25・突き刺すような日差しの下、私の視界には貴女が映る。
この連載小説は未完結のまま約2ヶ月以上の間、更新されていません。
せめて年内はこれを出さないように頑張っていくつもりが出しちゃいました。ごめんね。
『嫌いって言われちゃったみたいね』
愛紗はまるで他人事のように言った。事実として他人事ではあるけど。
「ふーん。あの子たちも難儀だな」
『あら、調はそれでいいのかしら?』
よくはない。とは言っても困るとも言えない。
真夏の昼下がり、クーラーの効かない家の中。私は熱くなったスマートフォンを手に愛紗と電話をしていた。
千早はどこかに出かけたようで、今朝から見当たらない。
「私にそんなこと、一切関係ないから」仮に姫雪さんが七村さんと仲違いしたところで、彼女の目が千早に向くとは私は思わなかった。「姫雪さんが誰を好きになったって変わらないからさ」
『そう……それで、千早とは上手くいってるの?』
「いってると思うか?」
『全く』
「じゃあ聞くなよな。
……ところでさ、千早はなんで姫雪さんのこと知ってるんだっけ」
と言ったところで、彼女の口許が綻んだのが電話越しにでもわかった。
『やっぱり気になるんじゃない』
「さっきも上手くいってないっつっただろ、察しろよ。それでなんでだっけ」
青嵐祭の打ち上げで七村さんの家に行ったときには、既に千早は姫雪さんと顔見知りだった。その数週間前から、千早はもう彼女のことを喋っていたのも覚えている。
『文化祭のパンフレットよ。あれを描くはずだった人が……』「あーボイコットしたんだっけか」
『人聞きが悪いわね。そもそも誰もいなかったのよ』
「あれそうだっけ」
千早は最初一人いたとか言っていたような気がしたけど、気のせいだろうか。
『それで私にあの子が泣きついてきたから、明音に聞いてみたの』
「お前も明音に泣きついたのか」
『そんな言い方してたら千早ちゃんに嫌われちゃうわよー? それとも私がもらっちゃおうかしら』
「うっせぇ。……で、それで七村さんが姫雪さんを紹介したのか」
『そうね。カナちゃん、中学のころは美術部だったみたいだし』
「ふーん……じゃあ、七村さんが直々に姫雪さんを紹介したってことか。後々狙われるとも知らずにね」
言いながら、私は七村明音の屈託のない笑顔を思い浮かべた。
『皮肉にも、ね。でも明音の好きな人はカナちゃんよ』
「嫌われちゃったんだろ? 七村さんは」
私は半ば吐き捨てるように言った。そのとき――――
「ん……?」
窓の外から、誰かの視線を感じた。一軒家に住む神垣家の隅っこの二畳半、私の部屋の西向きの窓は、路地に面している。立ち聞きもできるはずだが、こんな世間話なんて立ち聞きする価値はないんだろう。私は気のせいだと思うことにした。
『どうかしたの?』
「や、なんでもないよ。それより、嫌われちゃったんだろ?」
『んー……』なんだか気に食わないような唸り声をあげて、『どうかしらね。カナちゃんは言葉が独り歩きしているところがあるから』
「まぁ、そうだけど」
と言ったところで、家のドアが開く音がした。誰かが帰ってきたのだ。
「そうだな、あんなツンケンした態度からだったら嫌いだなんて言葉、いくらでも引き出せそうだ」
『それに明音はストレートだからあの子の言葉を違う意味で受け取れなかった。憎しみの籠った〝ありがとう”や、愛する人に向ける〝嫌い”を知らないの』
「愛紗は将来、詩人になれそうだな」
そのとき、うちに帰ってきた人間が私を呼ぶ声が耳に届いた。千早の声だった。
『ありがと。ほら、あなたのお姫様が呼んでるわよ。王子様』
「電話をかけたのはおめーだろ。それに名前を呼ばれて探し回られるのは王子っていうよりメイドだろ」
