014 【 壁への道~後編 】
翌日の早朝、兵屯地は朝から慌ただしかった。
敵襲とかではなく、ただただひたすら訓練のためらしい。掛け声や、武器同士が当たる高音の響きが周囲に響く。
嫌でも起きてしまい、相和義輝はボーっと考え込んでいた。
(結局昨日も何も起きなかった……)
もしかしたら、魔王云々の話はもう無くなって、自分を呼んだだけで終わってしまったのだろうか。だとしたら、もはや用済み。あとは勝手に好きにしろという事なのか?
だが、いくら考えても答えは無い。
仕方が無いので鍛錬中の兵士に混ざっていると、オルコスが朝の兵鍛を終えて戻ってきた。
「これから帰還なのに休まないのか?」
「日課だからな。毎日の鍛錬こそが生き残る道なんだよ」
なるほど……あの筋肉は毎日の鍛錬の賜物か。
他の兵士達も、ひたすら走り、がむしゃらに武器を振る。
「なあオルコス。これだけやっても、やっぱり大勢死ぬのか?」
そんな鍛錬の姿と、白骨の群れが重なる。これ程に訓練しても、やはり人は簡単に死んでしまうのだろうか。
「ああ死ぬさ。魔族や領域ってのは、結局人間じゃどうやったって及ばないのさ。それでもな――」
オルコスは空を見上げながら続ける。
「一人一人は無力でも、どんなに小さくても、俺たちはこの空を手に入れたんだ」
その顔は、いつもより晴れやかだった。
――なら、もうそれで良いんじゃないのか?
魔王を倒し、世界は平和になった。これ以上、殺す事や殺される事に何の意味があるんだ?
だが、それを伝える事は出来なかった。
小さな硬いパンと豆のスープを飲んだ後、一行はいよいよ門とやらに向けて出発した。
昨日とは違う負傷兵、それに帰還兵を乗せての大所帯での旅路である。
とは言え、今日の夕方には到着するらしい短い旅であった。
「アンタ、夕べ来ると思って待ってたんだよ、まったく」
開口一発、そう言って下乳のお姉さんが自らのシャツを人差し指でグイっと広げると、ぼよよん、そういった擬音が付きそうなくらいはっきりとした上乳が露になる。
「あはははははは、いい顔だねぇ! その気があるなら今夜来な。あははははははは」
どこまで本気にしていいのだろうか。だが、挑戦する価値はありそうに思う。いや、挑戦する。必ず――
「そういえば、名乗っていませんでしたね。自分は相和義輝です。お姉さんはなんてお名前ですか?」
「ああ、あたしかい?あたしはノセリオ・コンベルディエント。敬語なんて使わないくていいよ、奴隷だしね。今年でまだ64歳さ。お姉さんとか言ってるが、多分アンタの方が年上だよ。あはははは」
へー奴隷………いや、奴隷!?
「奴隷って? お姉……いやノセリオさんが?なんで?」
そもそも奴隷ってここまで自由に移動させるものなのか? 後ろの二人のどちらかが主人というふうにも見えない。奴隷そのものに対する考え、いや意味が違うのだろうか。
「あたしの祖国はアッセルム工業都市同盟って言ってね、30年以上前にケルレイ公国に滅ぼされたのさ。で、その時から奴隷さね。国なんて言えないようなちっちゃな所の、まあ社長程度みたいなものだったんだけどね、うちの3代前がそんな立場だったんだよ。だから血族はみんな奴隷行き。家族は全員希望塚へ行っちまったけど、あたしだけには生きていてほしいってお願いされてね」
ノセリオは恥ずかしい過去を語るように話を続ける。実際、本当に恥ずかしいのだろう。
「あたしはそれなりに綺麗だったからまあ普通の奴隷だったんだけどね、やっぱ嫌でさー、自由が無いって。お国柄かねぇ。奴隷ってのは100年間の隷属か20年の兵役で免除されるんだよ。そんで18年前に元の国のつてでね、パトル商国って言う実際には100人位しかいない国の兵役に志願したってわけさ」
「苦労してきたんですね」
「いや、あたしは技術持ちだからね。こいつのおかげで何とか生き延びたよ」
そう言いながら、操縦席をポンポンと叩く。
レバー1本にぺダル1つ。どう見ても技術職的なシロモノではない。
「ああ、これも知らないんだねぇ。こいつを動かすには専門の魔術言葉が必要なのさ。武器や鎧を使ったり、ほら後ろ、ああいった動力への魔力供給は簡単なんだけど、こういった飛んでるやつを動かすにはそれなりの勉強ってのが必要なわけよ。どうだい、少しは惚れたかい? あははははははは」
言い終わるころにはいつものノセリオに戻っていた。
――そういえば。
「その魔力供給ってのと、風を出したりとかの魔法は違うんですか?」
これから覚える決心をした身としてはそれも重要だ。
