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三十路の元巫女は華麗なフォームで全力投球する

作者: あおてここ

 ある程度人生を生きているとたいていの事は慣れてしまって、その先の予測も出来るようになる。

 だから三十路の大台を越えてそろそろ結婚の二文字を苦々しく感じるようになった頃、入社して7年目の不毛な片思いに終止符を打とうと思ったのだ。


 相手は同じ部署の二つ年上の先輩。

 右も左もわからない新人だった頃、何度も泣かされるほどの厳しさと、ほんのり見せてくれる優しさを持って鍛え上げてくれた人。

 どんな時でも先輩が厳しく優しく引っ張ってくれたおかげで、今ではプロジェクトのチームリーダーを任されるまでに成長する事ができた。


 先輩はけっしてイケメンではないし、体型だってあご周りだけじゃなくてお腹もぽっちゃりしてきている。

 社内で人気のある営業部のトップとかシステム部の新人とかに比べたら、雲泥の差を感じるほど野暮ったい。

 ただそれでも、いつも厳しくて恐い表情の中で見せるちょっとした笑顔や、愛する奥さんと子供の写真でらしくもなく目じりを下げている姿にキュンキュンしてしまっただけだ。

 そんなキュンキュンがドキドキになって、気がつけば行くつく場所もなく持て余して気持ちが酸化して、心の奥底で赤茶色に焦げ付いてしまっていた。



 仕事の充実感と吐き出すこともできずに燻る気持ちに迷っていたとき、県外で新規に立ち上げる子会社への出向の話がきた。

 短くて三年、長ければ五年以上の長期の出向になるというその話しは、将来の不安も含めて途方に暮れていた私には希望の光に見えたのは仕方がないと思う。そしてその光に一にも二にもなく飛びついたのは言うまでもない。


 重い責任と未知の領域に葛藤が無かったといえば嘘になるが、それでも停滞していた心の整理にはちょうど良かったのだ。


 正式に辞令が降りた翌週明けには部署へ正式に通達され、その後一月かけて後任者へ今のプロジェクトの引継ぎと各部署への挨拶を済ませた。そして新規子会社へ役職を持って移動というスケジュールで過ごした一ヶ月。

 引継ぎは完全に終わり、週末の金曜日に最後の挨拶をして古巣を飛び立つ予定だった。そしてその日に私は先輩へ、自己満足な告白をすると決めていた。

 結果の判った迷惑な告白は、いい加減疲れてしまった恋心を成仏させるために決めたことだ。


 けれど、そんな決戦の前日木曜日、私はありえない現象に巻き込まれてしまう。





 翌日の挨拶に各部署に配るお菓子を買った帰り道、明日の負け戦を前に英気を養おうと足早に帰宅を急いでいた、街灯が灯り始めるたそがれ時。

 私の足元に蛍光塗料で描いたような幾何学模様が突如現れ、それを避ける間もなく踏んだ瞬間、視界が暗転した。


 そして瞬き一つで気がついた時には、見知らぬ世界へと飛ばされていたのだ。


 あまりにも唐突すぎて状況を瞬時に理解できるほど、私の頭に柔軟性なんて存在しなかった。


 自分の中の常識から逸脱した状況に何がなんだかわからず、混乱と絶望と怒りで泣き喚いたあの時。周囲の人間が化け物にしか見えなかった。

 何度も何度も夢だと、時々見る無駄にリアルな夢だと思い込もうとした。けれど、悪夢が醒めることはなかった。



 私は異世界の何とかって言う神様に世界を救う光の巫女として召喚されたと説明された。



 はっきり言おう。

 三十路も過ぎた処女でもない女をなぜ選んだ。こういうのは順応性の高い十代の子供がセオリーだろ。

 この世界の神とやらは頭がおかしい、と毒づいた私は悪くない。


 だいたい年相応にある程度は人生の酸いも甘いも経験して、だいたいの世の理も無情も理解し、血気盛んな若気に燃え盛った正義感とはほどほどに折り合いを付けられるようになったと思っていたのに、まさかのファンタジーな急展開。

 思考を放棄して何が悪い。

 死んだ魚の目で首フリ人形のように言われるがままに頷くしか私には方法がなかったのだ。




 そんな絶望と諦観に疲れ果てた頃、ヒゲの生えた偉そうな異世界人に光の巫女として闇の王を封印して欲しいと改めて言われた。

 

