好きじゃないから
ショッピングモールに到着すると、パパの意見を尊重して三階の飲食街の中華料理店に入った。そのくせパパはママと私に勝手に料理を決めさせていた。ただ、店員さんに注文するとき最後に一言だけ口をひらいて、生ビールだった。
「一杯だけだからね」
ママがため息をつきながらメニュー表をたたみ、パパはとぼけた無表情で厨房のほうに目を向けていた。
「パパ、好きだね、お酒」
私が言うと、パパはちらりと私に視線を寄越し、訳のわからないことを言った。
「サラリーマンは愚痴と嘆きをビールで流し込むんだ」
ママと顔を見合わせると、ママは失笑しながら首をかしげた。冗談を言うパパを気色悪く思ったのはママも同じようだったけれど、とりあえず、パパは上機嫌のようだった。
食事を終えると、瞼のふちをビールで赤らめたパパはゴルフの手袋が欲しいからスポーツショップに行くと言いだした。約束が違うじゃないかと私が騒ぎたてると、財布の一万円札を私に渡してき、本屋にも寄っていくと言い残して、さっさとどっかに行った。
「パパも一緒に行けばいいのに」
「恥ずかしいんでしょ。女の子のお店に入るのが」
「ねえ、ママ。私、あんまり高いの買わないからそこでパフェ食べようよ」
二つ返事でうなずいたママと一緒に洋菓子ばっかりの喫茶店に入った。
「パパはああ見えて栞と環が可愛いんだからね。ちょっとはわかってあげてね」
飲食街のロビーが見える窓辺の席に座ると、ママがそう言ってきたので、私はメニュー表をながめて無視した。
「まだ先だけど、父の日には何かあげてよ。栞と二人で一つでいいから。去年も一昨年も何もあげなかったでしょ。ママにはくれたのに」
私は手を挙げて店員さんを呼ぶと、パフェを注文した。ママは決めていなかったけれど、ひらいていたメニュー表を適当に指さして注文した。
店員さんが帰っていくと、ママはまた言った。
「おねだりばっかしてないで。たまには環もパパに何かしてあげなさい」
「そんなにおねだりしてない」
「してなくても」
私は頬杖をつきながら白い格子枠の窓の外に視線を逸らした。
「パパだって喜んでたんだから。環の短歌が新聞に載ってさ」
ロビーは日曜日の余暇を過ごす人たちでにぎわっていた。ステーキハウスの前に行列を作ってる人たち、お祖母ちゃんの手を引いている小学生の男の子、肩ぐるましてくれってお父さんに向かって騒いでいる小さい女の子。
ありふれた景色で、まったく特別でもない空間だったけれど、それぞれの人たちのそれぞれの関係性が織りなす一瞬の景色となっていた。窓の向こうの人たちがどんな人たちなのかは知るよしもない。けれど、人々をながめていると、私ってわがままなのかなっていう疑問が湧いて、そうして、少し寂しくもなった。
なんだか、窓の外が、違う景色に見えてしまった。
私は頬杖をついて窓の向こうをながめたまま呟いた。
「お姉ちゃんに相談してみる」
「うん。相談して。なんでもいいんだから。パパ、きっと喜ぶから」
「うん」
私は景色をぼんやりとながめていた。
ところが、ふいに、違って見えていた景色が、ひどく現実的なものに変わった。それが視界に入ってきた私は、目を疑った。ものすごく気分が悪くなった。胸の中の心臓が唐突にぎゅうっと絞られ、血がかあっとなって頭に昇っていくのが自分でもわかるほどだった。
向こうの廊下からロビーに入ってき、こちらの廊下に向かってくる男女二人ずつの私服姿の中学生四人は、吉海くんと吉海くんの悪ふざけ相手と、私を校舎裏の自転車置き場に連れていった女の子二人だった。
私はすぐに顔を窓から離し、すぐに顔を伏せた。
「どうしたの」
ママが窓の外を見やる。
「知り合い?」
私はただうなずいた。メニュー表を窓辺に立てかけて、そこに顔を隠し、必死でうつむいた。
窓一枚をへだてて話し声が聞こえてきて、私は音のない歯ぎしりをしながら、私に気づいてほしくないことを心から願った。
しかし、話し声からして吉海くんたちは喫茶店の見本ケースの前で立ち止まった。とても愉快そうな声で、パフェ食べようか、いいや食べない、と、論じ合っていた。でも、その会話の内容は私にはよくわからなくて、ただただ、入ってこないでほしい、入ってこないでほしい、と、祈り続けていた。
「高いよ。やめようぜ。フードコートのほうが安いよ」
その言葉のあとに話し声は消えてくれた。
「同じクラスの子?」
私は吉海くんたちが消え去ってくれたあとも、木目調のテーブルの一点だけを見つめ続けていた。私は案外、短気だ。だから暴れ回りそうな心をしずめるのに必死でいた。でも、しずめようとしても、腹立たしさは次から次に火を噴き出してくる。どうして、吉海くんがあの子たちと一緒に歩いていたのか、私を連れていった女の子たちはどうして吉海くんと一緒に歩いていたのか、私は彼らすべての人間性を疑った。
店員さんがパフェを置いていっても、蚊帳の外に弾き飛ばされた私は、しばらく手をつけないでいた。
「環? 食べないの? どうしたの?」
私はスプーンを手にし、ちょこちょこと突っついて食べたけれども、冷静への努力と興奮への本能がぐるぐると頭の中に螺旋してしまい、味なんてまったくわからなかった。そして、口に運べば運ぶほど、食欲がどんどんと失せていった。
私は半分も食べないでスプーンを置いた。
「ママ。車の鍵貸して。私、車の中で待ってる」
「えっ? どうして。知り合いの子がいたから?」
「貸してっ!」
私が金切り声でわめくと、喫茶店は一瞬静まり返ってしまい、ママは眉根をすぼめながら周りの人たちに頭をさげて謝ったあと、バッグの中から渋々鍵を取り出してきた。
「ねえ。どうするの。服は買わないの」
「いらない。もうやだ」
私はママの手から車の鍵を引ったくると、さっさと喫茶店を立ち去り、駐車場に駆けて出ていった。