015-1 【 白き苔の領域 前編 】
真っ白な、雪に覆われた大地。普段は人間など決して立ち入らない静かな世界。
その中を、一人の少女が走っていった。
いや、違う。一人ではない。ある者は浮遊する飛甲板に乗り、またある者は膝まで白い大地に埋まりながらも、少女の後を追っている。
全員が巨大な武器を持ち、鎧を纏った完全武装の兵士達。
兵士達に比べ、少女は武器も無ければ鎧も着ていない。
身長は140センチ。細く、それこそ子供のような体格だが、僅かに女性を示す2つの小さな膨らみが見て取れる。服は灰色のボロ布を、胸と腰にそれぞれ巻いただけの粗末な格好だ。
白い肌に、短く切りそろえた薄紫の丸みのあるショートカット。人形の様に変化のない表情から感情を窺い知ることは出来無いが、赤紫の瞳には確かな焦燥が見て取れる。
それは、魔人エヴィアと呼ばれる存在であった。
魔人エヴィアは焦っていた。それはもう、かつての人生でこれほどまでに慌てた事は無いというくらいに。
元々、魔人エヴィアは人間に興味があった。かつて人間と交流した記憶が残っている。しかしそれを実感するには歳月が経ち過ぎた。だから改めて人間と交流しよう――そう考えて今の姿になった。
相手を威嚇しないように小さな姿。それも雌がいい。美人だと交流が単調になる、だからあまり美しい姿はやめた。後は人間と話し、共に過ごし、人間の事を知ろう。
だが、その頃すでに、人間は壁を造り始めていた。魔族の領域との間に巨大な境界線を引き、一切の侵入を許さなかった。
それからの歳月を、この白い地で自堕落に過ごした。食べて寝る、また起きて食べて寝る。数百年に渡る無駄で無意味な生活。他の魔人のように海へ行くべきであったか。
だが、ようやくこの地に人間が来た。なのに――
「いたぞ! 魔王だ!」
「殺せ――! 殺せ――――!」
今、その小さな体からは油絵の具のような極彩色の煙が噴出しており、それは天まで伸びている。
――何でこうなったの!?
勿論それは正規の手続きを踏まずいきなり送られてきたからだ。何の予想も準備もしていなかったからだ。本来こういったものは、もっと前魔王に近い魔人が担当するはずではなかったのか!
だが、そんな魔人エヴィアの考えも虚しく、魔王に引き継ぐための魔力が小さな体に溢れ込む。だが膨大なそれは入りきらず、行き場を無くして天に昇ってゆく。このままでは長い年月に渡り蓄積されてきた魔王の魔力が、魔人の願いが、全て虚空へと消えてしまう。なのにどうして――
「あっちだ! あそこにいる!」
「全速前進! もっと速度を出せ!!」
――ああもうしつこい!
本来この地に合わせた保護色である白い肌も、この魔王の魔力というどこからでも見える狼煙の前では意味が無い。その狼煙を目指して、飛甲板に乗った、あるいは徒歩の兵士たちが集結する。
魔王を倒すために、今度こそ人類が勝利するために。
そして今まさに、彼女めがけて黄色の兵装に五角形に五本爪の紋章を付けた兵団――ゼビア王国の兵士たちが殺到している真っ最中であった。
◇ ◇ ◇
天に上った油絵の具の雲。それはマースノーの草原に布陣するリッツェルネールからも見えた。
無言で、一言も発することが出来ずに書類の束を落とす。
それは紛れもなく魔王の魔力であり、ほんの数日前に数百万の命で終わらせた悪夢であった。
騒々しい音でメリオや部下達が執務室に駆け込んでくる。
「所在観測出ました。ここから西南西470キロメートルです」
メリオの報告に地図を見て愕然とする。
そこは白き苔の領域。未だ一片の土地さえも手にする事が出来ない人類未踏の地。
南の軍事大国ムーオス自由帝国が2隻の浮遊城を投入するも失敗し、今日に至るまで一切の手出しが出来ない不毛の領域だった。
「よりによって……いや、だからこそなのか」
リッツェルネールは卓上の地図を握りしめる。
人が入れない、入れば夥しい犠牲が出る。そんな場所に顕れる。まるで誘い込むように、罠にかけるように――
「どれだけ……殺したいんだよ!」
