第五章 太陽と花と水の国 7
気温がマイナスまで下がるであろう空間で、命の炎が消えてしまった。
闇の世界。
初めて、月が二つあってよかったと思った。月明かりのおかげで全くの闇ではない。近くにいる皆の顔ぐらいなら見える。あんまり見たくない顔だけども。皆、絶望しているから。
「ひとつ、聞いてもいい?」
僕はその頃まだ夢の中だった。起こされたときには既にそこにあったし。だからわからないんだ。
「どうやって、火をつけたの?」
この中で喫煙者はツネさんと僕。でも僕のライターは水没したおかげで使い物にならない。ツネさんの持ってるジッポで火をつけたのかと思っていたが、この漂う絶望感から察するにそうではないらしい。
少しの沈黙の後、ウラコがゆっくりと口を開いた。
「ツネさんのジッポ、オイルがなくて点かなかった。でも、太陽があったからモリヤさんのメガネを…」
そうか。理科の実験の容量で、モリヤのメガネで光を集めて火を点けたのか。だとしたら僕も絶望せざるを得ない。太陽はもう既に沈んでしまった。月の光では発火するほどの熱を集められない。勿論、二つあったってそれは変わらない。
「寒い…」
エリがウラコにくっつく。夏の格好で10度以下の場所にいるのだから無理もない。
「ごめん」
僕のせいだ。もっとよく考えて行動するべきだった。僕の焦りが皆の命を危険に晒してしまったんだ。
「うぅ…っ!もうしゃーない!もっと気温は下がるだろうから、体が動くうちになんか…なんかしようや!」
その場で腿上げをしながらモリヤが曖昧な提案をする。
「ちょっと、雪国生まれのエリたんちょっと!何かないの?現地人の知恵みたいな…!」
「現地人て!えー…なんやろ…と、とりあえず跳べ!」
エリの言葉に、皆その場でピョンピョンと飛び跳ねる。
体を動かしていると体温が上昇する。多少暖かくなった気がするが、ずっと跳ねているわけにもいかない。
「それから!?」
「それから!?…うーん…うーん…モリヤン、パス!」
「はい!?」
ピョンピョンと跳ねながら会話をする僕らは、はたから見れば異常な集団に見えるかもしれない。だけど別に僕ら以外に人はいないし、命に関わる状況だ、人目なんて気にしていられない。
「えー…あー…」
「露出、してる、ところ、隠したら、ええん、ちゃうの?」
着地時の体の衝撃を避けてとぎれとぎれにウラコが提案した。
そういえば、僕がまだ横になっていたときにモリヤとツネさんから大量の葉を被せられた。それを使えば何とか…。
「葉っぱ!葉っぱ、使おう!」
「何を、爆発、させるって?」
「違う、そっちじゃ、ない!」
ボケもツッコミも途切れ途切れだ。
「葉っぱを、集めて、皆で、もぐろう。」
「それしか、ないやろ、なっ」
僕の提案にツネさんが乗ってくれた。皆も跳びながらウンウンと頷いている。そうと決まれば行動だ。寒さで体が動かなくなる前に。
二つの月明かりに見守られながら僕らはありったけの葉や木の枝を集めた。
そして木の枝や石を使って僕ら5人が入れるくらいの穴を掘る。この穴を掘る作業は同時に運動にもなったので汗をかくほどに体が温まった。一石二鳥だと、その時は思った。
完成した穴に集めた木の枝と葉を敷き詰める。その上にウラコ、エリ、ツネさん、モリヤがぴったりと体を寄せながら横になる。その上に僕が余った葉を満遍なく被せる。最後に僕が潜るように合流する。男同士でくっつくなんて、少し気持ちが悪いけれど文句なんて言ってられない。
「少しは…寒さしのげとるんかな?」
恐る恐る尋ねた。
「…私はねぇ、イヤなことに気付いてしまったよ」
応えたのはエリだ。
「汗…引いてきた…ね」
先ほどかいた汗。運動を止めたので体も発熱をやめた。かいた汗は体に付着する水分となり、今度は僕らの体から熱を奪っていく。
小刻みに体が震え始めた。
「なんだか、僕、やることなすこと裏目に出ているような…」
「ほんまやね」
「コラッ!」
僕の後ろ向きな呟きにツネさんが冷たく同意した。ソレをウラコがたしなめる。
でもツネさんが冷たくなるのも当たりまえだ。火を消してしまったのも僕だし、この案を提案したのも僕だ。穴を掘るときに汗かいて、「体が熱いなぁー!」なんてはしゃいでいたのも僕だ。
「キムさんが見つけてくれたリンゴっぽいの、おいしかったよ!」
ウラコの言葉に少しだけ救われた。ありがとう、ウラコ。無事に助かったら何か美味しいもの奢っちゃるわ。
「エリから始まる!イェーイ!山の手線ゲーム!イェーイ!!」
突然エリが大声で山の手線ゲームの開始を宣言した。
