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020   【 コンセシール商国 】

 魔王が初めてを失った頃、リッツェルネールは自陣の天幕にいた。

 現在は無位無官。

 名目上は、戦場での臆病行為による指揮権剥奪及び、負傷のため予備役行となっている。だが実際には、兵站管理をしないだけで、ほぼいつも通りの業務をこなしている。


 だが負傷の方は実際に深刻だった。未だ白き苔の領域の毒は彼の体を犯し続け、全身は包帯でぐるぐる巻き。出立が必要な業務以外はベッドに釘付けという有様だ。


「多いな、全く。全部把握するのには一か月以上かかりそうだ」


 ベッドの上で大量の書類の束を確認する。

 炎と石獣の領域に同行した兵士達の5%を確認し終わったが、その中に22人の重複が認められた。


「僕の隊にはメリオが居てくれたから、かなり厳しくチェックしていたんだけどな。これでは第一軍や第二軍、いやそれ以前の侵攻軍まで考えると万単位の不正が出てきそうだよ」


 指揮下にある全人員の情報、補給計画書、備蓄の目録。それらを一手に管理していたのが、情報将校であり副官であるメリオだった。だが、それらの詳細なデータは全て彼女の持っていた通信貝に収められ、現在では白き苔の領域で彼女の戦死と共に失われている。

 今残っているのは、ざっくりとした紙の書類のみだ。


「それにしても、今頃中央は大騒ぎだろうね。おそらく当分は寝る間もあるまい。しかし本当なら、いつもその位は働いてもらわないと前線はたまらないのだけどね」


 リッツェルネールは彼らしい事務的な、必要な内容のみの報告書を中央人事院に提出していた。無論アイワヨシキに関してだ。

 今まであの防壁を当てにして、絶対の安心感と共に魔族領に攻め込んだ。しかしそれが砂上の楼閣となれば、人類側の計画が全て狂う。その混乱は、彼にとってはプラスに働くと予想された。


「それで、君は一体何をやっているんだい、イリオン君」


 身長は148センチ。欠食児童と言った細い寸胴の体系。緩いウェーブのかかった薄い色素の髪と藍と茜の混ざったような不思議な色の大きな瞳。前歯は左側が2本欠けており、童顔と合わせてものすごい間抜け顔に見える。


「不肖者ですが、これからよろしくお願いしますっす」


 怪我の程度でいえば彼女の方が重傷だ。それなりの装備を整えて注意深く行動した彼に対し、彼女はあまりにも無防備だったからだ。

 包帯を全身に巻き、支給品の麻の膝丈までのワンピースを着ている。だが下着を付けていない。髪も体も駐屯地では珍しく、綺麗に洗われた状態だ。

 そしてその彼女は今、彼と同じベッドに正座して座っていた。


(……ふむ、そう言う事か)


 彼女の様子は慣れた感じだ。戦場の様子とは違い、落ち着きすら感じさせる。

 何かと訳アリの彼女の事だから、戦場でこういった事はよくあったのだろう。お世辞にも美しいとは言えないが、兵士にとってはあまり関係無いと思われる。しかし……。


「仕事の邪魔だ。用が無いなら自分の宿舎に戻り給え。そこの棚に通信貝の説明書と魔道言葉の手引書がある。時間があるなら勉強でもすると良い」


 リッツェルネールにその気はない。邪魔者にはさっさと退散してもらうに限る。


「大丈夫っす。お邪魔にはならないっす。御用がありましたら何なりとお申し付けくださいっす」


 だがイリオンも引き下がらない。彼女にとっても正念場だ。

 非登録市民である彼女は、本来なら兵役ではなく希望塚に送られ名誉の殉職となるのが常だ。それが無官とは言え元司令官の身の回りを任されたのは、この上ない幸運と言える。


(何とか今のうちに功績を立てて家族を助けなきゃ……)