「中央連邦議会から通信です。隣接する各国軍は、所持する飛甲板、飛甲騎兵らの機動兵力の全てをもって白き苔の領域へと侵攻、魔王を討て。だそうです……」
「バカな!」 ――リッツェルネールが叫ぶ。
飛甲騎兵はコンセシール商国の主力軍であった。
イーゼンヴァッフェル233-2と名付けられた新鋭機。
乗員は操縦士一名と魔道炉に動力を供給する動力士一名の二人乗り。最大5メートル程度しか浮かべない飛甲板に比べて、到達高度は破格の450メートル。
全長は7.8メートル、胴全幅3.2メートル。最大装甲厚240ミリの金属板に包まれた角ばった重装甲に、220ミリ6連装式の射出槍発射口4門、先端には2匹のエイを十字に組んだような衝角を持つ。
両翼にそれぞれ幅4メートルのデルタ翼のような形状のものが付いているが、これは揚力を生む翼ではなく翼刃と呼ばれる切断兵器であり、また後部には射出式のアンカーを搭載。下は船のようになっており、これは着陸や地上戦時に使う為の構造である。
飛行機ではなく飛甲騎兵。あくまで飛ぶことの出来る近接兵器。
人間同士の戦争では無類の強さを誇るこの兵器を、商国は自国開発で6千騎揃えている。
これは大国にも匹敵する戦力であり、下級国家のコンセシールが従属とは言え未だ国家の体面を保っているのは、ひとえにこの飛甲騎兵隊の力によるものだった。
しかし、その無類の力も領域攻略では偵察や高速移動の手段でしかない。なぜなら、対空手段に乏しい人間と違い、魔族は平然と飛甲騎兵を墜とすからだ。
実際、白き苔の領域に入って戻ってくる飛甲騎兵は無く、現在では上空からの監視も領域外からとなっていた。
……そんなところに全騎投入? 我々コンセシール商国に亡べというのか!
しかし―――
「我々は行きます! 行かせて下さい!」
侵攻軍飛甲騎兵隊隊長カザラット・アーウィンが部下達と共に進言する。
身長は183センチ。短くそろえた薄い栗色の髪に赤い瞳、四角い顔や褐色で筋肉質の体には無数の傷跡が刻まれている。リッツェルネールと共に過去幾度もの死線を潜り抜けた戦友だ。また近隣に名を知られた名飛甲騎兵乗りであり、南の軍事大国ムーオス自由帝国の比翼の天馬にも匹敵すると謳われていた。
「リッツェルネール委員長にもご理解いただけていると思います。我々は領域攻略に行くのではありません。魔王を倒す、ただそれだけで良いのです。今しかないんです!」
確かに、今なら吹き上がる油絵の具の魔力の下に魔王がいる。それは確実だ。だが時間を置けばやがてそれは消え、今後は魔王の所在を示す小さな渦を見つけることは困難だろう。
場所が判明している今こそが、最大の好機である事は今更言われるまでもない。だがもし失敗したらどうする。魔王を倒せず飛甲騎兵を失ったその先は……。
だがしかし、結局のところ中央の決定には逆らえない。所詮自分達は末端の手足に過ぎないのだ。
「分かった、出撃しよう。それとメリオ、中央連邦議会に浮遊城ジャルプ・ケラッツァの出撃要請を出してくれ」
「うん……了解です……」
だが、この出撃要請は受理されなかった。
人類都市防衛の要であるこの城は、たかだか属国の――それも現場指揮官程度の権限で動かせるものでは無かったのである。
◇ ◇ ◇
白き苔の領域。人類最悪の地の一つ。
大地は真っ白な分厚い苔に覆われ、さながら一面の銀世界である。
この苔は火にも薬にも強く、また活性化すると猛毒の胞子をガスのように飛散させる。
地表の苔は猛毒の針を持ち、軍服程度なら軽々と貫き通してしまう。
また本体は地中深くに埋まる地下茎であり、それは互いに絡み合い養分を補給しあう性質を持つ。
そのため、仮に地上を全て払っても一日と経たずに再生する。
更に小石ほどの大きさながら猛毒を持つ蜘蛛、大型の軍隊蟻、苔下を根城にする大蛇等、様々な生物の生育地でもあった。
碧色の祝福に守られし栄光暦217年6月15日
リッツェルネールは現在動員できる全ての兵力を率いてこの領域へと出陣した。
メンテナンス中で稼働できない11騎を除いた飛甲板62騎に兵員を満載。同じく稼働できない322騎を除いた飛甲騎兵5678騎。
