5・キライ嫌いと電車旅
ツンデレ百合。
姫雪なんて大嫌いだ。苦手なんかじゃない、大嫌いだ。アイ先輩にもそう伝えておいたし、自分にも一日百回以上は言い聞かせているはずだ。
「だからさ、この時は時制が一致しないからhaveじゃなくてhadになるん……ん、ありがと」
先生に渡されたノートの山を配っていると、姫雪のが出てきた。当のアイツは七村に英語を教えている最中だった。女同士でいちゃいちゃしてんじゃねーよくそ!
心の中で毒づいたはずなのに、姫雪に対しては冷静にふるまってしまった。それを隠すように、次に出てきたノートを叩きつけるように持ち主に返した。
「ひっ!? あ、ども……」 大嫌いだ。アイツさえいなければ……。と考えたが、仮にいなかったところでどうなるのだろう。
「……あれ、明音、ノート却ってこないの?」
「そのノートか? 先週末の課題のやつだろ? 私出してないから返ってくるはずないよ」
「平然と言うなよ」
……
「いちゃいちゃするな腹立つ」
「え?」
「何でもない」
自分では掠れて通らない声だと思っているのに、私が呟いたのは大体聞き洩らされることがない。
嫌いだ嫌いだ嫌いだ。一週間前からそう脳内で連呼しないといけなくなった。アイ先輩から、鼻もちならない一言を受けたからだ。
『本当は好きなんでしょ?』
……ああ、思いだしてしまった。それだけなのに、顔が火照って、胸の奥がむず痒くなってくる。
「線原さん、顔赤いよ? 風邪?」
「ほっとけ」
しかもそんなときに限って、声をかけてきたのは姫雪だ。
「あっはは、更に赤くなってやんほぐっ」
「何笑ってんのアホ。線原さん、保健室行く?」
「結構だ」
七村が脇腹を抑えて蹲っていた。さっき変な声を出していたけど、あれは姫雪に脇腹を小突かれたからだったのだろう。
「そっか。気をつけてね」
姫雪はそう微笑むと去っていった。
『明音……やっぱ怖いわ』
『だろーな』
こめかみから音が聞こえてきたが、必死に抑え込んだ。やっぱって何だ……。もういい、帰ろう。今日は金曜日。明日の補講はなかったから、後二日間は休みになる。
心の中で嫌いだと連呼していたら、気付くと放課後になっていた。図書室で遠慮することなく姫雪への嫌悪を口にしていた。
「ホントはさ、好きなんでしょ?」
……また、言われた。
「二つの意味で」
顔が熱くなった。
「そ、そんなこと……わ、私が好きなのは……」
その翌日。奏と明音は三界街の駅の下り線のホームにいた。三界街には駅が二つある。一つは街の真ん中。もう一つは、何故そこにあるのか疑問になるような場所、街の西の山の中だった。奏はその山の中の先の駅に行こうとして、そこを明音に見つけられたのだった。
「んでんで? どこ行くの?」
「何度も言わせないでよ。日高見駅だって言ってるじゃん」
「嘘こけ。他にも行くところあるんだろ?」
「ない」
ぴしゃりと返され、返答の言葉を探すのに困った明音。もとより会話する気などない奏はこの沈静を味わっていた。だがしかし、明音の鋭い勘が冴えわたる。
「ふむふむ……袖なしパーカー。ジーンズ」
「……?」
「長時間の外出も大丈夫! なショルダーバッグ。他にも行くところあるんだろ?」
「ない」
「あるんだろ?」
「うう……」
実を言うと図星だった。せっかくの休日、明音に耳元で騒がれることはないと思っていたが、まさかこんな結果になろうとは。別に行きたいあてがあるわけでなく、その辺を電車でうろうろしていたかった、というだけだ。さて、明音をどうやって突き離そう。大抵彼女はつまらない所に行くと言ってもついてくる。持ち合わせている対策を全て使用したが、未だに振りきれたことがなかった。
「はは、どうやって私から逃れようか考えてんだろ。そうはいかないっての!」
「きゃあ!?」
何処とは表記しないが、あるささやかな膨らみに明音の指が食い込んでいく。
「ノースリーブなんて着てきたのが失敗だったな! 袖口から手入れてやってもいいんだぜ? ぐへへへへへげっ」
人気が見えないホームに二人の声が木霊する中、電車の到着を告知するベルが鳴った。
休日というのに、車両の中には奏たちしかいなかった。窓際に沿った座席のど真ん中に腰掛け、電車の静から動へを感じた。
