041 【 新たなる戦いの幕開け 】
なんだかんだで楽しい時を過ごして外に出ると、外の景色は一変していた。
いや、正しくは何も変わっていない。変わっていたのは俺だ。
岩の上には小さなトカゲが集まって日向ぼっこ中だ。
向こうで器用にホバリングして虫を食べているのは鳥だろうか。
遠くには霞の様に透き通った巨大な山椒魚が闊歩している。
大理石のような地面には多くのひび割れが走り、そこには沢山の小さな花、それに一生懸命に蜜を集める小さな蟻も見える。
「こんな賑やかな世界だったんだな、ここは」
今なら、あの氷の世界も違って見えるのだろうか。
我ながら情けない。どんな精神状態だったんだよ俺は。
エヴィアが俺との会話の記憶をスースィリアに渡すと、スースィリアはわしょわしょと甘咀嚼をしてくる。嬉しそうだ。そして、喜んでもらえた事が嬉しい。
ああ、今は大丈夫だ。もう簡単に壊れはしないさ。
「次は塩の世界だったよな?」
確かホテルからは真西だ。ぐるっと半周することになるな。
だがその前に、のしのしと歩いてくる集団がいる。人影だ。
最初は遠近感がおかしくなったかと思ったが、実際にはそうではない。近づくにつれ、その大きさがよく分かる。
体高6メートル。一つの角に一つの目、一つ目巨人だ。手に持っているのは木製の棍棒だが、どっから持ってきたんだよその木。この辺りには生えてないぞ。
「お、魔王じゃねぇか。久しぶりだな」
いや、どう考えても初対面だ。さすがにこれを見忘れるほどには壊れていないぞ。
「一つ目巨人は他の生物の見分けは難しいかな。魔力だけで判断しているよ」
エヴィアのナイスサポート。
「すまないが人違いだ。ただそうだ、せっかく会ったんだし一緒に戦ってくれないか?」
どう考えてもエヴィアの担当だろうがダメ元だ。それに氷結の竜の時の寂しそうな雰囲気が頭をよぎる。無理なら無理でいいが、まずは俺からだ。
「ああ、いいぞ。それにいつもの事じゃねぇか。今度はどこに戦いに行くんだ? 俺達は許可済みで再度の禁止はされてねぇぞ」
人間と戦うとこに抵抗が無いのはありがたい。だがいつもの事? 許可? 何のことだ。
「一つ目巨人はつまらなかった日の事は覚えてないかな」
うわ、人生いつも能天気そうで羨ましい!
つまり戦ってからこれまでの記憶は全部抜けてるのか。恐ろしいほどのバトルマニアだな。
「それで許可ってのは?」
「隣り合った領域同士が互いに干渉しないように蓋がしてあるかな。許可っていうのはその制限をなくすことだよ。昔はかなり自由だったけど、前の魔王が確か一度全部蓋をしたと思ったよ。詳しい事は、前の魔王に近かった魔人に聞いて欲しいな」
ふむ……するとこの一つ目巨人はいつでも別の領域に行けるが、少なくとも前魔王の時は無理だった。
だが俺は初対面だ。誰が許可したんだ? 可能性は他の魔人か。
「それはダメかな。蓋の開け閉めは魔王だけだよ」
「石獣は? 彼らは魔人の言葉で動くんだろ?」
前の戦闘を思い出す。圧倒的な力。彼らが居なかったら俺はとっくに死んでいる。だが外に出て良いとか悪いを決めた覚えはない。
「魔王の心が望むかどうかが全てかな。それぞれの領域に何が入って良くて何が出てはダメとかは、全部魔王の望み次第だよ」
なるほど、来て欲しいと思った時点で許可になっていたのか……。しかしアバウトだ。白き苔の領域に大量に舞っていた白い胞子は、人間が解除した世界には入らなかった。もし許可したら入るのか? あの炎と石獣の領域の溶岩もか?
自然現象すらシャットアウトするその蓋とやらを解明するには、俺はまだ何も知らなすぎるな。
だが前の魔王が一度蓋をして、全ての生物の領域移動を禁止した。しかし実際には不死者も一つ目巨人も領域を越えている。前の魔王が改めて蓋を開けたのか? 何のために?
