戦慄のアクアツアー
入り口の右手に行くと、すぐに大きな池が見えてくる。
水中に設置されたカラーライトで、青や赤、黄色、緑など色とりどりの円形の光が池の水面に浮かび上がる。
「・・・・・綺麗・・・・」
紀子が思わず言う。
「はじめからこっち来ればよかったな」
義明が言う。
チケット確認の建屋の前を通り過ぎ、池に突き出した桟橋の先にいかだが係留されていた。
「・・・・いかだかよ」
道也が文句を言う。
「なんつったってアクアツアーだからな」
「どういう意味だよ」
義明に道也が突っ込む。
「ヘルメットが置いてあるぞ」
「いかだの上で転がる心配があるのかな。まあ、いい。念のためだ。みんなヘルメットをかぶれ」
全員がヘルメットをかぶる。
いかだの近くには長い棒が突き出している。
「これで進むのか」
道也が乗ると、いかだが激しく揺れた。
「おっとと・・・・」
博史と義明もいかだに乗って、揺れを抑える。揺れが落ち着いたところで、紀子、穂波、子供たちの順で乗り、バランスをとるため、腰を下ろす。
博史が係留されているロープを外し、いかだの後方に長い棒を設置する。
「みんな動くなよ。バランスだからな」
博史が長い棒で、池の底を押すと、いかだはゆっくりと動き始めた。
色とりどりに光る水面をすべるように進む7人の乗ったいかだ。
「アクアツーに来るなら、断然夜ね」
穂波がそう言ったとたん、いかだから少し離れたところの水面が盛り上がり、水がはねた。
「うわ、びっくりー!」
しばらくすると、違う場所の水も跳ねる。
「やべえ、気をつけろ。あの噴水に巻き込まれたらびしょびしょだぜ」
「もうびしょびしょだろ」
義明の言葉に道也の突っ込みが続く。
紀子は、色とりどりの光につられて、水中をながめていた。
幻想的な美しさにうっとりしていると、その光の中を何かの黒い影が横切った。
紀子が、突然立ち上がり、いかだが激しく揺れる。
「あ、あぶねえ!急に立つなよ!」
「な、何かいる!この池、何かいる!」
「そりゃ、池だから鯉か何かの魚くらいいても不思議じゃない」
「違う!もっと大きなもの!丸太みたいに!」
「丸太?」
義明も、水中を見る。
「いないよ、そんなの」
義明が、皆を振り向いてそう言った途端、その背後の水面が持ち上がり、黒い柱のような物が立ち上がった。
全員が、義明の背後を見て固まる。
「なんだよ、俺の後ろに何かあるのかよ」
そう言って、義明が振り向いた瞬間、黒い柱のようなものの先がぐにゃりと曲がり、義明の全身を飲み込んだ。
そして、水中にそのまま姿を消した。
黒い怪物が沈んだ水面に波紋が広がる。
麻痺していた感覚が戻り、紀子が叫び声を上げる。
「ヨッシーが、ヨッシーが・・・・!」
紀子の叫び声で我に返った博史は、棒を動かし、いかだを対岸に向けて動かし始める。
だが、すぐに、いかだが下から突き上げられた。
いかだのバランスが崩れ、女の子が水中に落ちてしまう。
女の子が、いかだから離れていく。
「ヒロクン、止めて!」
穂波が叫ぶ。
「無理だよ!」
穂波は、何のためらいもなく水中に飛び込んだ。
そして、女の子にたどり着くと、片手で抱えて対岸に泳いでいく。
離れていくいかだに追いつくより、対岸までの距離のほうが短かったのだ。
と、そのとき、泳ぐ穂波と女の子の後ろの水中に黒い影が現れた。
「穂波!」
博史が叫ぶが、必死に泳いでいる穂波に聞こえるはずもない。
黒い影が水面に浮かび上がり、鎌首をもたげた蛇のように水上に姿を現す。
穂波に照準を合わせるかのように先がぐにゃりと曲がる。
その時、黒い怪物の背後に何かが当たって跳ね返った。
怪物の動きが止まる。
紀子が、ヘルメットを脱いで怪物に向かって放り投げたのだ。
次の瞬間、怪物はいかだの方を向いたかと思うと、すさまじい早さで紀子を飲み込んでしまった。
あっという間だった。
再び、黒い怪物は水中に沈んだ。
対岸にたどり着いた穂波と女の子が水中から上がり、いかだの方を見る。
「・・・・・紀子は?」
いかだの上で、博史が首を横に振る。
穂波は、両手で口を押えた。
いかだの上には、博史、道也、男の子だけが残った。
博史は、棒を池の底から上げようとする。
だが、棒はびくともしない。
博史が、水中をのぞくと、棒の先に黒いものが巻き付いている。
力任せに棒を引っぱっていると、棒が急に軽くなった。
水中から棒を引き上げると、先が折れていた。棒の長さは1・5メートルくらいしかない。
とても、池の底までは届かない。
次の瞬間、いかだの中央を突き破り、黒い怪物が現れた。
いかだが激しく揺れ、道也と男の子が池に投げ出される。
道也は、ばたばた暴れる男の子を抱えると、体育会系出身の力強い泳ぎで、猛然と岸を目指した。
黒い怪物は、いかだの上に残った博史を飲み込もうともがくが、先が曲がるほどいかだの上に出てくることができない。いかだの何かが体に引っかかって、それ以上出てくることができないのだ。
博史は、手に残った折れた棒を見た。折れた先が鋭くとがっている。
このままおとなしくしていても、飲み込まれるのがおちだ。今から泳ぎだしたって、このバケモノは、そのうちこのいかだから抜け出す。やはり飲み込まれてしまうだろう。
それなら、せめて、道也と男の子が無事に岸にたどり着けるように・・・・。
博史の決意は固まった。
黒い化け物は、まだバタバタもがいているが、多少体が動くようになってきている。
今のうちだ!