そう言いながら腰をあげると、千早が私の部屋のドアを開けた。
「じゃ、ここで切るよ」
『ええ。また明日』
明日本当に電話をかけるつもりか――――なんて皮肉を言う前に、私は通話を切った。
「誰と話してたの?」
「愛紗だけど」
「ああ、機鐘ちゃんか」
「――――おかえり」
「ん、ただいま」
あの日――――姫雪さんのことばかり話す千早に啖呵を切って以来輪をかけているけど、それ以前から彼女とは口数が少ない。意識しているから、だろうか。それに対し、彼女はなぜか最近はよく私の部屋に来るようになった。これに関しては、あの日以来のことだ。
「で、機鐘ちゃんと何話してたの?」
私はベッドに横になった。
「……別に、お前には関係ない」
そういうと、千早は口を尖らせた。「何よ、教えてくれたっていいじゃない」私は彼女のこの表情が苦手だ。彼女に嫌われたくない――――。そんな思いが働いているのだろうか。
「……姫雪さんと、七村さんが喧嘩したんだってさ」
それを聞いた千早が表情を硬くするのを見て、私はそっぽを向いた。さっきの〝関係ない”を撤回する気はさらさらない。
「あ、そっか……」
唇の端っこに薄い笑みをのぞかせるかと思いきや、彼女は悲しげに眼を伏せた。
「なんだよ。これでお前の大好きなあの子は一人ぼっちじゃん。チャンスじゃねーの」
「チャンスかもしれないけどね。でも七村さんからあの子を奪う気にはなれないわ」
突然の発言で驚いた。彼女の口から、七村さんのことを聞いたのはこれが初めてだった。
「はぁ? 今更何だよ。恋のキューピッドでも気取ってんのか」
「悪い?」
ああ、と言い返そうとして詰まった。よく考えれば私には彼女の行動に口出しする権利がない。
「……好きにすればいいさ」こんなの、私の本心じゃない。
言葉が独り歩きしているのは私も同じだ。
私の言葉を聞いた瞬間、千早は少し目を見開いたように見えた。……なんだろう、何かのしがらみから解かれたようにも見える。
「じゃあ、好きにするわね」
……。
「止めるんなら、今よ」
「は?」
彼女の言葉の意味が解せずに、一瞬戸惑った。何を止めるんだろう――――?
「何のことだよ」
「……何でもないわ。それより、どこか行かない?」
「え? ……ま、まぁいいけど」
話をはぐらかされたようで面食らった。何のことなのか事細かに聞いてみたいが、彼女はそれを拒みそうだ。仕方なしに私は起き上がった。
「それで、どこいくんだよ」
「さぁ? 貴方はどこにいきたいの?」
「は?」
さらに面食らった。「いやお前がどっか行きたいっつったんだろ。どこいくかはお前が決めろよ」
「行くあてはないけど、とりあえず暇なのよ」
「知るかよんなこと……じゃあ」
「あ、アトムモールはさっき行ったからナシね」
「ふざけんな♡」
私はまたベッドに寝転がった。彼女の頼みだから聞いてやりたいが、こんな暑い中外に出るのはいやだ。ただでさえエアコンのない部屋で耐えているんだから。
「寧ろクソ暑い屋外でも変わんねーかもな……」と私はぼやいた。横からは千早が、「ねー調ったら、起きてよーどっかいこうよー」と私の体を揺さぶってくる。
「あーるっせえ暑いっての」
千早はまるでお姫様のようだ。差し詰め私が王子と言っても過言ではない、と愛紗は思ったのだろう。惜しむらくは、彼女が私を見る目はどちらかというと高慢な姫がメイドを見るような目だということだ。
メイドが身分の壁を越え姫と結ばれるなんて昔話、世界各国探し回ったってありゃしないだろう。メイドが王子になるなんて話も聞いたことがない。
「……ったく、しゃーねーな」
私は冷めきっていないスマートフォンと財布を手に取った。
