22・永遠に
一か月以上間を開けちまったぜごめんなさいごめんなさいごめんなさい
あと気づかないうちにお気に入り数が10突破してましたありがとうございます。
諸行無常、なんて言葉を聞いたのは中学の授業で平家物語をやったときくらいだろうか。全てのものはうつろい変わってゆき、人の営みはいと儚きものである。私はこんな言葉、自分には一切関係ないのだろうと思っていた。
今はそんな軽い気持ちではいられないけれど。
「どうしたの、希」
マンションのベランダに寄りかかって夏休み初日の三界町を眺めていたら、アイ先輩が私の横に寄り添ってきた。トリートメントの淡い香りが鼻を突く。
「どうもしませんけど」
電車通学の私はもちろん、この町には住んでいない。隣町から電車で十五分かけて、今日もここまできた。来るつもりはなかったけど、朝起きたらいきなり先輩からお呼び出しコールを受けたわけだ。無視したらあとが怖いあたりがめんどくさい。一度「学校じゃ人が来ないところなんていくらでもあるのよ?」なんて言われたこともある。
……いや、私と先輩の仲なんて図書委員であることくらいなんだから、いつでもこの縁は切ることができる。はず。私からも、もちろん、向うからだって。いつか。そう、いつか。
今この時じゃなくったって、例えば先輩が卒業したときにでも。
「そんなわけないでしょ、浮かない表情してんのに」
私と並んで三界町の景色を眺めながら、アイ先輩は手だけを私の頭の上にぽんと置いた。何気なく、私の頭を撫で回す。本人は何となくのつもりだったんだろうけど、私にとっては大切なぬくもりのように思えた。
「……今日、私が来なかったらどうするつもりだったんですか」
口をあまり動かさないでもにょもにょと喋る。今更だけど、あまり聞こえてほしくはなかった。
「んー? どうもしないわよ。特に予定もなかったし。だから希を呼んだのよ。暇だったから」
「私は暇つぶし相手ですか」半分あきれたように、半分侮蔑を込めたような口調だった。
「そうね。でも私なんて暇な時間の方が多いから暇つぶし相手の方がいいかもしれないわよ?」
「調子に乗らないでください」
私の言葉を、アイ先輩は笑って受け流した。
ふん、私と違って友達も多いくせに。何が暇な時間が多い、だ。
「じゃあ、今度どこかに一緒にいきましょう」
私のそんな胸中でも察したのだろうか、先輩はそんなことを言い出した。
「どこかってどこです」
「つれないわねぇ。……まぁ、この町で遊ぶといったらあそこしかないんだけど」
先輩が指差した先にあったのは、田舎の大土地を存分に利用しました、とでも言わんばかりのショッピングモールだった。
「いいですよ。いつになります?」
「そうね、バイトが入ってない明日でも」
……。
この人、本当に友達はいるんだろうか。ひょっとしたら先輩が友達と言っているだけで相手から見れば知り合い程度かもしれない。
「まだ午前中だし、今からでもいきたいかしら?」
「それじゃあ約束してデー……で、出かけたことにならないんですけど」
変な言葉が出てきかけたのは無視してほしい。いや、無視はしてもらえたんだろうけど、微笑を浮かべられた。
「じゃあ、明日はどっか電車にでも乗って別の場所にいきましょう。日高見海岸なんてどうかしら」
「水着なら着ませんからね」
日高見海岸、といえばこの時期は海水浴場として賑わっているはず。まあこの先輩は水着を着るだろうし、何をとは言わないけど比較されたくはない。
「なぁに? 着ないで済むと思ってるのかしら?」
アイ先輩が体を近づけてきた。私はその分遠ざかろうとする。
「や、やめてくださいよ……ひゃ!?」
頭の上においてあった手は、いつの間にか体の向う側に回って私の胸を触っていた。
「ちょっと、やめ、て……」
「やめて、じゃないでしょ? もっとやってください、でしょ?」
「そんなこと言いませんから、や、ひっ……」
抵抗しようにも体格差が歴然としているので話にならない。
「んー……じゃあ、今日あそこであなたの水着を買って、明日にでも日高見海岸にでもいこうかしら」
「いいい嫌ではうっ」
何もできないまま、明日の予定まで決められてしまった。ここまでされて、なんで先輩を遠ざけようとしないのか、自分でも不思議ではある。惹きつけられているような、寧ろ遠ざけられるのを恐れているような気までする。何か魅力でもあるのだろうか――――こんなド変態な先輩でも。
七月下旬。海の日も過ぎて店内の様相もやれビーチボールだのスイカ割りだのといった弾けた雰囲気は姿を消しつつあり、代わりに夏祭り用の浴衣や花火大会の暗い色のポスターが人目に付く飾り付けがなされていた。半ば引きずられるように、私はそんなショッピングモールの中を歩いていた。アトムモールという名前らしい。外の熱気から解放されたのか、アイ先輩の動きは軽やかだった。……それにしても、こんな時期とはいえさっきからちらほら水着なんかを売っている店を見かけるけど、先輩はそれを全て無視して店の奥まで歩いているのが不思議だった。
「あのー、さっきの店じゃダメなんですか」
「ん、いや別に悪くはないんだけどね。今から行くところはエロ水着とかそんなのが取り揃えられてあってうってつけかなーって」
それを聞いた瞬間、私は全身全霊を振り絞って先輩の手を掴み返して逆に引きずるように引っ張って今来た方向を逆戻りするように歩き出した。
「あら、いやなの?」
「嫌ですよ‼」
さすがに先輩の命令でも申し訳程度に大事な部分のみを隠した水着を公衆の場では着たくない。
