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えがきたいもの

 守屋さんのママはメガネをかけていなくて、髪もショートカットだけれど、守屋さんにそっくりの美人で、ママというよりも年の離れたお姉さんに見えるぐらい、若々しくて元気のある人だった。


「ふーん。そう」


 守屋さんが私を連れてきた事情を説明し、私が「すいません」と頭を下げると、守屋さんのママは腕組みしたまま、


「じゃあ、電話してあげる。たーだーし」


 と、言って、腕をほどいて、人さし指で私の頭を持ち上げてきて、瞳には厳しさを、口許には微笑を見せてきた。


「今日は特別だからね。あなたは受験生なんだから。次のお泊り会は高校生になってから。わかった? 松山環さん?」


「は、はい」


 どちらかというと気圧された感じで私がうなずくと、守屋さんのママはすぐにデニムのお尻のポケットからスマートフォンを取り出し、私にママの携帯電話番号を訊いてきた。


「夜分遅くに申し訳ございません。わたくし、環さんと塾で一緒の守屋ゆいの母親でして――」


 守屋さんのママはさっきとは打って変わって穏やかな口調で私のママと話し、


「ええ。差し出がましいかもしれませんが、気分転換も必要かなと思うんです。ええ。いいえ、滅相もございません。ううん、それはお気になさらないで」


「良かったね、オタマちゃん」


 私がうなずいていたら、守屋さんのママがスマートフォンを突き出してきた。


「代わってだって」


 私がうつむくと、「ほら」と遠慮なしに私の胸を突いてきて、抵抗できない私は受け取らざるを得なかった。


「あなたのお母さん、いいお母さんじゃない。まったく。ヒステリックな教育ママだと思ってドキドキしちゃったわよ」


 そう言いながら守屋さんのママは冷蔵庫を開けて覗き込み始めてしまい、スマートフォンは放ったらかしだった。私は出たくなかったけれど、守屋さんのママがあんまりにもサバサバした人なので、私はスマートフォンを耳にあてた。


「もしもし」


「環。連絡だけは寄越しなさい。それだけ。ご迷惑かけないようにね。パパにはママから言っておくから。ちゃんと言っておくから」


「はい。電話代がかかっちゃうから切ります」


 電話の切り方がわからなくて守屋さんに渡して切ってもらい、そのまま、守屋さんが座っていいと言うので、食卓のテーブルの前の椅子に座った。


 守屋さんのママは冷蔵庫の中をごそごそとあさっており、鼻歌を口ずさむようにして喋っていた。


「かけ放題だからべつに構わないんだけどね。それにしても、急だからなあ、ゆいの分しか作ってないからなあ。環さん、ご飯食べてないでしょ。あ、歯ブラシとか下着は――、環さん、そんなに胸は大きくないね。うん。私の出張用のがあるから、それあげる。大丈夫、新品だから。あ、生理? 違う? それとパジャマはゆいのがあるでしょ。それね」


 顔こそ似ているのだけれど、ママの料理のお手伝いを穏やかにしている守屋さんとは対照的に、守屋さんのママは何事もテキパキとやらないと気が済まないような人だった。そして、手持ち無沙汰の私が手伝うと言うと、「じゃあ、これ、切って」「切れた? じゃあ、次、これ」と、人を動かすにかけてもテキパキさを求める人だった。


 守屋さんのママはバリバリのキャリアウーマンだそうだった。


「ああいうお母さんだから、いつもお父さんと喧嘩しててさ。どっちかって言えば、お父さんは気が弱いほうで、いつも言い負かされていたんだ。お母さんはお父さんに三行半をつけてやったんだなんて言っているけれど、本当はお父さんが優しい女の人を見つけたってだけ」


 シャワーを浴びてパジャマに着がえた私は、守屋さんの自室でココアミルクを飲みながら、ドライヤーで髪を乾かしている守屋さんの横顔をながめた。


 守屋さんは一人っ子だった。パパとは一ヶ月に一回しか会えないみたいで、先月は一緒に横浜の水族館に行ったとにこやかに話した。ママは仕事をバリバリしている人だから毎日帰りは遅く、月に何度も出張があるので、帰ってこない日は延べ10日ぐらいはあるそうだった。


