辛辣姫はにこやかに
にこやかな表情で毒を吐くしとやかな令嬢萌え
まずは笑顔で挨拶をすることから始めることにしました。勿論これまでもそうしていましたが、これからはそこに更に心を込めて言うことにします。
目尻を下げ、口角を引き上げ笑みを作り、害などありません私はアナタと仲良くなりたいだけなのです、と渾身の心を込めてゆっくりと一音一音を丁寧に発します。
「おはようございます、ユファさん」
「…ひっ、おおおはようございますミレディさんっ! 私は何もしてませんよ無実です! 痛いの好きじゃないです! 失礼しますぅぅぅ!」
同じ仕事仲間である侍女のユファさんに本日一人目の挨拶をしたのですが、彼女は私の顔を見るなり顔を蒼くして走り去ってしまいました。
……何がいけなかったのでしょう。
その後も出会う方々に挨拶をして回ったのですが、ほぼ全員の方に同じような反応をされました。避けられ具合が悪化したような気がします。
何故ですの。
「理由が分かりませんわ」
「自分は何となく、その時の状況が理解できます」
一週間めげることなく挨拶をし続けた結果、何の仕事をしているときでも彼女達と私の間に2mの隙間が空くようになりました。以前は大体1mでしたのに、これは物理のみならず心の距離までも離れてしまっています。逆効果極まりない事態です。これではいけませんわ。でも、対策を練ろうにもまず理由が分かりません。
頭を悩ます私の一方で、一人納得顔をしているグラッジを見下げ、私は首を傾げました。
ちなみに私達がいるところは我が公爵家が所有する森に建てられた屋敷の一室で、以前、グラッジにナイフを突き立てて遊んでいた処です。言うなれば、父が私のために建ててくれた私専用の隠れ家のようなものです。
グラッジは床に跪いて、椅子に座っている私の爪をヤスリで綺麗に整えながら言いました。
「ミレディ様の嗜好はこの王国の皆が知るところです。そんなミレディ様ににこやかに微笑みかけられ、その笑みが言外に仲良くなりたいと語っているとなれば、それを別の意味で解釈する者もそりゃあ出てきます」
「別の意味って?」
「つまりは、『私と仲良くSMプレイをしましょう』と言われたように勘違いしたのかと」
「えすえむ?」
「………言葉を変えます。『私の椅子となり犬となり下僕となり奴隷となって、屈辱と恥辱の日々を楽しく過ごしませんか』と言われたように感じたのだと思います、彼らは」
「あら、そうですの? 私、ただ挨拶をしただけですのに」
「あぁ、まぁ、そうですね、そこがミレディ様の凄いところです」
褒められたのかしら。
複雑な気持ちになって少し眉を顰めます。しかしすぐにそのはしたなさに気づき戻しました。
あら、いけません。淑女が眉間に皺を寄せるなど、はしたなかったですわね。
爪の形を整え終わったグラッジが爪の保護を兼ねた艶出しのマニキュアを取り出し、私の指に一本一本丁寧に塗り始めます。日々武器を持つその手の皮膚は硬く、骨の太いしっかりとしたものですが、見た目によらず意外と手先は器用です。綺麗に爪だけにマニキュアが塗られていきます。これも私の教育の賜物ですわ。
「友達になって下さらない? とでも言えば誤解されずに済むかしら」
「その場合も『私の椅子となり犬となり下僕となり奴隷となって、屈辱と恥辱の日々を楽しく過ごしませんか』になるでしょうね」
瞬く間にマニキュアを塗り終わったグラッジが即答します。
先入観とは恐ろしいものです。ことごとく私の言った言葉が思ってもいない意味に変換されてしまいました。全くもって理解しがたい変換です。
グラッジは自身が塗った薄く色づいた爪を見て、満足げに頷いています。そう、満足ですのね。私はあなたの返事に少し憂鬱になりましたのに。
「……分かりましたわ。仕方がありません。少々手段を変えてみることにします。それで、グリー」
「はい」
私はグラッジを呼びながら彼の首に手を伸ばし、そこに着けられた赤い首輪を掴みました。緩く引っ張れば、グラッジはその力に逆らわずに私の方へ体を傾けます。美しく輝く爪先に目の前に近づいた彼の黒い髪を巻き付け、その硬めの感触を楽しみます。堪能して指を引けば、まだ乾き切っていなかったマニキュアが髪について固まり、小さな房を作りました。静かなターコイズの瞳がじっと私を見つめます。
「ふふ、もう一度やり直しですわよ。やりなさい、"犬"」
「はい…ミレディ様」
犬は房になった髪をそのままに、鍛え込まれたその巨躯を屈ませ頭を垂れました。曲がる背と頭頂が晒され、私は条件反射的に持っていた首輪を手放し犬の頭を足蹴にしました。はしたなく上がった足にドレスがずり落ち、高さのあるブーツから白い膝小僧が覗きます。
靴裏から伝わるすべらかな髪と、硬い頭蓋の感触を感じた瞬間、背筋を駆け上る痺れ。
ああっ、なんて愉しい!