「おら、出かけるから準備しな」
「へへ、やった」
薄手の半そでパーカーをはおった私に向けられた満面の笑みを、私はしばらく見入っていた。
外は、室内とは比べ物にならないくらい暑かった。
「……千早、やっぱ帰ろうぜ」
「えー」
「あいや、暑いしさぁ……」
むしろ帰らせてくれないのか。なんで彼女はこんな日差しギンギンの下で平気なんだろう。
「ほら、いきましょうよ。早く早く」
「あー分かった分かった……付き合ってやるからちょっと待てって」
よろよろ歩き出した私の目に、ノースリーブのシャツを着た千早の肩が目に入った。まぶしい陽光に照らされて白く光っている。
なんだか新鮮だと思っていたがそういえば彼女がこれを買ってきたのが昨日で、今日これを初めて着たのだ。……それにしても、日差しに晒されていない彼女の肌はここまで白いのか。じゃあ、この下には……。
「どうしたの?」
浮かび来る煩悩は、千早本人の声に掻き消された。私は慌てて目をそらし取り繕った。
「……なんでもないよ」
私は早歩きで彼女の横に並んだ。蝉の声が耳に突き刺さる。
三時過ぎ。もっとも気温が高い時間帯は越したとはいえ、まだまだつらい。
「はぁ……はぁ……ちょ、ちょっと休もうぜ……」
「そうね」
住宅街の中の小さな公園の木陰のベンチに、私と千早は座り込んだ。
「で、おまえはどこに行きたいの」
およそ二十分、ほとんど歩き詰めで聞けなかったことを率直に聞いたが、答えはやっぱりつれないものだった。
「別に、どこでもいいわよそんなの。ただ……調とちょっと外歩きでもできればいいなって……」
「そっか」
「それに、ちょっと気になってることもあるしね」
気になっていること?
「なんだよ」そんなのがあるような素振りも、今まで、というか今日まで見せなかったのに。
「……奏ちゃんのこと、嫌い?」
恐る恐る、という感じの聴き方だった。
「いや、別に」
「そう。ならよかった」
恐る恐る聞いたのは正解だったろう。前に姫雪さんの名前を出した彼女に、私は激昂したのだから。
「……なんでそんなこと聞いたんだよ」
だが、そんな彼女の気遣いをして、私は声のトーンが低くなるのを抑えられなかった。
「えっ――――」彼女が横で体を竦ませた。
「べ、別になんでもいいじゃない。気になってたのは事実なんだから仕方ないでしょ」
千早は少し声のトーンをあげたが、最後は尻すぼみになっていた。私はそれに返すこともなく、気まずい沈黙だけが漂う。ポケットの中にはスマートフォンと財布しかないので、しゃべる以外にやることがない。
「……飲み物買ってくるわね」
彼女の声は少し震えていた。自販機を探して小さくなる彼女の背中を目に、私は陰鬱だった。
――――千早が姫雪さんのことを好きだ、というのは事実なんだ。私ごときが足掻いたって変えることもできない。
頭では分かっていても、それに反駁する自分がいる。そういえば、今姫雪さんと七村さんは仲たがいしているんだった。ひょっとしたら……。
考えを巡らせるほどに、心臓の鼓動は早くなっていく。考えたくもないことを考えてしまう。横に千早がいれば安心するんだろうか? でも、彼女の存在が私を迷わせているのも事実なんだ―――――。
「……おせえ」
千早が帰ってくるまで、十分おきに時計を見るのを何十回か繰り返した。既に日は落ちている。
「自販機なんて行って帰ってくるのにそんな時間かかんねえだろうがったく……」
道に迷ったらしい。仕方ないので、彼女を探し出すことにした。見つけ出したら笑ってやろう。さっき怖がらせたお詫びでもかねて。
あらかじめ千早にはメールを送っておいた。
『今どこだ?』
だけど、そんなものあてにしていない。
