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23・嫌い

お腹減った。

 夏休みに入っても、やっぱり明音がそばにいた。毎日八時頃には起きて、だらだらと課題を片付けていると十一時には明音が家のインターホンを鳴らす。母さんが麦茶を出そうとするのを「あーお構いなくー」とか言いながら私の部屋に入っていく。意味わかって言ってんだろうか?

 今日も明音は来た。櫛も通していないぼさぼさ頭にしわだらけのTシャツとホットパンツ。石鹸の香りが鼻を突く。

「ねぇ、明音」

「お、何だ?」

 私は漢文のプリントをしまいながら、隣に座りこんだ明音に尋ねてみた。

「その格好さ、起き抜けだよね」

「まぁな」

「それでさ、あんた夜まで遊んでるよね」

「宿題ならやってないぜ」

「聞こうとしたことを先取りして答え言わないで。ってか宿題はちゃんとやりな」

「へっへへー。まぁやんないとなーとは思ってんだけどさ。それより明音、ちゃんと私の格好見てくれてんだな」

 唐突にそんなことを言われて。耳が熱くなった。

「なっ!?」

「お、真っ赤になってんじゃん。じゃあ私も明日から服装には気を遣うかなー。可愛い奏ちゃんのためになー」

「うるさい黙れ! 嫌でも目についてるだけだから! 誰がお前なんか見るかバーカ!」

「とか言いながら図星なんだろ?」

 と言いつつ、明音は顔を近づけてきた。私は彼女と距離をとろうとして、しりもちをついた。

「や、やめてよ……」

 明音はいたずらっ子のような表情で更に近づいてきた。

「からかわれてるときの奏が一番可愛いんだよなー」

「う……」

 生温かい吐息が顔にかかって、せっかくクーラーをつけているのに暑くなる。明音の顔が視界いっぱいに映っていて、なぜだかもやもやして目を閉じた。

「へへ、こうしてやるよ」

「ふぇっ」

 一瞬体を抱きかかえられた感覚を覚えたのも束の間、顔全体に柔らかいものが押し付けられていた。というより、私の顔が明音の胸に押し付けられていたんだろう。

「あう……は、なせ……」

 段々と息苦しくなってきてもがくと、明音もそれを察したのだろう。すぐに離してくれた。

「いきなりなにすんだ変態! 痴女!」

「あははは、ごめんごめん。……」

 私が喚くのを見て、明音は最初こそへらへら笑っていたけど何かに気付いたのか、そばにあったティッシュを箱から一枚とって、私の顔の下半分、およそ鼻の穴のあたりに押し付けた。

「何よ……」

「鼻血出てるぞ。興奮しちゃったか?」

「は、はぁ!?」

 顔が熱くて気づかなかった。それより、鼻血を出している私を見てにやにやするのはやめてほしい。私が明音に興奮したように思われているんだろうか。

「怒んなって。頭に血が上ると鼻血も止まらねーから」

 薄く笑いながら、明音はもう一枚ティッシュをとって丸めると、私の鼻の穴の中に突っ込んだ。

「ひんっ……」

「お、痛かったか? わりい」

「ううん、大丈夫……ありがと」

 私がお礼を言うと、明音は嬉しそうに頬を綻ばせた。

「それじゃあ奏の鼻血が止まったらどっかに遊びに行こうぜ」

「いいけど……どこにいくの?」

「……ゲーセン、とか?」

 またこいつは懲りずに……。

「ゲーセンってあのさぁ……昨日も一昨日も行ったじゃん」

 何日か前から、明音は音ゲーにはまったようだ。夏休みに入って毎日あのがやがやとうるさい中に入って行っては、洗濯機みたいな機械をバンバン叩いたり、よく分からないつまみを回していたりする。その度に画面にSTAGE CRASHとか出るのもよく見る。

「そうだけどさ。あ、でも音ゲーはもうやんねーよ。金がなくなっちまった」

「じゃあ寧ろなんでゲーセンに行くの……」

「そうだな……。じゃあ、今日は奏がどこにいくか決めろよ」

「え、私?」

 そうは言っても、私はどこにいくかあてがあるでもない。この町でゲーセン以外に行くとすれば近くのアトムモールぐらいだろうけど、明音の所持金がゼロなら行っても無駄だろう。

「……本当にお金ないの?」

「どうだろーなー。ちょっと待ってて」

 明音はそういうと、ズボンの両ポケットの中を探り出した。

「えぇ……待って、不潔」

「そう言うなって」

 いや、ポケットから小銭が出てくるならまだしもレシートを丸めたやつまで出してくるのはやめてほしい。しかもそのまま洗濯したのか、ボロボロになったやつもある。

 前ポケット、後ポケットの両方を探りだし、百円玉三枚、五十円玉三枚、十円玉七枚、一円玉三枚を取り出した。

「総額五百二十三円也。金ならあるぜ」

 したり顔で言う明音を、下からジト目でにらみつけた。そのまま視線を下に移すと、緑いろのレシートが目に入った。

 ……ん?

