辛辣姫は生き生きと
不定期です。すみません
城勤めを始めて十ヶ月が経ちました。
と、今の私の状況をご説明する前に、まずはようやくまともに買い物へ行けた一ヶ月前の話をさせていただきましょう。
ーーあの時、愚かなほどに素直で正直者のユファさんを誘惑し、念願叶って友人になれた私は、早速次の休日にかねてより望んでいた買い物に付き添って貰えることになりました。
お出掛け当日、私が待ち合わせ場所に着いたその時、ユファさんは白いブラウスとフリルのスカートという私服を着て直立不動で佇んでおられました。そわそわと落ち着きなく指を組んだり外したり、視線をきょろきょろと移ろわせたりと、見るからに緊張したご様子でした。
心なしか強ばっているように見える顔つきに私は小さく嘆息しました。
あの日ユファさんと友人になって本日までおよそ三ヶ月、私は出来る限りの友好的な歩み寄りをしたのですが、まだまだ理想とする友人関係にはなれなさそうですわ。
こつこつとですわね、と以前グラッジに言った言葉を内心で呟き、私に気づいてない様子の彼女に声をかけました。
『ユファさん』
『ひゅわぁっ!? え、あ、ミレディさん!? おはようございますっ!』
『ええ、おはようございます。今日はよろしくお願いしますわね』
挨拶をするユファさんの声は普段以上に硬くなっていました。
やはり私への苦手意識が全て拭えたわけではないのでしょう。彼女が男爵家の次女で、私が公爵家の紅一点であるということも彼女の緊張に拍車を掛けているのだと思います。仕事中なら私達は同僚というくくりですが、仕事ではない時はただの男爵令嬢と公爵令嬢。そんな時、つまり休日に私に失礼をしたとなったら、彼女は公爵家の権力をもってどうとでもされてしまうのです。そう、どうとでも。
『行きましょうか』
『はいっ』
そんな彼女の内心を理解しておきながら、私は平然とユファさんを促しました。元気に返事を返したユファさんの顔からはまだ不安の色は消えていません。
別に何もいたしませんのに。
この三ヶ月で私との会話にいくらか慣れたユファさんと雑談を交わしながら街道を進んでいきます。私を見た方々が道をあけてくれるので人にぶつかることはありません。
ちなみにお互いに護衛はつけておりません。ユファさんは経済的な理由で。私は元より私が望んだとき以外は護衛を連れず単独行動をしておりましたので、その日も連れていませんでした。
女一人で外を出歩くなど危険だという方もいらっしゃいますが、大抵のことは自分で解決できますので問題ありません。私は弱くなどないのです。ユファさんも私と一緒なら何が起きても大丈夫だと信頼して下さっていました。ええ、少々嬉しかったですわ。
私がまともに買い物を達成できなかった理由、その原因。
そう、私は買い物に出掛ければ必ずと言ってもいいほど、目を離せばすぐに店員だろうと店長だろうと毒を吐いて嬉々として夢中になってしまいます。
例えばグラッジのように私と長い付き合いのある者ならば、慣れたようにさり気なく私の気を逸らし、本来の目的を思い出させて軌道修正をする事もできます。ですが先程も言った通り、私はあまり護衛をつけません。買い物の連れ添いに男性を好まないのです。考えて見て下さい、女性達が多くいる中にポツリポツリと引きつった無表情で立つ無骨な男の護衛……場違いすぎて恥ずかしいことこの上ありませんわ。私にもそういった繊細な所はありますのよ。
ユファさんは初めて私の買い物に付き添われています。当然グラッジ達のように、私の気を買い物に集中させるようなことは出来ません。逆に出来たら私は感動いたします。
はい、何が言いたいのかというと、ユファさんと買い物を始めて10分程でまた持病が発生してしまったのです。つい誘惑に負けまてしまいましたの、ふふ。
あら、生意気なことを言っている坊や。
あら、道のど真ん中で侍従を叱りつけている知った顔のご令嬢。
あら、なかなか張り合いのありそうなふくよかな壮年の商人。
あちらこちらで私の気を引く方々が目に入り、片っ端から声をかけていきました。勿論、ユファさんを置いて。
