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ミートマーケット

 最上層の(コウ)区から、御都(オツ)区、(ヘイ)区、(テイ)区、()区――そして最下層の()区。

 人々はそれぞれ生まれた層とそれより下層へは自由に行き来できるが、逆に上層へ行くことは原則できないようにされ、禁止されている。

 しかし気づけば部屋を飛ぶ羽虫のように――どこからか人々は行き来していて、時々捕まる人間がいる。

 オツ区の教会警察(きょうかいけいさつ)はそうした者たちを探して各地を厳しく取り締まっており、彼らに見つかると市場にすら出回ることなく「最も新鮮な死体(フレッシュマン)」として尸科技工士(しかぎこうし)に回される。

 その仕事は通常、教会警察からオツ区の尸科技工士に頼まれる。そこへどんなコネクションがあったかは計り知れないが、ライミは兄がその仕事を裏で回してもらい、幾つかこなしていたことを覚えている。やたらと払いの良い簡単な仕事だと言っていた。

 ロメロの作尸(さくし)の特徴として、彼は個々の死体に合わせて制御装置(ハガー)を調整・製作していた。ヒトは(カバネ)となった後もよく使っていた筋肉、使わなかった筋肉など生前の癖は残ってしまう。筋肉内に発生する動物電気は生前の癖の通りに動かすことで滞りなく流れ、即ち動きの滑らかな尸を作ることができる。ならばそれを見越したハガーを作ることが良質な尸を生み出すことに繋がる。彼は死体と対話するように観察し、筋肉の微妙な張り具合や骨の形から生前の癖を見抜いていた。完成するのは、限りなく生前に近い滑らかな動きをする尸だった。

 そんな労力のいらない楽で美味しい仕事。下層民には嫌われる仕事が「最も新鮮な死体」である。

 死体となる前に連絡を貰い牢獄へ赴き、まだ生きている「素材」の様子をチェックする。必要ならば会話も行い、身体の隅々まで触る。その後、教会警察が外傷のないように処刑してすぐに回してくる。ロメロは、最も新鮮な死体を使うことができるこの仕事は楽勝だと言っていた。

 彼は新鮮な女の死体だと特に上機嫌となり、口笛を吹きながらハガーを刺し、噴き出した血をシャワーのように浴びながら笑っていることも多々あった。

 そんな兄をもってしても「明日は我が身だけどね」とこぼしたのがライミの記憶に残っている。


★★★★


「警察沙汰は面倒だな……」


 ライミは今、踏みしめるようにダストシュート管を上っていた。久しぶりに来た管内は、暗闇を果てしなく感じていた昔ほど恐ろしくはない。

 遥か上を行くイヴ・カメリアは何かに憑かれたとしか思えないほどの躁状態である。まるで息を吸って吐くことが快楽だとでもいうように。口笛まじりにこの世の全てを楽しんでいる様子である。


「見てみて! 都市伝説かと思っていたのだけれど、こういうものって本当に存在するのねえ!」


 落ちていたポルノ雑誌を指先で摘んで拾い上げ、懐中電灯の先で数ページ繰って排水に投げ捨てる。壁に張り付いたゴキブリの集団や太ったネズミが微かに動いた。

 振り返ったカメリアは疲労困憊のライミを見て不機嫌そうに告げる。


「早くしないと置いていきますわよ」


 ライミが顔を上げると、ヘルメットに付けたライトが染みだらけのスカートやブーツを照らし出した。


「はいはい……」


 腐敗したゴミを蹴飛ばしながら進む。どうしてこうなったのか考えてみるが、まだ頭が混乱していた。


★★★★


「薄汚れてますけれど、こんな安っぽい服も可愛いらしくて素敵ですわね」


 再起動したイヴ・カメリアはエプロンドレスのフリルを指先で摘むと、その場で軽く舞ってみせた。金髪が軌跡を残してふわりと開き、数多の蠅が舞う。それからスカートを持ち上げて会釈をした。


「御機嫌よう。ここはどこ? 貴方は誰?」

「じっとしてて」


 ライミは無言でカメリアのハガーを確認した。一部を開いて調べてみたが、兄ならではの曲がりくねった妙な部品と不可解な組み方でよくわからない。下手に弄れば二度と起動できなくなる可能性が大きかった。