「ルリアはいつから領域を自由に越えられるようになったんだ?」
「さあ? わたくし達は普通に移動してましたわよ」
こっちもダメだ。やはり詳しい魔人を見つけるのが一番手っ取り早いだろう。
結局戦いの時には呼ぶと約束して、予定通り塩の世界へ行く事になった。
だがもし実際に彼らを呼ぶとしても、その時は食料確保が大変そうだ……。
「一つ目巨人はずっと食べなくても平気かな。でも食べる時は人間を食べるよ」
それはまた……別の意味でハードル高けえ。
◇ ◇ ◇
こうして塩の世界に来たわけだが、なんか思ったよりも物凄い。
砂漠の様な世界。だがその色は真っ白だ。
塩で出来た砂漠というのだろう。そこには円錐形の蟻塚のようなものが無数に立っている。
しかしそれよりも目を惹いたのが――
「これ全部宝石か?」
塩の中に点在している透明や色が付いた数々の宝石たち。かなりの量……いや、この地平線の向こうまで広がる塩砂漠の宝石を全部集めたら、山が一つか二つは作れそうだ。
もしこれを日本に持って帰ったら一生遊んで暮らせるなと思う。
だが――
「ま、魔王は!」
そんなウキウキした感情を一発で吹き飛ばす悲壮な声。
「エヴィア……?」
「魔王はやっぱり、元の世界に……戻りたいのかな?」
いつもの何処か呑気で飄々としている感じではない、必死で恐る恐る触れるような言葉。
そうか……そうだな、今まで俺の世界の話を聞いて来なかったのは、これを恐れたからだったのか。
前の世界の話をしていなかったら、今こうして故郷の事を考える事も無かっただろう。
元の世界か……天に走る油絵の具の空を見ながらふと考える。
もし帰れるのなら、帰るのだろうか?
だがそんな考えは簡単に打ち消せる。
前の世界で結局どうやって死んだのなのかはわからない。
なぜ自分がこの世界の魔王として呼ばれたのかもわからない。
判る事は、結局ただ一つだけだ。
「俺は帰らないよ。たとえ神様とやらが今俺を戻してやるって言っても、俺は断固拒否するね」
俺の命はおそらく魔王が拾ったのだ。その恩は返さねばならない。
そして、もうこの世界に関わってしまったのだ。今更放り投げることは出来ない。
何よりこの魔人たち、俺の大切な仲間を置いて何処かへ行くなんて、まっぴらごめんだ。
「魔王は意外と……不器用かな」
エヴィアの微笑みの表情と言葉が、初めて一致したような気がした。
この後も酸の沼、火山帯という難所を通って仲間を増やし、一周廻ってホテルに戻ったのは出発してから60日後。一月が40日の人間世界でいえば、1ヶ月半後だった。
思ったよりも遥かに多くの仲間が出来たと思う。これなら本当に壁の内側の人類軍を追い返す事が出来るかもしれない。そこまで押し込めばまずは一息だ。
そんな思いを胸に戻って来たのだが……。
「なんだか騒がしいな……」
ホテルまでは結構な距離を残しているが、廃墟の雰囲気が騒がしい。
不死者の安息を乱す何かが来ている、そんな空気だ。
「魔王サマ」
「魔王サマ」
「魔王サマ」
――なんだ? 周辺から俺を呼びながら何かが集まって来る。
ガサガサと草を掻き分け出てきた者達は、どれも皆、人のような姿。
2本の手と2本の足を持つ直立歩行。粗末な革の服を着、人間の扱う物とは違う、粗末な鉄の武器を持っている。
一体は体高3メートルほどで巨大な牙をもつ亜人。そしてそれより微妙に低く細い緑の肌の亜人、最後は1メートルほど小さな亜人。取り敢えず、オーガ、オーク、ゴブリンと呼称しておこう。
「君たちは? ……いや、何があった」
「「我らのセカイに人間が攻めてきました。戦う許可を!」」
俺の問い掛けに対し、三人の亜人は一斉に同じことを答えた。
◇ ◇ ◇
日が暮れたこ頃、カルターは世界連盟中央都市にあるハルタール帝国宿舎を半ば走りながら歩いていた。
宿舎と言っても、佇まいは高級ホテルと言ってもいい。壁も床も天井も美しく飾られ、いかにも一般人はお断りといった風格だ。
だがカルターも服装だけなら負けてはいない。
しかし、元々粗野な性格と行動のせいで、こういう場だと蛮族が入ってきたようにしか見えないのが難点だ。
「どけ! あの妖怪めが、決めた事も守れねぇのか!」
そしてその蛮族は、制止しようとした見張りや大臣を吹き飛ばして一番奥の一室に入る。
「なんだこりゃあ……」
そこは薄暗い半円形の広い部屋。
中央には豪華な内装にふさわしくない粗末なテーブルに椅子、それにベッドも置かず床に敷きっぱなしの布団。
壁には顔に大きな傷のある男の肖像画が一枚飾られているだけで、後は床に無造作に書類が置かれているだけの殺風景な部屋だった。
とても、超大国の皇帝が住むような場所では無い。
