026-2 【 魔王の居城(2) 】
魔王が坑道に入った頃、碧色の祝福に守られし栄光暦217年7月34日。
この日、世界連盟中央都市では世界連盟準備会合をいつ開くかを決める準備会合が閉会していた。
世界連盟準備会合は魔族領から帰還した王族を処分するかどうかが議題であり、それ自体は同年8月32日に開催と無事に決まった。
しかし7月29日から始まった議会は、中央に対する不信とこれまでの侵攻作戦の不手際、新たに浮かんだ補給問題を糾弾する場となり、混乱、混乱、また混乱と酷い有様であった。
「全くあそこまで酷いと逆に笑えるな。元々王政なんぞ敷いている連中に、さあ失敗について話し合えなんてのが逆に無理なのだよ」
コンセシール商国最高意思決定評議委員長ビルバック・アルドライトは実に面白そうにその筋肉の塊とモヒカン頭を揺らして笑う。
この世界の政治体制は大きく分けて3つ。君主制、教国制、商国制だ。
どれも一長一短があるが、世界的に見れば君主制が一番多い。なんといっても、中央集権が戦争に一番適した体制だからだ。その点でいえば教国制も同じである。
だが同時に、中央集権には当然悪い点も存在する。権力を集めるための権威、それそのものが時に足かせとなる。
「しかもこんな準備会合なんぞに来るのは大した実権も無い事務員だ。責任を取れる奴なんぞおらん。全くこんな仕方のない話にわざわざ呼び出されるとは、いささか我々の立場を軽く見過ぎではないかな」
そのギラギラした緋色の瞳の先には一人の気弱そうな男が座っている。
背丈は170センチギリギリ。外見年齢は20歳丁度と言ったところであろうか。少し色が入った白系の肌に、痩せ型で少しひ弱な印象だ。更に極度の撫肩のせいでそれに拍車がかかっている。
くすんだ金髪は左右で綺麗にカール、片上下の服もピシッとしており、身なりは綺麗に整っている。かなりの金持ちか高い身分の人間だ。
だが紺色の瞳はおどおどと下を見据え、決して正面を見ようとはしない。
その男とはティランド連合王国大使シャハゼン・ジェパ―ド大臣であった。
――何でこんな状況に追い込まれているのだ! 私は世界四大国の一つティランド連合王国の中央評議大臣であるのだぞ!
決して無能な男ではない。むしろ十分に有能と言える。頭脳明晰で周辺国に強いパイプを持ち、金にも女にも惑わされた事が無い。仕事熱心で部下や上司の信望も厚い。
だがその有能さは自らを相手より一つ上に置いた余裕から生まれるモノであり、自分が追い詰められた時の処世術は学んでこなかった。今まで175年の人生で一度も必要が無かったからだ。
しかし今、彼――シャハゼン大臣の執務室にはコンセシール商国最高意思決定評議委員長ビルバック・アルドライト、同国最高意思決定評議副委員長イェア・アンドルスフの商国最高官の二名。それにゼモントー王国のカリノフ・ゼモントー国王、ボウセール公国のアビデアウ・シン・ボウセール公爵、それに何よりもゼビア王国のククルスト・ゼビア国王が居る。
――どれも自分より格下の国家だ!!
だがコンセシール商国はティランド連合王国の経済に大きく食い込んでおり、またそれを支持する層が大勢を占める。それに何よりこの二人の持つ鬼気とした空気には抗えない何か命令の様なものが含まれている。
そしてゼモントー王国、ボウセール公国は共に炎と石獣の領域に参戦し、当時の国王他の将兵全てを失う大損害を受けた国だ。当時の総大将であったティランド連合王国との因縁は決して浅くはない。
極めつけはゼビア王国のククルスト王。クランピッド大臣の名誉ある玉砕突撃は世界でも評判となっており、逆にそれをさせた中央への風当たりは日増しに強くなる一方だ。
そしてその風は今、シャハゼン・ジェパ―ド大臣に向けて轟音を響かせ吹き荒れている。
「余の話を聞いておるのか! 貴公の国王が魔属領にいるから何をしても許される、そうとでも思っておるのか! ああ!? 我が領民は魔族の手から人類を守るために門を超えたのだ! それがなんだ!! あぁ!? 食料が送れませんだと!! ああぁ!? 自害させたぁ!? あぁ!? 貴様は人道を何だと思っているのか!!!」
勢いよく叩かれたテーブルが真っ二つに割れる。
――貴様の様な人外の罪人が人の道を説くか!?
