6・宿泊日和
みてみんにログインできなくなりました
七村家は三界町の中では大きい方に入る一軒家である。田舎町でありながらマンションなどの賃貸住宅が増えてきた昨今、彼女の家はかなり保守的な建築物といえた。しかし、古臭い畳の部屋ばかりというだけではなく、床暖房やIHヒーターなども完備されてあった最先端建築といえないこともなかった。
「ただいまー。誰もいねーけどなー」
一人暮らしが言いそうな常套文句も、後ろに奏たちが控えている手前はうけなかった。
「お邪魔しまーす」
居間に通され、各々の荷物をソファの上に放る。明音は浴槽と夕食の準備を始めた。
「うっわもう九時になっちゃうじゃんか。待ってろ、五分で食えるもの作ってやるよ」
と、これは浴場から聞こえてきた明音の声。五分で作るとなるとインスタントもしくは冷凍食品しか思い浮かばないが、明音のことだ。きっと冷蔵庫の中身を適当にフライパンに放りこむことすら有り得る。
「私手伝おっかー?」
「いやお前は余計なことしなくていい! 塩と砂糖平然と間違えたあのムニエルだけはもうごめんだ!」
「そんなことないよ! 間違ったところで小麦粉だもん!」
「もっと有り得ねえから!」
「姫雪、料理苦手なのか?」
「……」
望から痛い一言を突かれて黙りこむ奏。明音がせっかくオブラートに包んだというのに、彼女は少し抜けているところがあるのではなかろうか。「望、そんなこと言っちゃだめよ。ね、カナ?」
「カ、カナ?」
そんな折、幾分大人だが馴れ馴れしいのが愛紗だった。
「そ、奏から二文字頂戴してカナ。いいでしょ?」
「……」
答え渋った。渾名で呼ばれるのは正直慣れていない。だが、相手は年上。人を攻めることに躊躇もなさそうだった。
「嫌?」
「……え、ええ、少し」
「そっか」
沈黙、一秒、二秒、三秒。どうやら貞操は保てたようだ。ホッとしているのを押し隠そうと望を見ると、なぜか睨まれた。望は奏から目をそらして、愛紗を見つめた。愛紗は望を見返して、にっこりと笑った。そして、明音が戻ってきた。
「ほいお待たせー。ん、顔が怖いぞどうしたノゾッチ」
「のぞ……」
「さーて飯だ飯だ。米はないけど美味いもん作ってやるよ」
無理やり押し付けられた渾名に困惑する望を除き、愛紗と奏が顔を曇らせた。
「七村の飯も不味いのか?」
「そんなことはないけど……線原さんも味だけなら気に入るよ」
「線原……」
「どうかしたの?」
望が顔を赤らめ、戸惑っているところに奏は顔を近づけた。しかし目もろくに合わせないうちに、
「ひょっとして、渾名で呼んでほしいとか?」「要らん」
終詞のようにとってつけた要らんを無視し、奏は柔らかな笑みでこう言った。
「えっと……センも」「要らん」「味だけなら気に入ると思うよ」「要ら……」「毒が入ってるわけでもないしね」
「セン……」
と、そこに割り込んだのが明音。
「あ、ノゾミンとかどうよ?」
「殺すぞ」
愛沙が似つかわしくなく、腹を抱えて笑っていた。
奏の料理は盛り付けが優れているというなら、味だけなら気に入られるのが明音の料理である。また、奏は家庭科の調理実習で塩が足りないときには決まって隣の理科室に駆け込んでHClとNaOHをそれぞれ同量ずつ量りとってくるという突飛さを持つが(運良く教師には見つからない)、明音もこの場面においては野菜の煮物に葡萄ジュースを垂れ流して紫色の毒々しい何かを作り上げるという超人技を身に付けている。なぜか味は悪くない。
「なんでこんな物体流し込むのかしらね……」
「……ごめん、これは見るに堪えない」
「明音の色彩感覚はおかしいんだよ。色覚と味覚は関係してるって聞いたことないの?」
「人の飯に化学薬品ぶちこむやつに言われたかねえよ」
この一言さえ携えておけば、料理に関しては明音は奏に一枚上手を取ることも可能だ。しかし、明音の作る料理の色合いが気色悪いという事実もまた消えない。望の顔色が明らかに青白く、愛沙も箸すら手に取ろうとしない。
「仕方ないなー。ほらほら、匂いだけでも嗅いでみなよ」
望の鼻に、明音が皿をぐっと近づける。当初はあからさまなしかめつらだったが、咄嗟に眦が下がった。鼻をひくひくさせ、皿を明音の手からとって食卓に置いて口に運ぶ。
「……美味い」
「……」
だが、愛沙と奏はそもそも、明音の料理の腕を知って、その見かけから躊躇っているという事実を前にするとやはり箸の動きは遅くなるのだった。
「あーもう、とっとと食おうぜほら!」
「ちょっと明音、それアンタの口についた箸むげう」
