恐怖の観覧車
穂波と博史、女の子が草むらからアスファルトの道路に飛び出してくる。
振り向くと、巨大化した黒い化け物が上の方からばらばらと小さく崩れるところだった。
「まずい。でかさじゃなく、数で追ってくるつもりだ」
「ヒロクン、どうするの?」
「遊園地の入り口は反対側だ。どうせ、たどり着く前に奴らに捕まっちまう。どこかに隠れるんだ」
博史は目の前の観覧車に気づいた。
「あれだ」
3人は、観覧車の方に駆けていく。
ゴンドラの扉は、内側からは開けられないが、外側は簡単な留め金で留まっているだけだった。博史は扉を開けると、穂波と女の子を中に入れて自分も最後に中に入った。
扉についている窓は上半分。床に腰を下ろせば、扉の陰に完全に隠れる。
「ねえ、ドリームキャッスルってあれでしょ?あっちの方が安全じゃない?」
穂波が、窓から見える城のようなドリームキャッスルを見て言う。
「建物の入り口をふさがれたら袋の鼠だ」
「ここだって同じじゃない。いつまでここにいるつもり?」
「黒い奴らがいなくなるまで」
「それっていつなの?」
「さあ」
穂波は、あきれたようにため息をつく。
「・・・・・ミッチーと男の子は大丈夫だったかしら」
穂波がつぶやく。
「さあな。でも、ホラー映画なんかだと、ああいう体育会系のいかにも最後まで生き残りそうな奴が最初にやられたりする」
「なんでそんなこと言うの?サイテー!」
穂波が声を荒げる。博史が慌てて人差し指を口に当てる。
「声がでかいよ。もっと小さい声で話せよ」
穂波はバツ悪そうに、床に腰をつけたまま椅子の腰を下ろすところに背をあてる。
博史は、窓のところから少し顔を出して、外の様子を見た。
アスファルトの上を黒い何かが無数に蠢いている。
博史は、すぐに身を隠した。
「どうしたの?」
穂波の言葉に再び人差し指を口に当てる。
そのただならぬ様子に、穂波は女の子を抱き寄せた。
そのまま誰も動かない。まるで、時間が止まったかのよう。ただ流れるのは沈黙の時間だけだ。
博史の視線が、穂波の方を向く。その視線に気づいて博史を見る穂波。
博史の視線が上を向く。
そろそろ、窓から外を覗こうというのか?
まだ、だめよ!
穂波は首を横に振ったが、博史はお構いなしに手を床に当て、伸び上がろうとした。
と、その時、突然観覧車が回り始めた。
体を伸ばしかけた博史は、慌てて元に戻った。
ゆっくりと、だが、確実に動いている。
「何をしたの?」
たまらず、ひそひそ話のような小さな声で穂波が聞く。
首を横に振る博史。
「俺は何もしていない!」
やはりこれまた、小さな声で言い返す。
ゴンドラが宙に浮いたところで、思い切って窓から下をのぞく博史。
すると、さっきまで道を覆いつくしていた黒い怪物は全くいなくなっていた。
窓から離れ、一度元に戻る博史。穂波のほうを見て、
「・・・・・いない」
博史は、もう一度確かめようと、窓から下を見た。
すると、そこに、男と女の姿が。
「誰かいる!」
その博史の声に、穂波も窓に張り付く。
「誰かしら?」
「分からない。少なくてもミッチーじゃないのは確かだな。あんなスーツ着ていなかったもんな」
「でも、あたしたちの後に来たのだとしたら・・・・」
「車に乗ってきたのかもしれない!助かるぞ!」
窓を開けようとするが、開かない。
「くそ、開かない!」
そう言っている間にも、男と女は観覧車の下を通り過ぎていく。
「おい、待て!待ってくれ!」
と、博史が叫んだその時、
「出して・・・・」
突然聞こえた女の子の声に、博史と穂波は女の子の方を見た。
女の子は、満面に笑みを浮かべている。
そして、椅子の上に乗ると、そこから、博史たちの乗っている一つ前のゴンドラを見た。
「今、なんか言った?」
博史の問いに答えず、女の子は、博史と穂波に背を向けたまま、前のゴンドラを見ている。
「・・・・前の観覧車に何かあるの?」
穂波も前のゴンドラを見る。博史も目を凝らす。
何も見えない。
「・・・・・今、出してあげる」
女の子がつぶやく。
「えっ?」
とその瞬間、前のゴンドラの中の電灯が激しく明滅し、中に青白い炎が燃え上がった。
背を向けていた女の子が振り向く。
顔があったはずなのだが、そこには、赤くうねる無数の触手しかなかった。
穂波が悲鳴を上げる。
その悲鳴に驚いて、身をすくめた博史の頭上を触手が飛んでいく。
その触手が当たった博史の背後の窓ガラスは一瞬で溶けた。
突然、風が入ってくる。
女の子の顔が、穂波のほうを向く。
あの触手に触れたら、穂波も一瞬で溶けてしまうのか?
