028 【 ナルナウフ教の司祭 】
ナルナウフ教団は、特定の国家に属さない宗教団体である。
この世に迷い出てしまった死者達の魂に安らぎを与え大地に帰すことを教義とし、世界中に散る二百万の信徒達は、死者の安寧の為に世界中を巡礼している。
彼らは自分達の軍は持たず各国軍に交じって行動するが、ごく一部、聖都からの支援で編成された特別部隊が存在していた。
その中でも魔族領に存在するナルナウフ教最大勢力、それが“かつての美の化身”サイアナ・ライナア司祭率いる精鋭部隊六千で編成された、対不死者突撃部隊であった。
「さあ、死者の方々に安息を与えるときが参りましたわよ! 各員、突撃!!!」
◇ ◇ ◇
地響きを立てて不死者の群れに躊躇なく突撃する一団。
全員が騎乗している。しかしあれは馬といっていいのだろうか。
サイの様な太い脚、太く硬質的な体、短い首。頭が馬でなかったら誰も馬とは思わないだろう。
それは、巨大な武具を身に纏って戦う人間達のために、長い時間をかけて品種改良された軍馬であった。
その軍団の先頭にサイアナ・ライナア司祭がいる。
巨大な潜水服を思わせる丸い分厚い兜の根本、ほぼ首の中心には細い楕円の水晶が埋め込まれ、僅かにその鈍色の目を伺い知れる。
体は上に合わせたような分厚い全身を包む鎧。上と相まって見た目は潜水服そのものだ。だが巨大さのスケールがまるで違う。薄い部分でも百ミリはありそうな鎧は、鎧というよりもはやパワードスーツのよう。
肩には三枚重ねをずらした湾曲した鉄板が貼り付けられており、両側にナルナウフ教のシンボルである聖女が描かれている。
そして全身の色もまた、ナルナウフ教司祭の証である深い緑色に統一されていた。
手にはかつて見た聖杖――柄まで含めた全長は200センチ、先端は直系100センチ、長さ140センチの円筒形。ドラム缶にコンクリートを流し込んで柄を付けましたと言った形状だ。
その円筒には格子に溝が彫られており、その表面には”悪霊退散、怨霊退散”と書かれている。
「そーれ! そーれ!」
掛け声とともに進行方向にいる不死者達が炸裂する。いや、決して比喩ではなく本当にバラバラになって吹き飛んでいく。周囲の不死者もまるで近づくことが出来ない状態だ。
「あれは無理だ!! ルリア、何とかならんのか?」
だが死霊のルリアは頭を押さえて座り込み、こちらを見ながら無言でプルプルと頭を横に振っている。不死者にアレの相手をさせようというのはさすがに無理か。
だが手をこまねいている間にサイアナ率いる騎馬隊は不死者の群れを削りまくっている。疲労も全く感じさせない。このままではサイアナ一人に全滅させられる恐れすらある。
「仕方ない、予定よりだいぶ早いがアレをやるしかない! 蠢く死体隊に支度させろ!」
◇ ◇ ◇
「……あれは何ですの?」
サイアナの左前方、小高い丘の上。そこにはずらりと旗が経っている。そしてこれを見ろと言わんばかりに焚かれている赤と黒の発煙筒。
「赤と黒は普通使いませんね。発煙筒の間隔も短すぎて、あれじゃ煙が混ざり合っちまうでしょう。それにあの位置はどう見ても友軍ではありませんよ。いかがなさいますか?」
サイアナに仕える司教、オブマーク・ゾレオも少し困惑する。
既に魔族領で百年以上も戦い続けているベテランだが、不死者がこれほどに沸くのを見たことが無い。
しかもあの怪しすぎる旗と発煙筒は何だ?
何かの罠にしては稚拙すぎるし、そもそも不死者が罠など張るものなのか?
