029-1 【 軍隊(1) 】
地平線の向こうから赤紫色の塊が動いてくる。
それは整然と、規則正しく、さっきまでの数は多くともバラバラにやってきた相手とはまるで違う……軍隊だ。
剣や斧、槍に弓矢と得物は違うが、概ね種別ごとに纏まっており、前面の兵士は皆盾を持っている。
横40人並びに10列体制。一塊400人で一つの長方形を作り、それが横長に40隊、奥に4列。合計でおよそ6万4千人と言ったところだろう。
後ろの部隊は普通に長方形だが、最前列の部隊は左右奥に向けて斜めになっている。
三角屋根の家をこちらに向けて倒したような布陣だ。
「横に広いな……やっぱりもう情報は伝わっているか」
こちらの数を甘く見ていない。同時に突破するような強大な魔族は居ない。そして人間側の数も足りていない。そんなところだろうか。
見る限りだと騎馬が多い。おそらく数キロ離れたところで一度集合して来たのだ。だから足の速い兵が多くなる。
時間が経てば、更に足の遅い歩兵隊が順次集結してくる……仕掛けるべきだろうか。
夜中の奇襲からここまで、そろそろ昼へと変わりつつある。最初に戦ったピンクの鎧の兵団が再集結するまでにはもう少しかかりそうだ。やるなら今しかないが……。
「よし、全軍突撃!! 蹴散らすぞ!」
命令と共に一斉に不死者が殺到する。
まだ坑道を歩いている不死者もいるが、既に80万以上の数が揃っている。相手の集結を前に出来得る限り数は減らしておきたいところだ。
号令を受け数十万の不死者が一斉に人類軍相手に殺到する。
だが崩せない。十倍以上の戦力でぶつかっているが、相手の数が全く減らない。
正面からぶつかった不死者の軍団は盾と槍に阻まれ、何とか潜り込んだものも剣や斧で潰される。
左右へと回り込んだ不死者達は騎馬隊にちょっかいを出され、追いかけるが追いつけず、行き場を無くして右往左往している状態だ。
人類軍の使う飛び道具、水分に当たると周囲を沸騰させる必殺の矢が不死者には効かないのだけが幸いだ。
今までは数の利を生かせた。最初に奇襲し、こちらが旨く周囲に拡散していたからだ。
人間は前しか見えない。武器は前にしか届かない。そして人間の使う異常に大きな武器は、密集状態だとうまく振り回せない。だから数で押し包めば楽に勝てた。
だが今、不死者達は攻撃しても耐えられ、入れる場所を求めて相手の作った斜め陣形に沿って移動。そして両端で騎馬隊に蹴散らされてと散々だ。
人間が僅かの兵で完全防衛しているのに対して、こちらはまるで物販に並ぶ列の様に移動しては叩きのめされる……うーん。
「一度全員を戻してくれ……」
仕切り直しだがどうするか。今回は当初予想していた1:10の戦力比ではない。人間一人を倒すのに20か30はやられている。これでは戦闘にもなってない。
確か昔、先っぽを尖らせるのは突撃陣形だと聞いたことがあるが、あれは完全に防御陣形だ。崩せる気がしない。
一方、その陣形を指揮するティランド連合王国軍将軍エヴァート・リンネルもまた苦境の中にいた。
両手には銀の戦斧。連合王国の赤紫の全身鎧に身を包み、頭には羽飾りのついた湾曲した矩形の兜。そのバイザーから覗く灰色の目は濃い疲労を湛えている。
「ベイカー中隊長が戦死!」
「イズマン中隊長負傷! 下がります!」
人間側も無傷とは程遠い。負傷者続出の状態だった。
既に後列の騎馬隊は左右に展開したため前線は三列。更に最前列もいくつか崩れている。後方予備隊と入れ替え布陣は保っているが、一か所崩れれば全体が崩壊する綱渡りの最中だ。だがあの数相手にこれ以上前面は縮小できない。
「数が多すぎる!! 一体何万、いや何十万居るんだアレは!」
馬に乗っているが全貌は見渡せない。見渡す限りの不死者の群れ。一体どんな理由でこれほどに湧いたのだ。
「クソッ! 武器を持たない相手がこれ程厄介だとはな!」
人間の鎧は大きく、また武器は長大だ。サイアナなど一部の特殊な例を除いても、一般兵の剣は刃渡り130センチから170センチが基本となる。槍もやはり長く、特に穂先は通常の何倍も大きい。盾も同様に大型だ。
そのため兵は十分な間隔が無ければ戦えない。だがその隙間に武器も鎧も持たない不死者が潜り込んでくる。
前線の崩壊もそうだが、左右から後方に回り込まれたらそれで終わりだ。騎馬隊の体力にも限界がある。なんとか増援の到着まで持ちこたえねば……。
「将軍! 敵が引いて行きます!」
そこにはぞろぞろと列を成して引いて行く不死者の群れ。
「ふむ、先ずは助かったと言う事か」
だが逆に不安の種が頭をよぎる。不死者とは理由も無く退くものであったか?
