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助けて、誰か助けて下さい!~一夜の胡蝶の夢~

作者: ぶるどっく


 昔々、ある日本という島国の何処かに一件の病院が有りました。

 そこには、一人のナースという人物が病院の中にある四十人くらいの患者さんのいる病棟で働いていました。

 十対一看護、患者さん十人に対して看護師一人の家に帰ることが目的の病棟だそうです。


 お昼を回った十五時にナースは、家を出発しようとします。

 そんなナースへ本来は夜勤が始まるのは夕方の十七時からと決まっているけれど、どうしてこんなに早く病院へと行くの?、とお爺さんが聞いてきます。


「それはね、お爺さん。 私はきっと、三人の夜勤者の中でリーダーを任かされてしまうからよ。」 


 どうして、リーダーだと早く行かなきゃいけないの?、と再びお爺さんが聞いてきます。


「それはね、お爺さん。 リーダーは四十人の患者さんの情報をしっかりと取っておかないと、仕事にならないからよ。」


 そうして、ナースはお爺さんに手を振って、栄養ドリンクを買ってから病院へと夜勤のために向かいました。


 病院に到着したナースは着替えて自分の病棟へと階段を上ります。

 そして、四十人分のカルテを開いて数日の経過記録に始まり、先生からの指示簿、点滴・内服の伝票、検査結果、次の日に予定されている検査の有無、など沢山の情報を読みあさり、血糖測定から食前の内服、点滴を変える時間など時間指定のある処置を確認します。


 そんなに沢山の情報を確認していれば一時間半なんてあっという間に過ぎ去ってしまいます。


 夜勤が始まる前にナースの情報をメモした紙はすでに真っ黒です。

  

 十六時半になって日勤者からの情報を申し送られれば、ナースのお仕事という名の戦いは始まります。


 ナースを含めた夜勤者三人が一斉に体温計と血圧計の検温グッズの乗った台車を走らせれば、エリーゼのためにが電子音で鳴り響きます。

 そう、ナースコールがなっているのです。

 三人の内二人が競い合うようにナースコールを取れば、数分も待たずに再び別のナースコールが鳴り響きます。


 ……そう、トイレ介助の時間帯なのです。


 不思議なことに一人がトイレへと希望すれば、順番を決めていたかのように次々と希望されるのです。

 次から次になるトイレ介助のナースコールを対応し、思い付く限りの方々をお連れし終わったと安堵のため息を付き、途中で止まっていた検温を再開出来ると思った方がいたならば、コーヒー牛乳に黒砂糖を入れまくったよりも甘すぎると言わざるをえません。


 なぜならば、一番最初にナースコールを押してトイレに行ったはずの人物が再びナースコールを押し、以下略のエンドレスだからです。


 そう、終わりなど最初から無かったのです……。


 さてさて、そんな蟻地獄のようなナースコールの嵐の前に遭難しつつある二人の夜勤者とは別の場所でリーダーを務める主人公、ナースの戦いも始まっています。

 

 病棟にいる患者の内、八人を担当するナース。 

 もし、この数字を見て楽だと思った方がいたならば、再び甘いと言わざるをえません。

 主人公たるナースならばこう言うでしょう。

 

「交代してくれるならば、私が十六人を担当したいです。」


 ナースの担当する八人。

 彼等は病棟の中でも選ばれた存在なのです。

 それは、不穏、暴力、徘徊、大声、人工呼吸器など、まさにオールスターとも言うべき選ばれし八人なのです。

 それゆえに、ナースステーションに隣接した部屋に集められている八人の彼等。


 検温をしようと声を掛ければ大声で拒絶され、おむつ交換をしようと手を伸ばせば叩かれて、その間に一人、二人がふらりふらりと子鹿のような足取りで歩き出し、彼等に付き添っていると人工呼吸器のアラームがなると同時に他の場所で柵を外す音が響き渡る。


「うふふ。 私に影分身が使えればいいのに。」


 ナースは引き攣りそうになる笑みを無理矢理固定します。


 しかし、その背後では人数が少ない多忙な夜勤者では対応できないばかりか、指示が漏れてしまえば患者さんに影響するために、必ず十六時までに指示を出すように、せめて声を掛けるようにお願いしているはずの医師達が静かに立ち去る音がしています。


