019 【 はじめて 】
魔王がのんびりとした旅をしている頃、アイオネアの門の管理国家であるランオルド王国の隣、世界有数の巨大都市は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。
都市の名前は『世界連盟中央都市』。~の街とか~シティなどではなくそのままだ。
『世界連盟』は魔族と対抗するために人間国家が作った組織であり、1000年周期で歴を変える千年暦や共通語の作成、そして魔族領への侵攻など様々な事が決められてきた。
かつては加盟しない国もあったが、長い年月の間に滅ぼされ、現在では一部の属国を除き全ての国家が加盟している。
ここは世界連盟の本拠地のために作られたこの都市であり、特定の国家には属さず、各国からの分担金で成り立っている。
白やグレー、赤や青など様々な色に塗装された巨大な金属ドームを重ね合わせたような近代的なビル群が乱立し、そこには世界中から様々な事務員や要人、商人や派遣されていた。その規模と賑わいは、巨大国家の首都すら凌ぐほどだ。
いやゆる”中央”と呼ばれる場所であり、中でもその人事院は今、職員達が総出で走り回り大量の本や書類の束が慌ただしく行き来する。
コンセシール商国のリッツェルネール・アルドライトから送られてきた報告書には『魔族領保護者に魔王が潜入していた可能性大。容疑者はアイワヨシキ。一度門を超えた形跡有り』と書かれていた。
余計な内容や誇張は一切ない。事務的な彼らしい内容だ。
それを受けた中央の緊急調査の結果、確かにその認識証が門を越えた形跡が確認された。
アイワヨシキを名乗った人物が魔王であった事に関しても、ティランド連合王国の生き残りから証言が得られた。
その二つが事実として結びついた瞬間、人事院のみならず中央はパニックに陥ったのだった。
「魔族が、それも魔王が門を超えるなど有り得ない! 有ってはならないのだ!」
身長177センチ、赤い肌に黒い髪と黒い瞳。外見は20代前半で、切れ長の目に高い鼻。精悍な顔つきに全体的に筋肉質で引き締まった肉体は、事務員というより戦場の兵士を思わせる。
纏っているピンクのシャツに豪華な装飾のついた紺の上下は、人事院局長の身分を現していた。
その人事院局長エルムド・ヘイオン・ドーリッツは激高し、机をバンバンと叩いている最中だった。
「ですが、まだ被害が確認されたわけではありませんし……」
口を挟んだ男は背丈は同じくらい。濃い褐色の肌に黒い髪、そして黄色い瞳。どこかおどおどした風体だが、エルムドとほぼ変わらない衣装は人事院副局長のものである。
「今はまだ無いというだけではないか! 今後どのような事態が発生するかわからんのだ! ……いや待て、なぜ魔王は門を越えた、何のために? 我々をあざ笑う為か――違う!」
人事院局長エルムドの頭には最悪のシナリオが浮かんでいた。
「魔族領で一度でも所在不明になり、その後に戻った者のリストを集めろ! 大至急だ!」
間違いない、今までも魔族は超えていたのだ。我々の絶対防衛線を、人類最強の防壁を!
それに気が付かなった! 我々人類は何と愚かなのか! そいつらに何かを渡したのか? 何かの力を伝えたのか? だがこれで、魔族領を壁で囲んでも病や災害が根絶できない理由がハッキリしたではないか。
「そいつらを全員希望塚に送れ! もし子がいればそれもだ! 門の警備体制も……いやそれではダメだ。壁全体の警備体制、設備も全て見直させろ!」
もはや人事院局長エルムドの激高は収まらず、辺りの職員は全員退避している。
「クソッ! クソッ! クソッ! クソォッ! 遊ばれていた! 嘲られていた! 何が人類の英知だ! 奴らにとっては無いに等しかったではないか! 長い年月をかけ、莫大な富を投じ、ただ線を引いただけでこの中は安心だなどと、何を寝ぼけていたのか!」
叩かれ、蹴り飛ばされた机が、そのたびに悲鳴を上げる。
ですが――人事院副局長が口を挟む。
遠くで見ていた他の職員達はその勇気に敬意を表し、あるいは恐怖して動きを止める。
その静寂の中、人事院副局長キルター・キャスタスマイゼンが進言を続ける。
「帰還した戦地一時行方不明者の中には、王族の方々も含まれます。我々の一存で希望塚へ送ることは出来ません。しかも、今王の座についている方がいれば一大事ですよ。もし送るのであれば――」
エルムド・ヘイオン・ドーリッツの頭が急激に冷えてゆく。
王族の処断、それは中央人事院の一存などで決められる内容ではない。実行するのであれば、それは各国首脳を集めた世界連盟会議で決めるべき議題であった。
だがそれもまた、人事局の一存では決められない。政治とは、複雑な工程を経て行わねばならないのだ。
「世界連盟”準備”会合を進言しよう……」
長い長い沈黙の末、エルムドは世界連盟会議を開くかどうかを決めるための世界連盟準備会合を決めた。
しかし心の中は溶岩のようにふつふつと煮えたぎる。こうしてダラダラしている間にも、門を超えた魔族達が我々を嘲笑し、愚弄し、人類に危害を与え続けているのだ!