「……いくらなんでも殴るなよ」
奏は顔や目を染めたまま何も言わなかった。ただ拳がぷるぷると震えている。
「まあまあ、私が悪かったって。何か奢ってやるから機嫌直せよ」
「しょうがないなー」
明音は心の中でくすっと笑った。窓の外では住宅街と海のコラボレーションが映像として広がっている。――――と思えば急に、外どころか車内まで暗くなった。山の中に電車が入ったのだった。
「そろそろ月代駅かー。早いなー」
「ま、三界街もかなり狭いってことだよ。……あ」
急に声のトーンが変わり、低くなったので明音はまた奏が怒っているのかと思った。思うだけならまだよかったのだが、奏は彼女によくあらば掴みかからんとしていたのだ。
「おいおいどうした。そんないじめられっ子がしそうな悔しげに憤慨してる目で見てくるなよ。そそるじゃんか」
「パーカーの袖が切れてるんだけど」
「ああ、私が無理矢理手ぇ突っこんだから? ごめんごめん。まあ、服の下に手を入れやすくなったと思ううぁうっ……ケハッ」
奏の右手の中で、彼女の喉が脈打った。ギブアップを示すように、明音の手はシートを叩いた。
「……明音のアホ。ド変態」
「ごめんって」
そのとき、電車は月代駅に滑り込んだ。ホームが左の方へ過ぎ去って行ったが、段々とその速度も落ちていった。
「人少ねえな……」
「昼間だしね」
『月代ー。月代ー。降り口は右側です。開くドアにご注意下さい』
そんな放送が鳴り、ドアが開いた。
光量が少ない中で、間ドアは再び閉まり、電車は静かに動きだす。
「ところでさ、なんで日高見駅なんかに行くんだ? 月代も酷かったけどあそこも大概じゃん?」
次第に、木漏れ日が目立ち始める中だった。
「そうだけど……ま、色々と、ね」
「ふーん」
奏が曖昧に答え、電車は山を抜けて海岸に面した線路を走っていた。
電車と線路がおり響かせあう音がなぜだか虚しい。奏たちは電車の右側の窓沿いの席に座っていた。広い田んぼたちが左へ左へと過ぎ去っていく。しかし、そんな光景もまもなく終わりを見せた。田んぼの出前に黒いアスファルトが広がりだした。そして、それに伴ってこの電車旅も一旦ストップする。日高見駅への到着を伝えるアナウンス。奏は鞄を取って立ち上がった。
「そろそろだね」
「んで、この後どこ行くんだ?」
「……」
後に明音が言うことには、まるで『早くどっか行ってくれないかな』とその瞳は語っていたという。
電車から降りても、他に人影は殆ど見当たらなかった。鉄の塊が去ってしまい、駅は暑い空気を癒すような涼風が吹きわたるばかりとなった。その涼風は海から運ばれてくるがゆえに少々潮臭い。
ホームから見渡すと、人気のない砂浜とさざめく波。入道雲を孕んだ空。一面を埋め尽くすような青。奏は嬉しそうに息を吐くとにかっと笑い、明音は息を呑んで動こうとしなかった。やがて表情を綻ばせると、こう言った
「すっげー! こんなの初めてだ!」
「凄いでしょ? もうちょっとしたら海水浴にきた人で埋まっちゃうから早目に見ておきたかったんだ」
日差しが照りつけるが、風が吹いているので気にならない。その風も俄然良い匂いではないのだけれども、それさえこの景色を彩る材料のようだった。寂れた無人駅に少女が二人、じゃれていた。
この後奏は一旦引き返すというので、二人は向かいのホームにきた。
「なー、奏。今日うち泊まってく?」
「別に構わないけど……家の人は大丈夫なの?」
「母さんは出張で弟たちはクラブの合宿行ってるよ。な、泊まろ泊まろ! エロゲーやり放題だいって」
「明音の誘い文句はおかしいんだよ……」
彼女としてはそこまで強くぶったつもりはないが、明音の痛がりようがオーバーすぎる。
明音の父は昨年亡くなった。心不全だったという。今は彼女の母が稼ぐ金と保険で暮らしている。生活が困窮しているかというと、明音を見ればそれは一目瞭然だろう。明音も、三人の弟も優秀な母の下に生まれたのが幸いしたのだろう。因みに知性において明音は七村家でヒエラルキーの底辺に位置している。からかどうかは知らないが、日々の食事は彼女が作るようになった。
「でも、あの料理は食べたくないなあ……」