 ……沢山のナースには伝わっていない指示を出しっぱなしにして……。


 夕食が来る前の僅かな残された時間を使って、出された指示を一つ一つと確認すれば曖昧な表現の指示を幾つか見つけ、電話の子機を片手に医師達に掛けまくれば迷惑そうな医師の声が返ってきます。


 苛つく心を押し殺し、ひたすら下手に出て指示を子機で確認しながら動く方々に付き添っていれば、夕食が運ばれて来ました。


 夕食の介助を行い、言葉を変え、時間をおき、歯磨きまで終わらせれば、暫しの時間だけ今日は静かになりました。


 僅かなナースコールの隙を見て三十分程度の夕食休憩を交代で取った三人の夜勤者は、それぞれのカルテの記載や消灯時間前の処置の準備を開始します。


「今日は運が良かったな。 医師達が出した指示の点滴や薬を取ってくる時間も、明日の検査の確認や食事を止めるかの再チェックも出来たんだもの。……でも、ここからが新たな戦いの時間だわ。」


 二十一時過ぎの夕食後に栄養ドリンクを一気飲みしながら、消灯後に訪れるで有ろう新たな戦いに向けて気合いを入れるナース。


 新たな戦い、それは消灯後に繰り広げられる戦いです。


 消灯後と共に、夕食後に眠っていた一人が起き出し始めてしまいました。 

 夜の二十二時を過ぎて、そろそろ眠るように促すものの目つきが変わってしまい睨み付けてくるその御方。


「警察を呼べ! 家に帰る! 治療? 医師? そんなもん知らん! 嘘言いやがってっ! 警察に訴えてやる!」 


 話しかければ掛けるほどに興奮し、暴れようとされる御方を距離を取って常時見守り、せめて八人部屋の外の部屋の方々に少しでも声が届かなければいいとドアを閉め切るナース。

 部屋に籠もる罵声を聞きながら、一人黙々とカルテを書き続け、興奮が収まった頃を見計らい声を掛けて眠るように促せば、運良く眠り始めるその御方。

 

 しかし、安堵のため息を付いたのも束の間に後ろを振り向けば、一人が音もなく起き上がり柵を乗り越えようとしている姿を発見してしまいます。


 すぐに駆けつけ事なきを得たものの、心臓が驚きでばくばくと脈を打つナース。


 そんなナースの心臓など知らないとばかりに無情にも、再び人工呼吸器のアラームが鳴り始め、泣きたくなってしまうナース。

 

 何故ならば……


「殺される! 毒を盛られる! 助けて、誰か助けて下さい!」


 と、眠り始めていたその御方が再び爛々とした眼で叫び始めたからです。


 

 一時間と少しに及ぶ激闘の末、やっと選ばれし八人が眠りについた頃から仕事に一区切り付いた時間処置のない者から順番に一時間半の仮眠に行き始めます。


 もしも、夜勤者に夜の間は患者さんは寝ているし、仕事なんてあまりないと思った其処の方。

 再び、甘いと言わざるを得ません。

 コーラにブドウ糖を溶けきれないほどにぶち込むよりも甘いです。


「……先輩、あの先生が定期のはずの薬の続きを出し忘れてます。」 

「……うん。 朝一電話して確認する。 多分、出し忘れだとは思うけど万が一本当に中止だったら悪いからね。」


 そう、年配の多忙を極めるという名でダイエットコーラ片手に病棟をふらふらしている医師ほど、定期の内服の続きを出し忘れていたり、そのことを指摘すると不機嫌になる医師は多いのです。

 

 ナースは思わず遠い目をしてしまいます。

 どうして、ナースが医師のご機嫌取りのような真似までしなければいけないのでしょう?

