第一章 ある夏の日
結構文章量が多くなってしまいました。携帯の方、読みづらいかもしれません。許してください。
その日は至極普通の一日だった。8月の中ごろを過ぎ、最高気温が人間の体温を越すか越さないかの真夏日であったが、そんなことは全国規模で言える事で大してめずらしいことではない。
俺が中退した大学は夏休みに入り、大学構内は閑散としていた。
構内の一角に人間のエゴで作られた人造の小さな林から、1週間の命を惜しんでか、それとも1週間の命を最大限に生きるためか、力の限り鳴いている無数の蝉の声が耳を刺す。
それに負けじとしてかは知らないが、吹奏楽部のバラつきのあるルパン三世のテーマが進行方向から響いてきて、これがまた耳を刺す。
2つの騒音に苛まれ、それらはうだるような暑さと強力タッグを組んで俺のイラつきを誘っていた。
買ったばかりのスポーツ飲料を半分ほど流し込み、つかの間の涼をとる。
噴出す汗はこめかみの辺りから耳の前をつたって顎から落ちていく。
スポーツ飲料独特の喉にへばりつくような後味が意外とイラつく。
いつもは気にもとめないことではあるが、これも夏の暑さのせいなのだろうか。あと蝉と吹奏楽部。
構内のはずれにある、一見して古い建物。俺の用事はここにある。
そもそも、俺が中退した大学に来ているのはこの研修館に通うためである。
研修館は、大学のサークル活動の部室が集まっている建物だ。
外付けの非常用階段を上って3階へ、踊り場で一服してから建物内に入る。直射日光に別れを告げると、体感温度が少し下がったような気がした。…本当に気がしただけだった。
無風状態の研修館内は熱が篭っていて、外よりも温度があるようだ。
目の前の廊下をまずはまっすぐに、突き当りを左に曲がって、一番奥の左側。
ここが俺の目的地最終地点。
中からはいつものように笑い声が聞こえる。
この大学内で唯一の俺の居場所。 演劇部、部室。
ノックを2回。同時にドアを開ける。
「おはよーっす」
演劇部お決まりの挨拶で中に入る。
「おはー」
「おぉ、サイチやんか」
「おはようございます」
多様な返事が返ってくる。
新入生公演を終えたばかりで、しかも夏休みで、更に活動日じゃないこの日に、どうしたのだろう。人なんて1、2人ぐらいしかいないだろうという俺の予想は大いに外れた。
まず目に入ってきたやつは俺の同期で休学中のハタケ。通称ハタ。こいつが部室にいることはとても珍しい。たしか退部したはずだが…?
「お前なんでここにおんねん」
「なんでって…マヤから連絡がきてな、久しぶりに部室いかんかーって」
俺の問いにヘロヘロ笑いながら答えるハタ。相変わらず読めない奴だ。
こいつはなにかしらいつもおかしな行動をとる。俺の予想をはるかに外れた動きというか行為というか…。だから一緒にいて飽きることはない。お互いの在学中はホモ疑惑がわくほどに一緒にいたもんだ。
羨ましいほどのサラサラの猫ッ毛、目の下までのびている前髪に少し鬱陶しそうに顔を顰めている。
若気の至りでむちゃくちゃに染めまくった末路のアッシュグリーンの髪は、それでも痛むことを知らないようで、夏の日差しに誇らしげなキューティクルを返していた。
ハタの答えには『マヤ』という名前が入っていた。こいつも俺と同期で休学中だったはず…。
小柄で可愛いとされているが、俺からしたら静岡出身のダニダニ言うカエル顔のヤツだ。
演劇部飲み会部長を名乗り、何かがあればすぐに飲み会を開く。
いつも幹事を買って出るところを見ると、人の世話をするのが好きらしい。
しかし、そのマヤの姿は見えない。
「で、マヤは?」
「隣で電話しちょるよー」
ハタの言う隣とは、部室に隣接している練習場の第三実技室のことだ。
大学の管理化にあるが、演劇部の部室から直接出入りできるので、半ば演劇部の第2の部室化していた。
3階の一番奥に位置するので、非難梯子を設置した小さなベランダがある。
そこは俺を始めとする喫煙者のヤニ吸い所になっていた。
一応、研修館内は禁煙ということになっている。が、その決まりはあってないようなものとなっており、他の部活は部室で堂々と紫煙をあげているらしい。
俺は靴を脱いで部室にあがり、いるメンバーを一通り確かめた。
扇風機に一番近い位置を占領して今週発売の週刊漫画誌を読んでいる、小柄で細身の男。
