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21・渦巻く想い

先に言っておきます。ギャグ落ちです。

 調さんが泣き止むのに三十分ほどかかった。突然、奏がこの人を教室に連れてきたときは足元が涙でびしょびしょになるくらい泣いていたけど、今は時々嗚咽を漏らす程度に収まっている。

「大丈夫ですか?」

 机越しに調先輩と向いあって座っている。私は頬杖をついてこの人が泣くのをずっと見ていた。

「……うん」

 奏が貸したハンカチは水分が限界まで染み込んでいて、調さんの涙を拭き取るどころか雫がポタポタと垂れ落ちている。でももう、必要ないだろう。教室に私と奏しかいなくてよかった。他の人がいればきっと怪しげな視線を向けられていただろう。当の奏は数分前に職員室にプリントを出しに行ったっきり帰ってこない。私みたいなクズと違って優秀なあいつが先生に怒られるなんて考えにくいし、なにがあったか気にかかるけど、今はこの人の面倒が先だ。

「だいぶ落ち着いたみたいっすね。

 で、何かありました? 私でよかったら話聞きますよ」

 歯を出して私は笑う。

「いいよ、別に……そんな大したことじゃないし」

「ふーん……」

 まつ毛が長くて顔立ちも整っている。男女構わずモテそうだ。白い透き通った肌に涙の跡が映える。

「でもあんなにびょおびょお泣いてたじゃないっすか」

「う……」

「ひょっとしてー、千早さんとなんかあっちゃったり?」

「……」

 返事はない。ただ、明らかに表情が違う。当たりだ。

「まあ、そうだけど」

 調さんはそう言って目を伏せた。無造作に伸ばされた髪の毛が揺れる。喧嘩したのかどうか、そのへんは分からなかったけどあのヤンキー先輩とひと悶着あったんだろう。

「話して見てくださいよ」

「いいって、別に」

「大丈夫ですって。私が聞きたいだけっすから。口外もしませんよ」

 口角をあげる。調さんは少しためらうような素振りを見せてまた目を伏せた。

「いや、そんな口外されたくないってわけじゃ……」

 そのまま口をもごもごさせたかと思うと、予想だにしないことを口走った。

「あのさ……姫雪さんのこと、好き……なの?」

「へ?」

 とんでもない変化球で、変な声が出た。流石に調さんも言った直後にあたふたした。

「あ、いやそんなガサ入れしようってわけじゃないけどさ

 ただちょっと気になったから」

「……その好き、ってのがどういう意味合いかにもよりますね。まぁ恋愛的な意味で好きか嫌いかって聞かれたら彼女にしたいって思いますけど」

「え……」

「ちなみに、奏は私のことが好きみたいっすけどね。へへ、相思相愛、うらやましいっすか?」

「うるさい」

 おっと、まずいとこに触れたかな?

「さーせん」

「まぁ、いいけど……じゃあさ、姫雪さんと千早が付き合ってたりしたら……どうする?」

 んん?奏と、千早さんが? 付き合う?