 意味が理解できないというよりしたくなかった。


 ヒゲいわく、光の巫女は神に選ばれた異界の乙女で、数十年から数百年に一度、神と世界を蝕む闇の結晶である王を封じるのが役目とか。


 知らんがな。


 そのうえ歴代の光の巫女は全員が世界を救ったあとは元の世界に戻らず、王家に嫁いで平和を見守ったとか。

 だから帰す方法は不明。神のみぞ知る。


 へー、婚活しなくてもイインダー。


 泣き喚きすぎて全ての体力を消耗した後に落とされた大量殲滅兵器並みの大型爆弾に、その後数日に渡り熱を出して寝込んだことも覚えている。


 さらにどうにか心を落ち着かせて、ちょっとだけでも現実を受け入れようと無駄に豪華でふかふかなベッドから這い出た頃。

 そろそろ目元と口元の小じわが気になっていたはずの見慣れた顔が大幅に若返り、黒かった瞳が人間ではありえない銀色になっていた。

 カラーリングで軽くしていたはずの髪も真っ白に変わっている事に気付いた時、悲鳴すら凍りつき何もかもどうでもいいと投げやりになってしまったのは仕方がないと思う。





 そうして過ごした幾年月。

 どう足掻いても帰れないと思い知った頃から根性も座り、日本人の社畜精神を大いに発揮して闇の王とやらへ挑んでいった。

 大なり小なりやたらと経験値を積んで、最終的にはいい意味で悟りが開けるような極致にまで至っていたのはきっと異世界で得た数少ないプラスなこと。


 形容詞し難い形状をした闇の王と対峙し、ここまで一緒に旅をしてきた仲間達と戦い続けること体感時間で数十時間。

 ついに闇の王が纏う闇を祓ってその中心核である古代鏡を、神の御業とやらで封印する事ができた。


 途方も無い疲労感と目的を果たせた達成感、ようやく得られた安堵と歓喜に酔いながら仲間と共に帰ろうとした時だった。

 私の身体に感じたことがない衝撃が走った。



 なにが起こったのか、どういう意味なのか理解が出来なかった。



 ただただ驚いて、その衝撃の中心部である胸を見下ろすと、真っ赤になった剣が生えている。



 意味がわからず状況が飲み込めず、言葉に出来ない熱さを感じて呻いて見上げた視線の先に、悲しそうに微笑む見慣れた姿。



 仲間だと信用に値する人達だと、旅の間で思えるようになってた。

 自分の世界に帰りたいという気持ちはなくならないけれど、それでも彼らがいる世界なら根付いてもいいと、そうやってこの世界を人々を受け入れらるようになったのに。



 けっきょくどこまでいっても相容れない理解もできない違う世界の生き物なんだと、それだけが思考の片隅でぼんやりと浮かんだ。


 聞きなれていたはずの声らしき音が後ろから何かを言っているけど、その言葉は頭で意味を成す前に私の世界は沈黙した。



 刺された、殺された、裏切られた!!