 次の飲み会で胸を触り、抱きつこうとしてきたらセクハラで訴えてやると心に誓います。


 過ぎ去った考えにナースは首を振り、夜中の間に終わらせなければならない数々の仕事を頭に思い浮かべます。

 記録に始まり、内服伝票を一枚一枚捲っては明日自分が配る薬のセッティングに間違いがないか、医師が出し忘れている薬や点滴がないか、食事の内容は間違ってないか、などを次々と確認していかなければなりません。

  

 それに加えて一時間おきに担当の患者さんの元を巡視し、二時間おきに体位交換とおむつ交換を実施します。

 ずっと、同じ体勢で横になっていると皮膚が圧迫されて皮膚トラブルの元になってしまうからです。


「ああ、良かった。 仮眠に一人上がって人数が少ないときは、大量のお通じが出てオムツの外に漏れていると服やシーツまで交換しなきゃいけなくて大変だもの。」


 二時間おきの体位交換が終わる度に、安堵のため息を付いていたナース。


 しかし、次の交換で悲劇が起こります。

 何故かオムツを自身で脱いでから大量に失禁してしまった方がいたのです。

 すぐに、シーツや寝衣を交換していきますが、運が悪いことにその間にナースコールが鳴り続けるのです。


 大きな体格をした方を一人で額に汗を滲ませながら、交換をしていきます。


 交換をされる振動で目が覚めたその方は、拒絶の言葉を叫びながらナースの腕の内側の肉の軟らかい部分を狙って抓って来ます。


「いた、いたたた。 濡れた服を着替えているだけですよ。」

「せんで良いっ! すんなっ!」


 もう、ナースは涙眼です。


 けれど、シーツや寝衣の交換が全部終わり、その方が眠り始めてもナースコールは途切れません。

 一人では対応しきれないナースコール。

 選ばれた八人以外にも転んでしまいそうな危ない方々は多くいます。

 そして、危ない方に限ってナースコールを押したと同時に歩き始めてしまう方は少なくありません。


 ナースは一度部屋の中を見渡します。


 トイレ誘導も終わり、彼等が眠っている今ならば、己がこの八人部屋を離れたとしても大丈夫だと、大丈夫であって欲しいと微かな希望を胸に、ナースは走り出します。


 ……己が戻ってきたときに、二人三人はベッドの下で倒れている姿を想像しながら……。


 やっと、ナースコールが鳴り止み、八人部屋に戻って来れた時、誰一人ベッドの下で倒れていないことに、変わらぬ様子にナースは安堵しました。

 


 そして、明け方近くにナースの仮眠の順番が回ってきます。


 四時頃に後輩にできる限り心配なことや気を付けて欲しい事を伝え、休憩室に移動して穴の開いたかのようにへこんでしまった古いソファに身体を横たえ、眼を瞑ります。


 一時間も眠れないけれど、それでも良いから疲れた身体を休めようとウトウトした頃、休憩室の電話が鳴り響きました。


 身体の上に掛けていた布団を蹴り上げるように起き上がり、電話を取れば後輩の切迫した声が告げて来ます。


「先輩、急変です!」

「すぐにベッドごと処置対応室に移動しなさい! 私もすぐに戻ります。」

 

 横になるために団子に丸めていたゴムを外していた髪を取り敢えず一つに結び、すぐに病棟へと戻ったナース。


 後輩の話す状況を聞きながら、バイタルサインを確認していきます。

 血圧や血中の酸素濃度が下がっているものの、頸動脈触知可能・自発呼吸もあります。

 一瞬意識レベル低下されていましたが、今は呼名に反応を返され言葉を交わせます。


「後輩、私が点滴の針を取るから当直医を呼んで、主治医へ連絡、当直の今日の担当管理者である他病棟の師長さんに連絡して報告と、家族へ至急連絡を取りなさい。」


 血圧が低下した影響で血管が細くなっているために肘関節の部分にある血管を選択し、輸血や造影剤などの対処がもし万が一必要になったときのために、すぐに対応できるように太く長い針で点滴の針を確保するナース。