「喋ってないと、なんかダメだ」
ボソッとつぶやく声。この状況、ただじっとしていたのでは寒さに負けて体が睡魔を呼んでくるかもしれない。よく雪山で遭難した人が「寝るな!寝たら死ぬぞ!」と叫んでいるシーンが頭をよぎった。
「さー行くぞー!古今東西〜妖怪の名前!(パンパン)ウレポロクルカムイエカシ!!」
「「「「なんやそれっ!」」」」
「北海道の神様。」
「「「「そういう意味やなくて!!」」」」
「もうイヤや〜、この子はぁ〜」
全員の心が一つになったツッコミの後ツネさんがあきれ気味にエリの髪をグシャグシャとかき回した。「やめろよぉー」というエリの声が聞こえる。
緊迫した空気だったが、少しそれが和らいだみたいだ。ココは一応エリのヘンな趣味に感謝しておこうかな。
「もっと普通にしてよー」
「あー、アイヌはやっぱり反則だよね、マイナーすぎたよね」
「そっちやなくて、テーマの方ね」
「え!?妖怪ダメ!?」
「ダメ!」
ウラコに怒られ、少ししょげているエリ。空気を変えてくれたのだ、少しくらい彼女の趣味に付き合うのも悪くないだろうと思い、僕はエリに問いかけた。
「ちなみに、それってどういう神様なん?」
「あ、あのねー!アイヌ語でなんか意味あったんけど忘れちゃった。確かおじいちゃん神様だったと思うんだけど、この神様にお祈りすると熊が捕れるんだって!」
僕の問いに嬉々として答える彼女。やっぱりこの子はどこか変だ。
「北海道らしいねー」
ウラコの気を遣ったコメントにも嬉しそうに「でしょでしょ?」と返している。
「まず神様って時点で古今東西のテーマから外れてるしな。エリ、お手つき」
「あっ!」
モリヤに冷静につっこまれエリは自分のミスに気付いたようだ。
「お前、あの長い名前言いたかっただけちゃうん」
「ソレモアルネ」
笑いがこぼれる。まだこうやって笑えるうちは大丈夫だな。そう安心したとき。
ガサガサッ
林の方から音がした。ピタリと笑いが止まる。
ガサガサガサッ
まただ。どうやら近づいているらしい。
「な、何の音…?」
「しっ!」
怯えたウラコの声をモリヤが黙らせる。
呼気の音でさえも煩く感じ、ゆっくりと一つ一つの呼吸を静かに行う。まるで練習前に行う基礎練習のメニューのようだ。息を押し殺した空間で、何かが近づいてくる音だけがはっきりと響いている。
カサッと近くで葉のこすれる音がした。視線だけをそちらに向けると、ツネさんがゆっくりと顔をあげて外の様子を伺っているところだった。
「!」
そのツネさんが何かを見たようで、今度は素早く顔を潜らせた。ただならぬ様子に、僕らのなかにも一気に緊張が走る。
「ツネさん、何か見たんすか?」
小声でモリヤがたずねる。
「目」
「め?」
「赤い目…!草の間からこっちを見とった!」
何かの獣が僕らに近づいているということか?いくら姿を隠してもあいつらの鋭い嗅覚の前では全く意味を成さない。
「熊!」
「くま?」
「ウレポロクルカムイエカシの名前だしたから、熊モガ…」
「エリたん、ちょっと黙って」
パニックのあまり意味不明なことを言い出したエリをツネさんが実力行使で黙らせた。
その間も足音は止まることなくこちらに近づいてきている。熊でないにしろ、肉食の凶暴な獣だったらどうしよう。
寒さに凍えている体では満足に逃げることもできないだろう。このままここで震えて食べられる時を待つしかないのか?
「ど、どうするの?」
寒さ以外の震えで声を揺らしながらウラコが尋ねるが、この時ばかりは誰も応えることができなかった。
この状況は僕らが処理できるキャパをはるかに上回っている。頭がしっかりと働いてくれない。司令塔が沈黙し体も動かない。耳だけはしっかりと音を捉えており、大きくなる何かの足音を僕らに知らせてくれているが、それは僕らの中の恐怖を増幅させるだけだった。
足音が止まると同時に、僕ら以外の何かの気配を近くに感じる。もう、ダメだ。そう思った時。
「あのぅ…こんばんわぁ」
聞こえてきたのはなんとも気の抜けた男の声だったのだ。時が止まる。
「そこに…いるんですよね?」
再び聞こえた男の声。確かに聞こえた。幻聴ではない。
「オレ達はカセアロラ公国の者だ。そこにいるのなら出てきてくれないか。君たちを保護したい」
今度は別な男の声。先ほどの男よりもだいぶしっかりとした口調でハッキリと伝えてきた。
保護したい。その言葉を聞いて、僕は意を決して被っていた葉を払い体を起こした。
アレがあったらアレしておいてください。グッときてガッとしてパパーンッという感じで・・・。