ご自慢の黒髪が扇風機の風になびいている。あぁ、こいつもキューティクルを持ってやがる。
俺の同期であり、中退仲間の『ツネ』。
小学校からの付き合いがある幼馴染故か、俺が入ってきても顔を上げずに「おぅ」と発するだけだった。
まぁ今はマンガに夢中になっているから仕方ないとするか。
最近プチ引きこもりだ、という噂を聞いていたが、こうして外に出ているならいいか。俺も結構人のこと言えないしな。
その隣ででかい体を横に倒して、座布団2枚でリッチな枕を作って携帯ゲームに励んでいるのは『モリヤ』だ。
俺の1コしたの現在4年生。元演劇部部長の、真面目と不真面目をしっかりと持っている男である。
坊主にべっこう縁の眼鏡といういでたちが恐くもあり親しみやすくもあり…というところか。
共通の趣味(玉入れと絵合わせ)があるので、よく遊技場で一緒になったりする。
だいぶ仲良くなったはずだが、意外とガードが固く、踏み込んだ話をすると「いやいやいやいや…」とかいって笑いながら心のシャッターを下ろしてしまう。
モリヤの向かいで演劇部部誌に目を通しているのは『ウラコ』。
俺の2コ下で現・演劇部部長。3年生。沖縄出身でもないのに、はっきりとした顔立ちは初対面の人間に島人を思わせる。
身長はマヤと同じく、ちっちゃい。動物に例えるなら真面目でちょっと短気なチワワってところか。
部屋の隅、角の少しの隙間にはさまりながらノートパソコンをいじっているのは、部内きっての狭い所好きの『タク』。
西浦と同期の3年生だが、ちょっとした事情があって年齢は俺の1こ上。
にもかかわらず年上には全くもって見えない。というのも、こいつの『長いものにはまかれろ』性格のせいだろう。
三度の飯よりもなによりもビールが大好きで、酔っ払うと典型的な酔っ払いの行動をとる。
この前の打ち上げでもいきなり電信柱にのぼりだして「おりれなーい!」と騒いでいた。
すべてが天然なので、こいつも一緒にいて飽きることがない。
そのタクの買ってきたお菓子を無断でつまみ食いして怒られているのが、3年の『エリ』。
他でもない、俺の彼女。
最近は髪をのばしているらしく、肩よりもすこし長くなった髪が暑そうだ。扇風機しか冷房器具のないサウナのような部室で、汗ばんだ首筋にペタリとくっついている。色っぽいとかは全く思わない。そういった言葉はコイツには無縁だ。
前髪は自分で切ってしまったため、眉上のあたりでガタガタと不ぞろいに存在している。
付き合って1年ちょいになるが、こいつもどこか人と違う思考回路をしていて、一緒にいて結構楽しい。不満といえば、感情的で泣きやすいってところか。
「わかった、もうやるわ!」
「ほんとに?悪いねー」
エリのつまみ食い攻撃に降参したのか、タクがお菓子一袋をエリに投げつけた。
「悪いね」なんていいながらちっとも悪いとは思ってない顔で、戦利品を持ってウラコのもとへ行くエリ。
きっとウラコの恵んでくれ光線にやられたのだろう。ウラコは、言葉が悪いが、物乞いの才能を持っていると俺は思う。
あいつの恵んでくれ光線の威力は半端ではない。さすがはチワワ。
「タク、吸いにいかんか?」
タバコを吸う動作をしながら誘うと、タクはハッと笑顔をみせたが、その顔を曇らせ申し訳なさそうにこちらを見ている。
「…なんや、タバコないんか?」
「金がなくて…」
「そんなん、タバコぐらいやるわだ」
俺がそういうと、今度こそ嬉しそうな笑顔で立ち上がった。
「俺もいくわー」
と、ハタも立ち上がる。
「お前タバコ辞めたんやなかった?」
「外では吸うねん」
ハタには結婚を前提に付き合い、同棲している彼女がいる。彼女は妊娠中らしい。
『でき婚や』『フライング魔人や』とはやし立てたが、結婚すると互いの両親に了解を得た上で作ったらしいので、本人的には明るい家族計画なのだそうだ。
だから家ではタバコは吸わないらしい。
近々籍を入れ、身内だけの式もあげるそうだ。
これだけそろっても、こいつを父親とやらに見られないのは、俺が過去の様々な偉業を知っているからだろうか。…偉業というよりも異業という方が合っているか。
ガラガラ…
第三実技室への扉をあけると、ベランダでタバコを吸いながらマヤと談笑している『キムラ』がいた。こいつもいたのか…。