「っ……」
「あぁ……ふふ」
興奮にじわりじわりと体の熱が上がっていきます。一週間ぶりの楽しみは私の浮き立つ心を煽り、脳内を千の罵倒が埋め尽くしていきます。
せっかくの休みなんですもの、原因が判ってしまえば憂慮はありません。となれば、やることは一つですわ。
徐々に足に力を込めながら、私は胸元からダガーナイフを取り出して微笑みました。
「可愛く鳴きながらちゃんと綺麗に塗り直すのですよ? 出来なかったら、お仕置きを覚悟なさい」
犬の硬く引き締まった体がふるりと揺れました。それが恐怖からのものか、期待からのものか、答えは決まっています。コレの教育は私がやっているのです。身も心も調教を終えているのですから、嫌がるはずもありません。何事にも優秀な私専用の犬です。
ぴっ、とダガーを振り、犬の耳殻に赤い筋を入れます。そこに爪先を当てると犬が僅かに息を乱れさせました。それだけでくすぐったいような悦楽が胸を駆け巡ります。
さぁ、ストレス発散ですわ。
努めてにこやかな挨拶を始めて二週間。私はまず相手を絞り、一人一人友になっていくことにしました。その相手ですが、王宮の中で働いている侍女で私と年齢が同じ十四歳のユファさんにすることにしました。
「おはようございます、ユファさん」
「いやああああああ!! ミレディさんおは、おはようございますうううっ!! ふうっ、ふうぅぅぅぅ……!」
「大丈夫ですかユファさん。過呼吸ですか」
「かきょ!? ちががががが……!!」
「はい?」
「ううっごご、ごめんなさい! ごめんなさい! し、失礼しますうううっ!」
冷や汗を流し顔面蒼白になって走り去ってしまったユファさん。スカートを翻しながら死に物狂いで駆けていくその様は、一体どんなモンスターに遭遇したのかと問い質したくなるほどの必死さでした。ユファさんの後ろ姿を見送り、私は溜め息をつきました。
物の見事に悪化の一途を辿っています。元々ユファさんは肝の太い方ではありませんでしたが、ああも怯えられると流石の私も落ち込んでしまいます。それにこう、尋常ではありませんの、あれは。その内泡を吹いて倒れられてしまいそうで私の方が心配になってしまいます。
しかし、一度決めたことを翻すのは一淑女として相応しいことではありません。将来は夫を陰ながら支える気丈な婦人とならねばならないのですから、意志の強さも欠かせぬものとなっていきます。ですから、少々ユファさんには心苦しいのですが、私は今ここで諦めるわけにはなりませんの。ごめんなさい、ユファさん。
何より。
「おはようございます、ユファさん」
「ひいっ! 何で二度目ぇえええ!? うわぁぁぁあああああん!!」
この怯え泣く声と表情が何とも言えず癖になってしまって、もう止められませんの。泡を吹く展開になったとしても、それはそれで良い気さえしております。
これまで彼女の小柄な体をびくりと竦ませて怯える姿が何度私の心を擽って、その度に何度口から意地の悪い言葉が出そうになったことか。自戒を覚えた今の私をここまで誘惑するなんて、本当にユファさんは素晴らしい方です。前から目は付けていましたが、これはもう是非とも友人に欲しいですわ。
「ユファさん」
「ひうっ、な、何ですか……? ミレディさん。わ、私、虐めても楽しくありませんよ。煩いだけですよ。わああぁぁああん辛辣姫の奴隷は嫌ですうう……!」
「いえ、奴隷ではなくて、私と友人になりませんこと?」
「サラッと奴隷って言葉を流したああ!! サラッとおお!! 慣れてるよおお!! 慌てもしないよおお!! やっぱり噂は本当なんだあああ………あ、え、友人?」
「はい。友人ですわ」