『金色の魔女をとっちめてやるですって? ふふ……身の程も知らない事をのたまうその口にミミズを一匹咥えさせてそのまま貴方の頭と顎を押さえつけて差し上げましょうか坊や。きっと美味しいですわよ? ハーフサイズの生ミミズは。嫌なら即刻その不愉快な口を閉じることですわ。……あら、泣くんですの? 良い泣き顔ですわね。ふふふ、可愛らしいですわ。坊や、私の犬になりませんこと?』
と、誘惑したところで近くで私達の様子を窺っていたおば様方の一人が必死の形相で走り、その勢いのまま奪い去るように泣きじゃくる坊やを抱えて近く家屋の中にバン、と音を立てて入ってしまわれました。ガチャリ、と鍵までかける念の入りようでしたわ。
次に声をかけたのは何度かお茶会や舞踏会で顔を合わせたことのある伯爵令嬢のリラ様でした。彼女には流石に私も少し手加減いたしました。
『失礼ながらリラ様、その様な所に立っておられてはその無駄に豪奢なドレスが道を狭めて非常に迷惑ですわ。ええ、特に”この私”が迷惑なのですの。踏んづけても宜しいということなのかしら? あぁ、そう言えば私、愛用のダガーナイフを懐に携帯しておりましたわ。やっぱり退かなくても宜しくてよ。邪魔ならば切ってしまえばよいのですもの。ばっさりと。……まぁ、リラ様どうなさったの? 顔色がお悪くてよ、ふふ』
その後、リラ様は気絶され、数人の侍従の方に運ばれて行かれました。実に早い退場です。あの方は私と顔を合わせると高い確率で気絶なさいます。もう少し粘って下されば私も楽しめるのですけれど。反応自体は良い方ですので。
そして最後です。この方を最後に私はユファさんに抱き付かれ暴走を止められました。坊やとリラ様は容易いものでしたが、予想通り商人は手強くていらっしゃいましたわ。
私と対峙した彼の目は笑っておりませんでした。既に戦いの火蓋は切って落とされていたのです。
『あら、目の笑っていない愛想笑いなど、商人にあるまじき怠惰でありませんこと? 私を侮っておりますの』
『いえいえ滅相もございません。少々売れ行きが芳しくなく疲れていたようです。年をとってしまうとどうもいけません。どうかお許しを』
この短かな応酬だけでお分かりでしょうか。放つ言葉を見事に流していくあの手腕、素晴らしいとしか言い表せません。身内以外で久々に怯えることなく私と言葉を交えられる気概の持つ方に出会えましたわ。
無難な言葉選びでありながら同情を誘い、こちらの温情を賜ろうと腰を低くして出る。流石、熟練度の高い話術でしたわ。
同情を誘う態度だろうが、そんな事、私には関係なかったのでその後も気が済むまで応酬を繰り返させていただきましたが。楽しかったですわ。
『ミレディさぁん! もう止めて下さぁぁぁい!』
その叫びと共に横からタックルを仕掛けられ、商人との火花を散らす会話は終了しました。勿論、ユファさんです。ユファさんの腕が胸を締め付ける息苦しさと、グリグリと押し付けられるユファさんの額のこそばゆい感触に、この時、私はようやくユファさんの存在を思い出したのです。申し訳ないことに。
その後も買い物をしながら手当たり次第に罵り、犬に勧誘し、足蹴にし、手玉に取り、調子に乗ったところで手酷く罵り、周囲に遠巻きにされ、そんな私のブレーキ役を担うユファさんの顔色は段々悪くなっていきました。
突拍子のないある意味いつも通りの私の行動、そして言動に目を剥いた良心と常識あるユファさんが緊張どころではなくなったのは、なるべくしてなったと言えます。
『ミレディさん駄目ですよぉぉ!』
実は私が我を忘れる度にそう言って目を潤ませ、私を止めようと腕を引っ張ってくるユファさんの顔は、密かに私を刺激していました。
本能のままに次々と頭に浮かんでくる相手を追い詰める言葉。
えぇ、準備運動を済ませていたので絶好調でしたわ。ユファさんを虐めたいのを我慢して、嫌われないように所々では素直に彼女の言うことを聞きました。彼女の私に対する好感度はさほど下がってはいないかと思います。好感度を保つのは大切ですもの。言うことを聞いてくれたと笑顔になるユファさんは可愛らしかったですわ。単純な方で良かったです。
