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第八章 決意 3

 あれはエリがサメオさんに世話になるようになって一月程経った頃だったと思う。

 その日は大寒波が到来していて朝から雪もちらつくくらい寒い日だった。備品庫の管理当番に当たっていた僕は、マントのようなポンチョのようなこの国では良く使われているコートを着て、倉庫の鍵閉めを行っていた。

 全ての鍵を閉め終えた頃にはもう日付が変ろうとしていて、僕はあわててサメオさんに鍵を返すべく彼の姿を探した。執務室や備品管理部屋、食堂などを回っても彼の姿は見つからなかった。だとすれば、恐らくまだ…。そして僕はまだ煌々と明かりがついているワーハウスに向かって走り出した。

 吐く息は白く、耳を切る風は冷たさを通り越してすでに痛い。どちらかというと南に位置する県で暮らしていた僕にとって初めての空気だ。外にある水という水が凍ってしまっている。まるで雪国のようだ。スケートリンク状になった道に何度か足を掬われ、そのたびに不恰好に両手を動かしてなんとか転ぶのをこらえた。もはや僕に走る気力は残されていなく、もうそんなにない距離を歩いてワーハウスに向かうことにした。


「!」


 こんな時間だというのに、ワーハウスの前に誰か座っている。近くにある切り株に腰を降ろし動かない。誰だろう。曲がり角の死角からこっそりと伺うと、それはこの寒空の下コートも羽織らずに呆けているエリだというのがわかった。


「なにやってんだ、あいつ。風邪ひいてまうぞ」


 そう呟き彼女の元へ向かおうとしたとき、もう一つの人影がワーハウスから出てくるのが見えて、僕はなんとなくまた死角に隠れてしまった。以降、出て行くタイミングを逃した僕はこの場で彼女らを見守ることになる。


 もう一つの人影はサメオさんだった。ワーハウスから出ようとしてエリの姿に気付き、しばらく何かを考えるように立ち止まった後、くるりと振り返りワーハウスの中に戻っていってしまった。再び現れた彼の手には湯気のたつマグカップ二つとコートがあった。


「おい」

「あ、サメオさん」


 お疲れさまでぃっす―。ペコッと頭を下げるエリの口からも白い息が零れている。


「お前、いつからいたの?ほっぺた赤いぞ」


 ほれ、と持っていたマグカップの一つをエリに渡す。エリは素直にそれを受け取り一口飲むと


「あたたけー…」


と笑った。


「で?何してたのよ。とっくの昔に仕事あがったじゃん」

「そうなんだけどー…」


 恥ずかしそうに言葉を濁すエリ。ヘヘヘと照れ笑いをサメオさんに返し、二口目を口に運ぶ。


「ははーん。寂しくなったんだな?」

「えっ!?」


 どうやら図星を突かれたようだ。ニヤニヤと笑うサメオさんとは対照的にエリはマゴマゴと短い前髪をしきりにいじっている。


「待ち伏せとはケナゲだなー。よーしよしよし」


 両手を広げ、まるでキスをせがむタコのような口でエリに近づくサメオさんに


「ちげーし。うぬぼれんな、オッサン」

 

 容赦ない拳が飛んだ。


「あ、そう。そういうことするの。甘茶返せコラ」

「ちっせーなぁオイ!」

「俺のアンダーソン君のどこが小さい!」

「お前の息子なんてどーでもいー。」

「甘茶返せコラ」

「馬鹿者ぅ!これはもうお前のよこした甘茶ではない。私の飲んでいる甘茶、つまり私の甘茶なのだぁ!」


 深夜の寒空のした、バカたちのはしゃぐ声が響く。ケラケラと笑うエリに、最初に見たときに確かに存在した陰鬱とした感じは見当たらない。


「ほら、これ着ろ。」


 体を縮めているエリにサメオさんが持ってきたコートを差し出すが、


「んー…」


 フルフルと首を横に振り、エリはそれをやんわりと拒否した。


「なんで?そういうプレイでもしてるの?」


 深夜を過ぎ、シモネタにも口が軽くなったサメオさんが冗談まじりでありつつも、真面目な音を含ませ尋ねる。


「…寂しくて、我慢できなくなっちゃったの」


 言葉尻も軽やかに、なんでもないことを話すようにエリが吐いた言葉は、僕らがまだ一度も聞いたことがなかった彼女の本音だった。

 聞いたことがないとは言っても、態度にすぐ表れる単純なエリなので察することはできた。でも、彼女からその手の話を振られない限りそのことに触れてはいけない気がして、皆気付かない振りをしていた。

 僕にはわかる。エリはきっと僕らに弱いところは見せない。格好悪いから、という理由らしいが、どんなに格好悪くても情けなくてもぶつけて欲しいと僕はいつも思っていた。僕じゃなくても、ウラコとかモリヤとかツネさんとか、とにかく吐き出せる場所がエリには必要だったのだ。

 でもいま、彼女はソレを見つけたらしい。だから少し、安心した。


「寂しくて我慢ができないと寒空の下に出るって風習なのか?お前のところは」

「違うよ。そんな風習ないよ」

「じゃぁなんで。こんなクソ寒くて風も吹いてる夜になんで外にいるんだ?」


 サメオさんは少し怒っているみたいだった。それもそうだろう。いい大人が、わざわざ体調を崩すような状況下に長時間自分を放り出すなんて、体調管理云々以前の問題だ。ましてやエリはいま自分のワガママからの多忙の身。寝込んだりしたら周りにどう言い訳するつもりなのだろう。


