎士達の感じが消えている。まさかいきなり全員倒されたのか? 考えられない事ではないが、考えたくない事だった。
「なあ、エヴィ……」
言いかけた瞬間、背中に冷たいものが走る。死の予感とは違う、もっと別の類……。
辺りを見渡すが、周囲は亜人だらけだ。当然だろう、その為にここに身を隠したのだから。
だがその亜人の中に、一人の男が立っていた。
その命の形はまるで苔。古く積み重なった苔そのものの形。
フードから覗く黒とは白のメッシュの髪に、窪んだ眼窩。手と足にそれぞれ白と青のカラーリングをされた鎧を付けているが、それ以外は茶色く古ぼけたダッフルコートを纏っている。
その僅かに狂気をはらむ水色の瞳が、ハッキリと見えるほどに近い。
2本の波型の剣、フランベルジュを両手に持ち、少し斜め下に構える格好。刀身の長さはおよそ160センチ。長さもそうだが、特に目を引くのはその分厚い刀身幅。およそ40センチ、両手の指を広げたくらいの幅がある。
持っている男の身長が170センチより少し高いかどうかだけに、あまりにも不自然な姿だ。
――何でここまで接近されたんだ!
だが考えるよりも早く、ほんの一瞬で目の前まで跳躍して来る。顔が近い、互いの鼻が当たりそうなほどに!
「さようなら、魔王」
だが男の剣は、見えない何かにガクンと引っ張られ、ギリギリ左右の脇腹を斬られる程度で済んだ。
だが痛い! もう少し深かったら内臓が飛び出して死んでたぞ!
すぐに互いに距離を取りにらみ合う。
「随分な挨拶だな……気が付かなったよ」
だが周囲の亜人達は、この状態に気が付いていない。
目の前に人間がいるのに、一切攻撃をしないのだ。余りにも異常だ。
だがエヴィアは気が付いている。たった今も俺を救ってくれた。いつの間にか俺の前に出ているので後ろ姿しか見えないが、普通の人間相手にエヴィアが後れを取る事は無いだろう……いやまて!
「ヨーツケーーール!」
頼むから聞こえてくれ! 落ち着け俺、どう見ても普通の人間じゃないだろ!
「ああ、それがあの蟹の魔人の名前ですか。それとも目の前のそれですか。私は見るのは初めてですが、どうもそちらはよくご存じのようですね」
どういう事だ!? 目の前の男の言っている意味が解らない。
魔人……そう言ったのか? 知っているのか?
「初めまして、私はケーバッハ・ユンゲル。貴方の知らない魔王の……息子ですよ」
言うなり一閃。しかしその刃は見えない何かによって逸らされ、隣でうろうろしていたオークを横薙ぎに真っ二つに切り裂く。しかし、亜人はきょろきょろするばかり。目に入っていないのか!?
それに……。
「どうしたらいい……かな」
こちらを振り向くエヴィアには、明らかな動揺がある。こちらへの攻撃を防いではくれたが、相手を攻撃する事も躊躇している。マズいな……。
「邪魔をしますか……結構。魔王の命を優先するのが当たり前でしょう」
言いながらも突進し、右手の剣を振り下ろす。だがそれは、やはりエヴィアの見えない触手に絡まれ一瞬止まる。
だが、気を抜いた瞬間に走る左脇からの激痛。
「いでえぇぇぇぇ!」
体制を変えながら猛烈な勢いで振りぬいてきた左の剣はまたも脇、先ほどより少し上に食いこんだ。
それだけで済んだのはエヴィアの触手のおかげだが、相変わらず精彩を欠いている。
このままでは遅かれ早かれ……。
( こちらに投げた右の剣をエヴィアの触手が止める )
( だがすぐさま左の剣が上から来て避ける )
( その瞬間、左胸に刺さる2本の針。傷口から蒸気が吹き出し絶叫し世界が暗くなる )
これはまずい! 既にケーバッハは右の剣を投げる態勢だ。あの針は何処に仕込んでるのか今は見えないが……仕方がない!
見えたとおりに飛んでくる剣。
柄に触手が巻き付き途中で力なく落下するが、こちらの頭上には既に跳躍しているケーバッハ。
「ここで滅びよ!」
その左手に持った剣が大気を切り裂き地面を抉る。
ここか! 捲られたコートの内側、ベルトに多数の投擲針が装備されている。他にちらりと見えたのは、昔見た水の入った瓶……あれは!?
だが思考を回す余裕はない。奴は一瞬の早業で投擲針を抜くと、流れるような動きでこちらに飛ばしてくる――だがそれは、キキン! と硬い音と共に弾かれ地面へと落ちた。
「ほお、意外と良い体術ですな」
「お褒め頂き光栄だぜ」
何とか左手で抜いた剣で受け止める。ここだと判っていたから何とかなったが、少しでもずれたら死んでるぞ!
「貴方は見た事でしょう、魔族領の内側を。楽しかったですか? 魔族の動物園は」
ゆっくりと回り込むように移動するケーバッハ。一瞬も目が離せない。
「動物園だと!?」
しかし言っていることが気になるのも事実だ。
動物園……こいつはどこまで知っているのか。
「そうですよ。こいつら魔人が、自分達の退屈しのぎに勝手に別の世界から召喚した生き物達。そしてそれを囲う檻」
言いながらも左から右へと横薙ぎにしてきた剣が頬を掠める。
間一髪、かすり傷程度で躱したが――次の瞬間、失った右手に一瞬熱さを感じる。
「ぐっ!」
たまらず覚悟した声が漏れる。だが幸いにも、投擲針が当たった部分は塩の精霊でがっちりガードされていた場所だ。完全には刺さらず、キィンと硬い音を立て針は地面に落ちる。しかしこのまま後どれだけ防げるか……。
( 一直線に向かってきた奴の剣が腹部中心に突き刺さる )
( 引き抜かれると共に血を吐き倒れ、頭を踏み潰されて意識が断たれる )
これは防ぎきれない!
死ぬよりマシだの僅かな抵抗。後ろに飛んで腹部に剣を構える。
「てりゃあぁー!」
先端を向け、まっすぐこちらに向かってくる剣の切っ先。
――パキン!
何の魔力も入っていない剣は殆ど抵抗らしい抵抗もせずに簡単に砕かれるが、その一瞬で助かった。
「早いですな、もう少しかかると思っていましたが、甘かったですね」
《 ヨハン、ヨーツケールはエヴィアほど甘くはない 》
間一髪、ヨーツケールの鋏がケーバッハの剣を防いでいた。
この作品をお読みいただきありがとうございます。
もし続きが気になっていただけましたら、ブクマしてじっくり読んで頂けると幸いです。
この物語がいいかなと思っていただけましたら、この段階での評価も入れて頂けると嬉しいです。。






