桜舞イ散ル、君想フ
――もっと早く、君に伝えれば良かった。
すすり泣く声と穏やかな曲だけが響く会場の中。その会場の最奥には花に埋もれて眠る君。
阿保らしい、と思った。優しい君は皆に好かれて、誰からも嫌われる私とは違ったのだ。それは今も変わらず、会場を訪れる人の多さがそれを物語っている。
言葉を交わした事はある。図々しくも私が君に抱いた感情の名前も知っている。それでもこんな所で泣くのは偽善者だと考える私は、人前で無く気は無かった。泣いた所で帰ってくる訳が無いのだから意味が無い。それはただの自己満足で、偽善だ。
やっと自分の番が来て、花を持ったまま彼に近付く。他人庇って死ぬなんて馬鹿みたい。お人好しにも程がある。穏やかな顔で眠る君にそっと花を添えた。
好きだったのよ、馬鹿。伝えられなかったけれど。もう二度と伝えられないけれど。きっと私のこの想いを、貴方は知らないまま逝ったんでしょう。届く筈が無いのは解っている。どうせ伝える事が出来なかったのも知っていた。
それでも良かったんだ。だって、貴方を困らせてしまうだけだろうから。
踵を返し席に戻ろうとすれば、会場の後ろに立つ彼の姿が視えた。不安そうに会場を見回し何かを探す様な仕草をする彼はたった今花を手向けた相手。なんだ、来ていたんじゃない。私以外には視えていないのだろうけど。
物心ついた時から私には他の人には視えないモノ、所謂幽霊だとか物の怪等と言う“ヒトナラザルモノ”が視えていた。その所為かまともに友人も出来たことが無いし、いつも私は嫌われ者。それもそうだ、人間は自分とは違うものを嫌う。『気持ち悪い』なんて言葉はもう聞き飽きた。
それでも、高校に入ってからたった一人だけ、私に話しかけてくる変わり者が居たのだ。それが、彼。誰にでも優しかった彼はいつも分け隔て無く、他人と接していた。それは嫌われ者の私にも同様に。そんな優しい彼に惹かれたのは当然と言えば当然なのだけれど。この世界はとことん私を苦しめる。
何故優しい彼が死ななければならなかったのか。
何故この世界は優しい人ばかり早く逝ってしまうのか。
その理由もまた単純明快。その『優しさ』故に、だろう。優しさは時に諸刃の剣となりその人自身をも傷付けてしまう。度の過ぎる優しさは自らを滅ぼす。彼もまた、自身の優しさ故に自らの命を絶ってしまったのだ。そうでなければこんな風に早く逝く事は無かったのだから。
自分の葬儀を眺めていたらしい彼と目が合う。あ、と言う様な顔をされたけれど、こんな所で止まっていては迷惑になるので自分の座っていた席に戻る。彼も私が視えることは知っていた。それでも良いと傍に居てくれたのは、私と関わってくれたのは、彼の優しさ故なのだろう。
少しの手荷物を纏めて会場の外へ。頬を撫でる夜風が冷たくて心地良かった。少し歩くと公園があったはず。彼も私について来ているようだし、そこで話をしようか。
公園に一歩足を踏み入れれば鮮やかなピンク色が視界一杯に広がる。もうじき散ってしまうであろう桜は満開で、儚くも美しかった。木の幹に寄りかかるようにして彼が来るのを待つ。数分と経たずに姿を現した彼は、会場で横たわる姿そのままだった。
「なんでまだ此処に居るの? 早く逝かないと『呑まれる』よ」
「……本当に視えていたんだな」
「あら、知ってた癖に。嘘だと思ってたの」
戸惑う様に視線を泳がせる彼に意地悪な笑みを向ければ、彼は慌てて両手を胸の前で振る。
「いや、信じていなかった訳じゃ無いんだ。ただ、誰も気付かなかったのにやっぱり君は気付いてくれたんだな、と思っただけで」
知ってるよ、君が私を信じていてくれた事なんて。思わず笑みを零す。先程の意地悪な笑みとは違って、自分でも驚くほど自然な笑い方だった。
「それで、私に何か用? 此処に残っている、ってことは何か思い残す事があったんでしょう。私に出来る事なら手伝うよ」
こんな私にも優しさをくれた君に、せめてもの恩返しを。私にしか出来ないことだから、手伝わせて欲しい。
真っ直ぐに彼の目を見つめれば、困ったように微笑んでいた。
「……ちょっと、聞いて欲しい事があって。もう遅いだろうけど、最期にどうしても伝えたい事があるんだ」
「分かった。誰に伝えれば良い?」
「君に」
「私に?」
向けられる真剣な瞳が少し怖くて。聞きたいのに、聞きたくない。思わず目を逸らして桜を見上げた。夜空を覆い尽くすほどに咲き誇る華は、きっともうすぐその儚い命を散らすのだろう。
「今更こんな事を言うなんて、君を苦しませてしまうだけかもしれないけど。どうしても最後に伝えたかったんだ。視えている君になら、こんな姿になっても伝えられる。」