「だからね、受験が終わったらいつでも泊まりに来て。私だってオタマちゃんが遊びに来てくれれば寂しくないし。今度は莉子ちゃんも一緒に」


 長い髪をブラシで梳かしながら、守屋さんは終始口許を緩めていた。


 私はいったいなんなんだろう。


 そこまで特別に親しいわけでもなかった守屋さんと一緒にいるからかもしれないし、初めて上がらせてもらったお家に泊まらせてもらっているからかもしれないし、友達の家で友達と二人きりで夜をすごすのも初めてだからかもしれないし、何もかもが初めてだから、私は余計、自分を客観視した。


 思うところはたくさんある。


 でも、結局は、私は子供なんだな、と、いうことだった。


 守屋さんに比べたら、まったく、全然。


 彼女も、また、私のお姉ちゃんと同じように、あまり世の中のことにとらわれていないような付かず離れずの雰囲気なのだけれども、お姉ちゃんと決定的に違っているのは、いつだって寄り添ってくれるような優しさがあった。それが守屋さんの大人びた印象にもなっていた。


 とうてい、私のようにわがままざんまいのようには見えない。


「守屋さんのお母さんは進路のこととか言ってこないの」


「言うけど、でも、オタマちゃんのお父さんほどじゃないと思う。うちのお母さんは私を一人にさせていて引け目を感じているみたいだし。私はその点、オタマちゃんより恵まれているかも」


 守屋さんは、ふふ、と、声に出して笑いかけてきた。私も笑ったけれど、無理に唇を緩めた具合だった。


 もっと早く守屋さんと仲良くなれていたらと思った。


「私ね」


 と、言いながら、守屋さんは腰を上げ、学習机の前に座ってデスクトップパソコンの電源を入れた。


「オタマちゃんの短歌が新聞に載ったって聞いたとき、あ、って、思ったんだ。オタマちゃんが良かったらやってくれないかなって」


「え、何?」


「ちょっと待ってて」


 守屋さんはモニターの画面が起動するのを待っていた。私はマグカップを置くと、守屋さんの脇でモニターをのぞいた。


「私、美術部なんだけどさ」


 守屋さんがマウスを動かし始めると、モニターには何枚もの絵が表示されて、教科書に載ってそうな油絵や水彩画、風景だったり果物の絵だったり、それにアニメ調のデジタルイラストがマウスをクリックするたびに次から次に出てきて、私は絵のことはよくわからなかったけど、それらはすべて、見ていて違和感のない、世の中に当然のように公開されているようなものだったので、守屋さんが「私が描いたやつなんだけどさ」と言うまで、まさかそうだとは思わなかったので、声を上げて驚いた。


「えっ! プロの人みたい!」


「まさか。全然だよ。でも、ちょっと出来がいいかなって思えたのはネットに投稿しているの。それで、オタマちゃんの短歌を添えられたらいいなって思っててさ。私の下手なイラストがちょっとは良くなるかなって」


「下手って、全然下手じゃない。すごい上手」


「じゃあ、やって」


「ええ? でも、私の短歌なんて」


「宿泊料代わり。どう?」


 守屋さんはやっぱりあのママに似ているようだった。


 突然言い出してきたので私は驚いたけれど、それでも、楽しそうだったので私は了承した。すると、さっそく、短歌を書いてくれと言って私にメモ用紙を渡してきた。すぐに書けないと私が苦笑すると、波田野くんに送ったものがあるだろうと言うので、私は顔を真っ赤にした。


「ど、どうして、知っているの? 莉子ちゃんが言ってたの?」


「違うよ。オタマちゃんと波田野くんが消しゴムでやり取りしているのバレバレだから知っているだけだよ。残念ながら、波田野くんは添田くんと藍島くんに学校で茶化されているから。それを知らないのはオタマちゃんだけってこと」