握りしめた拳からは、血が滴り落ちていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
中央――人類の意思決定機関がそんな事になっているなど、相和義輝には知る由もない。
日が暮れかかる頃、突然景色が一変する。
相変わらず緑は多い、しかしの植生は大きく変わり広葉樹や花などが広く分布している。
だがそれ以上に大きな変化。そこには四角い、相和義輝の良く見知った、しかしどことなく違うコンクリート製の建築物が草花や木に包まれて廃墟のように乱立していた。
翼竜、そうとしか言えない様な巨大な飛行生物が飛び、大型の爬虫類が建物に張り付き蠢いている。
植物だけでなく動物にも違いが大きい。気候も変わり、ここは春のように暖かかった。領域を越えたのだ。
「うおおぉぉぉ! 水だ! きれいな水だぁ!」
だが相和義輝を大いに喜ばせたのは水だった。
廃墟の中には至る所に水路が張り巡らされ、そこには美しい湧水が流れている。まさに水の都と言った景観だ。
それを見た途端、迷わず水路の中に飛び込んでいた。
「やっぱりこれだよこれ、ああうめえーー!」
今までの道中も水はあったが、殆どが土交じりの泥水。後は蔓を切って中の水を失敬する程度であった。そんな彼にとって、ここはまさに楽園だ。
「そんなに気に入ったのなら、今日はここで休むかな」
魔人エヴィアが宣言すると、魔人スースィリアは何時もの様に食事へと向かう。
「あと、これも使うといいかな。魔王はこういうの好きだと思ったよ」
そう言うと、水路の上流にポイっと何かを投げ入れる。
そこから白い蒸気が上り、グツグツと水が沸騰する。
水路の水流はそれほど強くなく、相和義輝の周囲を流れる水は温かいお湯へと変化していった。
「それはいったいなんだ?」
質問しつつも、ざぶざぶと水を切って確認に行く。そこには金属の小さな矢じりのようなものが沈んでおり、それが周囲の水を沸騰させていたのだ。水路全体から見れば少し温まるくらいだが、矢じり周辺は相当に熱そうだ。
「それは人間が使う武器かな。矢の先端に使うよ。水分に当たると高熱を発するんだよ」
「必殺兵器じゃねぇか!」
よく見れば返しも付いている。どこに刺さろうが周囲の毛細血管を破裂させ、沸騰した血液は一瞬で心臓を止める。
これから戦う相手を考えると、お湯は温かいのに体全体は冷えたような感覚がする。
「人間は戦う為に生きてるかな。戦う為に生まれて、より強くなる為に戦う為の社会を作ったんだよ」
「社会のリソース全部戦争にぶち込んで、殺しあってきたってわけか」
どうしてそうなったのだろう。前魔王が遥かな時をかけて何千億人も殺してきたからか?
それともこの世界の人間が異常に長寿で、そうしないと社会がパンクしてしまうからだろうか。
そういやこの世界……人は何年生きるのだろう。魔力が戻るまで5000年、遠いなーとは感じたが、そこまで生きてないと思わなかったのはなぜだろうか。
「じゃあ夕食を取りに行ってくるかな」
――そう言って魔人エヴィアも廃墟へと消えていく。どうせ蜜蟻の蜜だろう……そう考えながらも思考へ別の方へと飛んでいく。
タイミングはベストだった……何千億人も殺した悪い魔王が死んで、世界に平和が訪れました。めでたしめでたし。そこに新たな魔王が誕生し、人類との和平を申し込む。戦争が終わる、たとえ一時的にでも。
お互いの事はそれから歩み寄っていけばよかった。
だが終わらなかった。自分が悪だからか? いや違う、まだ魔族とその領域が残っているからだ。まだ人類に戦争を継続する意思と余力があったからだ。
しかし……オルコスの事を悪く思いたくはないが、別の人物だったらどうだったのだろう。一介の部隊長などではなく、例えばカルター王、或いはリッツェルネール、そう言った国家の中枢にいる人物との交渉だったとしたら? 事態は変わっていたのだろうか。
「そもそも魔王というネーミングが悪い!」
誰が聞くわけでもなく叫ぶ。
いや確かに、前の魔王はその名にふさわしい所業だったのだろう。だがそんな名を継ぐ必要はなかったではないか!
例えば……そう、救世主。そんな感じの名前であれば、事態はもっと別の方向に……。
湯に頭を浸ける。だめだ、何を考えているんだ俺は。
まだ空に残っている油絵の具の雲、自分の魔力。それは魔王の証ではないか。
おそらく魔王の顔や姿、種族、性別、性格……どれもどうでもいいのだ。あの魔力を持っている者を倒す、それだけなのだろう。
だけど、俺は殺されてやるわけにはいかない。それに、あんなに沢山の人間が死ぬ社会を認めるわけにはいかない。
考えながら辺りを見渡せば、沢山の種類の植物が見える。そして水路には、小魚やイモリが泳いでいる。
腐肉喰らいの領域跡……ただの荒れ地だった。リアンヌの丘も、元は何という領域だったのだろう。道中も、門の近くも全て荒れ地。領域を解除するという事は、小さな生き物までも全て殺し尽くし、ただの荒野にするという事なのか……。
だが何とかしようにも、裸一貫、無位無官の一文無し。そして下手すりゃ子供より弱い。一応魔王の特性か、死にそうな時が判るのと言葉が解るのだけは誇って良い能力だろう。しぶとさだけは一人前ってね。しかし、言葉の理解力は何のためについているんだろう?