 だがちょっとした気まぐれで捨てられてしまえばそれまでである。

 何としてでも役に立つアピールが必要であった。


 だが彼女は性交渉に来たのではない。イリオンにはそういった経験も知識も無く、純粋に彼の手伝いに来ただけである。

 落ち着いて見えるのは、単に彼女が無知であるからだ。


「君を僕付きの兵士にしたのは療養させるためであって、そういった事をさせる為ではないよ。僕を見くびらないで貰えるかい」


 髪や体を洗っているのは治療のためであり、下着をつけていないのもまた治療のためだ。普通に考えれば容易に想像できることであったが、今の彼の思考は遥か彼方へと権謀術数を巡らせ飛んでいる。商家、軍事と真っ黒い社会で生きてきた彼にとって、訳ありの女性がわざわざそんな恰好で、身なりを整えて、しかも夜に男の寝室を訪ねてくる理由を、逆に図り切れていない。


「大丈夫っす! そのお体では色々不便もあると思いますので、何でもお申し付けくださいっす!」


 書類の運搬やお茶くみなどなら今の自分でも出来る!

 イリオンは自信満々だ。


「君の事情は十分に理解している。だが僕にはその気はない。君はもっと自分の体を大切にしたまえ」


「お気遣い頂きありがとうございます。でも大丈夫っす。今は自分の事は真剣に考えているっす!」


 真剣にか――確かに非登録市民の違法兵士。放り出したら居場所は無い。しかしそのために選んだ手段があまりにも不純だ。

 これでも一応はコンセシール商国三大商家筆頭アルドライト商家の人間。色仕掛けなどに転ぶはずもないだろうに。


「出ていきたまえ」


 さっさと終わらせたい、そう考えながら溜息交じりに言うが、逆に少女の危機感を煽ってしまった。


「お願いするっす! 何でもするっす!! 御傍に置いて欲しいっすぅ~!!! 捨てないでぇー! お願いっす~~!」


 リッツェルネールの服に(すが)り付き涙目で大騒ぎする。


 外で歩哨のヒソヒソ声が聞こえてくる。


 ――まずい。本当にまずいことになった。思えば本当に厄介な荷物を拾ってしまったのかもしれない。

 リッツェルネールとメリオの仲は公然の秘密だ。それが合同葬も終わらないうちに新しい女性を連れ込んだとは兵士も思っていない。だがそれもたった今まではだ。


「ハッキリ言おう、君を僕付きにしたのは負い目があるからだよ。僕の私闘に巻き込んでしまった。それも未成年をだ。そして大怪我をさせた。毒もまだ抜けていないだろう? 暫くは業務を忘れて治療に専念してくれ」


 だが―――


「捨てないで……欲しい……す………」


 重症患者である彼女の体力はとうに限界で、今の騒ぎでとうとう尽きてしまった。


 ああメリオ、君がいないと僕は本当にダメだ。子供一人あしらえやしない……

 だが彼の責任感が、この世からの逃避を許さない。

 そのまま寝付いてしまった少女を見ながらリッツェルネールも静かに眠りについた。





 ◇     ◇     ◇





 翌日――コンセシール商国首都ヤハネバ


 高級そうな家具、壁に賭けられて見事な絵画、飾られた彫刻や陶器はどれも素人が見ても解る程の名品であり、敷かれた絨毯も大きく、そして豪勢だ。

 見るからに贅を尽くした豪華な執務室といった部屋。ただ金銀といった派手な装飾は無く、主の気質がうかがえる。その窓際に置かれた椅子に座る一人の男の背後には、丸々としたメイド達が控えている。


 男の身長は182センチ、真っ白いモヒカンに野心が光となって溢れ出しているような輝きを放つ緋色の瞳。一糸まとわぬ上半身の筋肉は山の様に盛り上がり、まるで鎧を纏っているとさえ錯覚させる。

