017 【 それぞれの道へ 】
白い大地を、黒き巨体が駆け抜ける。
「うぐえ……えぐっ、ぐぅぅぅぅえっぇぇぇぇぇ……」
――ムカデは真っすぐ走らない。
「うえぇっ、えっえっ、ぐえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……」
相和義輝は後悔していた。今まさにこの状態について。
白き苔の領域を疾走する巨大ムカデ。頭を振りながら、地形に合わせて右へ左、上へ下へと駆け巡る。
「ここは魔王の体には毒かな。もう少ししたら一度外に出て休憩するから、それまで我慢するかな。人生はままならないって誰かが言っていたよ」
どのくらい走ったのかは判らない。正確には最初に魔人スースィリアが暴れだした瞬間、首からゴキッっという音がして気を失った。
それ以降、こうして目を覚めるたびに吐き、また気を失うという行為を、壊れたジェットコースターの様な魔人スースィリアの上で繰り返している。
「少し呼吸が減ってきたかな。これならもう少し行けそうだね」
――それは死にかけてるって事じゃないのか。
ようやく緑が見える場所で止まったのは、もう辺りが少し暗くなってきたころだった。
転がるように落ち――そうになるが、魔人スースィリアの上に撒き散らされた自分の吐瀉物が目に入る。
随分汚してしまったものだ。
持ってきた小さな布では拭ききれる量じゃない。シャツの上を脱ぎ、それで魔人スースィリアの体を拭く。
巨大ムカデの魔人スースィリアはその間ピクリとも動かなかったが、全てが終わると白き苔の領域へと消えていった。
何処へ行くんだろう。そんな事を考えると――
「スースィリアは食事に行ったかな」
何も言わないのに少女が答える。
君は……俺の心が読めるのか? そう考える――
「無理かな?」
――どっちだよ!
「そういえば名乗ってなかったな。俺は相和義輝、日本から来た。君の名は?」
聞いてみるが、答えは返ってくる前に分かっていた。その姿、その命、それらが作るカタチが一つの文字となって読めていたからだ。
「私はエヴィア、魔人エヴィアかな。よろしく、魔王」
相変わらずの無表情に自然体。だが嬉しそうに魔人エヴィアは答えた。
「そういえば、魔王は本当に人間と話し合うのかな? 難しいと思うよ」
確かにその通りだ。話し合いなんてのは互いに聞く気が無ければ成立しない。そして人類の魔王や魔族に対する憎しみも十分に肌で感じた。今こんにちはと言ってもすぐさま武力で返されるだけだろう。
「覚悟は出来てるみたいかな」
そう、必要なのは覚悟だ。だが魔人エヴィアが自分のために人間達を殺した時、それは完全に定まっていた。あれは、自分が殺させたのだと判っている。次は本当の意味で、自分自身で行わなければならない。
「先ずは人間が作った壁までの魔族領を全て取り戻す。わざわざ向こうが引いた境界線だからな。その上で交渉の場を設けたいと思う。それでなんだが――」
空を見上げる。そこには相変わらず油絵の具の空、俺の魔力、俺の一部が広がっていた。
「あれはいつ戻るんだ?」
「消えるかな……」
おい、ちょっと待て! 見ると魔人エヴィアは相変わらずの様相だが、目だけが泳いでいる。
「消えられると困るんだが。おい、ちゃんとこっちを見て話せ」
そういえば体から立ち上っていた煙のようなものが消えている。これは自分の体に収まった、そんな感覚がするが………
ポーチから出かけに持ってきた二重円の周囲にひし形を並べたような模様の石を取り出す。魔力のようなものを調べる、その認識で合っているはずだ。
手に握りしめると、黒い煙が僅かに出る。初めて握った時と量は同じくらい。違いは色だけだ。
「それが今の魔王の魔力かな。残っただけマシだよ。夢も希望もないって誰かが言ってたよ」
がっくりとうなだれる。
「それで消えるって、ポンと消滅しちゃうのか?」
――俺の一部が。
「んー少しづつだけど戻るかな。でも繋ぎとめる力が弱いからやっぱり結構消えちゃうね。でも完全に無くなっちゃうわけじゃないんだよ。この世界に溶け込んでいくだけだから、繋ぐ力が強くなってくればいつかは回収できるかな」
そうか――完全消滅ではなくこの世界に溶け込んでゆくだけ。いつかは戻るのならゆっくり待てばいいか。
「それでどの位で戻りそうだ?」
「5000年くらいかな。夢はいつか叶うって誰かが言ってたよ」
叶う前に絶望しそうですよ……。
暫くして、戻ってきた魔人スースィリアの頭の上に乗る、いや乗せられる。
「この辺りはまだ人間が居るから、いない所まで行くかな。今日は夜通しになるけど頑張ってね。人間諦めが肝心って誰かが言ってたよ」
