第一話 とても(不)公平な世界
施設から流れだした培養液が、下水管を流れていくと、やがて終点の貧民街へと流れ着く。
基本的に、この下水には汚物や工場から排出された汚染水が流れているが研究施設から出たモノに関しては別だ。
通常、施設からの下水は貧民街の近くに設置された汚水処理施設へと流れるが機密保持のため施設から流れてくるものは研究施設と契約を交わしている下請けが行っている。
施設から流れ出るモノは、基本的に実験に使用された生物であり、その処理・・・・つまり死体の処理を表向きには行っているが実際には実験に使用された動物の肉を貧民街の肉屋などに卸していたりする。
もちろん、依頼主の研究機関にバレたら首どころではない。 しかし、ここは貧民街。
生きる手段は自ずと限られてくるのだ。
施設の下水処理を請け負っているのは、実は企業ではなく貧民街に住む中年男性一人だけだった。
今日も、変な色の肉塊や謎の毛玉が上から流れてくるのかと朝から嫌な気分に浸る男がベッドから起き上がると、鏡の前に立った。
鏡の中の男は、髪はぼさぼさ、無精髭は伸び放題、おまけに昨日飲み歩いた帰りに何があったのか顔に痣が出来ていた。 男は、鏡を見ながらゆっくりと顔の痣に触るが案の定、眠気が一気に吹っ飛ぶ程の痛みが走る。
よく見れば、唇も切れているではないか・・・
「なんて日だ・・・。」と男が洩らす。
そうこうしている内に、仕事の時間が迫っていることをノイズ混じりのラジオが告げる。
ザザー・・ザァ・・・ジー・・・ 「2170年 5月12日 午前8時になろうとしています。 今日も1日、頑張りましょう! それでは、今日の一曲目」 ザザー・・・「で、"Home"です。」
床に脱ぎ捨ててある防護服を着ると、中年の男は自室の隅にあるハッチのハンドルを回し始める。
ハッチを開けると、男はラジオを腰のベルトに装着して地下へと続くハシゴを手慣れた動作で下っていった。
「さぁて・・今日も楽しい楽しいお仕事よ~♪」こんな仕事は、歌っていないと孤独感で気をやってしまうと男は自分以外誰も居ないのを良い事に歌いながら施設から流れてきたものを専用の容器に入れていく。
この容器に入れられた物は、時間とともに水分が抜かれてゆき、やがて粉末状の何かとなる。
「何か」と形容した理由としては、彼には粉末の使いみちがよく分からないからだ。 また、容器の中で起こっている事の仕組みも知らず、加えて依頼主の研究機関の人間からは機密事項により教えられないとのことだ。
しかし、細かい事を気にするような性格ではない中年の男は特に気にも留めずにいた。 恐らく、無駄に詮索をしない彼だからこそ下層の貧民街で生きていけているのだろう。
そんな彼でも、流石に無視をするのは難しかったのか下水管流れ出てきた人間の赤ん坊には心底驚いた。だが、驚きのあまり咄嗟に動けなかった。 昨晩の酒が、まだ残っているからか? いや違う、単に目の前の光景が処理しきれないだけだったかもしれない。
幸い、培養液がゼリー状になっており赤ん坊を包んでいたため排水処理用の受け皿に叩きつけられるという事は無かったが、受け皿に着地をした衝撃から一気に培養液が飛散し、周りを青く染める。
男は、オロオロしながらも作業を中断して赤ん坊を様子を見てみた。
今まで、動物や人間の一部らしきものを目にした男であったが流石に五体満足、しかも赤ん坊が流れてくるのは予想外の出来事だ。
赤ん坊の様子を暫く見ていると、足や腕が若干動いているではないか。
「生きている!?」追い打ちをかけるように、男に動揺が走る。
これは仕事どころではないと判断した男は、赤ん坊を抱きかかえハシゴを登り、自室のタオルで鼻や口に詰まる培養液を取ってやると赤ん坊が元気に泣き出した。
「あぁ~! この後、どうすればいいんだっけ!? ミルクか? 風呂か? こういう時にアイツが居れば・・・」と、壁にかけてある集合写真に男は目を向ける。
写真には、男の酒癖と借金に嫌気が差し出ていた妻と娘と一緒に小綺麗な男が写っていた。
慌てる男と、泣きわめく赤ん坊、そしてカントリー・ソングが流れるラジオ。酷い有様である。
そんな中、「ドンドンドン!!」と玄関の戸を叩く音がした。
扉に付いている曇りガラス越しには、顔は分からないが黒い人物が立っているのが伺える。
泣きわめく赤ん坊をベッドに残し、男は扉を開けると黒いスーツを着た初老の男性が一人立っており、中年の男にこう告げた。
「カラーさんですね? わたくし、アスタ・コーポレーションの使いで参りました。弊社で運営を行っている研究施設で問題が発生いたしまして・・・閉鎖となりました。 つきましては、契約の方を切らして頂きます。 もちろん、今月の給金はお渡しいたします。また、こちらからの契約破棄ですので、お渡しする給金には手切れ金を上乗せさせて頂きます。 振り込みは、後日となります。 それでは。」と、要点だけを伝えたアスタ・コーポレーションの使いは颯爽と去っていった。
「そんな!突然言われても困りますよ!ちょっと待ってください!」
カラーと呼ばれた防護服に身を包む男が、アスタ・コーポレーションの社員の肩を掴もうと彼の肩に手を伸ばす。
すると、男はカラーに蔑んだ眼を向けながら、「要件は伝えました。関係が切れた以上、"下層"の方と馴れ合うつもりはありません。」と吐き捨てつつ去っていった。
カラーは、あっけに取られながらも扉を後手で閉めると、泣いても誰も助けてくれないと悟ったのか、泣き止んだ赤ん坊のいるベッドに向かった。
腰に付けたラジオを、机に置くと丁度ラジオ番組の音楽が止まった。
ザザー・・・・「やっぱり、いいですね! "Home" ! 名曲ですよ! それでは、今日のニュースをお伝えいたします。 昨晩未明、アスタ・コーポレーションの研究施設が何者かによって襲撃を受け研究員の殆どが重傷を負いました。被害者の研究員の内、男性一人が胸を打たれ死亡したとの事です。 この一件には、記憶の保存媒体-ムネモッシュ-通称M.Mの製造・販売の大手であるOMI工業が関与しているとの情報もあり、続報が気になる所です。次は、占いのコーナーです・・・」
カラーは、ラジオのニュースを聞き終えるといつの間にか泣き疲れて寝ている赤ん坊を見てうなだれた。
「仕事が無くなり、恐らく振り込まれる金は酒場のツケに全部消える。残ったのはこの赤ん坊だけか。なんて日だ。」
カラーはまだ知らない、この赤ん坊が手に握っている赤い宝石の価値を・・・。