「無視しましょう。今わたくしたちの前には迷える方々が沢山いるのですもの」
サイアナは今、目の前の不死者に夢中だった。
◇ ◇ ◇
「だめだ、無視された。もっと興味を惹かないとだめだ。旗のポールが短かったか? とにかくこっちに注目させないと話にならない。そうだ! お前たち、もっと声を出せ!」
魔王の指示で背後に控えていた蠢く死体や屍肉喰らいが一斉に呻き声をあげる。
肉々と叫んでいるだけだが、多分向こうには意味はわからないだろう。
「それとあの集団の進行方向の不死者を全部こちらへ逃げて来させろ! 急げ!!」
「えー、わたくしが行くんですの?」
死霊のルリアは不満たらたらだ。だが――
「いいから行けー! お前伝令分の魔力ちゃんと持ってっただろ!」
触れないけど首根っこ掴んででも行かせるしかない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「妙ですね、不死者が向かってこなくなりました。それにあちら……」
オブマークが示した方向は先ほどの旗と発煙筒の地点。如何にも怪しい地点だ。そこへ向かって前方の不死者達が逃げて行く。
本当に誘い込もうとしているのか? だとしたらお子様レベルの作戦だ。
「ええ、それに何やらあちらで不死者達が呻いていますわ。」
サイアナの頭には妙な不安感があった。あまりにも不自然な誘導……しかし。
「もしかしたら、死者を迷わせる元凶、悪魔がいるかもしれませんわね」
結局、サイアナは魔王の陣取る小高い丘へと進路を変えた。トキメキにも似た感情と共に。
◇ ◇ ◇
進路上の不死者を蹴散らしながらサイアナ率いる六千騎が上がってくる。
心臓がバクバクする。いよいよデビュー戦だ。ここでの出来次第で今後の全てが変わってくる。
落ち着けよ、俺。しくじるなよ、俺……来た――――
「これは何ですの?」
サイアナの驚きも無理はない。そこには旗を持ちずらりと並ぶ蠢く死体達。
旗に刺繍されているのは魔王の文字。そして無造作に焚かれている発煙筒。
その中心に、一人の男が立っている。
黒と赤を基調とした服、見るからに怪しい銀の仮面。そしてダサいマント。服にもしっかり魔王と刺繍され、いかにも自分が魔王だと言っているようだ。ではあるのだが――
「随分と威厳が無い魔王ですのね」
サイアナはサクッと相和義輝の心にナイフを突き立てる。
(ああ、判っているさ。服も急ごしらえだし旗はダサいし、それにこの後ろで炊かれる発煙筒。今時これで凄いと思ってくれるのは幼児くらいなものだ。だが、やるしかないのだ)。
「よく来たな……我はま――」
話をする間もなくサイアナとその配下は躊躇なく突進してくる。しかし――
一閃。そこには何もないが確かに何かがある。エヴィアの武器だ。
透明なそれは目に映らないが、もし見る事が出来たらなら、今のエヴィアの姿は毛玉の様に見えただろう。極細の、全てを切り裂く糸の触手。
突進してきたナルナウフ教団騎馬隊は見えない何かに引っ掛かり、輪切りの肉塊となって血しぶきと共にボトボトと地面に転がっていく。
だが――
切れない!?
エヴィアが自らの武器で切断できないものは初めてだった。人類の鎧も、飛甲板も、飛甲騎兵すら切り裂いてきたのだ。だがサイアナの武器にも鎧にもかすり傷程度しかついていない。
一方――
切られましたわね。
サイアナの乗っていた馬は頭も首も足も、出鱈目に包丁を入れたように様々な角度から切断され輪切りとなる。自分にも、何か蜘蛛の糸が掛るようなそんな抵抗を感じた。
だがしかし――すぐに左足で着地をすると、その足を軸に魔王に向かって跳躍する。
轟音と強風を伴った聖杖が右から左へと俺の目の前を掠める。エヴィアがマントを引っ張らなかったら今ので一巻の終わり、ジ・エンドだ。
これはまずい! 咄嗟に腰に差しているオルコスの息子の形見の剣を抜くが――
今度は左から右へと掠めた聖杖が形見の剣に当たり、パンっ! という乾いた軽い音と共に柄から先が粉々になって飛散する。まるで金属バットでフルスイングされた煎餅の様だ。
ま、まて! 何だ今の!? この人は不死者特攻じゃねぇ、人間……いや生きとし生けるもの全てに対して特攻だ。レベルを上げて物理で殴るを地でいってやがる。
しかもあの聖杖、やっぱり唯の鈍器じゃないか!
大体あの鎧は何だ? 以前駐屯地で鎧を着ていないサイアナに会ったが、普通に可愛い女の子だった。絶対にこんなに大きくはなかったはずだ!!
だが目の前のモノは彼女が両腕を広げたくらいの幅があり、しかも身長も自分よりずっと高い。およそ2メートル40センチと言ったところか。動いているときにモーターの様な駆動音もする。これじゃ本当にパワードスーツそのものだ。
「ま、待て、少し話をしないか?」
ほんの少しの間が欲しい、心を落ち着けるだけの時間を。
「ふふ、そんな迷った顔をされてしまうと、わたくしとしては地に返して差し上げないといけませんわ」
軽く言葉を交わしながらも、サイアナは別の事を考える。
(先程もまた……何かに当たりましたわね。やはり蜘蛛の巣の様なもの……糸ですの? では今度はいかがでしょうか)。
サイアナは姿勢をしっかり整えると、全神経を集中し魔王めがけて全力で突進する。
今度はたとえ抵抗があっても、それを突き抜ける勢いで!