声に出して言いたいが口には出せない。
194センチの巨漢。だが背丈だけではない。人外に盛り上がった筋肉は怒りのボルテージに合わせて膨張し、シルクの高価そうな衣服がビリビリと音を立てて裂けている。それはまるで今にも噴火しそうな勢いで、彼の巨大を更に大きく錯覚させる。
馬面の長い顔には額から頬にかけての2条の大きな傷跡。それは目にも通っており、彼の両目は水晶の義眼だ。そして左手も上腕中心から斬り落とされており、切り口の周りには刺青が彫られている。どちらも重犯罪人の証である。
「聞いておるのかぁ!!!? ああぁ!?」
更にもう一回割れた机を叩くと、それは粉々になって吹き飛ぶ。
直接本人を殴らないのは、理性の証か本能か。
ゼビア王国“無眼の隻腕”ククルスト・ゼビアは鶏のとさかの様に揃えた真っ赤な髪を揺らし荒れに荒れている。
「こちらの話も聞いておりますかー? 聞いてくださいよー? こちらもですねー、そろそろ我慢の限界ってやつ、来てるんですよー」
「いい加減に話を変わっていただけませんかね。当方の要件は随分と前に提出した書類の通りです。私も国家の主としての責任がありますので、あまり無用な時間を取られては困るというものです」
カリノフ王やアビデアウ・シン・ボウセール公爵も話を譲らずシャハゼン大臣に詰め寄るが、目の前に台風がある状況ではどうすることもできない。
「まぁ、いつもであればアレでも良いのだろうがな。状況が判っていない。戦場しか知らない。ティランド連合王国の悪習のツケだな。なあイェア」
コンセシール商国の二人が大臣の執務室に入ってきたのは最後であり、その時には既にククルスト王の大音響が響き渡っている状態だった。仕方がないので入った扉の前で聞こえよがしに立ち話をしているという状態である。
「本当に……無様。フフ、フフフフフ、ホホ、オォーッホッホッホッホッホ!」
176センチの長身に深い褐色の肌。太腿にまで延びる漆黒の長髪に怪しげな光を湛える金色の瞳。道で出会えば誰もが注目する美貌と美しい体を踊り子の様な際どい衣装に包んだ女性、コンセシール商国ナンバーツー、イェア・アンドルスフの狂ったような笑い声がこの混沌とした執務室の空気をさらに掻き回す。
――早く、一刻も早くお戻りください、カルター王よ。
だが大臣の願い無虚しくカルター王は遠い魔族領の空の下。
大臣執務室で起こった悪夢の様な饗宴は、いつまでも終わらなかった。
◇ ◇ ◇
ここが魔王の居城か……へえ。
そこは巨大なホールであった。ドーム状の壁や床は、石とも金属とも言えぬ滑らかな鏡面に加工され、中央奥にはそれなりに豪華な大きな椅子がある。
ドームの各所には大小様々、床どころか上の方にまで坑道の穴がいくつも空いている。
広さは野球場くらいだろうか? かなりの広さだ。
「考えてみれば地下なんだから、如何にも城ってのがあるわけじゃないんだな」
とことこ歩いていると、坑道よりは音が響く。ここなら玉座から全体まで音が響きそうだ。
「それにしても、なんだいこれ」
少し大きな玉座。黄金で作られたそれには宝石が輝き、美しい装飾が施されてた豪華な造りだが、決して趣味が良いとは言えない野暮さがある。
後ろには人間が使う魔道炉が一つ設置されていたが、今の俺には使えない。
「どんな趣味だよ。それに硬いし痛いし」
実際に座ってみると、硬い金の上に直なのだからすぐに尻が痛くなる。使うにはクッションが必要だろう。
「魔王、こちらが魔王の私室と倉庫かな」
「ああ、行く行く。それが本命だ。スーパー兵器とまでは言わないが、役に立つものがあってくれよ」
しかし――
「ここが魔王の私室? いくらなんでも質素というか……」