女の子が、自分に全く興味を示していないことに気づき、博史は強気になった。穂波の方を向いたままの女の子の背後に回り込むと一気に抱き上げ、溶けて大きく穴の開いた窓から外に放り出した。ちょうど将司たちの乗るゴンドラは一番高いところに来ていたので、女の子は観覧車のてっぺんから地上までまっさかさま。
博史は、椅子にもたれかかった。
「・・・・あれは何?女の子はどうなってしまったの?」
穂波が、激しい動悸を抑えながら言う。
「・・・・分からない。何がなんだかさっぱり・・・・。ここは俺たちの来るところじゃなかったんだ。まるでこの遊園地が俺たちをどうにかしようとしているみたいだ」
「あの女の子も、この遊園地のせいであんなふうになったというの?」
博史は、窓から園内を見下ろした。
ゴンドラは、あと4分の1のところまで下りてきていた。
「・・・・・ダイダラボウって知っている?」
「なにそれ?」
「昔話に出てくる巨人のことさ。山や川を作ったり、その足跡は湖や沼になったとかいろいろが伝説が残っている。その中に、ダイダラボウが町に変身したという話があるんだ」
「町に変身した?」
「昔、いとべという放浪の民がいた。この一族は、人々からいわれのない迫害を受けながら各地を放浪していたんだけど、ある時、立ち寄った街でひどい因縁をつけられ領民を傷つけてしまったんだ。放浪の民に領民を傷つけられた領主は怒り、兵たちにいとべ討伐を命じた。悪いのは因縁をつけた領民だ。だが、そんなことは関係なかった。いとべには家も武器も何もない。山奥にこもったものの、いとべはただ滅ぼされるのを待つしかなかった。このとき、いとべの民を救ったのがダイダラボウだった。ダイダラボウは、自分の体を町に変えて、いとべの民に煌びやかな着物を着せると、追ってきた兵たちを歓待させたんだ。兵たちは、相手が薄汚いいとべの民とは思いもよらず、いい気分で酔っぱらって寝てしまった。寝ている間に、ダイダラボウは、兵たちから武器を奪うと、その体にいとべの民を乗せて、人里離れた山奥に姿を消した。朝、目を覚ますと、兵たちは丸裸で野山に放り出されていた。そのことを聞いた領主は、山の神の怒りに触れたと恐れおののき、いとべ討伐をあきらめたんだ」
「そんな話聞いたことないわ。でも、その話と今のこの状況と何の関係が?」
「これは、俺の爺さんから聞いた話さ。嫌なことがあって、ずいぶん長いこと誰にも話したことなかったんだけどな。爺さんは言っていた。昔、このあたりには地図には載っていない里があった。その里こそ、いとべの民が作った里で、ダイダラボウはいとべの民をこの地で見守り続けているんだって」
「じゃあ、ヒロクンはさっきの黒い怪物の正体はダイダラボウだと?」
博史は首を横に振った。
「ダイダラボウなら、義明や紀子を飲み込んだりしない。そうじゃなくて、もし、爺さんの話が本当なら、きっと俺たちのこともダイダラボウが守ってくれるんだろうなと、ふとそう思ったんだ」
博史はゴンドラの内側の椅子に座り外側を、穂波は外側の椅子に座り内側のほうを向いていた。穂波は博史の背後に、観覧車の中心から伸びた骨組みを見ることができる。
その骨組みの上で何かが動いたのに気づいた。
「ヒロクン!」
穂波が背後を見て叫んだので、博史は後ろを振り返った。
さっきの女の子が、木の枝を伝うトカゲのように、両手両足で骨組みをつかみながら近づいてきていた。
黒い髪の毛で隠れていた顔を上げると、そこには赤い無数の触手が。
「危ない!」
博史は、穂波の肩をつかんで伏せた。
さっきまで穂波がいたところに、触手が飛んでくる。
椅子の背もたれが溶け、外まで穴が開いた。
女の子がゴンドラに飛び込んでくる。
女の子は、穂波の方を向く。
博史は、さっきと同じ要領で、背後から女の子の体をつかみ上げ、再び外に放り出そうとした。
だが、次の瞬間、女の子の首がくるりと回転し、赤い触手が博史の顔を凝視した。
もう逃げようがなかった。
と、その時、突然、ゴンドラの扉が開いた。
次の瞬間、女の子は、甲高い悲鳴のようなものを上げて、扉の反対側の壁に体をたたきつけた。
男が扉から飛び込んできて、うずくまって暴れる女の子に、小瓶から水のような物をかけた。
再び、甲高い絶叫。それは、人間の声では明らかになかった。背筋を凍らせるような不協和音。その不快な絶叫がやむと、女の子の体は、2、3回痙攣して動きが止まった。途端にその全身が青白い炎に包まれる。やがて女の子の体はその炎の中に溶けていき、炎はみるみる小さくなっていった。そして、こぶしほどの光の玉になると、開いた窓からドリームキャッスルの方に飛び去った。
「・・・・・あの青白い球は・・・・あの女の子はいったいどうなったんだ」
光が飛び去ったほうを見ながら、博史が言う。
「あれは、女の子なんかじゃない」
男が言う。
博史は男の方を振り返った。
「じゃあ、いったい・・・・?」
「・・・・・ゴルモンピチャカ。インカ帝国を脅かした悪魔だ」