通称、キム。こいつはモリヤと同期で、俺の腰巾着みたいな舎弟みたいな可愛い後輩みたいなアホなツレみたいな奴だ。
こいつが1年のとき、どこぞのマンガから出て来たみたいな、絵に描いたチェリー君で、
やれ「女性は守るべき存在である」だとか「騎士道とはうんちゃらかんちゃら」だとか、
歯の浮くようなキザなセリフを吐く童貞だったが、まぁ俺の教育のおかげで『超・変態』からやっと普通の『変態』に成長した。よくやった、俺。
恋多き男で、マヤに片思いしてフラれ、エリに片思いして諦めと報われなかったが、最近は他大学演劇クラブの彼女ができたらしい。
それにしても相変わらずのヘンなセンスの持ち主だ。
ドコの店で手に入れたのか、うねうねした染め抜きがされていて、『俺の下半身はカオスなのだー』と主張するジーンズに、
これまたどこで手に入れたのか胸元に切れ目が入っており、そこにクロスされるように皮ひもが通っているピーターパンのような白いシャツ。
最後は「え?それは必要なん?」と聞きたくなるような黒くてツバが大きめの帽子。まさにナンセンス。
「キム、お前その格好はないやろ?」
笑いを堪えながら声をかけると、キムは驚いて吸っていたタバコを消して立ち上がった。
「サイチさんじゃないですか!どうしたんですか?」
「いや暇やったから寄っただけ。おぅ、マヤ」
電話は終了していたのか、パコパコと手の中で携帯をいじっているマヤに声をかける。
「久しぶりー。元気だった?」
「当たり前やろ。キムと何話してたん?襲われなかったで?また流星群を見ましょうとか誘われなかったで?」
「ちょっと…やめてくださいよー」
キムがマヤに告白したときの古傷を抉ってやると、これ以上この場にいると酷くいじられることになると察したのか、キムが第三実技室から逃げるように部室に戻っていった。
「逃げたわ」
ハタが面白そうに言う。
「キム氏は相変わらずネタの宝庫っすよねー」
俺からタバコを受け取りながらタクも言う。
「キムとねー、今飲みに行く話ししてたの」
「2人でか!?」
「ちがうー!皆とだよ!」
いつもみたいにからかって笑いあう。
部室の方から、俺を呼ぶエリの声が聞こえた。「あー」なんて返事にもならない声を返して、特に様子を見に行くことはなかったが、俺はこの時のことを酷く後悔することになる。
なぜこのとき
おれは
あいつからはなれていたのだろう
なぜ
あいつのこえに
応じなかったのだろう
ガタガタガタ…・
何かが小刻みに震える音がする。周りに目をやると、実技室に置いてある灯体が震えている。
いや、灯体だけじゃない。2重サッシになっている窓も、立て付けの悪い廊下へ通じるドアも震えている。
「なにこれ!?」
「じ、地震っすか!?」
震えは大きくなるばかりだ。
ドーン!!
立っていられないほどの衝撃が下から突き上げてきた。あわてて壁にしがみつく。
「なにかにつかまれ!大きいぞ!!」
俺の声は聞こえたかはわからない。揺れに足をとられながら、それぞれしがみつく物を捜す。
「マヤ、俺につかまれ!」
近くにいたマヤの腕をなんとかつかみ、そばに引き寄せる。恐怖からか、顔面蒼白で体も小刻みに震えている。
そうだ、部室は…エリは大丈夫だろうか。
部室につながるドアを見ると、必死にドアにつかまりながらこちらを見ているエリと目があった。
その顔は、恐怖とは違う色で染まっている。
あぁ、やばいな。この状況は後で拗ねられること間違いなしだ。
何せ俺は我が彼女ではない女を守るためとはいえ腰に手を回している状態なのだ。
ばーか
アイツの口がそう動いたように見えた。
しかし、次の瞬間、目も開けていられないほどの光がどこからか発せられ、俺は反射的に目をつぶった。
それから、大きく揺れたような気もするし、揺れていなかったような気もする。
曖昧な空気につつまれ、すべてが不確実で、自分が立っているのかどうか、上なのか下なのか、広いのか狭いのか暑いのか寒いのか、起きているのか寝ているのかさえもわからなくなった。
洗濯槽でまわる衣類のように、体が左へ右へ、上へ下へともみくちゃにされているのが、なんとなくだがわかった。
ドーンッとひと際大きな縦ゆれに突き上げられ、体が宙に舞ったような気がした。
何かに頭を打った気がした。そして俺は気を失ったような気がした…。