第七章 初任務 3
ブンカバンカの輝きが意味するもの。花と死。
キム君が懐かしいと感じた、その空のわけは?
その時、カサンドラ公国のエリやウラコは・・・
時を同じくして、カサンドラ公国の城内にあるワーハウス前の空き地では、ウラコが夜空を見上げていた。
今日もまたブンカが綺麗に輝いている。
隣にいるエリはサメオから手渡されたKN−Y型のマニュアルと先ほどから睨めっこしたままだ。ウラコが入れたお茶も半分を残して冷めてしまっている。
「ねぇ、エリちゃん」
「んー?」
「お茶、淹れなおしてこようか?」
ウラコの言葉でようやくお茶が冷めていることに気付いたようだ。マグカップとウラコを交互に見ている。その顔は申し訳なさそうでもあり、バツが悪そうでもある。濃い付き合いをしてきたウラコにはその様子で彼女が何を言わんとしているかがわかったようで、「いいよー」と快くエリのカップを持って立ち上がった。
厨房へ向かおうと、昨夜配置した簡易テーブルから立ち上がり数歩歩いたところで
「お茶なら私の分もいれてくれるか?」
ワーハウスと城をつなぐ廊下からカサンドラが声をかけてきた。隣にはジュウザもいる。
「王女様!どうしたんですか、こんな時間に!」
本来ならば自室で休んでいるということをウラコは知っている。
「会議だよ、会議。頭が疲れた。甘ぁいのを淹れてくれ」
「ウラコ、オレの分も頼む。甘くないのをな」
わざと王女と対蹠的な内容を強調しながらオーダーを出すジュウザ。まるで自分が子どもっぽいと卑下されているようで、カサンドラは頬を膨らませながらジュウザを睨んだ。
そんな彼女の視線を何ともせず、ジュウザはエリに近づいていく。テキストから顔を上げずに唸っている彼女が気になるようだ。
「おい、エリ」
「おっふぁ!ジュウザ、いたの!?」
声をかけられなければその存在に気付かないほど没頭していたようだ。おおよそ女性らしからぬ声をあげるところが彼女らしくて、ジュウザは少し安心した。
「どうだ、サメオの宿題は」
イスではなくテーブルに腰を預ける。
「一気にレベル上がったって感じ。チンプンカンプんだよ」
また怒鳴られるなぁ―。と呟きながらエリはページをめくる。カラーペンでラインを引いたり、何か赤いペンで書き込んだり、ドッグイヤーがついていたり、彼女なりに頑張っているようだ。
「そうゴネるな。アイツはお前に期待してるんだぞ」
ジュウザがエリの頭を軽く指で弾いた。キョトンとした顔をしていた彼女だが、我が師匠の期待を受けていることを知り頬を緩ませた。
「お茶、淹れてきますね」
3人の様子を微笑ましい気持ちで見ていたウラコは、寒空の下足を止めている王女とジュウザ、そして体の冷えに気付かぬほど宿題に没頭している友人エリのために暖かいお茶を淹れに去ろうとした。
が、その足はカサンドラの言葉に止められてしまった。
王女がウラコを引き止める言葉を発したのではない。
無意識的に足が止まってしまう、そんな言葉だったのだ。
恐る恐る振り返る。エリも同じような顔色でカサンドラを見つめていた。
カサンドラとジュウザは何故彼女たちがそのような反応をするのかわからずに戸惑っている。自分は、王女は、間違ったこと、いけないことは何も言っていないはずだ、と。
「王女様…。今、なんて…?」
マグカップが悲鳴を上げそうなほど強く握り締める。
聞き間違いであって欲しい、と願うウラコの思いは虚しく―
「“今夜もまた不気味にバンカが輝いておるな”…と」
王女が口にした言葉は、死を予言するバンカの輝きのこと。
ブンカバンカの輝きに注意せよ
ブンカは花をバンカは死をもたらす
ブンカ輝くとき その光届きし者に富と栄誉を
バンカ輝くとき その光届きし者に逃れられぬ死を
ブンカバンカの輝きに注意せよ
ブンカバンカは嘘をつかない
この国に来たときにアスールから教わったものだ。単なる言い伝えに過ぎないと男たちは笑っていたが、30年戦争中の大空襲や敵国からの襲撃、戦争に限らず流行り病や大飢饉などの時、バンカが強く輝いていたと昔の記録にもあるのだ、とアスールが真面目に語っていたことをエリとウラコは思い出す。
この世界では月の輝きは強い意味を持つ。
「ち、違うよ…あれは…ブンカでしょ?」
震える指で輝く月を示すエリ。
昨夜師匠であるサメオが笑いながら言っていたことだ。あれはブンカで、吉兆をあらわす月だと。だから今回の輸送班任務も安心だ、と。
「エリ。誰に聞いた?」
静かに尋ねるジュウザに恐る恐るサメオの名を口にした。ジュウザの瞳が少し動く。動揺、だろうか。
恐らくジュウザは察したのだろう。サメオがわざとウソを吐いたのだということを。彼女たちを、そして今は戦地にいる彼らを不安にさせぬように。輝いているのは死を告げるバンカであるのに、まだはっきり区別のつかない異世界人であることを良いことに逆の名を教えたのだ。
「…そんな」
黙り込んだジュウザの姿でエリはわかってしまった。サメオの吐いた嘘に気付いてしまったのだ。
マグカップの割れる音が痛く響いた。その音に我に返ったウラコが慌ててガラス片を拾い始める。あわててカサンドラが彼女に駆け寄り手伝い始めた。いつもなら「王女さまはしなくていいんですよ。」と止めるウラコだが、今はカサンドラの心遣いが嬉しかった。
しかし、「迷信だから気にするな」というような言葉がこの国の誰からも漏れない。そのことから、この世界にとって、月の光にはかなり信憑性があることが伺えた。
きっと、大丈夫だ。
誰からも言われない言葉を自分の中で繰り返し、ウラコはゆっくりと立ち上がった。
エリはもう一度空を仰ぎ見る。
変らずに右側の月が輝いていた。
“死”の名前のつく月が、酷なほど美しく瞬いている。
「あなたは本当に“バンカ”なの?」
無感情に吐き出されたエリの言葉はひっそりと死の空に包まれて消えていった。