閑話 仮面
暗闇の中目が覚める。また、一日が始まってしまった。
ベッド脇に備え付けられているチェストに手を伸ばしタバコに火をつけると、一瞬部屋のなかがおぼろげに照らし出された。照らし出されたところで入手すべき情報はなにもない。石の壁と石の天井がそこにあるだけだ。
一吸いだけで灰皿に火種を押し付けた。やはりここのタバコの味は俺には合わない。それでも止めないのは、あっちでしていた習慣をなにか一つでも続けていたかったからだ。俺にとっての喫煙は既に嗜好云々というものではなく、異世界のなかで存在する自分と元の世界をつなぐ頼りないクモの糸のようなものになっていた。
枕元には見飽きた仮面。触ると冷たい。静かに顔に合わせると気味が悪いほどしっくりと馴染んだ。
この世界にきて、多分2年。カレンダーなんていうのはなく、日記をつけたりしているわけでもない俺が「2年」とわかるのは、相変わらずノー天気なマヤが最近700日記念の飲み会を開いたからだ。体に似合ったマメな性格で、どうも過ぎた日をいちいち数えているらしい。放っておけば時間は勝手に過ぎるというのに、区切りをつけてどうなるというのだろう。俺にはわからない。
この世界にきて、多分2年。俺は変った。他のヤツから言えば「変ってしまった」らしいが。殺戮と破壊にまみれた生活は俺から感情を奪った。怒りを奪い、笑いを奪い、そして最後に涙すら奪っていった。もともと涙は多いほうじゃない。だけど、アイツの前では結構泣いてた。まぁ、ほとんどが貰い泣き。貰う相手もいなくなって、ついに俺の涙はその存在を忘れてしまってたようだ。
毎日着けるこの仮面と同じように凍った俺の表情。冷たい感触に慣れる日が来るとは思わなかったが、最近は逆に、世の中に慣れないことはないと思うようになった。仮面もそうだが、毎日乗るメガロにも、毎日潰すメガロにも、毎日殺す人間にも慣れた。もう俺はきっと人間じゃない。
薄暗い廊下を今日も歩く。石の冷たさも、日の光が遮られたことによる湿気も、そしてこの闇も、もう気にならない。闇なんてものは大したことはないのだと割と早くに気付いた。見えないことに人は恐怖するが、見えないほうがいいことだって世の中にはゴマンとある。見られたくないことだって、同じくらいにある。全てをありのまま照らし出す光のほうが、今の俺には恐ろしいものだ。
すれ違う一般兵たちが頭を下げる。一欠けらの思いも持たずにすれ違うと、潜めた声が後から聞こえてきた。内容はいつも同じだ。
「うあぁ、こえぇ」
「気味悪ぃよな、あの人らって」
「俺、仮面部隊が喋ってるの聞いたことねぇよ」
「なんでも、国王に忠誠を誓う証として喉を潰したって話だぜ」
「マジかよ、狂ってんじゃねーか?」
「おい、聞こえるぞ」
男が寄り合ってヒソヒソと根も葉もない噂話か。お前らの頭ン中は平和そうで羨ましいな。なんとでも好きに言えばいい。欠片も興味ない。
仮面をつけること。声を発しないこと。激痛の1時間を乗り切った俺たちにあの日ファズが突きつけた条件だ。
「これが最後の条件だ。全てが終わった暁には自由にしてやる。呑め」
初めから俺たちに拒否権などというものはなかった。ここにいる限り、俺はアイツの言いなりにならなければ生きていけない。殺される、という意味ではない。結果論ではあるが、アイツの言うことはいちいち俺たちの身を護ることに繋がっているのだ。顔が割れない、言葉を発しないという状態はこの国の知識を持たない俺たちには結構ありがたいものだった。
初めて連れてこられた時にはRPGのラストダンジョンのように感じていたこの城内の迷路は、今では好きなところへ行き来できるただの廊下に成り下がっていた。俺たちしかわからない裏道も含め、だ。秘密裏に動かなければならないときもあり、アクリーンとスナーに徹底して叩きこめられた。付随効果として、裏道を使い動く俺たちは他の奴らからすると神出鬼没らしく、得体の知れない存在という演出を強め、改めて畏怖する対象と認識されていた。
周りの気配がなくなったあたりでその裏道に入り込む。この道はあのサド王子専用の実験室まで繋がっている。俺たちが死を覚悟したあの部屋が、今では俺が俺でいられる唯一の場所になっているのだから皮肉だ。