 私はあつくなった顔を両手でおさえ、元気な女の子みたいにきゃあきゃあ騒いだ。


「はいはい。早く書いて」


「ええ? やだ。恥ずかしい」


「じゃあ、オタマちゃんのお母さんに宿泊料請求しとくね」


「守屋さんってそういう人だったの?」


「そう。知らなかった?」


 私は溜め息をつきながらも波田野くんに初めて送った消しゴム短歌をメモ用紙に書いていった。学校の先生に提出するみたいな気分で守屋さんに渡すと、守屋さんは目を細めた。


「へえ。これって、どういう意味? あいの風って恋愛の愛?」


「違うっ。五月頃に東から吹く風ってことっ」


「さっすが。勉強になりました。じゃ、これをイメージしてイラスト描いてみる。出来たらオタマちゃんに教えるから」


「うん」


「でも、内緒ね。私とオタマちゃんがそういうこと始めたっていうの」


「莉子ちゃんにも?」


「違う。波田野くんに」


 守屋さんがにやにやと笑っているので、私は守屋さんの肩をはたいた。


「意地悪っ! そういう人じゃないと思ってたのにっ!」




 守屋さんと二人で歯を磨いていたら、守屋さんのママが「二人で一緒に寝るんでしょ?布団ないよ」と、さも当たり前のように言ってきたので、私と守屋さんは同じベッドの同じ掛け布団にくるまった。


「さっきさ、オタマちゃん進路のこと言ったじゃない? 私さ、オタマちゃんみたいに頭良くないからどうなるかわからないけど、美術系の大学行ってさ、将来はそういう職業に就きたいんだ」


「お母さんにも言っているの?」


「うん。やりたいことがあるんなら一億でも二億でもいくらでもお金は出してやるって冗談半分で。ただ、やると決めた以上は死ぬ気でやりなさいって」


「なんか、守屋さんのお母さんらしいね」


「男の人みたいだと思わない?」


「うん。思う。でも、かっこいい」


「オタマちゃんのお母さんはどんな人?」


「私のお母さんは――、普通の人。普通のママ」


「お父さんが厳しいの?」


「厳しいっていうか、なんか、変わってる。変な人」


「お姉さんもいるんでしょ。お姉さんもオタマちゃんみたいな感じ?」


「ううん。お姉ちゃんはあんまり細かいことには気にしなくて、明日の風は明日吹くみたいな感じの、あんまり他人には興味を持たないような。友達同士だと違うのかもしれないけど」


「そうなんだ。私さ、兄弟姉妹がいないからさ、やっぱり、一人ぐらいは欲しかったかなってたまに思うんだ。でも、わかんないよね。無い物ねだりかもしれないし」


「うん……」


「そういえばさ、結局のところ、オタマちゃんは波田野くんと付き合っているの?」


「え――。つ、付き合ってない」


「どうして?」


「だ、だって、べつに」


 守屋さんはくすくすと笑った。


「オタマちゃんってさ、ほんと、可愛いよね」


「ええ? どういう意味?」


「純真って感じ。ずっとそのままでいてほしいなって感じ」


「それってだって子供ってことでしょ」


「子供でいいじゃん」


「やだ。私、守屋さんみたいな大人な人がいい」


「じゃあ、もっと恋愛すればいいんじゃない?」


「そうなの? ――だって、守屋さんそういうことしたことあるの?」


「秘密」


「付き合っている人いるの?」


「秘密」


「ずるいよ。私ばっかり茶化して」


「だって、オタマちゃん、そういうことしちゃいそうじゃない。大人になりたいからって」


「しないよ。そういうことを言っているんじゃなくて――」


「あのさ、波田野くんってさ、朝早くに釣りに行っているの知っている?」


「え? 知らない。釣りをするんだって言ってはいたけど、どうして」


「二年のときに隣の席になったことがあったからさ、聞いたことあるんだけど、休みの日は川で釣りしているんだって。一人で。部活があっても」


「だから?」


「明日、早起きして会ってみれば」


「だって、そんなの邪魔になっちゃう」


「ならないよ。波田野くんだってオタマちゃんに会いたいに決まってるよ」


「そんな急には」


「連絡しなよ、今」


「寝てるよお」


「寝てたらいいんじゃない。それまでで。起きてたら会えばいいんじゃない。ほら、メールでもいいからさ」


「守屋さんって莉子ちゃんよりもぐいぐいしてるんだね」


「莉子ちゃんも私もぐいぐいするのは、オタマちゃんの友達だからじゃない?」


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