宙を彷徨わせていた視線を彼に戻せば、今までに見たことが無い程真剣な瞳と目が合った。逸らしたい、と思ってしまった。聞きたくないと。だがこのままでは彼は逝かれないだろう。ずっと此処に居れば呑まれてしまう。それだけは避けたかった。優しい彼が苦しむのは嫌だ。
逃げ出したいと思う自分を叱咤して、その真っ直ぐな視線を受け止める。
「……そうね。今貴方の声を聴く事が出来るのは、貴方の姿を視る事が出来るのは、私だけだもの。良いよ、言って?」
一度その目を閉じ、短く息を吐いて再び目を開けた彼は何か覚悟を決めた様だった。
「今更、かもしれないけれど。初めて会った時から君が、君の事が、好きでした」
何故、何故今なの。どうしてもっと早く言ってくれなかったの。
涙が溢れて視界が霞む。両想いだった嬉しさよりも君を失う悲しみが頬を伝う。同じ想いだったのは嬉しい。でも、何もこれから居なくなってしまう時に言わなくてもいいじゃない。本当に今更だ。
泣いているのを見られたくなくて俯く。拭っても拭っても止まる事を知らない涙は次々に溢れ、着ている服の袖口を色濃く変えた。
「……ごめん。嫌、だったよな」
違う、違うよ。私だって。言わなきゃ、伝えなきゃ、ちゃんと。
乱暴に涙を拭って顔を上げる。悲しそうな顔をした彼と目が合った。そんな顔しないで。
「違う、嫌じゃない。私も……私も、ずっと好きでした」
一瞬驚いた顔をした彼はすぐにふにゃりと笑って見せた。
「……そっか。良かった。もしかしたら嫌われてるんじゃないかって思ってたから」
「そんな事無い! 」
何故私が貴方を嫌うの。慌てて否定すれば彼は堪え切れなかったように失笑した。
「ちょっと、なんで笑うの?!」
「あはは、ごめんごめん。……両想いだったのなら、もっと早くに伝えれば良かった」
その言葉に胸が締め付けられる。止まっていた筈の涙がまた溢れてきそうになって俯いた。
私も君も馬鹿だ。お互いに伝える事を怖がって、結局手遅れになって。何よりも大切だからこそ、伝えられなかったのかもしれないけれど。
もう、時間が無い。これ以上彼を引き留めていれば呑まれてしまうだろう。一度呑まれてしまえば助かる術は無いのだ。ずっと苦しみながら此の世に縛られ続けなければならないなんて、そんな事になって欲しくない。
別れの時が、近付く。
「そろそろ、僕は逝かなきゃ。僕の在るべき処へ」
「……うん」
俯いた髪に優しく触れる手。もうすぐ君は消えてしまう。私を置いて逝ってしまう。もう二度と逢えない、遠い遠い場所へ。
「有難う。遅くなってしまったけれど、最期にちゃんと伝えられて良かった。君に出逢えて、良かったよ」
「……だ。やだよ、逝かないで……」
こんな事言って困らせたくないのに。無意識の内に口をついた言葉は只の我儘。言ってはいけないと解っていた筈なのに。我慢していた涙が頬を伝う。優しく添えられた手がその涙を拭った。
「……ごめん」
ほら、やっぱり困らせてしまった。早く泣きやまなければと思うのに、次々と溢れ出す想いは止まる事は無く。幾度となく服の袖で拭ってもまだ止まらない。
突然、優しく手を引かれて視界が暗くなる。温かい彼の体に、更に涙が溢れた。
「……傍に、居てあげられなくてごめん。でも」
何を言ってもどうせ貴方は逝ってしまうんでしょう。もう傍には居てくれないんでしょう。
聞きたくないと言わんばかりに頭を振って耳を塞ぐ。子供みたいなのは解っていた。優しく背中に回された腕に力が籠る。痛いくらいに強く抱き締められた。
「お願いだ、聞いてくれ」
耳を塞いでいた手がゆっくりと離される。
最期なんだからちゃんと聞かなきゃ。解っているのに聞きたくない。だけど。
このまま聞かずに後悔するより、ちゃんと君の話を聞きたい。笑って送り出してあげたい。鼻を啜って顔を上げる。きっと酷い顔してるんだろうな。
見上げた君の微笑みが酷く優しくて、拭った筈の涙がまた溢れ出した。
「伝えるのが遅くなって、もう傍に居てあげられなくてごめん。でも、これだけは覚えていて欲しいんだ。君を、ずっと想ってる。傍に居られなくても、姿が見えなくても、ずっと」
彼の体を光が包む。もうタイムリミットが近い。
もう一度涙を拭って彼の目を真っ直ぐに見る。言わなきゃ。
「先に逝って待ってて。きっと私が逝くのはもう少し先になるだろうけど、でも。でも、絶対また逢えるって信じてるから」
「うん。いつまでだって待ってるから」
彼の体が光に消えて逝く。伸ばした手は空を掻いて、もう触れられない。
「ずっとずっと忘れないから」
最後に言った言葉は彼に届いただろうか。
溢れた涙を拭う事無く、身体に残る彼の温もりを逃がさぬように自らを掻き抱いた。
もう、大丈夫。私は一人でも独りじゃない。
夜風がひらり、桜の華を散らして消えた。
命も、桜も、儚く散る。
――後悔は、したくない。