打算的? いえ、これはただの円滑な友達付き合いにするための技術ですわ。
昼を過ぎて昼食を摂った後、私達は気まぐれに目に入った書店に足を踏み入れました。
私達、主に私を見て、店内にいた客と店員の全員の顔に動揺が広がりました。ここでも私の知名度の高さが表れます。
一人の若い店員が奥へと走り、時を置かずに呼びに行った店員を後ろに従え、一人の壮年の男性が慌てて出てきました。
『失礼いたします。私はこの店の責任者をしている者です。お嬢様方はどのような書物をご所望されているのでしょうか』
『え? えっと、料理とか掃除とかの実用書なんかを…』
『もし』
私は少し気になってしまったことがあり、不躾にもユファさんの言葉を遮り、我慢しきれずそれを口にしました。
『身嗜みがしっかりしておりませんわね。接客をする者としてそんな初歩的なこともできない方が責任者として人の上に立つべきではありませんわ。皆がまず見るところは外見ですのよ。今すぐその眩しい頭頂を何とかなさったらどうですの。鬘を被るか、潔く剃ってしまわれたらどうですの?』
という気を遣って言った言葉に、微笑んで聞いていた店長さんがうっすらと涙目になりました。
あら、打たれ弱いのですわね。私、いま全然その気もなく普通に言っただけなのですけれど。
ユファさんは店長の表情を見てぎょっと目を剥きました。
『あ、ああっ!? 涙目になってる!?』
『あぁそうですわ。植毛という手もありますのよ。そういった選択肢を顧みずその頭頂を放置し続けたことも……』
『ミレディさん、駄目ですって言ってるじゃないですかぁぁ! それに容姿の悪口は言っちゃ駄目なんですスッゴく駄目なんですよぉ!!』
ユファさんが何か言っていますが聞こえません。部下の前だからか、大人としての矜持からか、必死に表情を保とうとするいい年をした男。……ふふっ。
『…仕事が終わり次第、美容院に行って丸刈りにいたします』
『あら、良い決断力ですわ。でも、それならさらに眩しくなりますわね。今でさえそれなのですから、同時に照明の種類も変えられるとよろしいのではなくて?』
『……そのように』
『そうですわね、あとは………』
私としては、店長の目尻の下がった目に浮かび上がっていく水の膜を見るのが楽しかったのですけれど。つい純粋な忠言が私的な趣味に変わってしまっておりました。これも私の本能ですの。お許しになって。
『やあぁ!もうそれ以上は本当に駄目です!行きますよミレディさん!お騒がせしましてほんっとうに申し訳ありませんでしたあっ!あと、あと……っ心の傷をお増やしして申し訳ありませんでしたああぁぁぁぁっ!』
その時のユファさんの握力と脚力は凄まじいものでした。掴まれた手首に痕が残るかと思いました。
それと余談なのですが、私を引っ張りながら全力疾走する彼女を見て、やはりもう少し丈の長いスカートを履くべきだと思いましたわ。何がとは言いませんが見えかけておりましたので。私は足首まで隠れるスカートだったので問題ありませんでした。しっかりと走るときに手で押さえていたので翻ってもおりません。完璧ですの。
その日、ユファさんはとても頑張って下さいました。私が思わず熱くなってしまう度に、叫び、涙ぐみながらも体全身を使って私を引っ張り、何度も軌道修正して下さったのです。
やはり、誰かと買い物に行くと問題なく欲しいものを買い終えることができますわね。充実した休日でした。ユファさんに感謝いたしませんと。別れる頃には、何故だか彼女は遠い目をしておられましたが。よく叫んでいらしたので疲れてしまわれていたのでしょうね。
また今度も付き合ってもらうつもりでいます。
ーーそして、長い回想が終わって現在。
さぁ、話を今の私のことに戻しましょう。現在、私というものは馬車に乗りとある村を目指していました。
ガタガタという音と、連続的に身にかかる振動。
そろそろ私のお尻が赤くなっていそうです。ジンジンしますわ…。
手配した公爵家の馬車に乗った朝の出立からおよそ一刻半、馬車に乗る者には避けられないお尻の痛みに耐えて過ごしています。