「あっはっはっはっは、そりゃ違う。別次元の話だよ。アンタじゃ無理無理、あはははは」
いきなり思いっきり否定された。
ちょっと傷つく。
「魔道供給なんてのは、出せればいいんだよ。まあこいつみたいに特殊な出し方をしなきゃいけないようなモノもあるけど、基本的にはほれ、こいつならここ」
――と椅子の横にある丸い金属棒を差す。
「ここの魔道炉に専門の魔力を出せば吸い込んで動いてくれる。後ろもそうだよ。あくまで道具を動かすために自分の魔力を出すってだけさね。だけど自然に干渉するのは別もんだよ」
そう言うと中指と親指を限界まで広げ―――
「大体このくらいの厚さの呪文書を暗記して、頭の中で再構成して、自然に干渉するように精錬した魔力を出すのさ。魔法の才能があって1つか2つ。天才が100年学んで3つってトコだね。あたしやアンタじゃ勉強するところにすら行けないよ」
なるほど……諦める気は無いが、先は長そうだ。
そんな事を考えているとノセリオさんは少し真面目な顔で――
「魔法なんてものは元来魔族のモンさ。魔法魔術は魔族の範疇ってね。人間はそれの真似事をしているだけだよ。あまり、深く関わらない方がいい分野さね」
――そう付け加えた。
会話を弾ませながら空を見ていると、太陽が随分と傾いてきている。
相和義輝としては、朝の約束が本当に有効なのか、実際に行ったら凄い顔で罵られるのではないか、そもそも行ける勇気が本当に自分にあるのか、空とノセリオの胸をチラチラ見ながら落ち着かない時間を過ごしていた――そんな時。
「あれはなんです?」
空には変なものが飛行していた。
四角い長方形は飛甲板を思わせる。しかしそれよりは小さい。全長は8メートル程度だろうか。全体が装甲版で覆われた機体の先端にはランスの様な衝角、両横には翼の様なものが付いている。
「あれはランオルド王国の飛甲騎兵さね。哨戒中なんだろうさ。もう門が近いってことだよ。」
すると、地平線の彼方から銀色の光が見えてくる。
――なんだ? 少し眩しくて目を細める。
それはやがて大きくなり、そして左右へと広がりを見せる。
近づくごとに、その異様感、威圧感は大きくなり、その全容が見える頃には無意識のうちに立ち上がっていた。
直立する高さ100メートルの壁。
壁面は鈍い銀色の金属で覆われ、光の当たり方で少し玉虫色に輝いている。
左右共に地平線の彼方までそびえ、その果てを見ることは出来なかった。
全長約12000キロメートル。
人類が千年以上の時間をかけて、魔族領を囲んだ絶対の防壁であった。
「ほら、あれがアイオネアの門だよ」
見えて来た巨大な入口。
しかし壁の大きさに比較すると、その入り口は小さい。
幅40メートル、高さは30メートル程だろうか。
入り口周囲には銀の半身鎧に長い三又槍を持った数名の兵士が立っているだけで、扉などは無く穴が開いているだけだ。
しかし入ると直ぐに、ここが厳重に警護された施設だと分かった。
奥行きは250メートル。入り口すぐから等間隔で落とし戸らしい金属の溝が見える。同様の間隔で左右には格子の入った見張り窓があり、天井も数か所格子になっていた。
迂闊に侵入すれば、落とし戸で分断され各個撃破されるだけだろう――だがその割に。
「なんのチェックも無いんですね」
入口の通路をゆっくりと飛行しながら聞いてみる。
正直少し拍子抜けだった。しかし――
「色々調べられてたよ。全員の身分証に飛甲板の登録番号、それに魔族が張り付いていないかとかね」
少し緊張感を含んでノセリオが話す。
「ここが一番緊張するんだよ。もし魔族が乗ってましたー何て反応が出てごらんよ。あたしら全員あの世逝きさ。警告も調査も無いよ。あたしらは何も気が付かないうちにパッと処分されて終わり。疑わしきは処分が基本だからね」
それはまた――物騒な話であった。
長い通路を出ると、そこはまた予想外の世界だった。
見渡す限りの金属の建物。
それは慣れ親しんだ建物と違い、ドーム状の半球体で、高さはどれも3階建てほどだ。それが綺麗に整頓されて並んでいる。
地面は白い石畳で、建物に合わせてきっちりと碁盤のように舗装されていた。
予想外の整然さだ。あの兵屯地とは違う、何もかもが人の住むための街といった空気にあふれている。そしてやはり皆若い。全てが20歳代程度までの年齢で、ごく僅かに子供が混じっている。
街には帰還兵を歓迎するかのように垂れ幕や様々な国の旗が掲げられ、多くの露店も立ち並ぶ。道行く人が、負傷兵や帰還兵に花束やパンの入った袋を渡している。
渡す人も、受け取る兵も泣いていた。