 暗転した世界でそう慟哭した瞬間、とうとつに視界が開けた。








 そして見えたのは懐かしくも感じる近代的なコンクリートの道。

 中途半端に舗装された石畳や砂埃が舞う穴ぼこだらけの道じゃない。

 闇の王がいた石灰石の様に真っ白い神殿でもない。


 見上げると等間隔で並ぶ街灯。マンションや一戸建ての家々の窓から光が漏れて、何かを焼くような香りが漂っている。

 街灯と建物の隙間から見える空は暗く、天空を埋め尽くして眩しく感じた星は、片手で数えられそうな程しか見えない。

 確かに刺されて殺されたはずの私は、いつの間にか住宅地のど真ん中で棒立ちになっていたのである。


 あまりにも唐突な場面転換にまったく状況が飲み込めず、痛む頭に手を添えようと無意識で持ち上げた右手には有名デパートの紙袋。

 中身はだいたいの人が食べられるだろう洋菓子店のパッケージ。

 左の肩には愛用の仕事用かばんがずっしりと重さを主張していることにも気付いた。

 慌ててかばんを漁って取り出したスマホの日にちは決戦前日の木曜日。

 混乱し早鐘を打つ心臓を宥め、思考を再び停止させようとする脳をフル回転させてこの状況を整理する。


 つまり、今、この瞬間は、私が異世界召喚などと言うファンタジーを経験したあの日である。


 服装も動きやすくも巫女らしい清楚さを忘れない着るのがめんどくさい服ではなく、買って一年ほどになるパンツスーツ。

 無くしたはずのピアスは耳についていて、切り落とされた髪は確かに後ろで結われている。

 慌てて数本を犠牲にして解いて確認した髪は夜の闇の中では黒く見えて、けっして白く輝いてはいない。

 薄暗い中で髪を振り乱しながら身なりを確認して、それが異世界の巫女衣装ではなく、ごく普通の社会人の出で立ちだと意識した途端、私は走り出した。


 歩く余裕なんてなかった。考えてもいなかった。


 ただただ我武者羅に走って、走って、走りつづけた。


 心なし重く感じる身体が上げる悲鳴を無視して走りこんだ、見慣れたアパートの自室。

 震える手で鍵穴に鍵を入れることを何度も何度も失敗しながら開いた扉は、さび付いた音を奏でて騒々しく閉まる。

 動いた空気によって香ってきた匂いは、バラをイメージした玄関用の芳香剤。ちょっと臭いと感じるのになぜか使い続けてしまったそれは、引越し当日に捨てようと思っていたものだ。


 壁にあるスイッチを押せば当たり前のように明かりが灯り、小さな部屋を照らし出す。

 都市部から少しだけ外れた郊外にある一人暮らし様の狭い1DKには、土曜日の引越し用にまとめられたダンボールが積まれている。


 その様子は間違いなく二度と帰れないと泣きながらなんども夢見た私の部屋だ。


 止まらない震えもそのままに、部屋のあちらこちらを確認してみるが、長時間放置された形跡は無く、水道からは濁りのないきれいな水が出た。

 乱雑に放り出した荷物にも構わず飛び込んだユニットバスの鏡には、黒い瞳とカラーリングで染色された髪を持つ、歳相応の自分の顔が映っている。

 あの弾けるような若さは無い。気持ち悪いほど白い目も髪もない。

 ぎこちなく笑って見せれば、顔色の悪い鏡の中の女も不細工な笑みを浮かべる。

 そんな女の目じりうっすらと浮くシワが、年齢をあらわしていた。


 ああ、私の顔だ。これが、私の顔だ。


 そう思った途端、全身から力が抜けた。震えはいつの間にか止まっていた。

 思わず座り込んだバスルーム。便器にぶつけた足が少し痛い。

 それでも、その痛みが現実だと訴えているようで思わず何度もぶつけてしまった。


 帰ってきた……。


 私は、私の世界に帰ってこれたんだ。帰ってこれたんだ。


 小さくそう溢した途端、視界が歪んで涙が溢れた。

 途方も無い虚脱感と安堵感の中にある痛みが胸を圧迫するが、傷一つ無い肌には何もない。


 どれだけ大声を上げて、どれだけ涙を流しても誰にも怒られない、誰にも責められない、冷ややかな視線は感じない。


 その夜は、ただただ泣いて過ごした。とっくに枯れたと思ってた涙が溢れて溢れて、ただただ泣いた。








 翌日、腫れ上がった目を冷やして久しぶりにするメイクで誤魔化して出勤したら、懐かしい面々にやたらと気を使われてしまったのは居た堪れない。

 たぶんメイクが久しぶりすぎておかしかったのも、気を使われた原因だと思う。


 そして、そんな状況で自分でも不思議だったのは、あんなにも好きだった先輩を見て、その薬指にリングが光っていても、心穏やかであったことだ。


 そういえば、いつの間に先輩の事を思い出さなくなっていたのだろう。

 帰りたくて先輩に会いたいと泣いた日もあったのに。

 そんな困惑のもと、すっかり忘れてしまった文言を必死で思い出しながら挨拶回りをした。


 先輩に挨拶をしたときに、私が移動する事へ寂しそうな笑顔を浮かべて惜しんでくれただけで、あの日の恋心は充分に昇華されたような気がした。

 それだけで、自分の中のなにかが救われたと思った。






 そして土日で新しい任地への移動を済ませ、とりあえずの生活ができるようにして迎えた新生活。

 その慌しい日常の中でぼんやりと保留にしていたあの体験について、ちゃんと考えられる程度には気持ちが落ち着いてきたように思う。


 あまりにも何も変わらない、そして忙しい日々にあの異世界での記憶は夢だったのではないのかと、思うこともある。

 それくらいにあの戦うことに恐怖し、知らない世界に慟哭し、裏切られたことに絶望した事がぼんやりとした記憶の向こうにあるようで、はっきりとしなくなってきた。


 ほんの好奇心で唱えた光の呪文は何の効果もなく、よくよく思えば攻撃用の呪文なのだから何も起きなくて正解なのだけど、それでもうっかり呟いた言葉に誰もいない自室で恥ずかしくなったりもした。