公園を出て右に曲がる。私の記憶だと、この辺の路地を何回か曲がったところに自販機があった。
ここを右、ここは左、右、右、左……。
「で、ここに……」いなかった。
眉を顰め、舌打ちして別の場所を探る。この付近の自販機全てを探してみた。
「……どこいんだよちくしょう……」
スマートフォンの時計を見ると、六時を指していた。
「もう帰ったかな……」
さっきとは違う意味で、鼓動が早くなってきた。私はスマートフォンの電話アプリから家に電話をかけた。数回のコールのあと、母さんの声が聞こえた。
『もしもーし、調ー?』
「あ、母さん?」
『今何してんの? 早く帰ってきなさい』
「あ……うん。あのさ、千早帰ってきてない?」
『千早……?』微妙な沈黙のあと、答えは返ってきた。『多分帰ってきてないと思うけど……』
「そっか。邪魔してごめんね。なるべく早く帰るから」
声が緊張しているのを誤魔化しながら私は通話を終えた。メールアプリを確認しても、彼女からは音沙汰もない。
「心配かけやがって」
少し声が上ずっているのが自分でもわかった。そういえば、子供のころもこんなことがあった気がする。デパートで、彼女がはぐれたときだ。母さんと一緒にサービスカウンターで待ち合わせしていた。
あのとき、私は泣きじゃくっていた。彼女がどこかにいってしまうのをひたすら怖がっていた――――もう、戻ってこないんじゃないか、って――――
「あ」
「調?」
闇雲に駆け回って、路地を何回も曲がって、今どこにいるのか認識が追いついていないこんなときに、千早を見つけた。幸い、涙はこぼれていなかった。あのときみたいに、戻ってきた彼女にからかわれるようなことはしていない。代わりに、さっきまで泣いていたような目の女の子が近くにいた。
「あっ、調さんじゃないっすか。ちっすちっす」
「……こんにちは」
中学生どころか小学生にでも思われそうな小柄な体躯。背中の真ん中くらいまで伸ばしたサラサラの髪が縁取る小さな白い顔は、泣きはらした真っ赤な目を抱いていた。姫雪さんは、七村さんにしっかりくっついて離れようとしない。
「ごめんね。ジュース買って帰ってたらこの子たちに会っちゃったの。代わりにこれあげるから」
と、彼女は私にすっかりぬるくなったコーラを渡した。
「いらねーよこんなもん、真夏の練習試合で使い尽くされた保冷剤みたいなもんじゃねーか」
「大丈夫よ、未開封だから」
「いや問題はそこじゃないんだけどさ」
そう返す私の口調は軽い。千早が見つかった、というのもあるが、姫雪さんと七村さんがこう、仲良く歩いているからだ。それでもやっぱり理由は――――千早が戻ってきた、の一点に帰ってくるんじゃないんだろうか。やっぱり私は、彼女の幸せを願えない。
「……ごめんな、つくづく情けないや」
私はそうぼやいた。三人が顔に疑問符を張り付けて私を見た。
「な、何?」
「なんでもないよ。ところで、二人は何してんの?」
「あ、私らっすか? 見りゃわかるじゃないっすかーラブラブデートの真っ最中ですよー言わせないでくださいよもーこのこのー」
そういって私をおちょくる七村さんは、かなり嬉しそうだ。横で姫雪さんが恥ずかしそうにそっぽを向いたけど。
……昼間、愛紗から聞いたときは喧嘩していたはず。今さっき仲直りしていたんだろう。
「じゃ、私らここでお暇しますねー」
「……失礼します」
姫雪さんは、いつも以上に口数が少ないんだけど彼女もすごく嬉しそうだ。
「気を付けて帰れよ。じゃあ」そういって、去っていく二人に手を振った。「私たちも帰ろうか――――」そう言って千早の方に向き直った私は、彼女が悲しそうな目をしているのに気付いた。
寒いです。