「それは魔人と話すためかな」
どこかでエヴィアの声がする……上流だ。ざぶーん、ざぶーんと音を立てて近づいて来ている。
だが違う、この音はもっと巨大な生物だ。まさか巨大キリギリスとか持ってきたんじゃないだろうな! もう喰わないぞ!!!
湯煙を割って表れたのは魔人エヴィアだ、それは間違いない。それも全裸!
だが瞼は腫れ、横幅は広くなり、腕も足も膨れ上がっている。それはまさに水死体、いや遮光器土偶のようだ。
余りの驚きに声も出ない。口を鯉のようにパクパクさせ全身がひきつる。
互いの間に走る緊張と沈黙。いったいエヴィアに何があったというのか!
しかし――
ざばあああぁぁぁぁぁぁぁ……という水の音と共に魔人エヴィアから大量の水が流れ落ち、その体はみるみる元に戻っていく。
水で膨らんでたのかよ!
「疲れてる魔王にサービスしてあげたかな。でも魔王は少し特殊性癖?」
そういや脂肪がついている方が美しいんだったな、この世界。だがあれは土左衛門っていうんだ。
元に戻った全裸のエヴィアが横に座るが、先ほどのインパクトが強すぎてエロさを欠片も感じない。
いや元々そう言った感情は無いな。なんか自分の一部みたいな、そんな気分すらある。
「ああ、そうだ。魔人と話すためってどういう意味だ?」
あまりの衝撃に忘れそうになった話に戻す。
「言葉通りかな。魔人は知識を必要とするの。他の魔人の知らない事、知らない生き物、知らない世界。そう云ったのを求めるの」
いつの間にかエヴィアが近い!
隣に座っていたのに、今は俺の右足腿を両足で挟んで座っている――
「そうやって知識を沢山持っている相手を求めるかな。魔王はとても魅力的だよ」
両手を肩に置き、ぴったりと体をくっつけてくる。瞳は怪しい光を放ち怪しい神秘性を漂わせる。
む、胸が! 小さな胸が! ―――だが思ったような感触では無い。
互いの胸が合わさっている部分はまるで張り付いているような、浸透しているような、そんな不思議な感覚に包まれる。
「私たち魔人はこうやって一つの魔人になるかな。でも魔王は魔人じゃないからムリかな。だから言葉で……ごめんね、こんな事して……」
次第に魔人エヴィアはその輪郭を失い、ゆっくりと、まるで白い大きな餅のように変化していく。
ああ、こうやって……次第に理解してゆく。エヴィアになって700年くらい、単独行動が魅力のためってこういう意味か。
魔人は知らない知識を求めて魔人同士で融合し、新しい魔人になるのだ。
魔人エヴィアの体は溶け、徐々に俺の肌に沿って広がっていく。
ぴったり合わさった互いの胸から、首、肩、背中、腹……吸いつくように、舐めるように、肌に沿って俺を包んでいく。
だが、エヴィアは俺一つになることは出来ない。魔王と魔人――それぞれ違う生き物なのだから。
俺からもまた、その体は白い塊となり、何処が顔で何処が手や足なのかもわからない。想像したこともない、初めて触れる不思議な命。
だがなぜだろう。この顔も形も解らない生命に慈しみを感じる。
異性として……いやそれは違う。今エヴィアは人の形をしていない。
では小動物などに向ける愛玩の心……それも違う。俺はエヴィアに何の優位性も感じていない。むしろ保護されているのは俺の方だ。
魔人エヴィアの体はどんどん柔らかく溶けて肌の上を進む。もう水をすくっているような感覚でエヴィアを掴むことは出来ない。一方でエヴィアも俺と融合する事は無い。
互いに決して交わる事の無い関係……
だけど理由は解らないが、この生命がたまらなく愛おしい――そう心の底で感じる。
ん、ちょっと待って!
皮膚を浸透していくエヴィアが次第に下へと延びてゆく。
だが俺の口の部分は空けてある、理性は残っているはずだ。
「ちょっとストップ! エヴィアストップ! その先はまずい!」
だがエヴィアは止まらない。ゆっくりと張り付くように下半身に到達すると、さらなる皮膚を求めてついにある一点に集中する。
「エヴィアストップ! そこはダメ、絶対ダメ! やめてやめてやめてやめて! エヴィアステイ! ステーーーーイ!」
だが叫びは届かない。エヴィアの動きは止まらない。
「そこはお尻のあ……あっ! あああぁぁァァァァァ――!」
――初めてを……失った
この作品をお読みいただきありがとうございます。
もし続きが気になっていただけましたら、ブクマしてじっくり読んで頂けると幸いです。
面白いかなと思っていただけましたら評価も是非お願いいたします。