「先輩、主治医繋がりました。」


 点滴の固定をもう一人の心電図や酸素の準備をしていた後輩に変わり、電話を受け取るナース。

 状況と血圧などの値を報告するナースへ、医師は不機嫌な声で返答します。 


「は? 俺に電話されても。 当直に全部して貰って。」


 ブチリと切られることなど予想していたナースは、後輩が呼んでいた当直医が到着したことを確認し、すぐに報告と指示を求めに走ります。


 他の電話では、すでに主治医とナースが話している間に管理の師長さんへと連絡を終え、家族へと後輩が連絡を取り始めていました。


 点滴、採血、動脈血ガス、CT。


 様々な指示が出され続けるなか、八人部屋の方からは大声が聞こえ続け、応援と共に駆けつけた管理の師長さんも対応に参戦します。


 起床時間と共になり始めるナースコールと、八人部屋の中から聞こえ続ける“助けて下さい”の声をバックに急変の対応は続けられていくのでした。



 嵐のような時間が過ぎ去り、夜勤時間を終えた夜勤者三人は燃え尽きたかのように項垂れています。

 しかし、病棟の師長へと報告するという任務がまだナースには残っているのです。


「師長さん、報告良いですか?」

「ああ、あんたね。 なに? 何か有る?」


 師長のあんた呼ばわりに多少はイラッとしながらも、早く終わらせたい一心で報告をナースします。

 

「……以上が夜の間のことです。

 ただ、師長さん。 色んな科が混ざり合って、どう見ても慢性期にもなっていない方々ばかりのこんな病棟で三人夜勤では色々と眼が届かず危険だと思うのですが……?」


 余りの多忙さに普段から余り上司へと訴えることのない、ナースが勇気を振り絞って言葉にします。


「それは担当する患者の人数の分け方が悪いんじゃないの? 他の同じような謳い文句の病棟のある病院なら、夜勤者は二人よ、二人。

 あ! あと、夜勤の仮眠の時間を一時間半以上取ってないでしょうね? 規定通りにしなさいよ。」


 師長の手元にある勤務の出席簿とも言える判子を押す冊子にある、仮眠すら取れなかったために残業を書いたナースの欄。

 何故か、鉛筆で書かされることを強要される残業を書き記していたはずの欄が、真っ白に誰かに消されてしまっていることが視界に映ります。


「…………」 


 訴えても弾き飛ばされてしまう現状に、死んだ魚のような眼をしたナースは時計の針が十一時を指そうとしているにも関わらず、未だに書き終えていないカルテに黙って向かうしかないのです。


 そして、疲労と貫徹から来る睡魔に負けて船をこぎ始めれば、ナースは……眼を醒ましました。 



 ビクリと布団を蹴り飛ばし、ナースが目が覚めた場所は休憩室でした。


 ナースは、一瞬どうして自分が此処に居るのか分から全く分かりませんでした。

 壁に飾られている時計へと視線を向ければ、仮眠の順番になり横になって十分も経っていません。


「……夢……」


 夢と現実が入り交じり、混乱した頭を冷やそうと二本目の栄養ドリンクに手を伸ばせば、休憩室の電話が鳴り響きます。


「……夢……じゃない……?」


 ひしひしとナースは嫌な予感に蝕まれながら、電話を取り耳に当てれば……


「先輩、急変です!」


 ナースは耳に響いた声に再び夢の中と同じ指示を出し、休憩室を後にします……。

 

「助けて、誰か助けて下さい。」


 と、心の中で涙を流しながら……。



 この話が、仮眠室で寝ているナースが見た夢なのか、それともカルテに向かって船をこいでいるナースが見た夢なのか誰にも分からないことなのでした。……めでたし、めでたし。 



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― 新着の感想 ―
[一言] こんなに辛いんですか? ドラマや本に書いてある事は嘘なんですか? 伝えるべき事を削り落としているんですか? 患者さんとの心温まるやりとりは無いんですか? 中学生のいとこがドラマに影響されて…
[一言] ・・・娘が看護師さん目指しているんですけど、やめた方がいいのかな・・・
[一言] 描写されている事自体は激務であるのに、地の文がかなり柔らかいからか、タイトル通りに「夢をみている」という印象を受けます。 また、看護師をしている母の事を思い出しました。 昔救急にいたらしい…
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