「よそ見ですか!? 私も舐められたものですなぁーー!」
オブマーク司教もまたサイアナ程ではないが、よく似た水中服の様な形状の鎧を身に纏っている。だがその右手は前腕が斬り落とされ、今では左手一だ。
しかしその力は一向に衰えず、彼の振るった聖杖がエヴィアに命中する。直撃だ。
岩どころか鉄をも砕く一撃――にも関わらず、その威力と2倍以上の体格差にも関わらず魔人エヴィアは右手一本で軽々と受け止める。
ダメージは無い、だが衝撃で足が地面にめり込む。魔王のもとへ行けない――!
うわ! 死ぬ!
魔王、相和義輝はまるで世界が静止したかのように感じていた。
これ死ぬのか? だが死の予感は感じない。生き残るって事だろうか。だが無理だ。サイアナの聖杖が迫る、直撃コースだ。
重症で助かる? 確かにこの能力は死ぬかどうかしか判らない。一生車椅子生活でも死なないなら死は感知できない。でもやっぱりこれは当たれば死ぬに違いない。
水中服の様な頭部の首に付いたガラス窓から覗く鈍色の瞳は、真っ直ぐに俺を見つめて――いない!?
俺を通してその向こう、何だ? 何を見ている?
世界が急に暗くなる。影だ! 何かが背後にいる、いや来た。菱形の影、そして左右に何か別の大きな影――鋏。この姿は……。
「ヨーツケール!」
金属と金属がぶつかり合う、鼓膜を破るような轟音! そして目がくらむような火花!
サイアナの聖杖と魔人ヨーツケールの右上の鋏が激しくぶつかり合う。
打ち合った魔人ヨーツケールの右上鋏は根元から外れ、地面にドスンと落下する。
先端は潰れ、そこから灰紫の体液を吹き出していた。
一方サイアナはトラックに跳ねられた人形の様に重力を感じさせない姿勢で吹き飛ぶと、まるで水切りの石の様に何度も何度も地面に叩きつけられ跳ねる。しかし――
――ガガガガガガガガガガガガガッッッ!
地面に聖杖を突きたてると、それをブレーキにして停止する、仁王立ちだ。
今の一撃で六百メートルほど吹き飛んだサイアナの姿は、もう点にしか見えない。だが感じるその生命には僅かの陰りも見られない。本当に人間かアレ!?
「司祭様!」
「ご無事ですか!?」
教徒たちが一斉にサイアナに集まる。
あれほどの衝撃、あれほどの吹き飛び。サイアナの聖杖は潰れ拉げ、柄も歪んで使い物にはならない。信者たちの心配ももっともだ。しかし……。
「見つけた! 見つけましたわ! あの異形、あの強さ、あれぞまさに伝説の悪魔! 人を迷わす元凶ですわ!」
サイアナは嬉々として感動している。
ナルナウフ教の経典に記される伝説。この世界のどこかに異形の悪魔がおり、それが死者を迷わすのだと。
そしてそれを打倒し死者に永遠の安らぎを与える事こそが使命なのだと。
もうサイアナの目には貧相な魔王など映ってはいない。あの異形の悪魔。あれを打倒する事が我が使命。
「ああ、神よ……今日の出会いに感謝いたします。わたくしは遂に、伝説の悪魔に相まみえる事が出来ました」
「今はダメです、司祭様!」
「どうかご自重を!」
だが信者は不安を覚え反対する。
「ええ、判っておりましてよ」
サイアナも分かっている。聖杖は破壊されてしまった。体もあちこちがじくじくと痛む。エヴィアの触手は、鎧の薄い部分を幾つか貫通していたのだ。
「ふふふ、楽しみが増えました。今日は全員引き上げです。次はもっとしっかりとした装備をご用意いたしますわ」
そう言うと、サイアナは堂々と帰って行く。
その進む先にいる不死者達は、命令も無いのにまるで海を割るかのように避ける。
「ああ、あれは仕方ないな。あの人は多分、素手でもあまり変わりないわ。それよりも……」
相和義輝としてはヨーツケールの方が気がかりだ。
「鋏は大丈夫なのか?」
《 問題無い、魔王。ヨーツケールの鋏はよく外れる 》
そう言うと器用に下の鋏で拾い、上の鋏を元の状態にくっつける。
《 それよりも魔王、追わなくて良いのか? 》
「ああ、問題ない」
予定の一割も成功しなかった。だが、今はこれ以上サイアナと戦っている余裕がない。
本当に、時間差で来てくれてよかったと思う。とてもじゃないが、あれと同時に相手は出来ない。
今眼前には赤紫の塊が広がりつつある。
ティランド連合王国の軍隊が迫ってきていた。
この作品をお読みいただきありがとうございます。
もし続きが気になっていただけましたら、ブクマしてじっくり読んで頂けると幸いです。
面白いかなと思っていただけましたら評価も是非お願いいたします。






