034 【 新たなる戦いに向けて(1) 】
魔王とティランド連合王国との戦いから二十日後、碧色の祝福に守られし栄光暦217年8月25日。
中央では世界連盟臨時会合が開かれていた。もはや32日に予定していた世界連盟準備会合など完全に吹き飛んだ。
議場は円形のホールとなっており、外側が盛り上がった凹形状。四方に用意された席は1500あり、加盟国全ての大使を収容できる。地球でいう国際連盟の議会場に近いだろう。
大きな違いとしては、飛行機関を使った四大国の議長席が中央に浮遊しているところだ。
本来であれば、中央に位置する議長の出した議題に合わせて、粛々と会合が行われる。
だが今や、議会は紛糾、いや大紛糾で議長の話も全く聞こえない。
「魔王が再び現れたなど誰が信じる物か!」
「ティランド連合王国が失敗したため出まかせを言っているのではないのか!」
「魔族が領域を超えることなど有り得ない! 神が許していないのだ!」
「停戦? 有り得ぬ! 魔族を討伐すべし!」
「軍を集めろ! 第九次魔族領遠征軍を編成するのだ!」
「補給はどうするのだ! 今も前線は補給不足に苦しんでいるのだぞ!」
これまで魔族領侵攻は順調だった。良い具合に人口も減り、更には魔王を討伐したと知らせが入った時は、皆歓喜して踊り狂ったものだ。
太陽の光は確かな未来を感じさせ、作物も今まで以上に成長を見せた。
だがそれも束の間だった。
魔王復活。これ程の凶報がこの世にあるだろうか。
全人類、有史以来の悲願が打ち砕かれたのである。
議場の騒ぎは収まらない。朝も昼も夜も、ただただ実り無き喧騒を繰り返すだけであった。
◇ ◇ ◇
その頃カルターは、中央地下、記憶室にいた。
共をするのは白磁の仮面を被り、全身を白い服で包んだ女性が一人。
そしてカルターは仮面こそ被っていないが、やはり全身を白い服で包んでいる。
二人とも毛皮の靴を履き、金属の金具等は一切身に着けていない。完全に音を断った服装だ。
「壁の建設開始は、紫の静寂に見守られし幸福歴722年2月40日だったな」
長い廊下を歩き、長い螺旋階段を歩き、さらに先に目的の場所があった。
『紫の静寂に見守られし幸福歴700~800年』と記された扉。それは極一部の人間が、特別な理由が無ければ訪れることが出来ない部屋。
ゆっくりと扉が開き、二人は中へと入る。
そこは小さな丸いガラス窓が一つだけある壁で区切られた小部屋。そして奥には少し大きめの部屋。
奥の部屋には沢山の本が並ぶ本棚、そしてテーブルの上には新聞やチラシ、そして無造作に積まれた本。その部屋のイスの上に、一人の少女が座っている。
全ての色素を失ったような真っ白な長い髪に、同じく病的なほどに白い肌。
「カルター陛下、わたくしが手を上げたら、お聞きしたい事をおっしゃってください。わたくしが記憶官様にお伝えいたします。わたくしが記憶官様と話をする間、決してお話になりませぬよう」
「分かっている」
記憶官。それはその当時に普通に生活していた人間。書き残した書類資料などではなく、実際に生きていた生の声を聴くための存在。彼女は“紫の静寂に見守られし幸福歴”700年から800年の百年を外で過ごし、今日までの約1500年をこの中で過ごしている。
記憶が風化しないように当時の本や生活用具が置かれ、当時の生活だけを思い出して生き続ける。そして新たな記憶の書き込みをできる限り減らすため、会話できるのはごく一部の特別な権限を持つ者だけ。それも数百年に一回だけである。食事も毎日同じものが同じ時間と徹底されていた。
「先ずは、魔物は領域から出てくるのか。それを聞いてくれ」
カルターは聞きたい事のメモを見て質問内容を確認する。当然紙の書類や当時の通信貝に残された記録も見た。だが内容は諸説様々で確証を得るものではない。そこで最後の手段として、膨大な量の申請書の束を出して記憶官を使う事にしたのだ。
白い服の女性はボタンを押すと、部屋の中にベルの音が鳴る。
それが合図の様に、中の少女は丸い小窓を見る。その薄い翠の瞳は感情が乏しいが、何かを待っているようだ。
そして別のボタンを押すと、白服の女性はゆっくりとした口調でカルターの質問を伝える。
「質問ですぅ、領域から魔族は出てぇきますかぁ」
今とは微妙に発音の違う、当時の発音で話しかける。
小窓を使って会話するのも記憶を風化させないためだ。壁越しで誰か判らないと想像し妄想してしまう。だから常に同じ格好の人間が相手をする。
「ええぇ、そうねぇ。いぃつも領域から沢山の魔族ぅが出てぇきたわ。だぁから壁を作ったぁのよ」
少女は答えると、自分の記憶を確認するように当時の本や新聞に目を通す。
だがカルターは、あまりの驚きに壁に背を付きそうになった。ここでの音はご法度、危ないところであった。
だがいつからだ? 簡単な事ではない。いや、出来る事ではない。いつから我々は、領域から魔族が出てこないと思い込まされてきたのだ!?
いや待て、早計だ。領域の一部が解除されていただけではないのか?
白い服の女性がボタンから手を放し、カルターに向かって手を上げる。次の質問をして良いという合図だ。
「なぜ魔族は領域を越えられたのだ? それを聞いてくれ」
白い服の女性は先ほどと同じようにベルを鳴らしボタンを押すと、カルターの質問をそのまま伝える。
「質問ですぅ、なぜぇ魔族は領域を超えぇるぅことが出来たぁのぉですかぁ?」
なぜ? どうしてそんなことを聞くの? 感情の乏しい少女からそんな気配が伝わってくる。
「普通にぃ越えるでしょうぅ? だぁって壁が出来るぅまでぇは、色々なぁ魔族ぅが沢山いたわよぇ」
今度はもう、疑いようがなかった。
確実だ、我々の常識は長い時間をかけて書き換えられている。
では誰が、どうやって? 何のために?