 下は赤茶色の無地のスラックスに高級そうな毛皮の黒い靴。


 褐色に染まった背中から腕にかけて彫られている黒い入れ墨は、三つの星に七本線。コンセシール商国の紋章だ。

 ビルバック・アルドライト。515歳。コンセシール商国最高意思決定評議委員長。商国唯一の階位1にして、事実上の国家元首である。


「ふぅむ……また妙な揺さぶりをかけてきたものだな」


 商国には様々な情報が入る。それこそ大小様々な情報が。

 その中でも魔族領侵攻軍の、実質司令官の動向や人間関係は逐一報告される。


『リッツェルネール・アルドライトに新恋人!? 今度のお相手は下級身分の兵士。お名前はカリオン・ハイマー男性92歳』


 別に戦地の高官が、夜の寝所に恋人を連れ込むなど珍しい事ではない。

 だが、男女平等に戦地で消費される世界では男色というものが極めて珍しい。


 そしてカリオン・ハイマー。自分の商家も建てられない一般市民。しかもかなり下級の出だ。細かく小さな功績は幾つか立てているが、大きな戦功は無く特別技能も無し。

 この貧相な男に情欲を駆り立てられた……世界が魔族に降伏したとしても、それはあり得ない。


「何かの偽装にしてはお粗末だ。こいつはダミーだな。狙いは別だろうが、一応3点に繋がる人物を探せ、物でも良い。一番重要なのは、この重要な時期を狙って奴が動いたと言う事だ。その理由を重点的に調べろ」


「かしこまりました、当主様」


 丸々としたメイドの一人が一礼して下がっていく。

 その動きに合わせるかのように、同じく丸々と太ったメイドが進みだし、一枚の書状を党首に差し出す。それは、世界連盟準備会合開催予定の知らせであった。


「それで我らが主人殿は何と言ってきた」


「ティランド連合王国は会合の前に詳細を詰めたいとの事で、7月29日に中央までお越しくださいとのことです」


 ビルバックの問いに対し、片眼鏡を付け通信貝を持ったメイドが報告する。


「はっ! どうせいつもの金の無心だろう。好きなだけくれてやれ。どんな猛獣も餌を食っている間だけは大人しいものだ」


 コンセシール商国。全長1976キロメートル、最大幅356キロメートルに渡る細長い国土を持つ商業国家。

 コンセシールの名は血族や土地によるものではなく、あくまでブランド名だ。

 北の細い国境はアイオネアの門を守護するランオルド王国に接し、南の細い境界線は海だ。

 そして東西に長い国境線の東を現盟主であるティランド連合王国軍に、西を軍事大国とも呼ばれるムーオス自由帝国に接していた。


 国内はアルドライト商家、アンドルスフ商家、ファートウォレル商家の三大商家とフォースノー商家、アーウィン商家、マインハーゼン商家、キスカ商家、ペルカイナ商家、ズーニック商家、コルホナイツ商家の七商家を中心に運営され、その他に様々な小さな商家、それに自らの商家を建てられない平民で構成される。


 国民は全て、産まれた商家の家柄と、軍政様々な功績などによって付けられた階位と呼ばれるランクにより分類される。商売の国であると同時に、明確に区分けされた階級社会でもあった。


 国土から算出される適正人口は2000万人程度だが、魔族領攻略で相当数の人間が減った今でも尚、人口5300万人を抱える事が出来る経済大国。

 過去3回ティランド連合王国と戦い勝利したが、現当主ビルバック・アルドライトの代に政治的降伏。以後はティランド連合王国に正式に加盟しない属国扱いとなる。


 完全に併合されないのは商国が他国との太いパイプを持っているためであり、また戦争自体には1度も負けていないという実績と名声、それに保有する戦力によるものである。


 だが、ティランド連合王国と戦いで多大な功績をあげたリッツェルネールと、降伏を決定したビルバックとの間には大きな溝があるとされてきた。

 かつては、それぞれの持つ権力の違いから大した問題は無いとされてきた。それが今や、リッツェルネールはいつの間にか魔族領侵攻軍の実質的なトップに立っている。

 軍事と政治、周囲はいつこの二人が大きな火災を起こし、商国を焼き尽くすのではないかと危惧していた。





この作品をお読みいただきありがとうございます。

もし続きが気になっていただけましたら、ブクマしてじっくり読んで頂けると幸いです。

面白いかなと思っていただけましたら評価も是非お願いいたします。

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