「ねぇ、サメオさん。あれって、なんて名前なの?」


 少し間を置いたあと、サメオさんの問いには答えずに別の質問を投げかけたエリに、少し飽きれた様子ではあったが


「『シシ』だ」


 と、彼は怒りつけることなく短く答えた。


「ださ」

「うるへー。お前のとこじゃなんていうんだよ」

「星、だよ」

「だっせー!」

「うるへー!」

「ホシって。ホでシって。力抜けるわ。ホ、シ」

「シシだってシでシじゃんよ。力抜けるわ。シ、シ」


 微かに漂っていた緊張感を拭い去るようなぬるい会話。僕も思わず力が抜けてしまった。


「んで?その、ホシがなんなのよ」


 全く関係ないように思えたエリの問いの中に隠された答えへの糸口を、サメオさんはしっかりと見つけていたようだ。少しぬるくなってきたであろう甘茶にまた一つ口をつけて、エリは空を見上げて静かに話し始めた。


「私とアイツの好きな曲があってね。それはこう歌ってるの。『もしも自分が星だったら君だけを照らすだろう もしも自分が風だったら優しさをはこぶだろう』って。こうして星の下で風を感じていれば、アイツと一緒にいるような気がして寂しさも紛れるかと思ってさ。……でもダメだった。余計に寂しくなるだけだ。」


 ヘヘヘ、と笑いで誤魔化しながら、エリは切り株の上に踵を置き膝を抱えた。そしてその上に自分の額を当て俯いた。


「会いたいか?」

「そりゃぁ」


 くぐもった声が少し震えている。それを悟られたくないのだろう、彼女の声はまだ無理に明るさを保っている。


「哀しいか?」

「当然」


 冗談のような響きとともに吐き出される本音。


「泣きたいか?」

「…うん」


 グスッ、と鼻を啜る音が冷たい空気に響いた。


「泣いてもいいぞー」

「泣くかよー」


 変な感情を含まない、いつものサメオさんの声とは違い、強がりが抑えられなくなっているいつもと違うエリの声が耳に痛い。


「強情だな」

「泣いてないぞー」

「……」

「泣いてなんかないんだぞー」


 ズルズルと止まらない鼻水を必死に押さえながら強がるエリ。泣いている時独特の引き込んだ呼吸で肩が揺れている。気付かれないはずないのに、それでも隠し通そうとしているエリの意を汲んでか、サメオさんは彼女が泣いていないかのように話をしている。ついには話すことすら間々ならなくなった彼女のためか、言葉が見つからなくなったのかはわからないけども、それからサメオさんはただ黙ってエリの隣に座っているだけだった。静かな深夜の冷気に、ただ彼女の啜り泣く声がひっそりと溶け込んでいた。



「落ち着いたか?」

「うん」


 エリの呼吸が落ち着き始めた頃、ようやくサメオさんが口をひらいた。シュンッと乾いた鼻を啜らせる音と共にエリが応える。


「ちょっとは楽になったか?」

「え?」

「お前、思いつめすぎ。顔に出てる」

「え?バレてたの?」


バレていないと本当に思っていたのか……。


「超バレバレ。アイツらも心配してたぞ」

「うわー、はずかしー!」


僕も、自分の事が話に出てくると思っていなかったから恥ずかしい。


「しかし、アレだな。そういう理由ならコートとかいらなかったな」


マグカップを一度地面に置き、持っていたコートを乱暴に畳む。畳むというかクシャクシャにしているようにしか見えなかった。


「いや、もうアレですよ。あまりあのー」


 モゴモゴと言葉を濁しながら仕切りにサメオさんと地面に視線を行き来させるエリ。


「?」

「えーと…ですね。もう、あのー…こだわらないというか、そろそろあがりにしようかなーとか思っちゃたりしちゃったり……」

「つまるところ?」

「寒いです、コートかしてください」


 サメオさんの方に体を向かせ、ペコッと頭を下げるエリ。キョトンとしていたサメオさんだったが、やがてプッと噴出し、


「かっこわり」


 と笑いながらコートをエリの頭から雑に被せた。暫くコートの中で出口を求めもがいていたエリが、本来の出口から頭を出したときには髪の毛が酷いことになっており、その様子をみたサメオさんがまたエリを指差してバカにするように笑った。その指を猫のように力なくペシペシと叩くエリもまた笑っていた。

 出会ってまだそんなに経っていないのに、まるで二人は兄妹のような間柄になっていたのだと、僕はその時に気付いた。『類は友を呼ぶ』とはまさにこのことだな、と昔の人の作った言葉に感嘆した。

 それから二人はすぐに立ち上がり、何の変哲もないいつものバカ話をしながらワーハウスの中に消えていった。

 しばらくしてワーハウスの明かりも消え、寒空の下一人残された僕は、自分自身の身震いで発生した金属のぶつかる音で、ようやく腰につけていた鍵の束の存在に気付いた。あわててサメオさんを追いかけたが姿を見つけることができず、偶然出会ったアスールにまたもや助けられることになったのだった。


こんばんわー。

今回登場した歌は実在します。多少言葉は変えて有りますが…。

あの2フレーズだけでどの曲かわかった方はおそらくサメオさんのモデルが誰であるかもわかるのではないでしょうか。

あくまでも、モデルですよ。



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