13・青嵐フェスティバルⅣ
次か次の次くらいで文化祭編終わらせたいです。
明音には本当に感謝してる。ありがとう。
夕暮れが差してくる教室で奏はそう言おうとしたが、改まったのが恥ずかしくなって口をつぐんだ。代わりに、礼を言われるはずだった明音がやかましく騒ぎたてていた。
「なあ、明日っていつも通りの時間だったよな?」
「うん。八時半ね」
望と明音はそれぞれ、二日目の準備をしている。明日は教室内の様相を作り替える。そのため、一旦全ての段ボールを撤収する運びとなったが、窓につけられた段ボールはそのままでもなんら無問題でそれに気付いた委員長は頭を抱えていた。
因みにこの作業、明音が段ボールを紛失していなければ必要なかったらしい。奏は明音を責めようと思って、それが出来なかった。望はガムテープを持って教室に再搬入された段ボールを固定していた。
「で、私らは明日完全フリーなんだよな」
「うん。二人でどっか回ろうか」珍しく柔和な態度の奏。
「おっとデートの誘い?」
「……」しかし、明音はその態度を即座に崩してみせた。
「アンタ以上のお調子者見たことないわ」
「誉めてんじゃねーよ」
「誉めてないから」
内心仲良く談笑している二人に、三輪崎が気まずそうに話しかけた。
「あ、あのー……」
「ん?」
答えたのは奏で、三輪崎は小動物のような姿勢で続けた。
「これ、窓に貼り付けてもらえますか?」
そう言って差し出されたのは段ボール十数枚。二人は二つ返事で窓に段ボールをあてがい始めた。周囲では自分の仕事を終えて暇になった人間が笑いあっていた。
「なー、奏」
「何?」
「三輪崎ってさ、結構可愛いよな」
とたんに奏の口調が鋭くなった。
「馬鹿、死ね屑。歩く性犯罪者。少子高齢化に貢献でもしてろ」
「今の発言にそこまで言われる要素あんの!? 後この世の性犯罪者の殆どは歩いてるだろ!」
「うっさい。いいから作業に集中してろ」
明音は少し黙りこんだ。そして、窓枠に飛び乗りガムテープを貼り付けながら、
「いやー、それにしてもさ、奏も可愛いよなー」
「……うるさい」
「お、照れてる? 照れてる? あーやっぱ可愛いなー」
「う、うるさい!」
奏は叫びながらガムテープの切れ端を明音に渡した。
「赤くなった顔も可愛いわー、ほんと弄り甲斐があっすんません嘘です今の全部嘘です嘘だからパンツ下ろすのはやめろ性犯罪者とかてめー人のこと言えんのかおい」
明音は珍しく焦って腰のあたりを抑えていた。奏は仕方なく彼女のパンツを手放し、頬に手を当てた。当人にとっては性的な意味はなく、顔が火照っているのをどうにかするためだが、傍から見たノゾミは行ってはいけない方向に奏が進んでいるようにしか見えず茫然としていた。
「……あのさ」
奏は、よく落ちなかったなと内心明音を褒めながら切りだそうとして、
「ん、どーした?」
「……いい。やっぱりなんでもないよ」恥ずかしさが先行して何も言えなかった。
「えーなんだよ。変なやつ」
「あの、線原さん……」
そんな二人のやりとりを見守っていた望は、三輪崎から声をかけられてようやく我に帰った。
「な、何?」
平然を取り繕おうとし、声が裏返った。相手は今どう思って、いるやら。
「カッターどこにあるか分かる?」
「そ、それなら教室の上の本棚の斜め後ろっ」
三輪崎は恐らく望の言っていることを理解できていなかったが、望は言うが早いか後ろを向いてそっぽを向いて、聞き直せそうになかった。
……あんな風に、なれるだろうか。
誰と、とは言う必要もないが。保証はないが、可能性もゼロではないので、心配するのも野暮だろう。望は自分の作業を続けようとした。
そんな折、奏たちの方をまた向いてしまった。最早それが癖になっているも同然なので仕方ないが、運が悪かった。奏が、明音のスカートに手を入れ、抜いた後にその手を頬に当てていた。偶然、見ているのは望だけだったので安心だが彼女だけが安心しきれなかった。虹彩が小さくなり口が開きっぱなしになった。
「ね、ねえ線原さん……」
三輪崎が呼んだが今度は返事が帰って来なかった。
