バタリアン
朝だった。
数十メートルにも及ぶ、塔の壁面にはめ殺しにされた強化窓から光が射し込む。オツ区は下層階級の空に立ち込めるスモッグより高度が上なので爽やかな青空が広がっていた。ステイシーは眩しさに目を細める。
運転尸が操る車が通ると、巨大な門が外界と遮断するように大きな音を立てて閉じた。
「それで、どういうことですの?」
老齢の執事ルチオは答えずに先に車から降り、後部座席のドアを開けた。
ステイシーはオツ区の自宅に足を降ろす。白壁の豪邸が立ち並ぶ住宅街の一角、ひときわ大きな敷地内には巨大なプールや神経質なまでに剪定された植え込みがある。庭の半分を占める、迷路のように作られた花壇には白い花が咲き乱れていた。
不意に記憶が蘇った。
色々な種類の花を勝手に植えようとして叱られたこと。
「一種類にしておきなさい。過多な種類は美しさを損ねる。余計なものは必要ない。これは預かっておくからね」
そう優しく言われ、持っていた種は取りあげられてしまった。
――誰に? 父親だろうか?
逆光に佇むその姿はよくわからない。取られた種は後日、ゴミ箱に捨てられていた。怒られるのが嫌で拾うことができなかった。ステイシーは後日、ゴミ箱の中身がダストシュート管にぶちまけられるのを遠目に眺めていただけだった。
懐かしさを覚えながら玄関を抜け、テーブルについた。メイドの尸用人がおぼつかない足取りで紅茶とスコーン、ブルーベリージャムを持ってきた。
「こちらは合成物ではなく全てヘイ区で栽培された、汚染のないもので出来ておりますので安心してお召し上がりください」
無表情に客用の台詞が語られた。食物はいらない、というよりむしろ良くない。ハガーは延髄からの電気刺激により身体の筋肉などを動かしているが、消化する器官まで動かしてくれないのだ。
「いらないわ。そのまま下げて頂戴」
「はい」
メイドはやぶにらみの瞳で礼をして去って行った。
そういえば自分もつい昨日までメイドだったのだと思う。今着ているライミの服はあまり品が良いとは言えなかったが、それでも馴染んでいた。尸に名前を与えることなどあり得ない。この女尸にも名前は無い。しかし、私にはある。
二つも。
違いはそれだけだろうか。
「お嬢様がお亡くなりになって、はや三十年」
ルチオが隣に立っていた。
「御遺体が誘拐されてからは更に十年。奇跡は喜ばしいのですが、私も老眼鏡をかけるようになりました」
しみじみと話すその顔には深い皺が刻まれ、積年の苦労がしのばれた。ステイシーより少し年上というくらいだったルチオの変化から自分が何歳か数秒考えたが、今となっては年齢など意味をなさないことに気づく。
「座って、ルチオ」
恭しく礼をして老執事は席についた。
「それで、ライミはどうなったの」
「安心してください。ひとまずあの娘は死ぬことはまずありませんとも。ロメロをおびき出すために使われるでしょうから」
ロメロは教会警察に狙われている。当然のことだったがステイシーは忘れていた。ライミの憧れの交じった話を聞いて、どこか無意識にロメロは黙認されているというかーー明るみに出ず捕まることもない超越的な者だと思っていた。
「お嬢様もテイ区の惨状をご覧になったでしょう。あれはロメロが行ったテロ行為の結果なのです。奴は既存のハガーのプログラムを書き換えるパッチの入ったチップ――「大隊」と表面に銘打たれていますーーを作り、自作のハガーとともにテイ区に大量にばら撒いたのです。ハガーを刺された尸は暴走し、凶暴化します。更にバタリアンによって変化したその尸は、チップ入りのハガーを使って仲間を増やします。自己増殖する尸のプログラムなど前代未聞ですが……実際にそこにあり、そして或いは尸科技工士の間で伝説的な扱いをされているロメロならば可能であると結論が出ました。教会警察は血眼で探していたのです」
ロメロ。ステイシーを愛して復活させた者。やはりライミから聞いていた通りに相当な人物らしかった。
「そうやって妹を餌にして……ロメロを見つけたとして、あの二人は殺されるのかしらそれとも」
「お嬢様、もうお休みください。一説には誘拐された者は過度の緊張と誘拐犯との長い接触の結果、好意を抱くことがあるようです。このロメロ、下層の者と友人だ、などというのはお嬢様がお疲れのせいだと信じておりますから」
ステイシーは自室に通された。三面鏡の前には色褪せた母親の写真が飾られている。好きだった絵本。視界に入る全てのものに思い出があり、胸の奥がざわめいた。
信仰についての本も置かれている。
ぱらぱらと捲ると、死んでいる自分には全く価値はないのだということを繰り返し言われているようですぐに閉じる。実際にそんな身になってみなければわからないことは、世の中には多く存在する。
隣の間へ行くと、天蓋付きのベッドに先程のメイドがシーツを張っていた。
「もういいわ。自分でやるから」
かくん、と頭を落っことしそうな勢いで頷いた。
「はい」
美しい柔肌の、新鮮な女の死骸を使ったメイド。ひょこひょこと去って行く後ろ姿を見送り、指先で自分の腕を撫でてみる。弾力がなく乾燥した肌。斑に紫の入った皮膚。
自分はどうなれば本当に死ぬのだろうか。
――首に刺さっているハガーを抜いた時だろうか? しかしライミの話では一度抜けてからまた復活したという。そうしてもう一度復活したとして、それは「ステイシー」なのだろうか? 「イヴ・カメリア」なのだろうか? そもそも、イヴ・カメリアは何故自らハガーを引き抜いたのか? 更に言えば、四十年前に何故私は死んだのだろうか?
「記憶がはっきりしないわ……」
ルチオ、ライミ、ロメロに尋ねなければならなかった。ルチオはいいとしても、早くしなければ兄妹は殺されてしまう。何よりも――そうだ、友達と呼んでしまったのだ。
咄嗟に。
顔が赤くなる。ような気がしたが、死体だったのでそんなことはなかった。
ライミやロメロが自分にとってどういう存在か、ステイシーはいまだ決めかねている。
「何にしろ死んでいいということはないはずだわ。無意識の底で眠るイヴ・カメリアにとってもね」
部屋を出ようとして、ドアの外にまだメイドが立っているのに気づく。
「ちょっと、部屋にお花を生けたいの。花瓶と、庭から花を取ってきてくれないかしら」
メイドは無言で廊下をヨタヨタと歩いていく。ステイシーは一目散に逆方向に走り出した。おぼろげな記憶を頼りにダストシュート管を目指す。
「ルチオに見つからないようにしないと……」
息を殺して、男尸執事が通り過ぎるのをやり過ごす。不審な動きをしていたら報告するように言われているかもしれなかった。
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