051 【 決断 】
(動きは無いな……完全に膠着したか)
相変わらず亜人達の猛攻は、人類軍の防盾壁の前に防がれている。
だが人類軍もまた、魔王の位置を見失っていた。
装甲騎兵隊も再編成のため一度下がり、一方で首無し騎士達も魔王の元へと集結する。戦いは多くの犠牲者と魔王の右腕を言う損失を出しながらも、振出しへと戻っていたのだった。
(同じことをして良いのだろうか……もっと良い方法があるんじゃないだろうか)
◇ ◇ ◇
そんな相和義輝の悩みに反し、ユーディザード王国は厳しい選択を迫られていた。
「報告によりますと、湧き出た白い物の正体は巨大な軍隊蟻だと確認されました。出現位置は多数確認され、その内2つの群れがこちらに向けて移動中です。双方を合わせた数は、推定3億かと……」
報告書を読み上げるチェムーゼ・コレンティア伯爵の顔面は蒼白になり、手の震えが止まらない。
だが彼だけではない。マリクカンドルフ王とケーバッハ・ユンゲル子爵以外は皆、完全にうろたえ浮足立っている。
「それで、蟻共はどのくらいで到着しそうだ」
マリクカンドルフ王は一切動じていない。少なくとも、言動は何時もの様に静かだ。
「推定で7時間でございます、陛下」
答えるケーバッハにも一切の動揺は見られない。周囲のざわつきに対し、この両者には焦りと言うものは無いように見える。
「直ちに撤退すべきです! 陛下!」
「要塞を作ったのですから、ここは籠城すべきです!」
「亜人の群れを突破し、大打撃を与えてから北方のアドラース王国と合流してはいかがでしょうか」
幕僚からは様々な意見が飛び交うが、どれもマリクカンドルフ王としては下策に見える。
撤退自体がそもそも容易ではない。ここに兵を運んだ飛甲板の一部は、以後は物資兵糧を運ぶ輸送手段として出払っている。全軍が一度に乗れる程のストックは駐屯地にはない。
亜人と競争をして人間が勝てるわけがないではないか。
籠城は論外であるし、亜人を殲滅し安全圏までの移動を7時間で済ますなど不可能だ。
「卿はどう思う、ケーバッハ」
「されば、陛下は急ぎお一人でお逃げください。飛甲騎兵を用意させましょう」
幕僚席がざわつく。いや、今度はマリクカンドルフ王もまた少しの動揺を見せる。
「これは面白い。この俺に、ティランド連合王国のカルターの様な……いや、それ以上の醜態を晒せと言う事か」
「左様で」
マリクカンドルフはケーバッハを静かに睨みつけるが、彼の様子は何時もと全く変わらない。
「……それで?」
「現在残っている飛甲板に、負傷者と待機中のアルマニアス将軍、キテーナ将軍の隊を乗せ、至急アイオネアの門へと撤退させます」
「次は?」
「ハーノノナート公国軍には4時間だけ亜人の相手をして頂き、その後は撤収とします。装甲騎兵の速度であれば、そこからでも問題ありますまい。チェムーゼ将軍にはその間に30万の兵で亜人の一部を切り崩し、そのまま北周りに撤退をしていただきます」
「残りはどうする?」
「私めにお任せください。必ずや、残りの時間内に魔王を討ち取って御覧にいれましょう。さすれば、兵達も決して無駄死になどとはなりますまい」
幕僚席が静まり返る。誰も意見を述べられない。この男は何を言っているのだ? そんな空気が、寒風の吹くこの場を包み込む。
今から魔王を探索して討つ――そんなことが出来るならば、最初から苦労などしてはいないのだ。
「面白い策だ。それで行こう」
だがマリクカンドルフはさも面白そうにそう言ってのける。
「陛下!」
「お待ちください!」
他の面々は慌てて止めようとするが、右手を静かに上げて静止する。
「だが一つ修正だ。余は残る、当然だろう。俺は所詮代理王だ。普段は余だの卿だの言っているが、本来は貴族ですらない。そんな男が敵前逃亡などしてみろ。俺は死ねば良いが、国に残った血族はその恥に耐えられまい」
他の国の例に漏れず、ユーディザード王国は本来ならユーディザード血族が治める。マリクカンドルフもまた、スパイセン王国の国王であったシコネフス同様に一代限りの代理王だ。戦場から逃亡したところで行き場などない。
精々、敗戦の責を負い処刑される事で、国民の留飲を下げる程度だろう。
それならば、ここで勇敢に戦って死ぬことこそが正しい在り方というものだ。
「これはオスピア帝の命でもあります」
「なんだと!?」
初めてマリクカンドルフの感情が明確に顕わになる。
立ち上がりケーバッハを睨めつけるその姿は、いつも冷静なこの男にはあまりにも似つかわしくない姿だ。
長く共にあった将軍達も、こんな姿を見たことが無い。
ユーディザード王国はハルタール帝国に属する。その為、ハルタールの女帝たるオスピアの命令は絶対だ。
だがそれ以上に彼は、かつて戦場で見たオスピア帝の強さに憧れ、魅せられていた。
国王としてだけでは無く、一人の人間として小さな女帝に絶対の忠誠を誓っていたのである。
「もし魔族領にて敗れることがあれば、一命に変えてもマリクカンドルフ陛下を帰還させる。それが、私がオスピア帝から受けていた密命にございます。こちらが、その書簡となります」