「ねぇ明音。これ紙幣じゃない?」

「えっ?」

 私はそのレシート……ではなく紙幣をとって広げた。野口英世の顔が映ったそれを見て、明音は感嘆の声をあげた。明音のポケットに入っていたというのに、その千円札は綺麗だった。

「おっラッキー!」

「せめて紙幣くらいは財布に入れておいた方がいいんじゃないの……」

 あきれ果てている私をしり目に意気揚々と明音は立ち上がった。こんなに体力が有り余っているのはちょっとうらやましい。

「じゃあこれからどっかいくか?」

「ん、いいけど。じゃあ学校に行こうか?」

 と私が言った瞬間、明音が半笑いのまま固まった。かと思うと、首を傾げた。

「……?」

「どうしたの? ほら早く、学校行こうよ」

「いや待て待て、夏休みだぜ? 学校に行く必要ないんだぜ? なのになんで学校までわざわざいくんだよ待て夏休みもあのゴリラ教師に会うなんて恐怖だろ学校の怪談とか要らないから要らないから要らない!!」

 ゴリラ教師というのは多分あの日本史の先生のことだろう。嫌がる明音を引きずるように私は家を出た。途中で母さんが目を丸くしてこっちを見ていたけどもちろん気にしなかった。

「あっつ……」

 外は太陽が日差しをかんかんに照り付ける猛暑日で、汗のにおいと、仄かに漂う知らない香りが混ざり合って鼻にしみこんだ。この知らない香りを、昔はお日様の香りなんだと信じていたのも懐かしい。

 エアコンの効いた室内にいる間は忘れている暑さを、私はすぐに思い出した。

「あー今日も日差しがきついな」

 三界町は日本海に面しているくせに、夏場はほとんどといっていいほど雨が降らない。私はどちらかというとインドア思考の人間だが、アウトドアな人でもこの日差しは好まないだろう。

「じゃあ学校のどこにいこうか」

「いや学校には行かないから。……いかないよな?」

 まあ、私も冗談で言ったつもりだし本当に学校なんて用事もないのに行ったりしない。ただ少しびくびくしている明音が面白いから何も言わないでおいた。

「うー、あのゴリラには会いたくない……奏ー、怖いから抱き付いていい?」

「暑いからだめ」照れ隠しのように聞こえるだろうけど、本当に暑くて引っ付いてほしくない。

「……だろうな」

 明音もこの暑さは耐え難いのか抱き付いてこなかった。と、思いきや

「とでも言うと思ったかばかめははは……うぅ」

「辛いなら最初からやめとけよ……」

 私の肩に手を置いて抱き付こうとしたところで体温がつらくなったのだろう、明音は手を離した。

「……ところで、本当にどこいくんだ?」

 私が足を運ぶ方向が明らかに学校と違うので、明音の声色も少し穏やかだった。

「うーん、行くあてはないけど……あそこ」指をさした先にあったのは、アトムモールだった。

「まぁ定番だな」

「そだね」

 ……会話が弾まないのがどうにもつらい。家を出て十分もたたないというのに二人とも疲れているからだ。この暑さなら仕方がない。

「あ、でももうそろそろアトムモールじゃん?」

 歩くこと数分、二年前にできたショッピングモールが人を飲み込んでは吐き出していた。歩いてきたところに一番近い出入口から入ると、爽やかな空気が私たちを出迎えた。

「ふぃー暑かった」

「外出なんてするから……」

 そうは言うものの、私も少し乗り気だった気はする。

「どうしよっか?」

 少し微笑みながら、私は明音の方を見た。彼女は少し考えこんでいたけど、途中で何か見つけたのかずっとあらぬ方向を見ていた。

「そういや寝ぼけて飯食ってないんだよな……あそこ行きたい」

 私が、彼女が指した方向を見ると世界規模で展開されているハンバーガー店があった。

「え、ラックいくの……つーか朝ご飯くらい食べてきてよ」

 そうは言うものの、明音がだいぶ行きたいようだったのでそこに居座ることにした。まぁ三時間くらいは潰せるだろう。店員さんごめん。

「まあまあ、じゃあ私注文とってくっから席とっといて」

「いいよ。私シェイクSサイズで」

「おう分かった、コーラSサイズだな?」

「本当にそれ頼んできたらしばくからね」

「心配すんなって」

 そう言って明音はレジに並び、私は空いてる席を探した。世間が夏休みということも手伝ってか混雑している……ということもなく、私はそこらの二人席のソファ側に座った。こういうとき、ソファ側に座るとなぜか得した気分になる。