「アンタ覚えてるかわからないけど、あの建物と道は暗くなると光るんだよ。なんてね、それ位は知ってるか。あーはっはっは」
しかし、ノセリオの話は耳に入っていなかった。
遠くに見える巨大な建造物。
中空に浮かぶそれはここからでは全容は解らなかったが、お椀を逆さまにしたようなものを幾つも並べ、板を置き、その上に幾本もの塔、そして中央に城を築いたような形。
地上15メートルに浮かぶそれは、全長303メートル、全幅302メートル、全高197メートル。
門を守護するランオルド王国の浮遊城、ジャルプ・ケラッツァ城に目を奪われていた。
子供のようにはしゃぐアイワヨシキを中央人事院身元不明者施設に預け、ノセリオ・コンベルディエントは兵役奴隷の宿舎への帰路に就いた。
誰も彼――アイワヨシキを待っている者はいなかった。
おそらく明日の昼には希望塚へと送られるだろう。
もし彼が勇気を出して訪ねてきたら、今夜くらい良い夢を見せてやろうかなと思っていた。
一方中央人事院では、相和義輝のように戦場で保護された者達の処理に追われている真っ最中であった。
多くは本人が覚えているし、記憶を無くしていても着衣や兵装から祖国が判明する事例も決して少なくはない。だが――
「アイワヨシキか……国政不明の暗号解読士。記憶障害……」
事務官の一人、ヘイワット・マージスはその書類を見て10秒考え、希望塚――戦えなくなった傷病兵や奴隷忌避者、脱走兵などもまとめて処分する処刑場――そこへ送ることを決定した。
魔王討伐に貢献した可能性あり、そうカルター王の署名もあったが、人事院では人手は足りていた。いや、何処の国もまだまだ人を余らせているのである。領土持ちの国が引き取りを名乗り出ない限り、彼の処遇は人類の繁栄のための礎になって貰う外なかったのであった。
そんなことが決められているとも知らず、相和義輝は走っていた。手には一枚の地図を握りしめ、心には精一杯振り絞った勇気を詰め込んで。
空は茜色に染まり、日は次第に落ちていく。
路上ではふくよかな女性の肩を抱いた男や酔っ払い、笑顔の兵士や住民たちが闊歩し、露天や商店も賑わっている。
だが、それらは彼の目には映っていない。
父さん、母さん、ちこたん、自分死んじゃってるかもしれないけど、今日大人になるよ!
――そう思い走っていた。
だがそんな時、ふいに世界が暗くなる。
雨? ――立ち止まり見上げた空は極彩色の油絵の具に覆われ、まるで早く流れる雲のように西から東へと急速に広がっていた。
何かが落ちる音が周囲に響く。
誰かが叫んだ――どうしてと、なんでと、まだ足りないのかと、あの人の死は無駄だったのかと、どれほど自分たちを苦しめるのだと、何人死ねばいいんだと、何年耐えればいいのだと――
誰もが泣き、誰もが怒り、誰もが叫んだ。
石畳や金属の壁を叩く音、慟哭、怨嗟、そういったものが町全体をうねり、揺らし、まるで町全体が叫んでいるように相和義輝を包み込む。
しかしそんな中で、彼だけが違うことを考えていた。
漂っていた心が急速に落ち着き場所を見つける。突然地に足が付いたような気がする。震える手を見ると、さっきまでと同じはずなのに今までとは違うと確信させる。
握っていた地図を、落としたことにも気が付かなかった。
ああそうか、君が次の魔王という言葉、そして君は自由だという言葉。それらがどうにも繋がらなかった。魔王として好きにしろではなく何をするにも自由。そして彼らを敵にするのも自由。あんたは俺に、普通の人間として生きる道も用意したのか。
相和義輝は走り出す。
だから俺の一部を隠した、この世界の人間として不自然が無いように、前の世界の事を考えられないように……。
だけど――
空に散った魔王の魔力から次第に自分が自分に戻っていくのを感じながら、誰にも聞こえることなく相和義輝は呟く。
「あんたがくれた自由は、不便で気持ち悪かったぜ」
ここが分水嶺だ、分かっているさ。ここに留まれば人のままでいられる。でも、あそこに行けば、きっと魔王――憎むべき人類の敵になる。
だが足は止まらない。助けてくれた人間達、世話をした負傷兵達、沢山の人骨、街の人々の嘆き……それらが相和義輝の背中を押す。
(魔王になって、この殺し合いを止めてやるよ……!)
それは迷い無く、本当の自分で決めた、確かな決意だった。
この作品をお読みいただきありがとうございます。
もし続きが気になっていただけましたら、ブクマしてじっくり読んで頂けると幸いです。
面白いかなと思っていただけましたら評価も是非お願いいたします。






