ジャマイカサウンド史 ~ DUBとDJブーム(キング・タビーとUロイ)
82年、国外にレゲエを広めた最大の功労者、ボブ・マーリーが脳腫瘍で逝去する。
そしてマーリーの死と共に、メッセージ性の強かった(ルーツ・)レゲエも、その力が次第に衰えていくこととなる。
その頃ジャマイカ本島ではサウンド・システム(移動ディスコ)で、Uロイを始めとしたDJがジャマイカ人たちのブームとなっていた。
ここで、Uロイの説明をする前にジャマイカ人にとってのDJの定義をお話しなければならない。
通常DJとは「ディスク・ジョッキー」といってラジオで喋って音楽をかける人を指す。
しかしジャマイカでは、RAPのことを指す。
※ちなみにレコードをかける人は「セレクター」という。
現在のRAPスタイル(HIP HOP)は、ジャマイカが発祥で、当初は「トゥスト」または「スカンク」と呼ばれていた。
ジャマイカ人にとって最大の娯楽であった「サウンド・システム」では、以前から曲と曲との合間に掛け声をかける人間はいたが、それが本格化したのはDUBサウンドが開発されてからである。
DUBは70年代初頭、ジャマイカのレコーディング・エンジニアだった「キング・タビー」が創始者とされる。
「キング・タビー」は、1941年ジャマイカ・キングストンに生まれる。
電気・電子技術者であったが、友人の勧めで、「タビーズ・ホーム・タウン・ハイ・ファイ(サウンド・システム)」を立ち上げる。
その後、レコーディング・エンジニア&プロデューサーとして活躍。
彼がレコードのB面用にミックス・ダウンした音源はDUBと呼ばれ、「HIP HOP」を始めとした現在のダンス・ミュージックに与えた影響は計り知れない。
DUBとは、ボーカル音を抜いたり、ディレイやリヴァーヴを過剰にかけた音源で、その音源は元の音源とまったく違ったものとなって聴こえた。
このDUB(インスト曲)にDJがしゃべり(RAP)を入れた演奏が「サウンド・システム」で大ブレイクする。
そのDJの第一人者が「Uロイ」というわけだ。
U-ROY(Uロイ)は1942年、ジャマイカ・キングストンで生まれる。
61年から小さなサウンド・システムでDJ活動をスタートさせる。
67年、キング・タビーの「タビーズ・ホーム・タウン・ハイ・ファイ」のDJとして活躍。
コクソン・ドットやリー・ペリーらと仕事を始める。
その後、デューク・リードのプロデュースで、DJアーティストとして初めてレコーディング。
70年には、「ルール・ザ・ネイション」「ウェア・ユー・トゥ・ザ・ポール」でシングルをヒットさせ、トゥスティング・スタイルのレゲエDJというものを確立させた。
このUロイのスタイルは、その後の80年代中盤に起こる「コンピュータ・ライズド」という音楽スタイルから派生した、「ダンス・ホール」「ラバーズ・ロック」という新たなジャマイカ・レゲエのジャンルを作りだしていくこととなる。
… つづく