目尻を赤くしてボロボロと涙を零しながら泣き叫んでいたユファさんはきょとりと目を見開きました。恐る恐る、彼女は自分よりも少し背の高い私を呆然と見上げます。涙も止まり、相当驚いたことが窺えます。
この時、私は初めてゆっくりとユファさんと正面で向き合いました。これは貴重な時間です。じっくりとその容姿を観察いたします。
ユファさんは蜂蜜のような艶のある亜麻色の髪をしていました。緩く波打つそれは背中の所まであります。前髪はシンプルな緑のカチューシャで邪魔にならないよう留めてあり、小麦色に焼けた健康的な額が晒されています。綺麗な涙で潤んだ目尻の垂れた大きな瞳は透明感のある萌葱色をしていました。ついでに言えば、彼女と私の使用人服にも差異があります。私は足首まで隠れる細身のロングスカートですが、彼女は膝上までのふんわりとしたフレアスカートです。
実はこの城の使用人服は、使う布地と最低限の実用性を兼ねたデザインが共通していれば、そのほかは各々の好みに合わせて好きにアレンジできますの。そしてどうやら彼女は短い方が好みのようですわね。それだから走るとき中が見えそうになっているのだと教えて差し上げた方が良いのかしら。
「友人…? 友人って友達ですか?」
「友人と友達は同じ意味ですよ」
「友人になってって、『私の椅子となり犬となり下僕となり奴隷となって屈辱と恥辱の日々を楽しく過ごしませんか』っていう意味の友人じゃなくて普通の友人?」
まぁ凄いですグリー。一言一句違わず同じ事を仰いましたわ。今度出会ったら見事言い当てたご褒美をあげませんと。
「普通の友人ですわ。私、幼い頃からの友人が一人いるだけでそれ以上友と呼べる方がいませんの。この城でも孤立してしまって、正直申し上げると寂しいのですわ。だから年が同じユファさんと仲良くなれたらと思って何度も声を掛けさせて頂いていたのですけど、怖がらせてしまったようですわね。申し訳ありません」
「え、あの、わわ私の方こそすみませんでした! おは、お話も聞かず何度も逃げたりして。そ、そうだったんですね。ミレディさんはあの鬼将軍と呼ばれるガントワズ様相手にも物怖じされませんし、侍女頭のみならず執事長まで青ざめさせてとても愉しそうに笑っておられたので私ったら勘違いしてました! ミレディさんも普通の人間だったんですね! 寂しいって感情があったんですね!」
あら、それは私を侮辱しておりますの? 人と思っていなかったと告白したようなものです。
どうやら友人にする前に"教育”が必要なようですわね。けれど、これ以上怖がられても困るので少々控えめに致しましょう。
無邪気にほんわかと口元を緩ませて笑っているユファさんを見下ろします。
あぁ…良い気分。
私は唇の端をゆるりと吊り上げ目を細めます。するとそれを見たユファさんの顔が青ざめました。
「失礼なことばかり言うその口の端を糸で縫い付けて差し上げましょうか。口の開きが小さくなりますから、無駄口を叩かない慎ましやかな淑女になれて良いかもしれませんわよこの言葉も選べない野卑な凡女が」
「ひええっ!? ごごごめんなざいいいいい!! 縫わないでええええ!! 頭悪くてごめんなざいいいいい!!」
ユファさんは凄まじい速さで口を両手で隠し、再び涙を溢れさせて座り込んでしまいました。
それ程恐ろしかったのでしょうか? それこそ挨拶程度に軽く言っただけですのに。
「いけませんわよ、私を侮辱する言葉を言っては。ついスイッチが入ってしまうではありませんか。」
頬に手を当てて首を振ります。
ええ、本当に、それだけは駄目ですわ。私ってば本能には打ち勝てませんもの。罵られたら罵り返して泣かして請わせて頭を踏んで屈辱の言葉を言わせて奴隷にする、という所まで本能に支配されていますのに、理性を総動員して最初の罵り返す段階で止めるのは骨が折れますのよ?