そこは6畳ほどの小さない部屋。地下だから窓は無く、小さな机と椅子、それに本棚。どれも木製で、手作り感満載の粗末なものだ。
本棚には魔術、薬学、生態学、工学の専門書から小説、詩集など様々な種類の古本が雑多に並ぶ。
机の引き出しには羽ペンとインクが入っていたが、日記の様な書かれたものは一切置いてはいなかった。
「こんな処で何千何万年と暮らしていたのかよ……」
それはあまりにも質素というか、みすぼらしいというか、思っていたのとは全く違う生活だった。別に自分が贅沢しようと思っていたわけではない。だが先任者のこの境遇はさすがに想定外だ。
それに生活感が無さ過ぎて、人となりを知るような材料もない。
いや、長くは居なかったかもしれない。いつも戦っていたんだったな。
だがここに戻って来た時、あんた何を考えていたんだよ!
部屋はもう一つ、本当に倉庫であった。
食堂や浴槽などは無く、本当に生活感も欠片もないところだ。
もしここで百年間じっとしていろと言われたら気が狂ってしまうかもしれない。
そして倉庫なのだが……
「なあ、これは何だと思う?」
「旗に見えるかな? 魔王には他の何かに見えてるの?」
それは旗だ、解るよ。
周囲に金のフレンジがたっぷりと付いた、優勝旗より大きな三角旗。
内側は黒と赤の斜線取りで中央には引き拍の金糸で、キラキラと輝く魔王の文字が刺繍されている。
「なんだよ! 魔王ってみんなこんなイメージなのかよ! この世界の魔王どうなってんだ!」
こんな旗が合計で1244枚。
でもまあ、欲しかったものだ。実際これから必要になるが、時間の問題で実行できなかった。それがここで手に入ったのは良しとしよう。
「あとは旗用のポールと墨の入った壺、これは立て看板か……何に使うのかねこんな物。それとボロボロの布が一山。全部麻の衣類だが本当にボロ布で着れそうにはない。それとホテル地下にもあった柱が一本ね。」
これだけか……逆にある意味凄いよ。
金の玉座の上に麻のボロ布を敷いて座って休憩。
本当に……本当に何もない、何も判らない場所だったなー。
死霊のルリアの淡い灯りにぼんやりと照らされながら考える。
柱は炎の精霊に魔力を与えるための物だろう。
あの謎の旗は何だろう、発注したけど恥ずかしくて使えなかったものか?
この尻に敷いているボロ布は前魔王の私服だろうか。そういえばこんな感じのを着ていた気がする。
謎の立て看板は……きっと何か利用法があったのだろうが今の自分にはゴミも同然だ。
そんなことを考えていると……
「魔王様、魔王様、エヴィアさんがどっかへ行ってしまいましたわ。チャンスです! チャンスですよー!!」
ああ、そういえばエヴィアは他の坑道の様子を見て来るとか言ってたな。何かあればいいんだけど。
「それでルリア、何がチャンスなんだ?」
目の前少し上に浮かんでこちらを覗き込んでいるので、ちょっと視線を下げると透き通った白い乳房が目の前に飛び込んでくる。
「約束ですよ、約束♪ あの時お願いを聞いてくれるって言ったじゃないですか。」
引率と伝令をお願いした代償として要求されたのは特別魔力。
死霊達へのボーナスを、ルリアが代表でちょこっと頂くというものだった。
「ああ、確かにな。約束は守る。少し位なら良いぞ。」
「ホントですね!? では頂きますわよー♪」
なんだか大はしゃぎで回りを飛び回る。まあ喜んでくれるのは良い事だ。
しかし、いつも子供っぽい仕草をするのに、こんな時はなんか妖艶だな。
近くに寄って触れそうなギリギリで少し離れ、またギリギリまで寄ってくる。
動くたびにルリアの大きな乳房が服から零れ落ちそうになり、メイド服のスカートの裾からは艶めかしい太ももがチラチラと顔をのぞかせる。
その踊るような仕草が異様に魂を刺激する……触っていいよね?