「……ありえない、ですね」

 私はそう断言した。

「もしもの話だよ」

「そんな仮定自体がありえないっすよ」

 断言できたのは、私の中に確固たる自身があったからだ。どうしてかは分からないけれど、何年も前の遠い記憶がよみがえりそうな、そんな気がした。

「……」

「先輩、ひょっとして千早さんのこと……」

「な、何」

「すき、だったりします?」

「違う違う! ただちょっと気になるというかその……」

 明らかに視線が泳いでいた。そんなうろたえる様子を見せながら否定したって、うそのようにしか聞こえない。

 私は彼女を見つめた。視線があわない。

「せんぱーい、こっち見てくださいよ」調さんの目の前で手を振ってみた。「べつに、やましいことじゃないんすから」

「そうかな……私はやましいと思ってるけど」

「嫉妬くらい誰でもしますって。私も多分奏が別の人を好きになったらその人からあいつを奪い取るつもりでいましたから」

 こんなことを言っても響くことはないようで、少し軽蔑をこめたような目が私に突き刺さった。だが、軽蔑、というのは私の思い過ごしだったかもしれない。

「……違うよ、嫉妬が醜いんじゃないよ。私はただ……」

 それだけ言うと、彼女は少しうつむいた。凛々しい瞳が前髪に覆い隠された。目を隠されると少し困る。せめてこのまま黙っているんじゃなくて何かしゃべってくれないか。

「……が……て」

「ん?」

 何かしゃべってくれた、というより呟いた。と気づいた瞬間にもう一つ、また調さんの顔から雫が垂れ落ちたのにも気づいた。

「何も、私は何もしようとしないのに。……そ、それなのに、さ。あいつ(ちはや)に、私のことだけ見てろ、なんて、それが、やましいなって……そう思ってさ」

 涙と嗚咽が混じった大声をあげながら、彼女は目元をこする。

「さっきも、君と姫雪さんが付き合うなら、千早は大丈夫かななんてさ、そんなクズみたいなこと考えちゃってさ……」

「それくらい気にしませんって」

「それでも千早が姫雪さんのことを好きだっていうのは変わらない、のにさ……」

 人間の、一番奥深くを見たという気がした。

 またさっきみたいにぼろぼろと涙をこぼす彼女の頭をなでることしか私はできなかった。慰めようにも言葉が見つからない。どうすればいいんだろう?

 要は、千早さんと彼女が両想いになればいい、のだろうか。

 ……いやいや、まずは気持ちに整理をつけさせないと。とはいえ、何を言えばいいのか分からないまま時間ばかりすぎていく。気が付けば、彼女が再び泣き止んだころには完全下校時間まであと一時間を切っていた。まずいなあ、明後日は追試だというのに。

 少し焦っていると、今度は調さんの方から話しかけてきた。

「あの、さ……」

「なんでしょう?」

「さっき、姫雪さんが他の人と付き合うことに『ありえない』って言ってたよね」

「そっすね」

「どうして?」

 こう聞かれても、明確な答えはわからない。

「あっはは、どうしてでしょ。

 まあ、しいて言うなら……信じてるから、かな」

「信じてる……って」

「だって、幼稚園のころからずっと一緒にいましたもん。奏は一回引っ越していきましたけど」

 そうだ、今の今まで考えやしなかったけど、調さんと千早さんは双子じゃなかったっけ。

「絶対離れやしないって、例え他の人になびいても、お互い離れあうことはないって思えるんです」

 私は、彼女の瞳をまっすぐに見据えた。調さんは気まずそうに眼を伏せた。十字架を背負った罪人のように。

「……うらやましい、な。私なんて幼稚園どころか生まれる前から一緒にいるのにさ、いまだに信じられないから」

「信じてますよ」

「え?」

「私も何もわからないっすけど。多分先輩も、千早さんだって信じてると思いますよ。

 今まで、二人で同じものをたくさん見てきたんじゃないんですか。先輩が千早さんのことを大事に思っているんだったら、その重みは絶対他の誰にも敵いませんから」

 私と彼女の間に沈黙が流れた。私はこれ以外に何も言うことはない。彼女は、私の言葉をずっと耳の奥で反芻しているようだった。

「……ありがとう」

 調さんはほほ笑んで、席を立った。

「少しすっきりしたからこの辺でお暇するよ」

「またいつでも来ていいっすよ」

 彼女は鞄を持って席を立った。

「できればこんな野暮用で来たくはないな」

 こっちを振り向いて手をひらひらと振りながら教室の扉を開いた。その瞬間、彼女は向うを向いて立ち止まった

「おっと」

「ひゃっ」

 声だけだったけど、奏が帰ってきたらしいことはわかった。

「ごめんな、お邪魔したね」

 調さんは退いて奏を教室の中に入れると、そそくさと立ち去った。

「あれ、もういいの?」

 私のところに歩いてきながら奏はそう言った。

「いいんじゃね。多分。ってか奏はどこいってたの?」

「私? ごめん先生に頼まれて書類の整理してた」

「そっか。じゃあそろそろ帰るかぁ」

「追試」

 腰をあげかけた私の動きを、奏が止めた。

「いやー、ちょっと今日はさ……ほら、そろそろ下校時刻じゃん?」

「やかましいバカ。三教科も欠るとかほんとにありえないから」

「いやー今回はさ、ちょーっとだけ調子が悪くて」

 テスト一日目、二日目、三日目、全部前日にゲームしてたから正直結果はあまり奮ってない。とか言ったら多分殴られるんだろう。

「いや数学と物理欠るのはまだいいけど日本史はまじでありえないからね!? 最近ほんとうにバカになってきてない!?」

「大丈夫だって、前日にゲームしてただけだから痛っ」

 殴られました。

「あんた本当にこの学校で偏差値50なのかどうか心配になってきたわ。ほら勉強しろ」

「帰りたい」

「勉強しろ」

「帰り」

「勉強」

 このところずっと学校に居残っているためか、金色の教室が見慣れたものになってきた。夕陽に照らされた奏の顔も、綺麗で、ずっと見つめていても飽きないんだろう。そして、教科書を読む彼女の長い睫を見ながら私はこう思った。

 帰りたいです。


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