 数分待って、明音がプレートを持ってやってきた。

「あ、明音の席はあっちね」そう言って、私は窓際の一人用の席を指さした。

「おかしくない!?」

「冗談だって」

 私の滅多にない冗談に辟易してるような仕草を見せながら明音は私の向いに座ると、コーラのMサイズを差し出した。

「は?」

「いやほら、コーラのSサイズ持ってきたらしばくって言ったじゃん。だからMサイズなら」

「変わんねーよあほ」思わず、私は拳を振り上げた。

「冗談だって、ほらこれ」

 そう言って、明音は私の望み通りシェイクを渡した。ただしMサイズ。

「……ごめん、間違えた」

「あ、うん、これくらいならいいよ」

 私は財布から三百円出して明音に渡して、ストローに口をつけてシェイクを啜った。

「いただきまーす」

 明音が注文したのはチーズバーガーのセットだった。なぜかポテトがLサイズになっていたけど、私がシェイクを飲み終わる前にそれを全て平らげていた。

「早いよ」

「クラスでも一番早い自信あるぜ」

「どうでもいいでしょそんなの」

 寧ろそういったことは女子としてはあまりよくはないことだろうに。だけど、そう言ったあとの明音の笑顔に数秒間だけ見入ってしまった。

「どうした? 口が止まってるぜ」

「んっ……」指摘されてようやく気付いて、視線を下に落とした。

 明音の顔を見ないようにしてシェイクを吸い尽くし、コップをテーブルに置いた。

「へへへ、奏今私に見惚れてたよな」

「うるさい」

 明音が身を乗り出して顔を近づけてきた。そうされると顔が熱くなるからやめてほしい。

「そんなに私のこと気になったか? 私綺麗?」

「だーまーれ、別に私は好きとかそんなこと思ってないから……」

「あー照れてる奏ちゃんかわいー。もふもふしていい?」

「黙れくそバカ……ちょっと、近い!」

 客もそこまで多くない店内で、私は注目を浴びないようにできるだけボリュームを絞りながら声を張った。

「やめろバカ近い! 変態! キモイ! 嫌い!」

「え」

「嫌いっつってるだろ、離れろ!」

 最後にそんな台詞を吐きながら、私は若干乱暴に明音を突き放した。自分でも少し邪険だったと思う。

 ただ、明音はそんなこと気にはしないだろう――――と、いうのは誤算だった。

「あ……そ、そっか、悪いな」

 少し申し訳なさそうな、眉毛を八の字にした明音を見て心臓が跳ねた。それから数分の間、目を伏せて視線を泳がせていたけれど、私と目が合うことはなかった。そしてやっと合わせたか、と思うと立ち上がった。

「もう、帰るか……」

 それだけ言ってプレートを持ってさっさと歩き出した。

「あ、ま、待ってよ」私は慌ててそのあとを追いかけた。すでに明音はプレートを返却口に置いて店を出ていた。私は走って彼女に追いついて隣に並んだけど、いつものように声をかけてくることすらなかった。明音は前を見たまま黙々と歩くだけだった。私は私で、自分から声をかける勇気が出なかった。自分が明音を傷つけた、という意識も薄々あった。

 そのまま、私のマンションに着く少し前の道、明音の家に通じる道の前に差し掛かった。

「じゃあな」明音は淡々とそれだけ言って曲がった。

「え、どっか行かないの」

「いや、悪いよ……。さすがに……嫌いって言われたしな……」

「……‼」

 違う、と言おうとしたけど、口どころか足も手も動かなかった。ただ、心臓だけが強く脈打った。



 それから三日経った。あの日以来、明音はうちに来なくなった。

「明音ちゃん、来なくなったわね」

「そだね」

 今日の分の宿題を終わらせてパソコンで動画サイトのランキング上位動画を漁りながら、私はそう答えた。暇だからこうしているけど、楽しくはない。頭の中でずっと、この前明音に言ったあの台詞を反芻している。

「嫌い、かぁ……」

 そういえば、明音にどんなことをされても嫌い、とは言わなかった気がする。なぜか……やっぱり、本当は彼女のことが好きだから、だろうか。

「認めたくはないけど……」

 『歌ってみた』の動画のランキング十位をクリックした。読み込みが終わって、画面が表示されたとき、動画説明文に「嫌い」という文字が出てきて思わずブラウザを閉じた。

「やめた」

 私はそのままネットをつなぎなおすことはなく、イラストツールを開いてペンタブを持った。だが、動かして五分でそれも閉じた。

「……描けないな」

 女の子二人が絡み合っているデスクトップの前で、マウスを動かすこともやめて俯いて、あのときの明音の顔を思い出していた。数分間、パソコンがロック状態にかかっても動かなかった。

 やがてパソコンの横に置いている携帯が鳴って、初めて動いた。電話の相手は――――アイ先輩?

「……もしもし」

『もしもし、カナちゃん?』



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