この馬車が向かっている先は国境近くにある小さな村チランです。蝋燭の材料になる特殊な木が周囲に群生していることから、蝋燭の名産地として知られています。村の規模の割にはそれなりに裕福な村です。
何故、城仕えの侍女であるはずの私がその様な場所へ向かっているのか。それはその村周辺に現れだしたという他国の農民崩れ盗賊の討伐を命じられたからです。
『ミレディ。容赦はいらん。愚かな盗賊達に二度とこの国に立ち入りたくなくなるような恐怖を植え付けてやれ。これは宰相としての命令だと心得ろ』
国の重鎮であり陛下の信望厚い宰相であるお父様が久々に実家へ帰った私にそう命じたのです。
『拝命承りますわ。閣下』
国の重鎮、国王陛下の右腕である宰相閣下からの命令を断るはずがありませんでした。
ふふふ、他人行儀なやり取りでしたがお父様のお声はいつも通りでした。いつも通りの低く厳めしく、優しい響きのお声でしたの。つまり、変に緊張もしていらっしゃらなかったということです。この任務を私だけでやり遂げられるものだと信じて下さっているのでしょう。
ええ、やり遂げてみせますわ。心配は無用ですの。まぁ、うっすらと納得のいかない不満を抱えてはいるのですけれど。
「……………」
木々ばかりが流れていく窓の外から視線を外し、前に座るもう一人の同乗者であるグラッジを一瞥します。グラッジは今回の任務に私の護衛として同行します。彼は必要最低限の装備を身に纏い、私と向かい合う形で座っています。
グラッジは私の視線を感じたのか、私と同じく窓の外にやっていた目を私に向け、何か、と聞いてきました。彼のターコイズの瞳は相変わらず私を真っ直ぐに見つめてきます。
何かと聞かれ、私はお父様からこの任務の話をされたときから気になっていたことをグラッジに聞いてみることにしました。
「…ねぇ、グリー」
「はい」
「盗賊の討伐って、護衛を一人連れただけの侍女がすることなのかしら」
「えぇまぁ……」
グラッジは一瞬言いよどみ沈黙しました。唇をつんと尖らせて返事を待っている少し不機嫌そうな主人を見やり考える素振りを見せます。
グラッジは顎に指を置き、さり気なく主人の姿を観察しながら考えた。
ミレディ・グルーシェフ嬢の装備は攻撃力のある特製の鞭に愛用のダガーナイフ、軽くて動きやすいが防御力に不足のない服、つま先に隠しナイフを仕込んだブーツ、一つに纏められても目を惹く艶やかな金糸の髪。
どこにも問題はない。
敵は自分が倒す。ミレディは自衛の術があればそれで十分だ。むしろ自衛が必要となる状況に陥ったら、襲った側が可哀想なことになるだろう過剰防衛の未来しか思い浮かばない。主人の鞭とナイフの扱いの巧さは自分が保証する。傷一つつけられないに違いない。
いや、主人の安全度はさておき。この任務の趣旨は盗賊達に二度とこの国に立ち入りたくなくなるような恐怖を植え付けることである。よって、倒すというよりは、捕縛した後の対応に重きが置かれることになり……。
ミレディの細く白い指に力強く握りしめられている特製の鞭に目を滑らせ、胸元にしまっているであろう切れ味冴え渡るあのナイフを思い、次の瞬間それらを持って生き生きと唇を吊り上げるミレディの顔が浮かんだ。グラッジはうんと頷いた。
「適任です。楽しんで下さい」
「グリー。今の一瞬で貴方何を考えましたの」
結局その後、ミレディとグラッジの少数精鋭は盗賊達のねぐらに乗り込み、精神衛生上よろしくないので交戦、捕縛後に何をしたかは割愛するが、最終的にぼろぼろの状態で国から追い出された盗賊達には一生消えない傷が負わされることとなったのである。その心の傷を隠すように気づかぬうちに見えない首輪をはめて、彼らはふらふらと覚束ない足取りで自国の方角へと去っていった。
盗賊達の後ろ姿を眺めながら、私は満足して微笑みました。
「あぁ……ん、凄く、やりがいがありましたわ。あんなにたくさん…じっくり…ふふ。犬がたくさん増えました、ふふふふ」
えぇ、首輪はしっかりと嵌めましてよ。坊やは手に入りませんでしたが、犬がこれだけ手に入ったのですもの。あとは彼らが犯した罪によって、彼らを奪われないように手筈を整えるだけですわ、ふふ。あぁ、嬉しいです。
絶好調ですミレディ様