辛辣姫は人間採集します
グロい表現が出てきます。暴力、血などの描写が苦手な方はお控え下さい。知性と理性のある気狂いドS美女(美少女)戦慄ものだけど本人無邪気で萌える。
闇が揺れた。そんな錯覚に陥った次の瞬間。私はグラッジに抱えられ元いた場所から飛び退いていました。
見れば目に見えない速さで飛んできた細身のナイフが先程まで座っていた切り株に深く突き刺さっていました。あの距離からこの正確な投擲。かなりの手練れと見ました。
グラッジはナイフが飛んできた方向に身体を向け、片手に剣を構えてから軽く腰を下げて迎撃態勢に入りました。
一方私は彼の背に庇われているだけの状態……で、終始いるつもりは毛頭ありませんの。どう仕掛けていきましょう、ふふ。
「ミレディ様」
私の思考を読んだかのようにグラッジが名を呼んで牽制してきました。付き合いの長さが出てきた感じです。とりあえず、と私は溜め息を吐いてより一層彼の背に隠れました。
それに満足した気配をグラッジから感じ取ります。大人しくしているのは今だけですわよ。
いつ攻撃が来てもいいように周囲を警戒するグラッジの背で静かに今の所持品を確認します。
今あるのは先程グラッジの肌に下絵を描くために使っていた約十センチの針五本、愛用のダガーナイフ、ダガーナイフを包んだ防刃布、普通のハンカチだけでした。鞭があれば自衛もできますしグラッジに守られることもなかったのですが、間の悪いことにあれは今屋敷に置いてきてしまっています。
仕方がないので右手にダガーナイフを持ち、グラッジの背に隠れたまま背後の闇に目を向けます。
グラッジの腕が立つ者特有の威圧を感じてか、襲撃者らは最初の投擲からこちらの様子を窺っているようです。人数は前方に二人、背後に一人でしょうか。
私の推測を肯定するかのように再び闇がゆらりと揺れました。
グラッジと自分の息遣い、木々のざわめきだけしか聞こえてきません。どうやら彼らはこの場が暗闇に覆われるのを潜んで待っているようです。今夜は空に雲が多い。そのため月の光は少なく、すぐにここは真っ暗闇になってしまうのを見通しているのだと思います。闇の中は彼らのような日陰の者達にとってはお得意の領分ですから。
日が沈み暗闇が増していくのにつれて殺気が濃密になっていく中、グラッジは襲撃者を威圧する眼差しで周囲の闇を睥睨しながら、私にしか聞こえない小さな声で囁きました。
「…此奴ら、どうしますか」
「捕縛して買収、今の雇い主から私に鞍替えして貰いますわ」
「此奴らの元締めは」
「それも買収ですわ。上手くいけば裏社会の者とパイプを持つことができるかもしれません。買収の後、彼らにそこに案内して貰いましょう」
「了解。では捕縛が目的ということですので……お願いします」
「ふふ、えぇ…任せなさい」
聞こえていたのかどうなのか、闇が濃くなりきり私達の会話が一瞬途切れたその時、周りの闇が一斉に揺れました。
怖気立つ殺気が襲い掛かります。
黒ずくめの格好をした者らが手に各々の獲物を持って飛びかかってきました。
速い。そして隙がない。あぁ、素晴らしい! 優秀な者達です。彼らが私達を狙ってくれたことは行幸以外の何物でもないでしょう!