――いっそ殺してくれ。
◇ ◇ ◇
ガン――ガン――
白き苔の上、墜落した飛甲騎兵から金属音が響く。数度それが響いた後、ガコンと言う音共に歪んだハッチが開かれる。
リッツェルネールが墜落したのは白き苔の領域からわずかに3キロ程だった。ここまで飛べたのは、彼の力量というより執念によるものだ。だがここからが難問であった。
「生きているかね、イリオン君」
そう言いながら、後部にある動力炉を覗き込む。
「ふ、不本意ながら……」
そこに座って――いや、転がっていたのは、本当にまだ若い少女の姿。
栗色とも金色とも言えない薄い色の髪、夜明けのような藍と茜の混ざったような瞳。戦いを知らないあどけない顔。これはとんだ荷物を拾ってしまったものだ。
「それでは早いところここを脱出しようか。この地の養分になってしまう前にね」
周囲には猛毒の靄がかかり始め、先程から苔の中でカサカサという音も聞こえてくる。軍服も着こなせていないド新兵。いや、正式には兵士ですらないイリオン・ハイマーを連れて、ここを脱出せねばならない。彼の心は未だ復讐鬼ではなく商国の軍人であった。
死にに来た男が、死なねばならない少女を連れて死地を脱出する。世の中とは何とも理不尽で不条理だと思う。
「苔には絶対に触れないようにね。滑りやすいから特に足元に注意するんだ。それと蜘蛛に気を付けてくれ。小さくて分かりにくいが、結構きつい毒を持っているからね」
「もう……噛まれたっす……置いて行って……欲しいっす…………」
飛甲騎兵を降りて10秒もしない内に噛まれたイリオンに解毒剤を打ち、それでも高熱を出した彼女をおぶって領域外に逃れたのは夜に入っての事だった。
発煙筒を使いたかったがこの暗さでは意味が無い。仕方なしに焚火を作って救援を待つ。
その間にイリオンの寝顔を見ながら今後の事を考える。
おそらく相当数の兵役忌避者がいる。そして本国の人事部はそれを黙認し、戦えもしない人間を数減らしのために次々と送り込んできている。いったいどれほどの膿が溜まっているのだろうか。
次に本国からの増員が来たら、全てを自身の目で確認しよう。だがその後どうする? 前線司令官程度の権限では何をするにもすぐに頭打ちになってしまう。
「やるべきことが多すぎて、今すぐにはそちらに行けそうにないよ……」
空を見上げたその顔は、前線司令官のそれから商人のそれへと変わりつつあった。
◇ ◇ ◇
数日後、リッツェルネールはゼビア王国軍が駐屯するシェリンク砂丘に挨拶に来ていた。
階級は無官。飛甲騎兵を温存した責を受け、表面上は更迭されたからである。
だが現地に駐在するコンセシール商国軍最高階位は未だ彼であり、有事の際には結局彼が指揮を執ることになる。
この状況は、実は彼が自由に動くために望んでそうしたものであった。
そして今、このシェリンク砂丘では緊急の案件が発生していた。
”戦場の定食屋”クランピッド・ライオセン運輸大臣が、兵12万を連れて徒歩での白き苔の領域への突入準備をしていたのである。
「本当にいくのですか?もう魔王が何処にいるかはわからない。それでも行かねばならないのですか?」
クランピッドは自分の禿げ頭の汗をハンカチで拭きながら、リッツェルネールを見つめて言う。
「君も解っているのだろう。我々は前回の魔王討伐戦に失敗した。いや、ただ失敗したのではない。これからを失敗したのだよ」
中央の指令により全ての飛甲板を投入、失った各国は輸送に深刻な問題をきたしていた。
新たに編成し周囲の国からの補給を受けても、計算上ゼビア王国はどうしても12万人を削減しなくてはならなかったのである。
「君は飛甲騎兵を温存したね。それは正しい」
空を見上げながらクランピッド大臣は話を続ける。
「あの空を私達は知らない。私達だけでは無く、我々人類の文献には存在しない。これから時代は変わる、いやもう変わってしまった。ここから先は伝説には頼れない、自分達で考えるしかないのだ。もっと戦力を温存したまえリッツェルネール君、何が起きても良いようにね」
その空は相変わらずの油絵の具の雲。だが少し違う。
流れるように動くそれには所々切れ目があり、そこからはまばゆい太陽の光が差し込んでいた。
我々もそのために逝くのだ――そう言ってクランピッド大臣旗下12万の将兵は白き苔の領域へと消えていった。
一章をお読みいただきありがとうございます。
まだまだ物語は続きますので、よろしければお付き合いいただけると幸いです。
ご感想やブクマ、評価などを頂けると、とても励みになります。
よろしければ、そちらもどうぞよろしくお願いいたします。






