青いエーテル
砂嵐の「ラクシャ」に、今日は深い霧が立ちこめている。
「綺麗な朝霧ね。」
初めて会った時に見た長いおさげ髪をウェーブのかかったショートに変えたロンロンがやってきた。手にはヤムチャのせいろを携えている。
「今日は小籠包を作ってみたわ、火傷しないようにね。」
確かに注意が必要だ。食欲に任せてほうばれば比熱の高い灼熱のスープが口の中で冷めることなく炸裂する。
「うわはっ」
オヤジがそれを実証してくれたのだ。
朝霧を思いつつ連想する。
宇宙は、物理的には厳密な真空状態ではないのだそうだ。その所々には微細な原子が孤独に流れていて、それは「エーテル」と呼ばれている。それは、あるいは無数の星々のかけらであり、または宇宙に立ち込めた霧のようなものなのかもしれない。
「俺たちのバトロイドはな、全身をめぐるオイルの循環も然り、そして呼吸もしているんだ。」
ロンロンが口を半開きにしている。それはオヤジの発言への反応なのか、小籠包のスープを空気で冷ます仕草なのかは分からない。
バトロイドの口部は吸気口及び排気口の役割をになっていて、それは胸部に搭載された「ラング・ユニット」に直結している。このユニットが自発的に伸縮し、吸気と排気を繰り返すことで宇宙に流れる微粒子、すなわち「エーテル」を全身をめぐるオイルに吸収しているのだそうだ。
「オイル内のエーテルの濃度はバトロイドの機動性に直結している。濃度が高いほどより素早く機敏な動きが再現できるのに反し、枯渇すれば正常の機動を維持できないってわけだ。」
オヤジが銀のスプーンの上で小籠包に息を吹きかけつつ、バトロイドの持つギミックについて解説する。直接口に放り込むのはやめたのだ。
8本のワイヤーで拘束され、痛々しい傷を受けたバトロイドの応急処置をした時に、マスクを接続して吸わせた「エーテル」とは、このことだったのだ。
「ますます、人間みたいなロボットね。」
ロンロンがホットの烏龍茶をすする。
「一応、人を模したロボ、というのがコンセプトだからな。このロボに搭載した数あるギミックはすでに特許も取ってある。その収入を以前は開発費に当てていたんだが、いまはそっくり借金のための担保になっちまった。」
イオ・バスターやブラッド・ソードの特許の権利も早速借金のための担保になってしまっているそうだ。
「普通なら、こんな計画性もない小さな会社に多額の借金を保証してくれる銀行なんてあるはずもない。しかしな、軍の中にはこのバトロイドの熱狂的なファンがいてな、そいつの根回しでなんとか資金を維持できている。」
「熱狂的なファン、か。」
「移民船団ガイアには物好きが集まったものね。」
クールな目元でロンロンが加える。
今日も軍とのアポで指示された座標で戦闘に繰り出す。一休みしたら出撃の用意だ。
バトロイド起動用のキーを腰につけ、歩く廃墟ビルの廊下は湿っぽかった。その先の崩れた壁の穴から飛び出せば、霧のかかった朝の空気に巻かれたバトロイドが横たわっている。
「今日も頼んだぞ。」
僕はバトロイドの脚部を叩き、喝を入れてうなじの位置にあるハッチからコックピットに飛び込んだ。
「視界5メートル。進路のナビゲートをお願い。」
「了解。」
ロンロンとの通信に誤差はない。
「進路、オールグリーン、発信して。」
おもむろに立ち上がり、一気に空へ。朝霧を切り抜ける抵抗に滑らかな感覚を覚えた。
軍の指示の座標へ行くとそこにはフォーティア社の精鋭、ガーラムがいた。
「へへ、悪いな。今日も一緒だ。お前には借りがあるからな。」
ガーラムも一人の戦士だ。僕は彼との関係に爽やかな戦友という文字を垣間見た気がした。
「勘違いするな。借りたものを返すだけだ。」
ロンロンの指示通り、前方より6体のカーキー色の敵機が接近しているのがレーダーから読み取れた。恐らく彼らも僕たちの存在には気付いているはずだ。
「コスモと言ったな、気をつけろよ、6体によるペンタゴン・フォーメーションだ。前回のお前の馬鹿力で、2体も増やして来やがった。俺の背後は任せたからな。」
「ああ、ガーラム。貸しならいくらでも作れるさ。」
「調子に乗って撃沈すんなよ!」
敵機はみなシャムシールの黄色い蛍光の湾曲した近接武器を携えている。しかも2刀流だ。器用な連中だ。
目前に接近し、敵機は正八面体のフォーメーションを組んだ。
「あの中心に追い込まれないよう気をつけろ。袋叩きにあうぞ。」
僕とガーラムは一時2方向に散開した。
僕は背にかけたクリティカル・メスを構え、目前の一体に突き立てる。互いの剣を弾き、はじき返され、なんとか一撃を加えることができた。
ひるんだ隙に素早く刃を取り替え、そのまま敵機に投げつけると、命中したその一体を撃墜することができた。ひと思いにメスを引き抜く。
ガーラムについても絶好調だ。彼は「グンニグル」の名の刃の紫色に光る矛を大きく振り回し、的の目をあざむきながら確実な一撃を与える。それはまさしく、蝶のように舞い、蜂の如く刺すと言うにふさわしい振る舞いだ。
順調に敵機を撃墜し、残る2体。僕とガーラムが背を合わせるかたちで構え、敵機はそれを中心に回っている。
「コスモ、やばい。無茶したせいで燃料がレッドラインを切った。」
「僕ももう、メスの替え刃がない。」
危機的状況で、敵のシャムシール2体を倒さなくてはならない。
そこで、ラクシャからの通信が入った。オヤジだ。
「コスモ、よく聞け。構えを崩さないまま時間を稼げ。バトロイドにゆっくりと大きく呼吸をさせて、エーテルを極限まで取り込ませるんだ。あとは分かるな?」
僕は「レスピレーション・システム」を手動に切り替え、手持ち付きのハンドルでバトロイドの呼吸を操作する。モニターに映る、「エーテル・サチュレーション」の値が徐々に高まり、オイル内のエーテル濃度が高まって行く。
静寂に続く睨み合いの中、ついにガーラムの機体の機動が停止した。
それを見た敵機が彼の機体に踊りかかるのを皮切りに、僕は新兵器の柄を握る。
「ブラッド・ソード、起動!」
モニターに映る1:00の数字。バトロイド内のオイルを消耗したせいか、残り時間がかなり少ない。しかし、宇宙のエーテルをたっぷりと蓄えた今ならいける。
操作するハンドルとジョイスティックが軽い。ガーラムの機体をぐるりと背に回して振り返り、さらに素早く的の背後に回り込んで一撃。恐ろしい瞬速で残る一体に斬りかかり、赤い血の刃による撃墜。それと同時に僕の機体はシステムを停止した。
「ますます、お前の乗っているバトロイドが奇妙になってきた。」
ガーラムは暗いコックピットの中でつぶやいた。