 頭をガサガサと掻いてため息を吐く。


「で……何だって?」


 カメリアはムッとした。


「殿方から名乗るものでしょう」

「私は女ですが」


 カメリアは目を丸くした。上から下までたっぷりと時間をかけてライミのツナギ姿を不躾(ぶしつけ)に見回し、ひとり何度も頷いた。


「なるほど。わたくしは――ええと? オツ区の――オツ区の。あれ。思い出せませんわ。記憶喪失かしらそれとも」

「オツ区? ここはボ区だよ。頭がおイカレになったのかしらそれとも」


 ライミは口調を真似て皮肉ったが、すぐさま足を踏まれる。


「先程の涙が消えたようで結構ですわね」

「泣いてない!」


 カメリアは相手の心を見透かそうとしているように、顔を近づけて凝視する。ライミは鈍く鼻にまとわりついてくる腐臭に顔をしかめた。


「わたくしはどうなったのですか。知っていることをお話しなさい」


 ライミはカメリアの圧倒的な態度に押され、ことの経緯を一から話してやった。


「テイ区の博物庭園に展示されて……そうですか。わたくしは高い身分の死体のようですわね」


 じゃなきゃその口調は何なんだよ。ライミはそう言いかけたが黙っていた。


「そして、記憶を失っているのはどうやら貴女に脳の一部を破壊されたからだと推察できますわね……となると、貴女は私の記憶を探る手助けをせねばならないことは明白」


 胸の前で小さく手を叩き、カメリアは歩き出す。


「では今からテイ区へ参りましょう。こんな犬小屋では貴女も息苦しいでしょうし」

「小屋じゃない。私のウチ!」


 彼女は話を聞かずに、勝手にライミのブーツを履いて微笑みを浮かべた。


「そうそう。聞きそびれていましたけれど、お名前は」


★★★★


 ゴミ捨て場から這い出てテイ区、博物庭園に着く。そこは変わり果て以前の風景は全くなかった。至る所へバリケードが作られ中心部へ入ることができない。


「困ったな……」


 (うずたか)く積まれたガラクタを前に悩むライミだったが、不意にその肩にブーツが乗った。カメリアはそこから跳躍してバリケードの頂上付近に取り付いた。


「ちょっと人を踏み台にしといて、何か一言あるでしょ」


 ライミが下から怒鳴るが、無視する。


「わ。尸達がお互いに喰い合ってますわ」


博物庭園は暴走した尸達により混沌と化していた。尸自身がハガーを持ってお互いの首筋を狙っていた。お互いの肉体を喰い合っていた。比較的新しい死体は服装から教会警察だとわかる。止めようとして巻き込まれたのだろう。

ライミは眉間にしわを寄せた。


「テイ区は改装で一時的に立入禁止になってるって聞いてたんだけど」

「公営放送が出処ならば、コウ区が各層に手配して隠しているのかしらそれとも。でも何故……?」


 カメリアの手を借りて、ライミもそっとバリケードを越える。触れた手はぬるりと蛇のような冷たさである。尸に見つかればそのまま喰われるかハガーを刺されて彼らの仲間に加わるか、である。

 二人はかつての兄妹のように茂みを縫って進んだ。トンネルまでやってきた時、先行していたライミが、千切れて転がっていた女尸(じょし)の右脚に(つまず)いた。


「わっ!」


 周囲の尸たちが一斉に振り向く。ほぼ同時に、カメリアが慌てて彼女の口を塞いで茂みへと引き倒した。陰から辺りに目を走らせる。金髪がライミの手に絡む。

 すぐに腹の出た男尸(だんし)が一体、足を引きずってノソノソやってきた。バリケードの一部だったのだろう、モップを引きずっている。その先からは肉片と血が滴る。低く呻きながら傍の茂みを凝視する。

 光の無い瞳でジッと。

 ガサ。

 微かに揺れた箇所へモップを突き刺す。無言で執拗に引き抜いては突き続けた後、茂みを掻き分けて覗いた。そこに――女尸の右脚を見つけ、むしゃぶりついた。

 ライミ達は「エサ」に男尸が夢中になっている隙にトンネルへと入った。そこには何もなかった。水槽もプレートもない。


「片付けられちゃったのかな」


 ライミは兄がやったことを思い出していた。ここに展示されていた上層民の死体は片っ端から保存装置の電源を止めていったが、全てをカメリアのように尸にしたわけではない。

 恐らくそれらは美しさや価値が損なわれたことで「廃棄」されてしまったのだ。とはいえ、十年ほど前のことである。何故新しい「展示物」が運び込まれていない? もしかするとここ十年で使われなくなったのかもしれない――上層の何らかの判断で。


「ねえ、少しよろしい?」


 ライミはとんとんと肩を叩かれて振り向いた。


「見て……嬉しいわ。どうやらわたくしは大切にされていたようですわね」


 カメリアは壁にある貼紙を剥がすと、自分の顔の横に並べて見せた。貼紙には「死体探してます」と題され、瞼を閉じたカメリアの美しい写真が印刷されていた。

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