不可思議
医師は春菜が錯乱していると思ったらしい。
てっきり鏡を持ってきてくれるように
耳打ちしたのだと思ったが、言われた看護師は鏡の代わりに
様々な医療器具の乗ったカートを押して病室に戻ってきた。
医師は手際良くカート上のいくつかの
器具を選ぶと、看護師になぜか体を押さえつけられた
春菜の腕にプスリと注射針をさした。
おそらく鎮静剤だったのだと思われる。
段々意識がふわふわして、体の強張りも解けていく。
その感覚に身を委ねるように、春菜はいつのまにか深い眠りに落ちていた。
目を覚せば、もう既に病室の窓から僅かに夕日が
差し込むような時間帯となっている。
一体何時間寝ていたのだろう・・・。
若干ぼー、とする頭で意識を失う前の事を
ゆっくりと思い出していく。
医師が理不尽な行動に出た辺りの事は
思い出しただけでも腹が立つので、意識的に
その辺の記憶は隅に置いておくとして。
そう、眠る前春菜は鏡が見たいと言っていた筈だ。
冷静に今の自分の状況を知りたいと思ったから。
事故後初めて目を覚ました日、まだ体の自由がきかなかった
春菜はトイレをベッドの上ですませるしかなかった。
その時補助してくれた看護師は、この病室を出て
すぐの所にトイレがあると言っていた。
トイレになら鏡もあるし、体力もそれぐらいの距離なら
自分で歩いて行けるくらいには回復している。
実際にはベッドからおりた時、若干体重を
支えきれずに足元がふらついたけれど・・・。
それでも数歩ゆっくり歩いて、なんとか
壁に手をついてなら歩行できる事も分かった。
・・・廊下には誰もいない。
あまり人気がないのも返って不気味だ。
ここは隔離病棟なのだろうか。
医師の口振りから言っても、当時の自分が
そこまで重体だったとは思えないのだが。
同時に、春菜の病室が個人用にしてはいささか
広過ぎる様だという事も気になっている。
同室者もいないし、入院費用は一体いくらになるのだろう?
看護師の言っていた通り、トイレは病室を出た目と鼻の先にあった。
トイレの入り口から中を窺って見るも
やはり誰かがいる様な気配はない。
時間帯の問題もあるのだろうか?
そしてトイレ入り口右手の壁に、春菜の
思惑通りに鏡が並んで2枚。
やや緊張の面持ちでその前まで進み出る。
・・・・・・・・いや、心のどこかで何となく予想はしていたけれど。
鏡にうつし出された姿はやはり春菜ではない別人のものだった。