「なんだよ、美味いっつったじゃん」
「味覚的にはよかったよ。けど……あれは視覚的にはきつすぎる」
「毒舌だなー。一応栄養バランスは考えてあるんだぜ」
「うーん……」
料理って奥が深い。そんなことを考えていると電車滑りこんできて、ドアが目の前で開いた。足を踏み入れたら、人の気配を感じて振り返ってみると、
「あら……」
「アイ先輩!」
明音曰くの超ロリコンで、自分に目をつけているという一つ上の先輩。機鐘愛紗と目があった。しかし、愛紗に狙われているといっても、彼女の動きが止まったのはそのためではない。隣の線原望から一瞥をもらったためだ。
「知り合いなんすか?」
「図書委員仲間よ」
愛紗は望の頭を撫でた。半月のような目が前髪に隠れる。しかし、奏はそれでも前髪の奥から刺されているようだった。 愛紗たちが座っていたのは四人用のボックスシートで、窓際に詰めて座っていた。明音は真っ先に、断りも入れずに愛紗の横に腰を下ろした。奏も勿論座ろうと思っていたが、そうなると当然、望の隣である。
「座んないのか?」
「えっ、いや、その……」
嫌われていると分かっている相手の隣ほど居心地が悪いものはない。そう躊躇っていたが、意外なことに当の望は違った。
「姫雪、さっさと座れよ」
「へっ」
「早く」
苛立っているというよりは寧ろ待っているという印象を受けて、奏は腰を下ろした。
「先輩どこ行ったんすか?」
「ここから先にショッピングモールがあるの知ってる? そこのね……」「なんだこれすげえ! こんなのあるんっすか!」
明音は、愛紗のスマートフォンを除きこんで笑っていた。なんだか、ボックスシート内に温度差が生まれてしまったようである。
「(私も何か話した方がいいかな……)」
目の前の楽しそうな雰囲気につられて、つい。
「あ、あのさ……」
「あ?」
「……な、何でもない、や」
ヤンキーさながらの返事を受けては最早返す言葉が見つからない。望は頬を人差し指でかくと、奏の方へ詰め寄るかどうかという風にもぞもぞと動いた。
電車も日高見駅を過ぎたころ。明音は周囲に人がいれば迷惑になりそうなくらいの声でしゃべくっていた。望が一言、
「元気がよくてうらやましいよ、全く」と。
そして肩を震わせる奏を見て、望はようやく彼女から口を開いた。
「……ひ、姫雪」
「ひっ?」
レベル5くらいの怖い体験として、彼女はこれを余生で語るのではないか。そんな驚きようだった。
「……私のこと、嫌いか?」
「あっ……い、いや嫌いっていうか、寧ろ怖いって感じ……だ、けど。……」
奏は急に、口パクで明音に助けを求めだした。望の右手が太ももの上にある。しかし、明音はスマートフォンにのみ視線を注いでばっかりで、愛紗も奏のSOSには気付いてくれなかった。
「じゃあ、姫雪」
「はいっ!?」
「……ごめん。怖がらないで。あ、あの……私、お前のこと嫌ってるように見える?」
「ん、まあ……見えるね」
すると、急に頬を染めて、望は無くなりそうな言葉を絞り出した。怒っているようで、今にも泣き出しそうな顔だった。
「べ、別に嫌いだとか妬んでるとかないから。だから、あの……」
首にかかるショートカットがふるふると震えている。
「アイ先輩にはお前のこと、散々に行ったんだけどだけど……えっと」
それ以上は何も言わなかった。
「あ……はは、ありがと。だいぶ楽になったよ」
照れ隠しからか、奏のスカートを強く握る望の手をどうにかできないかと迷いながらそう返事した。
それからしばらくして、先の一連のやりとりを知っていたためか、愛紗はにやにやと顔を緩ませて前を見ていた。明音は不意に顔をあげるとそれに気付いて、愛紗の視線を追う。見えたのは、赤くなった望ときょとんとしている奏だった。
「よかったわね、二人とも」
「? どうしたんだアンタら」
明らかに良からぬ妄想をしていそうな愛紗の顔と戸惑う明音は敢えて無視して、奏は告げる。
「ところでアイ先輩。一ついいですか」
「何かしら?」
「乗り越してます。十駅くらい」
「……」
「私もさっき気付いたんですけど」
皆言葉を失って、車内の電光掲示板を見た。
関係ありませんけどヤンレズが今熱いんです。