(北方諸国は質実剛健だと聞いちゃいるが……)
だが考えるより先に、荒々しい侵入者を咎める声が響く。
「粗暴だの、カルター。猪でも貴殿より礼は弁えていよう」
それは子供の、だが凛とした強い声。
壁際にある窓には一人の少女が立っている。
立っているのに地面に付くほどに長い金髪に、生気を感じない、しかし見る者を凍り付かせるような不気味な緑の瞳。
白い肌にはとても薄い絹の、肌と同じような白いドレスを纏っている。
薄い灯りに照らされたその姿は見る物によっては美しいが、カルターの瞳には不気味なモノとしか映らない。
カルターはこの少女が苦手であった。子供の頃にも何度か顔を合わせているが、この生気を感じさせない、まるで人間を虫か何かを見るような瞳に寒気すら感じる。
だが今はそんなことは言っていられない。
「オスピア、なぜ軍を動かした! 今は様子見だと決まっていただろう!」
その一喝だけで周囲を委縮させるカルターの怒声も、この少女には通じない。
いや、怒声だけではない。もし仮に、この周囲にいる人間全てを殺したとしても、この少女は眉一つ動かさないだろう。
「やりたいと言うからやらせただけの事。好きにさせれば良い。成功しても失敗しても、結局何も変わりはすまい」
カルタ―は目だけで周囲を見渡し座る場所を探すが、どう見てもあの粗末な椅子もテーブルも座ったら砕けてしまいそうだ。
仕方ないので立ったまま話を続ける。
「迂闊に刺激して魔王が壁まで攻めてきたらどうする。何の対策も出来ちゃいないんだぞ」
「ほう……」
僅かにオスピアの瞳に興味の色が混じる。
「ただの阿呆かと思っていたが、それなりに学んできたようだな。環境が人を育てると言うが、いやはや興味深いの」
「今はそんな話をしに来たんじゃねぇ!」
一歩前に踏み出して、相和義輝の魂を震え上がらせた一喝を放つ。だが女帝はそよ風の様に動じない。
「ならばどうする? 我らが帝国の状況は解っておろう。止まっておることなど出来はせぬ。ならば逝きたい者は逝かせるが良かろうて」
四大国の一つ、北の帝国ハルタール。
現在、亜人の住む地への侵攻を開始した国の他、魔族領から着々と撤退中のゼビア公国、マースノーの草原に駐屯するスパイセン王国、リアンヌの丘に駐屯するユーディザード王国などは皆、この帝国の傘下である。
かつて多くの領域が残っていた頃は季節に関わらず多くの作物が実る豊かな土地だったが、領域解除と共にその大地本来の自然に戻っていった。氷に覆われた不毛の地へとだ。
当然ながら領域を残すべきだという意見もあったが、全ての人類の未来の為という大義名分には勝てなかった。
その為、今や名前だけの大国とも揶揄されるのが現状である。
答えに窮するカルターに、畳みかけるように言葉を紡ぐ。
「解らぬか? 今更な話であろう。我らが国は豊かではない。もう戦地へと送る食糧にも余裕がない。戻すならばまだ道はあろう、だが止まれと言うのなら死ぬしかあるまいて。死して得た功績こそが、残してきた血族を助けるのだと信じての」
黙って聞いていたが、カルタ―としても耳が痛い。
実際この魔族領侵攻で、一番割を食っているのがハルタール帝国である。
無理な人口制限解除と長距離の遠征、国土の荒廃、それらは確実に帝国を蝕んでいる。
そしてそれらの行為は、この国だけで決めた事ではない。人類の為にと人類全体が決めた事だ。
結局、カルタ―は手ぶらで帰る事になった。怒りに任せて出てきただけで、何一つ説得する材料を持ち込めていなかったからだ。
これでは交渉の基本すらできていない……反省しながらも、万が一の備えも考えねばならなかった。
カルターが帰った後、 オスピア・アイラ・バドキネフ・ハルタールは全員を下がらせた。
そして一人となった後、見つめる先には一枚の肖像画がある。
顔の左から右へと、一直線の傷がある男……。
「父上殿、今度の魔王は随分と面白そうだの。父上が生きておられたら何と言うか……ふふ、そうであれば、あの魔王はそもそもおらなんだか。栓無き事よの」
外は既に真っ暗な闇に包まれているが、この町は魔力によって灯された人工の明かりで照らされている。その中を、昼夜関わりなく無数に蠢く小さな人間達。あるものは未来を見つめ、あるものは責務に追われ、またある者は悠久の檻の中で日々を過ごす。
様々な思いが過ぎ去りながら、やがて朝がやってくる……。
この作品をお読みいただきありがとうございます。
もし続きが気になっていただけましたら、ブクマしてじっくり読んで頂けると幸いです。
面白いかなと思っていただけましたら評価も是非お願いいたします。