二日目。望は文化祭が始まるなり教室から出ていった。奏は呼び止めようとして、早速姿を見失った。
「行っちゃった……」
「後で探すか。それより腹減った」
と明音は、奏を屋台が並ぶ屋外へ引っ張っていった。奏は一人で行けと言おうとして、鼻をさす焼きそばの匂いに耐えきられなかった。昇降口を出ると、熱気と活気とものが焼ける臭いと音とが飛んできた。梅雨開けの雨の匂いの残滓が残っていた。
「何食う?」
「私は別に何でも……」
「分かった焼きそばな」
「何で分かったの!?」
視線が屋台の方に向いているとは気付きもせず、仕方なく明音のテンションに振り回されながら焼きそばを求めにいく奏であった。
「そーいえばさー」
奏は歩きながら明音に呼びかけた。昨日のことがどうしても気にかかる。
「ん、どした?」
食べ物を前に逸っていた明音はこれまた歩きながら振り返った。前に出ていた右足を、踏み出した左足が踏んづけ、明音のバランスが大きく崩れた。彼女は奏の手を放さなかったので、奏は強く引っ張られ、顔が明音の胸に当たった。というよりは、埋まりこんだというのが正しいのだろう。
「おっとごめん」
明音はさほど気にした様子もなく奏を引きはがそうとしたが、奏の方から距離をとられた。
「おいおい、そんな顔赤くして離れるこたないじゃん」
「う、うっせえ痴漢魔!」奏は大声を上げ、周囲の人からいぶかられたのに気付いて更に顔を火照らせた。朦朧する視界に、千早がこっちを見て歩いてきたのが映った。
「いやそれお前だから。ほらとっとと行こあっ、神垣さんちーっす」
柔らかく温かい感覚が顔に残っていることもさること、明音が気にしてないのが自分を馬鹿にしているからのようで、明音を蹴ろうとしていたが、彼女の殺意は千早に向いた。
「よっ。真っ昼間から授乳ごっこかな?」
「いや違いますよそんなんじゃだからそんなんじゃねーから数日飯食ってない野獣みたいな声出すなって」
「ちょっと、怖いって姫雪ちゃん!」
奏の腕は明音がしっかり押さえている。それでも彼女は飛び出しそうになる。
「ごめんごめん、嘘だって」千早は苦笑をうかべながら後退りし、奏はその言葉を聞いてようやくおさまった。もちろん、表情その他諸々は言わずもがなである。
「……変態しかいないや」
「そんな怒るなって」
明音が彼女を励ますところを微笑ましそうに見ているところを千早は見ていて、また唐突に言いだした。
「いいなあ、仲よくて……じゃ、この辺で、よかったらうちのクラスも来てねー」爽やかに言って校内に引っ込んだのを見て、明音は焼きそばの屋台へ奏を引っ張っていった。
「ええい引っ張るなはしたない!」
「意識しすぎだろ」
数十秒前のことがまだ目に焼き付いて、奏は四の五のしていたがしぶしぶついていくことにした。明音はそれぞれの屋台に流れるように飛び付いて、彼女の財布事情を少し心配する奏であった。ベンチに腰掛けてトウモロコシを頬張りながら明音が撒き散らす空のコップやトレイをまとめていた。
「あー、数日分食ったわ」「捨ててこい」「ウィッス」
紙パックのジュースを吸いながら廃棄物を明音の膝に置いた。
彼女がゴミを抱えているのを見て、数人が振り返った。百七十センチの巨大な女が両手いっぱいに可燃ごみを抱えているのだから、そんな反応も無理も無いのだろう。
そんな後ろ姿がいつまでも視界から消えなかった。自分が消せなかっただけの結果だといえばそれまでかもしれないが。
「覚えちゃいるんだけどなあ……」
ぼそっと呟いた後、何を思ったか、ポケットからゴムを取り出し、髪を束ねてみた。彼女の髪はストレートのセミロングで、後で束ねると明音とそっくりになる。数年かぶりで、慣れないテールを弄っていた。
明音は帰ってくるなりそんな彼女を見つけた。首をかしげて言うには
「……私の真似しても何も伸びないしどこも膨らんだりしねーぞ?」
その瞬間、弾けたように奏は飛び出し、明音はそれより速くすたこらさっさと逃げるのだった。道行く人々をかわしながら、校舎内に入った明音を追いかけるが十数秒で息が切れて膝をついた。