だが触れようとしてもスカッとすり抜けて触れない。
「ふふふ、踊り子にはお手を触れないようにお願いします。」
「エヴィアと…いい……お前と……いい、なんで…そんな……言葉……」
あれ? なんかおかしい。頭がボーっとする。意識が…………。
「コラー!」
――エヴィア!?
突然声がしたと思った瞬間、目の前を妖艶に飛んでいたルリアの後頭部に、絶妙な角度でエヴィアの回し蹴りが炸裂する。
さすが魔人だ、死霊にも触れるのか。ちょっと羨ましい。
蹴られたルリアは勢いよく壁面の中へと消えていったが、あれは大丈夫なのだろうか。
「魔王は馬鹿かな?」
はにかむような微笑みをしながら怒気をはらむ声で言い放つ。
怖いよエヴィア。
いきなりの言われようだが多分間違っていない。生きるか死ぬかのギリギリまで吸われた感じがするよ。死霊を甘く見過ぎていた……。
翌日、全ての魔人が魔王の居城に集まった。
俺の目の前には三人の魔人。
そして俺の横には立て看板。そこには“魔王反省会“と書かれている。
議題は昨日の一件と、俺自身が魔力をコントロールして過剰に吸われないようにするって事だ。
――すげーよ先代魔王! あんたの用意したもの結局全部使うことになったよ!!
血涙が出そうなほどに悔しい。
だが魔力のコントロールに関しては、付け焼刃ではあまり意味は無いという事で今後の課題として残ることになった。
戦いが終わったら、じっくり学んでいこう。
「それで、今回もこれで良いのか?」
前と同じように、柱に両手を当てて立つ。
「それでいいかな。今回も魔力の調節はエヴィアがやるね。それじゃ出すよ。」
横ではルリアが“反省中”と書かれた看板を首に掛け正座している。あれ誰が用意したんだろう? そんなことを考えながら炎の精霊たちに魔力を分け与える。
結局本来の待機時間に加え、魔力回復のため五日も余分に滞在することになってしまった。
食べ物が無いならないで済む不死者軍団だったからよかったが、食べ物が必要な生物を連れていたら危ないところだ。
ルリアにはもうしばらく反省してもらおう。
◇ ◇ ◇
夜、夢を見た。
目の前には小さな丸い窓。その向こうで俺が戦っている。
革の様な金属の様な、生物的な鎧を着て戦っている。
手には金属の様な、或いは生物の様な剣を持って戦っている。
全身が血に染まり、腰まで浸かる血の池の中を、必死に剣を振り戦っている。
後ろにも小さな丸い窓。そこから誰かが聞いてくる。
――幸せかい?
アレがか? どうかな。だけどあれで良いんだよ。ああやって進むしかないんだ。
それにさ、今の俺は幸せなんだ。心を許せる、命を預けられる仲間がいるんだ。
だから……頑張るよ。
振り向くと、そこには窓は無かった。
この作品をお読みいただきありがとうございます。
もし続きが気になっていただけましたら、ブクマしてじっくり読んで頂けると幸いです。
面白いかなと思っていただけましたら評価も是非お願いいたします。