 あれはやっぱりいわゆる白昼夢だったのかもしれない。


 夕暮れ時に見た、幻だったのかもしれない。


 幻にしては生々しい体験だったはずなのに、時間が流れ自分が体験したという証拠が何もない以上、あの日々はなにもかもが曖昧になって忘却されていく。






 そんな風に自分の中で落とし所を見つけ、思い出すこともなくなってきたある日のことだった。

 その日夜中に喉が渇いて目が覚めて、電気を点けようにも眠気が勝って起きれなくて布団の中で夢うつつにぼんやりとしていた。

 喉は渇くが頭が働かず、夢と現実の狭間で行き来する煩雑で取り留めのない思考の中で、ただ純粋に起き上がらなくても電気が点けばいいのにと思ったのは悪くないはず。


 それはほとんど無意識で呟いた言葉。夢に落ちるような感覚の中、曖昧な意識で口にしただけの、今はもう意味のない言葉だった。


 言葉だったはずなのに、口から吐き出された瞬間、部屋が明るくなった。

 あまりにも唐突な光に驚いて目を開けば、眼前に浮かぶのは目に優しい光量の光の玉。


 それは電気の無い蝋燭や松明が主流の世界で、照明代わりに使っていた光。

 巫女だけが使える奇跡と言われていたが、照明としか使っていなかった光。


 恐る恐る目の前に浮かぶ光に触れてみるが、ほんわりとした温度をわずかに感じるだけでなんの質感もない。


 その時は寝ぼけたと無理やり布団を被って眠てみたけれど、朝の日差しの中でも消えずに存在感を放っていた光に、あの時のことは夢ではなかったのだと、ようやく現実であったと理解した。

 そして同時に現実であって嬉しいような残念のような複雑な胸中を持て余してしまった。






 その出来事以来、なぜか全く興味の無かったライトノベルを読むようになった。

 なんとなく親近感を覚えて、本屋で見つけた異世界トリップ物を手に取ったことがきっかけだ。


 自分が体験したこととは随分と違う状況に羨ましくもあり、同時にこうならなくて良かったと思ったりと、なんだか後輩を見るような気持ちで読んでいる。

 あいにくと数々の物語で繰り広げられるロマンスなんて欠片も無かったけれど、あの世界ので方向を見失った恋心を忘れれたことと、無駄に逞しくなった根性を得られたのは良い経験だったと思う。そう思えるようになった。

 そして同時に、異世界はどこまで行っても相容れぬ存在だったのだと、あの剣で貫かれた瞬間を思い出すたびにそう思う。


 だから、目の前の公道に見覚えのある幾何学模様が浮かんでいても、それに足を踏み入れようとはかけらも思わないし、背中を押されるような圧迫感を感じても全力で抵抗するのは当然なのだ。


 あまりにもしつこい状況と仕事に遅刻するという焦りから、電気代節約の照明として使い慣れてしまった光の玉を呼び出して思いっきり模様に投げつけたとしても、私は悪くない。


 私の世界はこの理不尽なほどごちゃごちゃとした世界であって、あんな他人に頼って平和を維持する世界ではないのだ。


 込みあがった怒りにも似た感情の赴くままに投げつけた衝撃にか、唐突に緩んだ圧迫感から逃れるように走って抜けた住宅街。

 やけくそとは言え光の玉が投げられたことに動揺しつつも、電車の時刻を思い出してひたすら足を速める。


 ただ息切れを起こしながら思うのは、三十路過ぎの薹が立った女に頼らずに、いいかげん自分達で何とかしろ異世界。






 その後も、何度も何度もしつこく目の前に現れる蛍光塗料の幾何学模様。

 幸いなのは周囲に誰もいないときなことぐらい。

 そんな狙ったように現れる模様を見つけるたびに慄くが、光の玉を投げつければ消えると判ったので、見えた瞬間にやっている。

 もう蛍光緑に発光するかしないの瞬間に投げつけている。

 おかげで光の玉を出すスピードは速くなり、今では一瞬で日常に戻れる。むしろこの一連の動作も日常となりつつあって、なんだか複雑な気持ちにさせられる。


 しかしそれでも心底思う。


 いい加減に私の召喚は諦めてれませんか、異世界さん。







たぶん主人公が神様の好みにどんぴしゃだったから巻き込まれた的なオチ。

蛍光緑で発光する召喚陣は光の玉(照明用)を飲み込んだことで満足してます。

そして異世界では現れた光の玉(電気代節約)を神の御業とありがたく祭ってます。知らぬが仏。

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