そう言い、ケーバッハは懐から一枚の金属片を取り出す。片面には内容が、もう片面にはハルタール帝国皇帝の詔勅を示す刻印が押されている。
その先がいかに恥辱にまみれていようとも、もはやマリクカンドルフはこの命令に逆らう事は出来ない。地位的にも、個人的にもだ。
そして同時に、幕僚たちも一切の口を挟めなくなってしまった。
「王のご帰還だ。飛甲騎兵を用意せよ」
結論は出た。そう言うかの様に、ケーバッハは飛甲騎兵を用意させた。
◇ ◇ ◇
「動いたか! ……というかやばいなアレ」
飛甲板による撤退は、戦場に築かれた要塞で隠され相和義輝からは見えない。
しかしチェムーゼ将軍の部隊が亜人達に対して強襲を始めたことはハッキリと見えた。
そして亜人の側面から、一度は引っ込んでいた装甲騎兵が猛攻をかける。
更に飛甲騎兵まで投入され、膠着したと思われた戦線が急速に動きだした。
しかも低空で侵入した飛甲騎兵が亜人達の上空を通過すると、そこから轟音と共に爆炎が高々と上がる。
「なんだあれ!? 爆撃機か? この世界には火薬の様なものは無かったはずだぞ」
「あれは魔法かな。魔王は重傷なんだからあまり動かないで」
確かに右腕は失ったが、塩の精霊のおかげでもう出血も痛みも止まっている。状況を考えると、いつまでも休んではいられない。
「魔術師殿、再度お願いします」
「了解です、詠唱開始します」
ユーディザード王国の飛行騎兵は2種類ある。1つは他の国と同じように2人乗りだが、メルツ402という3人乗りの大型飛甲騎兵が存在する。これは通常の操縦士と動力士の他に、中央に魔術師が乗る特別機だ。
衝角と翼刃を一体化させたエイを思わせる形。それが亜人の群れ上空を通過すると、魔法使いが詠唱した爆裂魔法が亜人を放つ。
詠唱速度は必ずしも一定ではないため命中精度は低いが、密集している亜人達にとっては脅威だ。
爆発と共に、数十人の亜人だった焼け焦げた破片が、辺りに撒き散らされる。
「ルリア、アレの相手は死霊に任せる」
「え、ええと……でもですね……」
先ほどの事があるからだろう、ルリアはエヴィアの方をチラチラ見ながら困ったような雰囲気だ。
「分かってるよ、俺もそこまで馬鹿じゃない。上に百人残してくれ。それなら大丈夫だろう」
「了解いたしましたわ、魔王様。それでは行ってまいります」
メイド服のスカートの裾をつまんで一礼すると、他の死霊達を率いて飛甲騎兵に向かう。
「それとヨーツケール、悪いがまた頼む。あとは……」
相和義輝から見ると、防盾壁の一部に隙間が出来ている。全体の数が減ったためだ。その理由は分からないが、好機である事は間違いなかった。
「シャルネーゼ、あの隙間から入り込んで盾を持っている奴を倒して回ってくれ」
「了解したぞ、魔王よ。まあそこでのんびり見物していると良い。では行くぞー!」
こうして、魔人ヨーツケールは装甲騎兵へ、シャルネーゼ率いる首無し騎士の一団は防盾壁へと向かって行った。
◇ ◇ ◇
「”蟹”、現れました!」
報告と共に、ひしゃげた装甲騎兵が轟音と共に地面を転がっていく。
ユベント率いる死神の列に、再び蟹の悪夢が襲い掛かったのである。
「クソッ、今までどこに潜んでいたんだ! 飛甲騎兵隊は、あんなデカい物のマークも出来ないのか!」
チェムーゼ隊を援護していた飛甲騎兵隊だったが、散開し魔人ヨーツケールに備えねばならなくなった。
一方、チェムーゼ・コレンティア伯爵の部隊は亜人相手に奮戦するが、装甲騎兵の支援無しに10倍以上の戦力差を突破するのは容易ではない。しかも、殺された味方が不死者と化し襲ってくるのだからたまらない。
(早く新型を投入してくださいよ……)
チェムーゼは祈りながらも、魔人の群れに果敢に突撃を敢行した。
「ハーノノナート公国の装甲騎兵隊に”蟹”が攻撃をかけました。それと、防盾壁の内側に首無し騎士の一団が出現し、現場は混乱中です!」
「よろしい、それでは新型を出し”蟹”に当たらせよ。その間に、ハーノノナート公国にチェムーゼ将軍の支援をさせれば良い。以後の指揮はケプラー将軍に任せる」
そう言いながら、ケーバッハは脇に置いてあった金属の塊に手を伸ばす。その手に浮かぶのは、光る魔力の鎖。それが消えると、塊はまるで布のように姿を変えた。
それをばさりと羽織る――その布はカーキ色のダッフルコートだ。更に幾つかの投擲武器、そして強化ガラスに容れられた聖水の瓶を腰に下げる。
「ケーバッハ殿はどちらへ?」
”臆病者”が逃げ出す準備でもするのか? 幕僚席にピリピリとした空気が流れるが、ケーバッハは静かに一言だけ、周りが唖然とすることを言い切った。
「私は魔王を討ち取ってきます。後はお任せしましたよ」
フートを被り愛用の武器を手にすると、ケーバッハは悠々と戦場へ向かって行った。
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