「ーーー!!!」
襲撃と同時に音にならない叫びを上げてグラッジが今まで以上の威圧を放ちました。奔流と表現できるほどにびりりと空気が震え、それを受けた手練れの襲撃者らが気を付けていなければ分からないほど本当に僅かにーーピクと怯みました。
その瞬間にダガーを指先に浅く沈ませて引き、血の筋ができたのを確認して私は呟きました。
「闇よ」
途端、常に襲撃者らに纏わりついてゆらゆらと揺れていた闇が突如として膨れ上がりました。その真っ黒な靄は瞬時に自身を無数の長大な針へと変えると、それぞれが纏わりついていた襲撃者の体へとその鋭利な先端を突き立てて。私の意向を心得ているかのように致命傷となる急所を避けて突き刺さっていきます。
グサグサグサグサ。
色んな物を裂く音を響かせながら、瞬く間に襲撃者の体に針の数だけの穴があいていきます。
悲鳴が上がる間もなく。避ける間もなく。
黒い針は襲撃者らが揃って身に着けた硬い防護服を貫き、皮膚を裂き、肉を抉り、内臓に穴をあけ、再び肉と皮膚と服を抉り裂き貫いて、深く深く地面に突き刺さり、襲撃者らをその場に縫い止めました。
何にも形容しがたい有り様です。強いて言うなら針山に落ちた罪人のようとでもいいましょうか。
昆虫標本のようにも見えなくはありません。いえ、この場合は人間標本と言うべきですわね。
「ぅ…っ」
中途半端に宙に浮いた状態となった襲撃者の一人がごぼりと多量の血反吐を吐きました。間を置かず残りの二人も口から吐いた血で血溜まりを地面に作ります。
とは申しましても、既に体から針を伝って地面に染み込んでいく血で、大きな血溜まりがそれぞれの下に出来つつあるのですが。
それにしても良い出来ですわ。
身動きのとれない襲撃者らを眺めながら指先の傷に意識を向けます。傷を付けたのだからぷくりと玉になった血がそこにあるはずですが、実際は何もありません。まるで何かが流れる血を舐め続けているかのようにただ肉の裂け目があるだけです。治れ、とその指先に意識を傾けます。
「拘束完了、ですわ。……グリー」
「はい」
抜き身の剣を持ったまま私の言葉を待っていたグラッジを促し、彼が返事を返したときには私の指先の傷は消えていました。
襲撃を理解してから今までの間も私の心は平静そのもの。通常の淑女であればこの様相に悲鳴を上げて気を失っていてもおかしくはないのですけれど、私はこの光景を目にしてもむしろ気分が昂揚するだけで気分が悪くなるということがありません。
あぁ、なんて心躍る! この薄暗闇の中でも私の視力は正常に機能し、彼らの苦痛と屈辱に歪んだ顔をその目に映します。
グラッジが私から離れ、彼らの元に歩を進めます。さっきまで近くにあった温もりが消えてしまったことに少し不満を抱きましたが、彼は言外に命じた私の言葉を実行しているに過ぎないので、この感情はいたって見当違いの物です。我慢ですわ。
生理的な呻き声でさえも抑え込んでいるのか、殆ど彼らからは苦悶の声が聞こえてきません。そう鍛えられているのでしょう。
警戒を解かないままグラッジが背後に忍んでいた襲撃者に近づき、被っていたローブを外します。すると、そこには殺意に濡れた瞳で茶髪の青年が私達を睨み据えていました。
ぞわりと鳥肌が立ちます。あぁ、なんて良い顔をするのでしょうか。屈服のさせがいがありそうです。
暗い炎を燃やす鳶色の瞳を見つめて微笑みます。そして優位に立っていることを示すために、指先から髪の揺らめきまで神経を張り巡らせ、優雅に洗練された礼をします。
「初めまして暗殺者の皆様。私はグルーシェフ公爵が娘、ミレディ・フォン・グルーシェフと申します」
簡易な自己紹介をし、軽く持ち上げていたスカートを離します。
伏せた目を上げて彼の反抗的な眼差しを正面から受け止めます。
「貴方」
目を合わせたままその鼻先に指を突きつけると、怒りや屈辱から青年の元より鋭かった眦がより一層吊り上がりました。
「察するに貴方がリーダーのようですので貴方にお聞きしますわ。話は聞こえていたでしょうから説明は省きますが、どうでしょうか、私に鞍替えするというのは。雇い主として見るなら公爵家の者である私はなかなかの乗り替え先だと思うのですが」
「…………」
「あら、返事がありませんわね」
グラッジが青年の針が突き出ていない背の部分にブーツを履いた靴を乗せ、ぐっと体重をかけました。浮いていた青年の体が一気に地面に近づきます。
「ぅ…っ」
先程まで青年の背に埋まっていた針の部分が突き出ます。血に染まったそれを見るからにかなりの痛みでしょうね。