「遅かったですね」
部屋に入ると、眩しいくらいの爽やかな笑顔でスナーが迎えた。こんな国で朝から笑顔を作れるこいつはどこかキレていると思う。
「何時も通りやと思うんやけどな」
「あ、じゃぁ二人が早かったんだ。サイチが最後ですよ」
スナーに促され中に足を進める。既に仮面を外してふんぞり返っているハタと、まだ眠いのか仮面をつけたまま舟をこいでいるタクがいた。
ハタもあの施術を受けた。グレゴリアエルーソのダメージから立ち直ったハタはファズにいいように唆され、ホイホイと手術台に乗せられてしまったのだ。「人手が足りなくて困ってるんだ。君は『ろぼっと』の操縦士に興味はないかい?」と別人のような良い人ぶりで頼まれたハタは詳しい内容を聞きもせずに「ある!やる!」と即答していた。ハタがアホなのか、ファズが策士なのか……。多分、どっちも、なのだろう。キラキラと子どものように目を輝かせるハタとニコニコと黒さを含んだ微笑を湛えるファズに、俺は笑い、タクは頭を抱えていた。それももう、結構前の話だ。
「はよ」
「おぅ」
俺が来たのに気付いたハタが体勢を変える。そのとき動いた椅子が発した音に驚いたのか、ビクッと体を動かして仮面のままのタクが俺を見た。
「あ、おはようございます、サイチさん…」
「はよ。眠そうやな、タク。いい加減それ外せや」
自分も仮面を外しながらタクにもそうするように仕向ける。俺たちが仮面を外し、言葉を発せられるのはこの空間だけだ。タクはどういうわけかファズに与えられた仮面を気に入っており、仮面を初めて手にした時は嬉々としてソレを着け、「どうっすか、これ!カッコよくないっすか?なんとかライダーみたいやないですか?」と俺にポーズまでつけて見せてくれた。「えーのー。お前は楽しそうで」と返したことを覚えている。
俺、タク、ハタに与えられた仮面にはそれぞれテーマがあり、はしゃいでいるタクの横で敢えて優しく微笑んだファズが「タクの仮面は『偽善』がテーマだよ」と教えてくれた。俺のは『威嚇』でハタのは『妖艶』らしい。どうもファズは徹底して俺らを異端者に仕立て上げたかったようだ。その理由も、今ではよくわかる。全ては演出だ。国王を欺くための、手の込んだ隙のない緻密な演出だ。
「揃っているな」
ファズとアクリーンが静かに入ってきた。後ろにいるアクリーンの手にはティーセットがある。見た目に合わず、アクリーンの淹れる茶はなかなか美味い。ここで毎朝アクリーンの茶を片手に今後のことを話し合うのが日課になっていた。
あの時使われた手術台は今では大きなテーブルと化していて、昨夜広げたままの地図やらなんやらが散らばっている。それらの隙間にアクリーンが器用に人数分の茶を置いていき、ファズがひと際大きな椅子に腰を下ろしてミーティングが始まる。
「なにか報告することはあるか、俺はある」
自分で提起しておいて自分でそれを拾う自己中な王子様もいつものことだ。しかし今日のファズはいつもとどことなく雰囲気が違う。纏っている空気が明るい。何か良い知らせでもあるのだろうか。
「まず始めに。お前らを労ってやる。今までご苦労だったな」
「は?」
「え?」
「うわ」
気味が悪くなるほど、その言葉はファズには似合わなかった。呆気にとられる俺とハタ。タクは引いてしまっている。
「……なんだコラ」
俺たちの反応はお気に召さなかったらしい。一気にいつものファズに戻った。ピリピリとした空気が今は安心する。スナーとアクリーンは苦笑いだ。
「えー、と。どゆこと?」
ファズに訊いても素直に答えてくれなさそうだったので、俺はアクリーンとスナーに問いかけた。すっかり機嫌を損ねたファズの様子を伺いながらも、彼が自分で話すことを放棄していることを確認すると、
「準備が整ったんですよ。」
と静かに教えてくれた。
閑話なのに…。一話で書ききれなかった…。
更新に時間かかってしまいました。とりあえず書けたところまで上げます。
そうそう。
ブログ始めました。記事はまだ少ないですが、キャラクターのイメージ画やら裏話やら執筆中のグチやらを書いていこうと思います。
よろしければどうぞ。
http://ameblo.jp/asemoway/
それではまた来週末。