「ふーん? 私の言うこと」
「今度ばかりは絶対聞きませんからね?」
私の言葉に覇気でも感じたのか、先輩も苦笑いで引き下がった。
「仕方ないわねぇ。じゃああとでうちに戻って私の前で全裸になってくれるなら許してあげる」
「それも嫌です! なんでエロの方向に持っていくんですか毎回毎回!」
ずかずかと大股で先輩を引っ張っていく。途中まで気づかなかったけど、周囲の人たちからの注目を浴びていた。そんな中でさっき、全裸だとかエロだとかそんな話をしていたことを思い出して少し私の足に勢いがなくなったときには、別の水着売り場にたどり着いていた。
「ここでいいの?」
「変なもんチョイスしたら怒りますよ」
「心配しないの」
先輩はそういうと商品棚の中を見つくろい始めた。
「そうね……下半身は何も着なくていいのよね」
「私もう怒っていいですよね?」
「冗談よ。それにあなたが怒っても怖くないわよ」
今度は、背筋がぞくっとすることはなかったけどなぜか胸の鼓動が早くなった。
「分かってますよ」
なぜだろう。ときめいてるだなんてあまり思いたくない。
「あ、貝ブラと魚の尻尾なんてどうかしら」
「歩けないんですけど」
「つれないわねぇ」
先輩はそう言って、赤いマイクロビキニを手に取って眺めた。エロ漫画やネットのエロサイトでよく見るような、必要最低限までコストカットされているようなあれだ。本当に販売されているとは思わなかった。
「露出が多いのはいやです」
「ふぅん?」
そういうと、私の一番苦手な嗜虐的な笑みを浮かべて、その水着を私にあてがった。
「い、いやですってば!」
私は慌てて後ずさりした。
「……、そうね。希のあられもない姿を見ていいのは私だけよね」
そう唇を歪めながら言われても困るのだけど、あえて何も言い返さなかった。
「どういうのがいいの?」
先輩はさっきのマイクロビキニを商品棚に戻しながら言った。
「別に、特に希望はないですけど」
そもそも、私は先輩に強制的にここまで連れてこられたわけで、そもそも水着なんて買うつもりはなかったのに。なんて言う気にもなれないけれど。
それから数分かけて選び出したのは、黄色で花柄のビキニだった。布面積が大きくて露出も少ない。けど……。
「どう?」
「……似合いませんよ、こんな可愛い色合い」
なんというか、自分のイメージと真逆を行くような気がする。クール……とは思わないけど随分落ち着いた雰囲気と思っていた。商品棚の中には同じ柄の青の色違いもあるのに。
「ギャップ萌えよ。落ち着いた雰囲気の子がこんな可愛いもの着てたらたまらないでしょう?」
「変態」
「あら、これじゃ不満かしら?」
「もういいですよ。めんどくさいですし精算しちゃいましょう」
私は財布を取り出してレジに向かおうとしたけど、先輩に肩を掴まれた。
「あなたが好きなものでいいのよ」
……違うんだ、多分。私は自分の見た目なんてどうでもよくて、
「先輩が選んだものが一番いいんですよ」
それでも、こんな言葉でしか返せなかった。先輩は笑って一言「かわいいわね」とだけ言った。それが原因かはわからないけど、少し心が高ぶっていた。
レジに並んで財布を用意して先輩に尋ねた。
「それ、何円ですか?」
「ん? 待ってて……4200円ね」
「え」
私の財布の中には千円札が二枚しか入っていない。
「足りなかったかしら……」
「そですね。めんどくさいけど別の選んできま」そこまで言ったところで、私の言葉はアイ先輩に遮られた。
「いいわよ、足りない分は私が払うから」
「わ、悪いですよ」
「そんなことないわよ、元々ここに連れ出したのも私なんだから。プレゼントだと思って頂戴」
「で、でも……」
もちろん、あまりいい気にはなれなかった。単純に先輩に負担をかけたくはない、というのもあったけど。
「後で体を張ってお礼させられたり……しませんよね?」
「あら、それもいいわね」
「よくありません」
言わなきゃよかった。
「じゃあ明日、このお礼にこれを着て私に見せて。それでいいでしょう?」
「……元々そのつもりだったんでしょう」
「だから足りない分は私が払うわね」
なんだか、ずるいと感じた。
アトムモールから出ると、日差しと熱気が私たちを襲った。エアコンにあたっていたのも手伝ってか、暑さがつらく感じる。
「いきなり海に行こうなんて言われても、困りますよ」
「別にいいじゃない。来年は受験生だから私は海なんていけないし、再来年はあなたがそうなるのよ?」
「……」
先輩の言葉につい、押し黙ってしまった。
そうだ、これも今年だけで、次に行けるとしたら私が大学に入ったとき……そのときでも、アイ先輩との関係は続いているんだろうか。
「ほら、さっさと帰ってまたクーラーでもつけましょう」
アイ先輩は私の右手をとって歩きだした。
歩きながら、私はぼそりと呟いた。
「大学でも、一緒……ですよね」
「ん?」
「……」
心の中で、言いたいことがまとまるまでずっと黙っていた。歩道橋を超え、交差点の信号を待つ間もずっと。
マンションの五階の、先輩の家が見えるときになって、やっと言葉がしぼり出た。
「先輩」
「なぁに?」
「……いつか高校や、大学を卒業しても……そのあとも、ずっと一緒にいてくれますよね」
私は先輩の温かい左手を強く握った。優しい微笑みを、横顔に感じながら。
パソコンのキーボード君が「先輩」を間違って「せんあ」って打つたびに閃亜鉛鉱って出してくるから発狂しそう。その文字列はもう無機化学基礎で見飽きたから表示しなくていいんだよキーボード君。