私の言葉にユファさんは体を小刻みに震わせながらカクカクと頷きました。
ふふふ、なんて可愛らしい。
私は膝を折り座り込んだままのユファさんと目線を合わせました。びくりと大きく肩を震わせたユファさんの姿に思わず熱い息が漏れます。先日グラッジにマニキュアを塗らせた爪はシャンデリアのきらめく照明を反射して艶やかに輝き、更に私を悦に入らせました。
するりと幼さの残るまろい頬に手を添え、私は上から覗き込むようにゆっくりと顔を近づけます。
「ユファさん」
「…は…はいぃぃ………」
「私はアナタと友人になりたいのです。分かりますね?」
「も…もちろんですぅ……」
「普通の友人です。出会えば挨拶をして、他愛もない世間話をして、時には一緒にお茶を飲んだり、服を選び合って可愛いなど言い合ったりする友人になって欲しいのです。奴隷だなんてそんな、私とて公爵家の娘、人は選びますわ。ユファさんをそのように扱いはしません」
「は、はい……」
「私は友人は友人として接します。奴隷は奴隷として接します。そこはしっかり線を引いてますの」
少しずつユファさんの顔色に赤みがさして来ました。もう少しでしょうか。
囁くように声を変え、請うようにユファさんを上目遣いで窺います。
「もう一度言いますわ。ユファさん、どうか私の友人になって下さい。アナタをまるでゴミのように粗雑に扱うことは決してありません。数少ない大切な友人の一人として、一個人として誠実に接します」
「ミレディさん……あの」
「ユファさん……」
頬に添えていた手を両手に増やし目を合わせます。彼女の萌葱色の瞳には眉を下げ情けなく懇願する私の姿が映っています。意識して目を潤ませ、じっとユファさんを見つめます。
「友達………嫌ですか?」
仄かに震えている私の問いにユファさんの目が見開かれました。一瞬瞳が動揺するように揺れ、そしてきゅっと口が引き結ばれたかと思うと、彼女の目に強い感情の色が宿りました。
あら。
「い、嫌じゃありません。私と友達になりましょうミレディさん。私はもうミレディさんのこと意味も。なく怖がったりしません。だって友達になるんですもん! だから、だから……えっと」
「ふふ」
何度も泣いたせいで息がし辛いのでしょう。詰まり詰まりに私に伝えようとするユファさんに自然と笑みが零れました。
嬉しくて嬉しくて仕方がありません。グラッジを手に入れた時と同じぐらいに嬉しい気持ちが全身を駆け巡っています。
一度、大きく深呼吸して息を整えた後、ユファさんははっきりと私を見つめ満面の笑みを浮かべました。
「これからよろしくお願いします! ミレディさん!」
「まぁ…! はい。此方こそ、どうぞ宜しくお願いしますユファさん」
お互いに廊下に座り込んだ体勢で笑い合います。これが正に私の求めていたものです。演技をしてしまったことが後ろめたく感じてしまうほどの感激です。
何はともあれ成功ですわ。
本当にこれから宜しくお願い致しますね、ユファさん。ちなみに今から死ぬまで”一生”ですわよ。勝手に縁切りとか許しませんからね。
「ふふ…」
「グリー。私、友人が出来ましたわ」
「え。そ、そりゃあ良かったですね。ミレディ様」
一体どんな手を使ったんだ。
ミレディの無垢な笑顔を前にして、グラッジは呆然と立ち尽くしたという。
呼称の一つが悪魔な淑女ですから。誘惑なんてお手の物。末恐ろしい十四歳です。