地上兵力5890人、飛甲騎兵操縦士5678人、飛甲板操縦士62人、飛甲板及び飛甲騎兵動力士5802人、整備兵40人、軍医22人の合計1万7494人。
これで駐屯地に残るのは整備兵や軍医、作業員の7511名と兵士僅か1117人。
魔族領に残るコンセシール商国の全軍と言っていい量だった。
一方その頃、ランオルド王国が管理するアイオネアの門も大騒ぎになっていた。
門内に駐屯していたティランド連合王国軍の飛甲板が、次々と出撃していたからだ。
慌ただしい喧騒の中、街の人々が手を振り声援を送る。
そんな中、オルコスは急遽編成された第22突撃隊の隊長に任ぜられ飛甲板の上にいた。
あの死地から戻ってすぐの出撃ではあったが、彼の心は踊っていた。今度こそ、自分の手で魔王を討ち取れるかもしれないのだ。
既に子供は全員失っていたが、その子供達がまだ生きている。ここで禍根を断つ為にも、なおかつ一族の繁栄の為にも戦いは望むところであったのだ。
「おおーい! オルコーース!」
急に呼ばれたオルコスが後ろを見ると、相和義輝が走って追いかけてくる。
「おい、速度を緩めろ」
操縦士に命じると、兵士でぎゅうぎゅうになっていた上を移動して相和義輝の方へ向かう。
「どうした、何か用か? 見ての通りだ。俺達はもう行かなきゃいけないんだ」
おそらく見送りに来たのだろう、そう思っていたオルコスであったが、飛甲板と並走して走る彼の口から出た言葉は――
「俺も連れて行ってくれ、オルコス!」
予想外の言葉であった。
オルコスは彼を中央人事院身元不明者施設に預けたとき、既に今生の別れだと思っていた。身元引受人が居ない限り、彼の運命は決まっていたからだ。
だが今また出会い、そして戦場へ連れて行けという。
ありていに言えば、彼は相和義輝を体が大人なだけの幼児と評価していた。現実味が無くフワフワとした印象。だがそれは記憶が無いのだから仕方がないのだとも。
しかし、今の彼はその印象とは違う。ハッキリと前を見て、どっしりと立っている印象。
「お前、記憶が戻ったのか?」
進む飛甲板から手を伸ばして聞く。
「いや、そっちは変わらないな」
そんな彼の手を掴んで相和義輝が乗り込む。
記憶は戻っていない、そういう彼だがやはり別人のように映る。まあ、生還率は限りなく低い。何と言っても場所が場所だ。どうせ死ぬのなら、希望塚に行くより戦って死んだ方が遙にマシな人生だろう。
「これ使え、ベルトは後ろの備品箱に入ってる」
そう言って、オルコスは息子の形見の剣をよこす。
「良いのか? だが俺は魔力の出し方とか知らないぞ」
「知らなくても、そのサイズなら振れるだろう。それでいい」
判った――そう言ってぎゅうぎゅうに兵士で詰まった飛甲板の後ろで装備を整える。
整えると言っても、大量に用意されていた防毒マスクを一つ。剣を装着するためのベルト、それに付けるポーチの中に手入れ用の布と以前貰った物と同じ水の入った小瓶を4本。更に適当な工具を幾つかと、二重円の周囲にひし形を並べたような模様の石を入れただけ。鎧も無しの質素な姿だ。
「もっと早く志願すれば、鎧も古いのなら用意してやれたんだがな。まあいい、お前は俺の隊って事になる。思いっきり死んで来いよ」
「そんな気はないよ、俺は死なないさ。それにしても、随分ボロい飛甲板だな。これで大丈夫なのか?」
乗り込んだ飛甲板は鉄板を柵に幾つも付けた装甲型といった感じだが、あちらこちらに傷や汚れなど古さを感じる。しかも動きが僅かに上へ下へと波打っているようで、まるで船に乗っているみたいだ。
「こいつはモブレンソニール16式って言ってな、まあ古いのは確かだ。それ以前に多すぎるんだよ、乗り込んだ兵がな。話だとゼビア王国軍が最初に到着してその後がスパイセン王国軍とコンセシール商国軍となる。俺達はそいつらと似たような距離だがボロいからな、到着は夜明けだろう」
夜明けか――長い夜になるかもしれない。相和義輝はそんな気がしていた。
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