博史は、両手で折れた棒を握りしめると、力の限り、黒い化け物に突き刺した。
途端に、黒い化け物はいかだを突き破り、その体を水上にあらわすと、棒を突き刺したまま、苦しさに身もだえするかのように体を前後左右にしならせる。
それがあまり急だったために、博史は棒を離しそびれた。
グラグラ動く黒い怪物に突き刺さったままの棒から手を離すまいと必死にしがみつくが、黒い怪物の遠心力の前に、ついに博史は跳ね飛ばされてしまった。
岸のすぐ近くの水面に体をたたきつけられる。
激しい衝撃が全身を突き抜けたが、それでも、博史は必死に水をかいて浮上すると、岸まで泳ぎ着いた。
黒い化け物から少しでも離れようと、体中の痛みを我慢しながら池から遠ざかる。と、目の前の草が突然動き、何かが飛び出してきた。
「うわっ!」
それは、穂波と女の子だった。
「ヒロクン!無事だったのね?ミッチーと男の子は?」
博史は首を横に振った。
「たぶん、反対側の岸に泳ぎ着いたんじゃないかな」
「じゃ、探しに行かなくちゃ」
穂波がそう言った時、博史の背後に黒い影が立ち上がった。
今度は蛇のような、棒状ではない。
明らかに頭と、胴体から2本の手が伸びていた。
頭の部分は、見上げるほどの高さに達している。
その影がゆるりと動いた。
「やばい!とにかく池から遠ざかろう!」
そういうと、博史は穂波と女の子を先に走らせ、自分もそのあとを追った。
裏野ドリームランドの入り口前に広がる駐車場に1台の車が入ってきた。
中から出てきたのは、三木島順二。
反対の助手席からは宮崎香澄が出てきた。
先ほどまで降っていた雨はやみ、持ってきた傘を一度広げたが、また車の中にしまう。
「・・・・・明かりがついてますね」
香澄は順二に声をかけた。
「誰かほかに呼んだんですか?」
「君は気にする必要はない。明日の休憩ポイントと時間配分を考えるために来たんだ。君だってとっとと確認して早く帰りたいだろ。余計なことは考えなくていい」
穏やかな言い方だが、順二の物言いは反論を許さない。
妙な詮索をしようものなら、三倍返しで返ってくる。
こんな夜の呼び出しに答えたのも、あとで何を言われるかを想像してのことだ。
多少の疑問は、封印しよう。
香澄はそう決め込んだ。
「傘はどうします?」
夜空を振り仰ぐ順二。
「星が見えている。傘はいらないだろう」
順二はまず、チケット建屋の横にある自家発電機のある建物のところに行った。
扉を確認して、中の発電機の状態を見る。
香澄は、扉のところで待つ。中に入っても、何も手伝うことがないと分かっているからだ。ブウウンという発電機の出す音が耳障り。こんな雑音が出るような機械で本当大丈夫なの?香澄がそう思った瞬間、その雑音に交じって女性の悲鳴のようなものが聞こえた。
香澄は、ハッとして扉から遠ざかった。耳を澄ますが、もう何も聞こえない。
「問題なさそうだ。電気のことは心配することはないな」
つぶやく順二に、
「園長、今女性の悲鳴のようなものが聞こえませんでしたか?」
香澄が聞く。
「悲鳴?そんなもの聞こえるはずないじゃないか」
「でも・・・・」
「まさか、君は夜の遊園地を怖がっているんじゃあるまいな」
「・・・・・いえ」
順二に言われると、どうも自分の意思に反して同意してしまう。
そして、順二はその同意に対して何の感情もみせないまま、チケット入り口のほうに向かう。香澄は無言で順二についていくだけだ。
順二は余計なことは言わない。
必要なことだけ言い、時間を切って、成果を報告させる。
成果だけが、順二にとってすべて。
成果を上げるためなら、その人間の事情など考えない。人は駒に過ぎなかった。
「明日は、県の担当と耐震診断の技術者がくる。実際にコンクリート強度や鉄筋検査を行う二次診断が始まるのは明後日以降だが、二次診断が始まったら、あとは結果が出るまで基本的に施設への立ち入りはできなくなる。検査に感情が入り込む余地はないが、関係者に不快な思いをさせずスムーズに診断をスタートさせることは重要だ。最初は君にも案内に同行してもらうが、時間を見計らって、君は一番奥にあるドリームキャッスルの休憩スペースでもてなす準備をしてもらいたい」
「ドリームキャッスルですか?」
香澄は、案内板に気づいて近づく。
「ドリームキャッスルは・・・・」
「案内板など見なくてもいい。わたしがこれから案内する。だいたいどのくらいの時間で移動できるか確認してほしい」
順二はそう言うと、園内の案内板も見ずに左の方に歩き始めた。
香澄は、そのあとを追おうとして、地面の蛍光塗料に気づいた。ハイヒールの裏に蛍光塗料がべっとりついている。順二はそんな香澄のことなどお構いなしで、どんどん先へと遠ざかる。
香澄にハイヒールのことなど気にしている暇はなかった。