その頃、魔王が陣取る丘の上では……。
「結構向こうの負傷者多いですわよ。押し切っちゃいませんの?」
死霊隊の偵察が終わり、死霊のルリアが進言してくる。
確かに負傷者が多いのは見て取れた。あのまま押し続ければどこかで敵の防衛陣は決壊し勝てただろう。だが、そのどこかまでの犠牲が無視できない。
「この戦いだけ勝てば良いならそうしたいよ……」
だがそうはいかない。目の前の軍相手だけじゃない、この戦場だけでもない。今後も勝っていかなければいけない。ただの消耗戦の結果勝ちましたでは意味が無いのだ。
「全体を再編成する」
◇ ◇ ◇
「現在死者2276名、重症及び不死者の毒にやられ動けない者6672名、負傷者は3万を超えています。騎馬隊は健在ですが、馬に休養が必要との事です」
「何とかなっているな……だが次はもたんぞ。援軍の様子は?」
報告を聞いたエヴァート将軍の落胆は隠し切れない。
ここはある程度の死が前提となっている社会であり、たとえ部隊が壊滅しようとも、撤退命令が無い限り、残った兵士達は戦闘を継続する。どのみち逃げたところで、魔属領で生きていくことなど不可能なのだ。
だが個人がいくら奮戦しても、陣形を維持できない時点で戦いは負けだ。
「現在ヘイラム将軍が、歩兵2万4千と騎兵3千600を率いて進軍中、40分後に到着予定です。それとバラント王国の重歩兵隊8千が戦列に加わります」
「そうか、何とかなりそうだな。バラントの連中は右翼に展開させろ。今度あそこで不死者共が団子になったら、一気に殲滅させるとしよう」
希望が湧いてくる。何とかなる。そう考えた時――
「不死者の群れが再び動き出しました!」
部下からの報告に、エヴァート将軍は静かに覚悟を決めて立ち上がった。
「連中は左右に動き出しています!」
部下からの報告通り、不死者の群れは左右に分かれ大きく迂回するように見える。このまま手をこまねいていては、左右か背後から攻撃されて終わりである。
「援軍はすぐに来る。それまで耐えよ!! 左右の陣形を再編。円形防衛陣を敷く」
エヴァート将軍の指示で即座に陣形が変わる。
これまで前に対して尖った横長の形状だったものが、固まった形に変形していく。
今までの横長と違い、400人で構成される長方形が四方に8隊ずつ並び、それぞれが3列。四角いドーナッツといった形だ。内側には細かく分けられた部隊がいるが、おそらく交代要員や負傷者だろう。
その横、魔王から見て左には完全に一塊となった様な八千の重武装した兵団が500メートルほどの間隔で待機している。
教科書に乗せたいほどの素早い陣形変化。だが当のエヴァート将軍の不安は大きくなる一方だ。こちらを避けていく? 迂回していく? あり得ない、どうなっているのか。
「布陣が早いな、羨ましいよ」
魔王側には部隊指揮官がいないので、どうしても行動は緩慢なものになる。
魔王の指示の下で飛んだ死霊達が、「こっちですよー」とか「足元気を付けてくださいねー」等と声をかけて誘導するのが限界だ。まるで園児を引率する保母さんの様である。
もっとも人間に不死者語は判らないので、上空で死霊達が「キャーーーー」とか「ヒャーーーー」とか叫んでいるようにしか聞こえないのが幸いだ。
(多分あの一団はアレだな。試そう……)
相和義輝はピンクと赤紫、それぞれの軍隊を観察していた。動きの違い、そして違いは何かを。
「左に分かれた連中に、あのピンクの重武装の一団を襲うように指示してくれ」
魔王の指示で左翼に分かれた不死者軍団がバラント王国の重歩兵に殺到する。さっきまで戦っていたティランド連合王国軍より遥かに重武装の一団だ。
だがそれはあっさり崩れ、見る間に不死者の群れに飲み込まれてゆく。
しかしエヴァート将軍は動けない。動いたら次に飲まれるのは自分たち自身だからだ。
やはりな――
規則正しく整列していたティランド王国軍に対し、バラント王国軍は1つの団子になっていた。指揮系統を統一しただけで細かな隊分けが完了していなかったのだ。あれでは死霊に引率される不死者の群れと何も変わらない。
「次は残った円形の敵を攻める。左右両方とも突っ込ませてくれ」
――あの陣形なら、騎馬で拡散される事も無いから数の利が生きる。それに逃げなかった。援軍がもう近くまで来ているんだ。ここは無理をしてでも急いだ方が良い。
「クソ! クソ! クソ! クソ! たかだか不死者の分際で!」
エヴァート将軍も両手に持った銀の戦斧で必死の防戦をする。
だが既に勝敗は決した。決壊した防御陣から不死者が殺到し、囲み、そして殺す。もう味方はおらず周囲全てを不死者に囲まれていた。
それこそ、陣形が破られてから一瞬と言っていいほど短い時間の出来事だった。
「おのれえぇぇぇぇ!」
腕を掴まれ、足を掴まれ、屍肉喰らいの爪が鎧をカリカリと引っ掻く。だがもうどうしようもない。抵抗さえできない状態で、エヴァート将軍はゆっくりと鎧を剥がされ殺されていった。
援軍として到着したヘイラム将軍だが、ただその様子を見守る事しかできなかった。
眼前に、絶望を撒き散らしながら不死者の群れが迫って来ていたのだから。
この作品をお読みいただきありがとうございます。
もし続きが気になっていただけましたら、ブクマしてじっくり読んで頂けると幸いです。
面白いかなと思っていただけましたら評価も是非お願いいたします。