紫色の塊を口の中に押し込まれて目を白黒させる奏。因みに、愛沙はなかなか賢く、目を瞑ったまま食べていた。途中で落とさなければ最良の食べ方だっただろう。
「あっ……まあいいわ。テーブルの上だったし」
「まさかの三秒ルール!? ってか拭いて下さいそんな気持ち悪い色したぐちょぐちょな汁ほっとかれたら困るんすよいやいやまさかの無視!?」
「……明音も気持ち悪いとは思ってるわけだね」
食事中までうるさいやつだ、と同席者全員の意見が一致した。
そして二十数分後。愛紗と望を先に風呂に押し込むと、奏たちはゲームをやっていた。アドベンチャーゲームの画面では、明音の操作するキャラクターが奏のキャラクターを滅多打ちにする光景が再生されていた。
「あっ、あっ……ちょっと明音、手加減くらいしてよ! 惨敗じゃん!」
「いやハンデとして最初十秒動かなかったしレベルも私のは最弱でお前のは最強で、おまけに私ジャンプと通常攻撃と歩くしか使わない縛りプレイ状態なんだがこれ以上に私はどうすりゃいいんだ?」
「……」
どうしても、明音にゲームの腕で敵うところがない。こんなところで優れていても意味はないのだろうけど。
「やれやれ、明音のゲーム廃人も筋金入りだね……」
「それに関しちゃ返す言葉もねえわ……」
明音は学力にいくつか欠点はあるが、それ以外に人一倍頭抜けている点も多数ある。奏はよく彼女に羨まれるが、心の中ではそれは私の台詞だとも思っていた。
「これも飽きたし別のもんやるか。こんなんどうだ?」
そう言って明音が取り出したパッケージにはアニメ風の少女たちが描かれていた。見た目だけなら全く以て問題ないこのゲームの正体を、奏は一発で見抜いてしまった。残念ながら。
「アンタがクラスメイトと先輩が遊びにきている最中に堂々とエロゲができるゲスやろうだとは思わなかったよ」
「……一見全年齢向けのゲームなのによくエロゲソフトだって分かったな」
「アンタがそれプレイしてるとこ見たことあるよ」
余計な誤解を生まないように、という暗黙の了解を奏は意図していたが、それは杞憂、所謂取り越し苦労だった。
「そっか、なら分かってるだろうが、これはただのエロゲじゃないんだぜ!」
「七千円したの?」
「いやそう言うだろうとは思ったけど。ちげえよ。
聞いて驚くなよ? なんとな、これは女の子と女の子がきゃっきゃうふふしているという百合エロゲなのだ!」
「聞くだけ時間の無駄だったね」
どうやら、奏の反応は明音にはお気に召さなかったと見える。奏はそんなこと気にしないという風で、明音にチラチラと視線をやった。最後の言葉を発したままの表情から変わらない
風呂場から悲鳴が響いてきた。
「今の何?」
「多分アイ先輩がやらかしたんじゃねえかな」
アイ先輩が? しかし、何かしでかしたとしてもあんな悲鳴をあげるものだろうか? しかし……考えられないことはないのだろう。
「意外ねぇ……あの人クールな割りにあんな声出すんだ」
「ん? いやいやそうじゃねえよ。今の悲鳴は多分ノゾッチだ」
「え? じゃあどうしてアイ先輩が……ああ、そういうことね」
「そういうこった」
やらかしたのは愛紗。悲鳴をあげたのは望。今度は悲鳴が数筋と、無機物が地面に落ちる音が混ざって聞こえてきた。
「ま、ノゾッチが図書委員やってんのはアイ先輩に無理やり連れ込まれたからって聞いたから風呂場に一緒に突っ込んだ時点でああなるとは思ってたけどな」
「事も無げに言うんだそれ」
「全裸の女性が二人で片方はレズロリコン、もう片方は……ロリじゃねえか」
「明音は味方にいてもあれだけど一番敵に回したくないタイプだよ」
「あっはは、自分勝手なだけだって」
「自分で言うの!?」
望は愛紗の腕の中から抜け出そうとしたが、不幸なことに彼女の全力ではそれはかなわなかった。「じっとしててね」とだけと言い、体を撫で回す。ただのスキンシップだけでも顔から火が出るようだったが、露骨に胸を鷲掴まれ、脱衣場に逃げようと広い浴場のなかで四苦八苦。そんなところだった。
「ほらほら、じっとしてなさい」
「嫌です。ちょっと、やめてください!」
水場なので愛紗は気付かなかったが、望の目に少し涙が浮かんでいた。「やめろ、変態! レズ!」
「あら、先輩にそんな口聞いていいのかしら?」
「ひっ……」
早く抜け出そうとしたところで、少し聞き慣れた声を聞いた。
「おーい、まだ風呂あかねーの?」
何か言おうとした望の口を、右手が覆った。
(作者の体力的に)限界がきたのでここで切ってます