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スウィート・タイム・リプレイ

 無知=罪。

 不細工な顔を更に歪ませながら喚きたててくる赤服の男を見ていると、脳裏にふとそんな図式が過ぎった。昔拾った本に書かれていた「無知の知」で有名な哲学者ならば否定するに違いなかった。


〈私は知らないということを知っている〉


 誰だって初めは何も知らないのだし、ものを知らないということさえ分かっていない者よりマシであると。そう言って胸を張り、知らないということに恥じ入ることさえない頭がハッピーな者達。


「聞いてんのかッ!」


 赤服の男は暗がりに立つ彼に、懐から出したベレッタを向けた。

 しかし彼は動じることなく目を閉じて思慮を続ける。


 ーー全く古今東西、哲学者は言い訳だけが上手い阿呆ばかりだ。


「おい、無視をやめろ」


 勿論、環境的に知ることを許されない者だっている。下層に住む人々には、上層が行っている政治や宗教などというものは伝わってこない。上層民が上層民のために行う政治などには一片の興味もない。けれど影響は確実に下層に及ぶ。


「おいこら、お前はどこの階層の者だ」


 逆に、上層の人々が管理の緩い下層について知っていることも少ない。(カバネ)を安く手に入れられること程度にしか興味がない。何故安いのかについても考えない。ボ区やキ区の者が野垂れ死んだところで――誰も困らない。むしろ死んで尸になってくれた方が「人」の役に立つというものだ。

 そんなこの高層建築塔が平和だと言う輩がいる。グダグダの現状に慣れ切って漠然と未来が――明日がやってくると思っている。

 平和なのはお前らのトリ頭だけだ。ボ区やキ区にさえそんな者がいる。日常的な痛みに神経が麻痺し、痛みとは何かを知ることができない。あげくこの世界を現状維持することに無意識に加担している。

 うんざりだ。

 彼は自分の手の平に向けて息を吐いた。生きているーーその熱量を確かめるように。


「出てきて答えろ」


 銃口が向いている。暗闇に溶け込んだ彼は輪郭がわからない。彼はようやく面倒くさげに動きだした。


「うんざりだよ、君がせめて女の子だったらなあ。ヤったりヤられたり、関係性を築くことにポジティブになれたのに。それだけで僕はハピネス上々だったのに」


 蛍光灯の光を浴びて彼の全身が見えた時、赤服の男の額に汗が噴き出した。自分が関わってはいけないものと対峙していることを悟る。明らかな異質。

 一目では布の塊にしか見えない。無理矢理に三重のコートを締め上げるベルト。少しだけ出ている足には青いブーツを履いている。

 フードの下には女の顔の皮をなめしたマスクをかぶっていた。マスクにはファンデーションからマスカラ、口紅に至るまで不気味なほど丁寧に化粧が施されていた。

 床に引きずるように、左手には白い骨を持っていた。人骨のうち、最も太い部位ーー大腿骨である。

 赤服の男には彼の性別どころか、どういう存在かもよく理解できなかった。恐怖に身体が竦む。シャツが蒸すような不快な汗が出る。


「……お前は……?」

「つくづく、無知は罪だね。見てわからない? 僕は人間に決まっているじゃないか」


 コツコツと靴底の小気味良い音を立てて近づく。動けない男の手からベレッタをそっと優しく抜き取る。右手に持ち、その重みに感心した様子で軽く振る。


「あ。僕が誰かってことかな」


 左手と右肩で自分の両耳を塞いでから引き金を引く。


「ちょっと失礼するよ」


 二度閃光が走り、男の叫び声が響いた。男は撃ち抜かれた両膝を抱えてのたうちまわっていた。


「自分のことを誰もが知っている、なんて傲慢な態度は恥だよね。まるで我儘勝手なお姫様みたいだからね。名乗るよ。僕はロメロだ。他に何か欲しいな。ロメロ・ザ・ジャイアント?」


 ベレッタをちゃっかりポケットにしまうと、男の顔めがけて太い骨を振り下ろす。重さに任せて。

 ギャッ。

 男はおかしな声を出し、脚がビクンと跳ねた。


「プロレスラーかっての。大昔にはそんな名前の奴がいたみたいだ。でもやっぱり何だか野暮ったいと思わない?」


 鼻の潰れた男はふがふが助けを求めているが、鼻血のせいで何を言っているのかわからない。


「もっとハッキリ話しなよ。ホントにさ、誰かに何かを伝える能力は大事だって、よく君達教会警察や上層の人達が言ってるじゃないか」


 もう一度振り下ろす。うまく当たらずに耳を潰した。男はまた悲鳴をあげた。


「うるさいな。ハッキリ話してよ。話せないなら死になよ」

「ちょ、ちょっと待てッ! こんなところで死ぬのは嫌だッ!」


 男は腰と手で床を後ずさりながら叫ぶ。ロメロはマスクの下でニッコリと微笑んだ。口の端はまるで三日月のように鋭角的に持ち上がった。


「君は今まで実に真面目に――ここオツ区にやってきた下層の人々を取り締まってきたんだよね? そしてそれを最も新鮮な死体(フレッシュミート)として下層の安い料金の尸科技工士(しかぎこうし)に回す。上司にはオツ区の尸科技工士に頼んだことにして、その差額をピンハネしてポッケに。それでうまくやってきた。僕もそれで仕事を回してもらってたこともある。WinーWinの関係だ。それはもう全く正しくて悪くない。でも君は知らなかった。取り締まる相手によっては、銃だってうまく使えなかったり容赦なく骨で殴り殺されたりすることもあるってことを。何か後ろめたい人間は無意識に断罪されることを望み、いざという時に体がすぐに動かなくなることを。知らなかったことが君の罪だよ」

「なんでも話すからーーギャ!」


 とうとう男の頭にクリーンヒットした。パックリと頭蓋が割れ、薄桃色の豆腐のようなものが見えた。


「ありがとう。でもその気持ちだけ受け取っておくよ。嘘を吐かれるのもアレだし、君の脳みそから直接引き出すことにするからね」


 ロメロは先程からポケットの中で微調整していたハガーを取り出し、男の延髄に向けて突き刺した。男の身体が釣り上げられた魚のようにびくんびくんと痙攣した。

 剥き出しの脳にいくつかの針を刺し、そこから伸びたコードを手持ちのディスプレイに繋いだ。

 ロメロが開発した自慢の装置「走馬燈(スウィートタイムリプレイ)」である。

 言語体系が同じなら、それに関する情報を記憶の海から検索して視覚映像としてディスプレイに表示できる。脳に直接針を刺さなければならない上に、対象が死んでしまうのが欠点ではあったが、ロメロはそこも走馬燈らしくて案外いいなと思っている。


「オバノン」


 ロメロが呟くと、手の平サイズのディスプレイに赤服が見た「オバノン」に関する記憶が表示される。バケツの水面に絵の具を垂らしたようなマーブル模様が徐々に風景を形作っていった。

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