グラッジは靴を乗せたまま黙って私の命令を待っています。そのターコイズの瞳に光はありません。心を閉ざしているのだと分かります。命のやりとりを日常とする冒険者や暗殺者がよくこのような目をします。
ちらりと見てみれば失血と痛みによるショックのせいか青年の唇が紫に染まり、顔色が蒼白になっていました。恐らく他の二人も似たような症状に陥っていることでしょう。
周りを見回し針山になった彼らとの距離を測ります。
丁度、三人ともが私達を囲むように肉薄していたところを針に縫い止められているので、三人とも私とそう遠い距離にはおりませんでした。
「死なせるつもりはありませんわ」
指先で遊んでいたダガーナイフを防刃布に包んで懐にしまい、両手を青年の方に向けて治癒魔術を使います。
血溜まりが広がらなくなるのを区切りに順番に三人を治療していきます。針は刺さったままなので無理に動けば血を見ることになります。それを理解しているのか、もしくは失血しすぎて体が言うことをきかないのか、彼らは身じろぎ一つしませんでした。
「返事を聞かせてくださいな」
治癒を施しながら彼らの耳に口を寄せて、ねぇ嫌かしら、黙りは許しません、心配は無用ですわ、怖いのですか、大丈夫、可愛がってあげますわ、勿論躾はいたしますが、貴方達のような方々が前から欲しかったんですの、逃がしません、えぇ…ふふ一生、さぁ治りましたわ、逃げてはいけませんわよ、との囁きを残していきます。その声色はまさに悪魔の声色。誘惑と眩惑。痛みと癒やしの狭間に囁かれるそれは、否応なく聞かされる者の脳に刻み込まれるはずです。
懐柔と調教はもう始まっているのです。
「もう一度聞きますわ。今の雇い主を裏切り、私に鞍替えいたしませんこと」
「…………」
「舌を噛んでの自害も、口の中に隠した毒を服用しての自害も、その状態からの失血死もできないともう分かっているはずです」
「…………」
「舌を噛んで死のうとしようとも私が治しますし、毒を飲んでもその状態から無理に暴れての大量出血でも同様です。私はその気になれば毒も消せるし血も増やせます。毒消しと輸血は普通の治癒魔術と比べて疲れるので普段は薬を使いますが、今は持ち合わせておりませんので痛みを伴わない魔術を使います。はぁ…これだと貴方方が痛みに悶える姿を見れないので非常に残念なのですが仕方がありません」
頬を押さえて溜め息を吐きます。えぇ、本当に残念です。
苦悩と未だ針に刺し貫かれている激痛に眉を顰め、脂汗を額に滲ませた青年は上目遣いに私を睨み付けました。他の二人も私に追従するつもりがないようだと敵意剥き出しの気配で察します。
「グリー」
「はい」
治療の際に降ろしていた足を再び背に乗せ、じわじわと力を込めていきます。
青年が目を見開き歯を食い縛りました。
「………っ」
「ちなみに」
にっこり。
私は相手を安心させるように微笑みます。
「グリーが今のように貴方方の体を踏みつけて地面まで落とし、針が抜けきらない程度に蹴り上げまた体を浮かし、踏みつけ、蹴り上げ、踏みつけ、蹴り上げ、その内失血や痛みによるショックで死にそうになったら私の魔術で先程のように治療し、針で貫かれていること以外は体調に問題のない状態になればまた踏みつける……という過程を貴方方から色好い返事を頂けるまで繰り返します」
淡々と、いやどこか熱の籠もった声で今から行うことの説明をする私の言葉に青年の顔が蒼白になっていきます。ですが、それでも固く引き結ばれた紫の唇が抵抗の意志を示していました。
「そう……」
頬に手を寄せ、小首を傾げます。目が潤み、頬が熱くなっていきます。青年の目に僅かな絶望と恐怖を見つけ、さらに興奮してしまいます。他の二人の怯えた気配も非常に甘美です。
あぁ、至高の時……っ!
余程とろけた顔をしているのでしょう。私をちらりと目の端に捉えたグラッジの顔が引き攣ったのが見えました。すぐに逸らしたって駄目ですわ。淑女の顔を見て顔を引き攣らせるだなんて、これが終わったら貴方もお仕置きですわよ、グリー。
「それでは」
夜となり視界は不明瞭となっていましたが、幸運にも数を減らした雲により地上に降り注ぐ月光が増えました。初めから全て見えていたとはいえ、目が闇に慣れた今ではその僅かな光で周囲の様子をはっきりと見ることができます。
そして、それは私のみならず彼らも同様。
「朝日が上がるまでに、返事を頂けると嬉しいですわ」
暗殺者の青年が絶望の中で見たのは、愉しそうに、嬉しそうに、愛おしそうに自分を見つめる金の髪を揺らして微笑むーー血の色の瞳を甘くとろけさせた美しい悪魔の姿だった。
グラッジ(俺…これに慣れちまっても良いのか?主に人として)
良いということで。