当時の資料は確認した。だが曖昧だ。ならばその時から始まっていたのだ。我々の意識を変える作業が。
それは1500年以上の時をかけ、じっくりと、ゆっくりと、様々な形で社会に常識を植え付けていった。魔族は領域を超えないという常識を。
女性が再び手を上げる
「君にとって魔王とは何だ。それを聞いてくれ」
「質問ですぅ、貴方ぁにとってぇ魔王とはぁどんな存在ですかぁ?」
「魔王はぁいつも沢山のぉ魔族やぁ魔神をぉ連れて攻めてぇくるのよぉ。だからぁみんな魔王をぉ倒すんだってぇ頑張ってぇいるのよぉ。魔王は悪い人よぉ」
咄嗟に女性の合図を待たずに質問をしそうになったが、慌てて自制する。
そして女性の合図に対して新たな質問をする。
「魔神とはなんだ?」
「質問ですぅ、魔神とはぁ何ですかぁ?」
「魔人は神よぉ、魔族の神様ぁだわぁ。私達のぉ神様ぁと違ってぇ、彼らはぁ魔族の天からぁ降りてくぅるのよぉ、ずぅるいわぁね」
女性が再び手を上げる。だがカルターは今回はこれまでで良いと伝えた。
質問して良い数には制限がある。それにこの百年期間だけでも、少しずつ期間をずらしながら100人の記憶官が用意されていた。今は病気や自殺で減ってしまっているが、まだ41人が残っている。全員に聞いてから、新たな疑問点を聞けばいいのだ。
「どうでしたか?」
外に出ると、正装したエンバリ―が待っていた。
黒と金を基調としたシンプルな軍服に、黒赤のロングコート。これはティランド連合王国の正規の軍服だ。
だが肩にはマントと一体化した、深い緑色の網目ショールを掛けている。
これは、高位の魔法使いの礼装であった。
「やれらた、その言葉しかねぇ……」
カルタ―は茫然とし、疲れ切った感がある。
既に白い服から高価な礼服に着替えている。全体を赤と黒で統一したスーツで各所の縫い目には黒のライン、そしてボタン周囲と肩のモールに金をあしらう。全体的に魔王の服をもっと洗練したような色彩だ。
カルターは正直、伝統あるこの色調を改めようかと本気で悩んでいた。
壁の建設が始まったのは先々暦、紫の静寂に見守られし幸福歴722年2月40日と記録にある。
そして自分が7歳の頃、壁建設完了の祭りが世界規模で行われた。先暦、黒き永遠を打倒する前進歴913年9月15日の事だ。
1191年をかけた人類最大のプロジェクト。今思えば、なぜこの歳まであの境界線に疑問を持たなかった。どうしてあんなに狭い世界を囲う必要があった。
そして同歴、黒き永遠を打倒する前進歴997年5月1日に魔族領に侵攻することが決まった。
そこからは人類同士の淘汰の時代。反対した国や無能な国を滅ぼし、糾合し、戦いに備えた。
人口制限も大幅に解除され、戦争と食糧難に苦しみながらも人類は数を増やした。
そういえば、この84年間でコンセシール商国とは三度戦争をしたのだったな。
あの腹黒は今どこで何をしているのやら。
そして今の歴、碧色の祝福に守られし栄光暦155年1月1日に魔族領への大侵攻が始まる。
こうして今日まで62年間、魔族と戦い続けようやく魔王を倒した。伝説によれば、これで我々は全ての苦しみから解放されるはずだった……だがすぐに新しい魔王が誕生した。
やはり思い返すと長い。これだけの期間を掛けて世界の常識を書き換える。到底個人では出来まい。組織、それも国家レベルだ。
おそらく君主制の国では出来まい。自国は出来ても他国が無理だ。
そうなると比較的国境を自由に移動する教国か商国か……いや、単体と考えるから詰まる。
複数の国や組織が同時にやったと考えるのが自然だ。だが何のために……。
「エンバリ―、お前はあの壁を何のために作ったと思っていた」
「それは……魔族領からの魔族を防ぐからではないでしょうか?」
……やはりそうだろう。普通はそう考えた。
「なら東はどうだ? あそこにはまだ魔族領が残っている。俺たちが子供の頃には他にもあちこち残っていただろう。なぜ全てを囲わない?」
「そうですね……」
エンバリ―はしばし考える。今まであまり考えてこなかった事、常識。それを改めて問われると根拠に詰まる。
「魔王がいたからではないでしょうか? それが強大で危険なものだから封じた……そう考えるのが自然です」
「魔王がいると言うだけで、千年以上もかけて壁で囲う意味があったのか?」
改めて聞かれると、エンバリ―にはそこから先が思い浮かばない。そもそもあの渦の下に魔王がいるという話……伝説。
いつの間にか魔王とは座標であり目標を指す言葉になっている。
結局魔王とは何なのか……魔族の王とは銘打たれてはいるが、それは何を指す言葉だったのか。
「陛下、そろそろ到着いたします」
王族専用のそれが到着したのは世界連盟中央都市の一角。
特別厳重な警備を施したそこに、世界四大国の代表が集まろうとしていた。
この作品をお読みいただきありがとうございます。
もし続きが気になっていただけましたら、ブクマしてじっくり読んで頂けると幸いです。
面白いかなと思っていただけましたら評価も是非お願いいたします。






